なお使い魔でして   作:ptagoon

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名を使いまでして

「なんて顔してるのよ」

 

 家の中で一番奥にある寝室。そこに我が主は寝かせられていました。そう。文字通り寝かせられているだけです。多少の伸縮性がありそうなマットレスだというのに、少しも沈み込んでいない。元々生気のない我が主だったが、今はそれがさらに悪化しています。肌は真っ白に変色し、唇は青い。ところどころ出血の跡がありますが、それすら生きていた証として賞賛したくなるほどです。

 

「それに酷い有様。死にそうじゃない」

「お前に言われたくないですね」

 

 私は破れた頬や剥き出しになった骨を隠すため、薄い皮を体中に張り付けました。見栄えだけですが、治ったようにも見えるでしょう。

 

「さて、調子はどうですか」

「最悪よ」

 

 冗談めかして言おうとしたのでしょうが、そこまでの声量は出ておりません。酷くぼそぼそとした、儚い声でした。

 

 我が主の額に触れる。酷く汗ばんでいるというのに、身体は驚くほどに冷え切っておりました。無様としか言いようがありません。

 

「お前、これから他の人間に身体を奪われるらしいですよ」

「みたいね」

 

 彼女は自分の置かれている現状を理解していないのか、それとも理解していて無視しているのか、何でもないかのように言ってきます。

 

「物騒な世の中よ。金ではなく身体を奪われるだなんて」

「妙な物好きもいたものです」

 

 陰気くさい彼女の頭がかくりと揺れます。そのまま二度と顔をあげないのではと不安になりますが、すぐに首を振る。どうして私が不安にならなければならないのか。こんな鬱陶しい主を気遣う必要なんてないというのに。

 

「ねえコア。何だか懐かしいとは思わない?」

「思いませんが」

「前にもこんなことがあったじゃない。私が喘息で寝込んでいる時に」

「ああ」

 

 そういえばそんなこともありました。魔女なのに喘息の治し方すら知らないと分かり驚いたことをよく覚えています。

 

「あの時、コアもどこか変だったじゃない。いつもよりぶすっとしていて、なんか怒っているみたいにぶっきらぼうで」

「私はいつだってぶっきらぼうですよ」

「あら。あの時と同じことを言うのね」

 

 何が面白いのか、彼女はくすくすと笑います。いや、性格には声帯をからからと震わせるだけの、痛々しい笑い声でしたが、それでも彼女は笑っていました。

 

「どうして怒っているのかその時には分からなかったけど、今なら分かるわ。あなた、私のことを心配していたのね」

 

 いきなり何を言い出すのでしょうか。そんな可能性、万に一つもないというのに。まったくもって下らない。本当に勘弁してほしいものです。

 

「私は怒っていただけですよ。なんで私がこんなことをしないといけないのかって」

「照れなくてもいいのに」

「殺しますよ」

 

 そう、と澄まし顔でいた我が主は、閉じそうになる目を必死に開きながら、「なら」と蚊の鳴く声よりも儚い声を出した。

 

「なら、そうしてちょうだい」

「はい? どういう意味ですか?」

「そのままの意味よ」

 

 普段は適当なことしかほざかないというのに、今日に限っていえば彼女は真面目でした。腹立たしいほどに真剣な顔です。

 

「私の身体が他の誰かに乗っ取られるくらいなら、死んだ方がましよ。だから」

「だから?」

「コア。私を殺しなさい」

 

 空気が固まった。いったいこいつは何を言っているのか。今も意識を保つことで精一杯のはずなのに、最後に言うのがそれなのか。怒りがふつふつとこみ上げてくる。

 

「なぜ私がそんな面倒なことをしなければならないのですか」

「命令だからよ、コア。従いなさい」

「無理ですよ」

「優しいのね。甘くて優しい。悪魔とは思えない」

「そんな話をしているのではない!」

 

 想像より強い声が響き、私自身が面食らう。何をムキになっているのか。死に損ないの戯れ言だ。無視すればいい。

 

「私はお前と契約を交わしている。一方的に攻撃することはできない。お前がそう決めたのではないか」

「あなただって気付いていたでしょう」

「何が」

「それ、私は対象に入っていないわよ」

 

 何が面白いのか、くすくすと魔女は笑う。

 

「殺そうと思えばいつでも殺せたでしょうに。それでも、文句を言いながらずっと側に仕えていたのだから、面白いわよ。そんな状態で、隙があれば殺すだなんて言っていたのだからね」

「悪趣味だ」

「あなたの主なのよ。悪趣味に決まっているでしょう」

 

 だからね、と陰湿な魔女はその目を閉じた。途端に息が荒くなる。何か二鳥疲れたかのように、身体が二、三度痙攣し、それが終われば微塵も動かなくなる。口が少し動いたような気がしたが、それだけだった。だから。その先の言葉を聞き取ることはできなかった。が、分かる。だから、私を殺して。そう言いたいのだろう。

 

「あまり私を舐めない方がいい」

 

 何が悲しくてお前のような馬鹿の命令を聞かなければならないのか。そうだ。私は悪魔だ。誰がこいつの望み通りにしてやるか。  全身で倒れ込むようにしながら、ベッドで眠る主に覆い被さる。首を掴み、握る。酷く細い首には確かに血が巡っていた。が、鼓動がいつもと違う。彼女らしくない、活発な物へと変わりつつある。

 

「なんで私はこんなことを」

 

 死ぬなら一人で死ねばいいのに。まったくもって馬鹿らしい。あまりに面倒だ。

 

 ならやめればいい。今更こいつの命令に違反したところで、ペナルティもないはずだ。そんなことは分かっている。が、私の手は言うことを聞かない。きっと、普段抱えていた恨みが爆発し、本能的に彼女を殺そうとしてしまっているのだろう。そうに違いなかった。

 

 彼女の首元から何かが零れ落ちたのはその時だった。糸に絡まり、何かがぶら下がっている。どうせゴミか何かだろう。このままゴミと共に死んでいくのも面白いが、地獄から怒られそうなのでしぶしぶ取ってやろうとする。が、それは叶わなかった。つい笑ってしまう。この馬鹿は、こんな物を日頃から首にかけていたというのか。馬鹿だ。本物の馬鹿だ。

 

 首にかけられていた、大きめのトーテムポールの玩具をそっと手に取る。こんな、どこの誰かが捨てたかも分からない骨董品を人生の最後の最後に持っていただなんて。笑える。本当に愚かだ。

 

 そうだ。我が主は愚かで無能なのだ。目の上のたん瘤。消えてほしい存在ランキング一位。一緒にいるだけで鳥肌が立ち、吐き気が酷くなる。死んで当然。もちろん助ける必要なんてない。あれだけのことをしてやったのだ。仇も、まあ半分くらい自分のストレス発散を兼ねておりましたが、晴らしてやりました。これ以上何を望むというのか。こんな奴の願いなんて、死んでも叶えてやるものか。

 

「が、だからこそ」

 

 悪魔は嘘を吐けない。吐いてはいけない存在だ。それは私が悪魔であるために必要なものであり、悪魔たらしめるもの。これを破ってしまえば、私はもはや存在意義を失うだろう。

 

 だとすれば。私が我が主様に言ってしまった言葉に偽りがあってはいけない。

 

「トーテムポールを持っていてください。死にそうな時に身代わりになってくる可能性があるかも」だなんて言葉を言ってしまった以上、今更それを偽りにすることはできない。してはいけない。こいつを助けたいからではない。私のためだ。むしろ死にたいと願うこいつへの嫌がらせだ。

「だったら仕方がありませんね」

 

 なけなしの魔力を使い、寝室の扉を固定する。そうしなければ、止められてしまいそうだった。私のこの試みを止められてしまうと思ったのです。

 

 右手に魔力を込め、己の願いを抱きしめます。私の固有の能力。使いづらく、同時に絶

大な力を発揮できる異能。私を伝説たらしめる力。まさかこんなことで使う羽目になるとは。『対価を用いて願いを叶える程度の能力』の使い道としては、我が主の体重以上にしょうもないでしょう。

 

 力を籠めます。対価はそうですね。右腕くらいでいいでしょうか。

 

 ぐしゃり、と何かが潰れる音がします。一瞬にして右腕が消え去り、血が噴き出る。が、パチュリー様は目覚めない。代わりに私の左腕が消し飛びました。今度は右足を対価にします。一瞬にして右足が消え去り、血が噴き出る。が、パチュリー様は目覚めない。代わりに再生したばかりの両腕が吹き飛びました。今度はモアイ像を対価にします。が、それでもパチュリー様は目覚めない。代わりに私の四肢が吹き飛びました。舌打ちが零れます。

 

「何ですか」これ以上何を捧げろというのか。「何だっていうんですか」

 

 この私が腕を、足を、体を、命を捧げているというのに。まだ駄目だというのか。やはり無理なのでしょうか。私では届かないというのでしょうか。馬鹿馬鹿しい。あまり私をなめてもらっては困る。考えろ。こんな馬鹿なやつを救うことすらできないのだとすれば、私は今まで何のために生きてきたのか。振り返れ。今まで、私は何をしてきた。いつの間にか生まれ、いつの間にか使役され、暖かい飯を食べさせられたかと思えば、次の日にはその主人に刺され、次の主人にはいきなり生贄の道具にされ、悪魔同士の戦闘による権力争いに巻き込まれ、慰み者にされ、英国を滅ぼし、戦争に使われた。そんな輝かしい私の悪魔としての生活を思い出せ。いきなり一介の魔女に呼び出され、かと思えば図書館掃除だなんてしょうもない仕事を任された時のことを思い出せ。護衛とは名ばかりで、よくわからない店によく連れ出されていたあの日々を思い出せ。

 

 あの生暖かく、気に入らない生活が終わるということを、思い出さなければいけない。

 

 私を誰だと思っている。他の連中が持っている物は、大抵の物は持っているはずです。

 

 分かっていました。私とて、この能力をずっと使ってきた訳です。どれくらいの対価を払えば、どれくらいの願いを叶えられるか。重々承知しているつもりです。が、私にとってこの愚かな魔女は、ただの面倒な主であるはずでした。大した価値もないでくの坊のはずです。まさか。まさか私は、こいつに価値を見いだしているとでもいうのでしょうか。私の腕や足よりも。自分自身よりも、こんなろくでなしの方がよいとでも言うのでしょうか。そんなはずはない。そう自分に言い聞かせます。ですが、言い聞かせたところで胸の奥に潜む空虚さは消えません。どうしようもないもの悲しさだけしか思い出せない。大したことではないはずなのに、気づけばその穴ばかりを気にしてしまう。その穴を埋められなければ、私は。私は私でなくなってしまいそうです。

 

 ならば私は何を捧げるのか。悪魔としてのプライドを。そんなものどうやって捧げる。私としての価値。いったいなんだそれは。

 

「名前か」

 

 他に思いつくものはそれしかありませんでした。くつくつと喉を鳴らしてしまいます。まさか、この私が。こんな一介の魔女を救うために名前を使うとでも? こいつに私の名を使いまでする価値はあるのか。ないに決まっている。名前とはそれ即ち存在証明。それが消え去るということは、文字通り自分が消え去ってしまう。そんなことは分かっていました。分かっているはずなのに。なぜでしょうか。私は能力を使わずにはいられませんでした。おかしいですね。先ほど血を流しすぎて朦朧としているのでしょうか。目からは涙すら零れ始めております。

 

 英国の絶望。その名前を対価としてます。と、全身に強い衝撃が走りました。魔力が一瞬にして消し飛び、頭が酷く痛み始める。声すら出すことができず、その場にうずくまる。が、それでもパチュリー様は目覚めない。次。次の名前。そう。デアモンの名前を対価に。捧げます。痛い。目が痛くて。歯が痛くて。全身が痛い。記憶が消えていくのが自分でもわかる。魔力はもはやない。消え去っていた。次。ジェルミの名前を。捧げる。自分の体がどこにあるのか、もはやわからない。ここがどこで、私だ誰かすら曖昧だ。私が生きていた証が、経験が消えていく。だけど、それでもパチュリー様は目覚めないことだけが分かる。あとは。あと失えるものは。あと、失っていいものは。

 

 そこまで考え、ふっと笑ってしまった。ようやく人間の気持ちが少しわかったかもしれない。本当に大切な物は、意地でも最後まで持っておく。そういうことなのでしょう。

 

「コア」

 

 どこからか、そう呼ばれたような気がしました。ですが、私の意識はもはや完全に消えかかっております。自分という存在すら曖昧で、肉体すら維持できなくなっていたような気さえしました。名前をすべて失えばどうなるか。もはやそれすら覚えておりません。が、やらなければならないことだけが分かります。重い。全てが重い。だけど。私はそれでも力を振り絞ります。ああ、そうです。振り絞らなければならないのです。

 

 そして、私はコアの名前を対価に使います。パチュリー様が目覚めたかどうかは、分かりませんでした。ああ、いったいどうして。私はいつからこんな人間臭くなってしまったのでしょう。コア。いい響きです。ずっと言ってこなかったですが、ようやく気づきました。私の今までは基本的には最悪でした。ですが、最後の一瞬だけは。どこかの馬鹿に召喚された時は、悪くなかったような気がします。

 

「ああ、ですがもう」

 

 それを伝えることは誰にもできそうにはありません。自らの腕が、手が、記憶が靄のように段々と薄れていく。元々そこには無かったかのように。私なんて存在が、この世の誰にも受け入れて貰えなかったように、全てが消えていく。ああ、どうか、と願わずにはいられませんでした。どうか、こんな人生だったのですから、最後くらい願いが叶いますように。

 

「この借りはトイチでいいですよ」

 

 薄れてゆく意識に更に靄がかかる。もはや私には、何も残されていなかった。

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