「なあ咲夜。見てみなさいよ。あれが主が別のペットを飼い始めた憐れな従者だよ」
図書館の端、そこで適当に陳腐でつまらなそうな魔術書を本棚から取り出し、乱雑に床へと放り投げていると後ろから、ひそひそと話が聞こえてきました。ちっと私の綺麗な舌打ちで存在を証明してさしあげましたが、気づいた様子はなく「咲夜はどう思う?」と隣で仰々しく直立するメイドの耳に、まあ、身長の都合上、腹付近でしたが、とにかく。小声で訊ねていました。
「ええ。ですがあれはどちらかといえば、好きな人に異性の友達が出来た若者のようにも見えますね」
「言い得て妙だな」クスクスと不快な笑い声が聞こえてきます。遅れて「美鈴はどう思う?」と壁にもたれかかり、片手をポケットに突っ込んでいた門番に訊ねはじめます。彼女は私が聞き耳を立てている、というよりもあの糞蝙蝠が私に聞かせるために、わざと大きな声で内緒話をしていると気づいているようで、あはは、と苦笑していました。「強いて言うなら、玩具を取られて不貞腐れる子供みたいですね」
ぴきり、と音がします。後ろの人間に脳を冒された妖怪未満三人衆の誰かの骨が折れた音かと期待しますが、残念ながら折れたのは私が握っていた本棚の方でした。まったく。これだから安物は駄目なのです。まあ、あんな精神性も安っぽい、豚にもなれない愚かで陰気なガキにはこれくらいの本棚がお似合いかもしれませんが、私に迷惑をかけるほどの愚かさは看過することができません。死を持って償うべきでしょう。
「ほら見なさいよ。苛立ちが募りすぎて本棚を壊し始めたぞ。いつの日か図書館ごとぶっ壊すんじゃないかしら」
「もはや悪魔よりも白アリに近い存在となってしまいましたね。お嬢様。バルサンの導入を検討してみてはいかがでしょう」
「駄目ですよ咲夜さん。それだとパチュリー様も死んじゃいますって。ほら、本の虫って言いますし」
「おや。おやおやおや」
一際分厚い古本を見つけた私は、面倒な存在であるボウフラ目がけ投げつけます。が、出しゃばってきた人間が片手で受け取り、そのまま机上に広げました。優雅というより傲慢です。
「無礼ですよコア。いくら大切な主が侮辱されたといえど、レミリア様に本を投げつけるなんて言語道断です」
「無礼なのは人間、お前の方ですよ。そこのジェネリック悪魔に本を投げたのは悪意からではありません。ほら、脳の容量が足りていない子供には本を与えた方がいいと言うではないですか。だから優しい私は本を渡してあげたのです。それに、あの馬鹿が大事な主様? 正気ですか。あんな死人みたいな顔した読書マシーンなんて関わるだけで陰気さが移りますよ。それに」
「それに?」
「あんな低級悪魔の魅了に悩殺されるような輩に親愛なんて抱けるはずもないではありませんか。感じるのは呆れと絶望だけです」
いつもの、大きな机とやけに仰々しい柔軟性に富んだ椅子に腰をかけた我が主は、どこか恍惚とした表情で膝の上に載せた悪魔を撫でていました。昨日いきなり紅魔館に侵入してきたかと思えば、一方的にパチュリー様に主になってくれと懇願してきた卑しい悪魔です。
悪魔は「私のことはニャプと呼んでほしいにゃ」と、明らかにオリエントにいた底意地の悪い神を模した名前で呼ぶことを求めていましたが、残念なことに彼女にはその神のような威厳はありませんでした。ただ、猫耳をはやした人間のような姿で、パチュリー様の膝で転がっているだけです。なんと浅ましい。
「おいパチェ。お前がその新入りにかまけてるせいでコアがいじけているぞ」
見当違いの指摘をしたボウフラでしたが、愚かな我が主はそんな妄想すら真に受け「あら」と悪戯っぽい笑みを浮かべました。「遠慮しなくていいのよ。コアもくる?」
「ご冗談を。まだ自害した方がましです」
「悪魔は嘘を吐かないのではなかったのかしら」
「嘘ではありませんよ」
何が悲しくて自分より劣っている存在にこの美しい私の身体を預けなければならないのでしょうか。
「だがジェルミ。お前は一つ勘違いをしている」
愚かな我が主の紫色の髪をむしり取ってやろうと画策していると、今度はボウフラが後ろからうざったい声をだしてきました。
「こいつ、ニャプと言ったか。こいつは悪魔じゃない。吸血鬼だ」
「どうりで馬鹿だとは思っておりました」
「吸血鬼も悪魔も変わらないにゃ」聞き捨てならないことを言った出来損ないは、「私は日の光を浴びても平気だけど霧には変化できないし、水浴びはできるけどしもべを作り出せないにゃ」とまごまごと言いました。
「それでなんで吸血鬼と名乗っているのですか」
「主食が血だからにゃ」
「それなら私も今日から吸カレー鬼を名乗りますよ」
「コア、ムキになったらだめよ。あなたは短気なのが玉に瑕なんだから」
「お前ほどではありませんよ」
「私、心の広さには自信があるのよね」
これでは話になりません。そもそも高い知性を持つ私とは違い、人の知識を本から摂取し、全てを知った気でいる魔女という種族とでは、知能指数に乖離がありまともに話ができないのでしょう。
「それで、お前はいったい何を考えているのですか?」
「私はいつも紅魔館のことを考えているよ」
「私はいつもお嬢様のことを」
「私は……まあ、妹様のことと晩ご飯のことですかね」
「お前らには聞いていません」少なくともレミリアであればこの悪魔の危険性を知っているでしょうに。呑気というか馬鹿というか。呑気な馬鹿というか。
「そこの……デブ、でしたか。なぜわざわざそこの紫芋に使えるなどという世迷い言を」
「もしかして私のことかにゃ?」
「おや。その頭上に付いている汚い獣の耳は飾りでしたか。邪魔そうなので取って差し上げましょう」
「聞こえなかった訳じゃないにゃ! 私にはニャプという名前があるにゃ。間違えないでほしいですにゃ」
「にゃーにゃー五月蠅いですね」
「悪魔にとって、いや。妖怪にとって名前は超重要にゃ。コア様だって分かってるでしょうに」
「いえ? 名前なんて腐るほど持っていますし」
「ダエモン様は特別すぎなのにゃ。二つ名がありすぎなのにゃ」
「寒いわね」
デブを膝に抱えたまま、我が主はただですら眠たげな目をさらに細くしやがります。適切な温度に保たれているはずなのに、己の身体を両手で擦ってすらいました。
「二つ名ですって。痛々しくて見てられないわ」
「二つ名というか、ダエモン様には名前がいっぱいなのにゃ。人間ですら名前なんて一つや二つしかないのに。年の功ですにゃ」
「らしいわよ。お婆ちゃん」
「何ですか青二才」
悪魔の常套手段です。話を逸らし、誤魔化し、曖昧な返答でお茶を濁す。答えたくないことを言わないためには最適な方法と言えるでしょう。ですが、同時に愚かともいえます。
「まあ、我が主への抗議は後にします。それで? もう一度だけ聞きますが、あなたはいったい何故ここに来て、こいつの僕に立候補したのか。聞かせてください」
「実は、最近困ったことがあってにゃ」
「困ったこと?」
「魔法の森って知ってるかにゃ?」
むしろ知らないはずがないでしょうに、知恵遅れの悪魔は訊ねてきます。幻想郷にあるじめじめとした森。魔法の森、といっても森そのものに魔法がかけられているわけではありません。あそこに生えている茸がどうやら人間どもに幻覚をみせるらしく、それが魔法のようだから、そう呼ばれているらしいのです。とにかく、瘴気やら湿気やらで陰湿な雰囲気が漂っており、あまり好ましい場所ではありませんでした。が、性格や生き方すら陰湿な魔女には居心地が良いのか、それとも本当に魔力が高まる効果があるのか、魔女や魔女もどきが住んでいたりします。
「あんなつまらない場所が何か?」
「実は、あそこでゾンビが大量に湧いているみたいで」
「ゾンビ?」
そんな最近流行りの面白味もない、B級にもみたない舞台や映画のような展開になろうが、それがいったい私たちに何の関係があるのか。そういう面倒ごとを対処するべきなのは人間であるべきでしょうに。
「それがどうしたのか?」ボウフラも、思った以上に面白味もない話だったのか、つまらなそうに鼻をならしています。「いいではないか。ゾンビが増えようがイナゴが増えようが、大した問題もないだろう。大した問題だったら巫女が動くさ」
「いや、もうちょっと驚いてくださいにゃ」
「お前の無能さには驚きましたけど」
「でも、たぶん続きを聞いたらみんなびっくりするにゃ」
「続き?」
「実はにゃ。そのゾンビ、魔道具か何かを使って、人間が作っているらしいにゃ」
「へー」
「個人が持つには過ぎた技術にゃ。幻想郷のバランスが崩れ、ひいては紅魔館の害になるかもしれないにゃ」
「ならないですよ」
断言したのは門番でした。お前に物事を決めつける権利があるのか、と糾弾したいところですが、今回に至っては珍しく正論なので黙っておきます。
「ゾンビがいくら増えようがなんの問題もありません。魔法の森が少し臭くなるだけです」
「そうですね」とメイドも頷く。「ますます森が嫌いになるだけで」
「でもにゃ。ゾンビを作ってるということは、どこからか死体を調達してきてるってことにゃ。同族の墓を荒らされるなんて嫌なんじゃないのかにゃ」
「別に。もしそのゾンビを生み出してる馬鹿が知り合いだったら注意するかもしれませんが、それだけですよ。ゴミは道端に捨ててはいけない。お婆ちゃんは助けたほうがいい。ゾンビは生み出しちゃいけない。そういうことです」
「どういうことにゃ」
そんな下らないことを伝えたかったのならばとっとと帰ってください。というより死んでください。小声で言おうとしましたが、脳裏にぱっと浮かぶものがあって、言葉が止まりました。というよりも、おそらく今ここにいる誰もが同じことを考えていたのでしょう。そうです。よくよく考えなくとも。魔法の森に住んでいる奴で、ゾンビを生み出すだなんてふざけた魔道具を生み出し、そしてそれを実際に使ってしまうような馬鹿は一人しかいません。ましてやそれが人間であるならば、疑いようもありませんでした。
「なあパチェ」にやつきを抑えきれずに口元を抑えていると、頭に手を置いたボウフラが苦しそうに声を出しました。「そういう、馬鹿げた魔法っぽい魔法を好む人間に心当たりがあるんだが」
「奇遇ね、私もよ」
「どうする?」
「どうするって」
我が主は心底疲れた顔でため息を吐きました。疲れた顔でため息をつくのが似合う魔女ランキングがあれば、我が主は間違いなく優勝することができるでしょう。まあ、無能な魔女ランキングがあったとしても優勝するでしょうが。
「しょうがないから、注意しに行ってあげるわよ」
その「しょうがない」と言う割にはやけに嬉しそうな彼女を見ていると、なにも言えなくなってしまいます。まあ、言う必要すらありませんが。
「お前らは人を何だと思ってんだよ」
魔法の森。その中腹に立てられた木製のみすぼらしい小屋。そこに目当ての人物、霧雨魔理沙はいました。いました、というよりは死にかけていたと言った方がよいでしょう。いくら木々と多くの葉により日差しが遮られているとはいえ、異様に湿気が高く、小屋の中は蒸し風呂のようになっておりました。比喩ではなく、扉を開いた瞬間に湯気が溢れてきたのです。人間の汗がふんだんに含まれた蒸気など、何が悲しくて浴びなければならないのか。悲しくてなりません。不幸中の幸いと言えば、ここに来たのが私と我が主、そして猫悪魔だけだったことでしょう。面倒くさかったのか、それとも魔女となんちゃって魔女の会合に水を差したくなかったのか、他の連中はお留守番というわけです。使えない連中らしい末路とも言えます。
「あのなあ。私がゾンビなんて造るわけねえだろうがよ」
金色の髪を汗で濡らした彼女は、白黒のワンピースをだらしなく手で広げ、ばさばさと揺すり始めました。椅子に座り机に頬をつけた彼女は信じられないほどにだらけていました。「お前らには私にそんな趣味があると思うのか」
「思いますね」
私は即答します。狭い小屋に置かれた小さな机。その上に置かれていたリンゴを一つ囓りながら、私は頷きます。
「てっきり、つがいができない苦しみに耐えかねてゾンビの恋人を作ったのかと」
「そんなことする奴は神霊廟にしかいねえよ。それに、私はモテる」
「あなたみたいながさつな奴がモテる訳ないではありませんか」
「馬鹿言うなよ。私みたいなサバサバしてる方がモテるらしいぜ。その証拠に、無口でおしとやかなパチュリーは百年以上経ってもモテない」
「我が主がモテないのは不細工だからですよ。ちなみにお前がモテないのは不細工で性格が悪いからです」
「おーいパチュリー」
暑さで脳がやられたのか、魔女もどきの人間はだらしない声をあげます。自慢の帽子とやらで顔を仰ぐ姿は少女というよりは中年の男性といった感じでした。
「お前の使い魔どうなってんだよ。ちゃんと教育しろよ教育」
「教育してこれなのよ」
「泣けるな」
およよ、と腹立たしい鳴き真似をした彼女は「で?」と首をくるりと回した。部屋の片隅で寝っ転がっている、悪魔の片隅にもおけない愚か者を指さし、「こいつは?」と面倒そうに訊ねてきます。「あれか? パチュリーの新しい使い魔か?」
「そうにゃ」
「違いますよ」
「おいおい、使い魔同士で意見を合わせろよな」
というより、とフードを被りながらゴロゴロしている下等生物を目でさし、「猫っぽい悪魔なんて、いかにも魔女っぽいが、パチュリーらしくはないだろ」とあらぬ心配をしてくる始末です。
「それこそ、ゾンビを使役する悪魔の方がよっぽどパチュリーっぽいぜ」
「もしかして馬鹿にしてる?」
「褒めてる褒めてる」
「あれかにゃ? そこの人間と我が主様候補は仲がよいのかにゃ?」
「お前の質問に答えるのは癪ですが。まあ、仲良しですよ。引きこもりの我が主が、夜な夜なこっそり逢瀬を交わすくらいには仲良しです」
「蜜月かにゃ?」
「ですね」
「へぇ」魔女っぽいだけのコスプレ人間は、机に身体を密着させ、軟体動物の物真似をしながら嫌みに笑ってきます。「かわいいとこあるじゃないか、パチュリー」
「そういうお前は可愛さ力ゼロですけどね」
「何だよ可愛さ力ゼロって。というかコアに言われたくない」
「ちなみにパチュリー様は元気力ゼロです」
まったく、と首を振ったパチュリー様は、「あなたは優しさ力ゼロよ」と当然のことを言ってきます。
「仕方ないではありませんか。優しさがつくような物は食べていないんですから」
「食べ物で優しさが身につくはずないでしょう」
「お粥とか優しいではありませんか」
「コアだったら苦汁を飲んだ方がいいんじゃないか?」
「苦汁のお粥ですか」
あまりにも下らない話をしていたせいか、部屋の片隅で喉をごろごろと言わせていた出来損ないが「みんな暑さで頭がやられているにゃ」と自分のことを棚に上げてほざきやがります。
「気が狂ってるにゃ。魔女なら魔女らしく魔法で涼しくするべきにゃ」
「分かってねえな、そこの猫は」
ちっち、と舌打ちをしながら振り子のように指を振った魔理沙はなぜか自慢げでした。
「教えてやるよ。この部屋にはな、逆に部屋が暑くなるよう魔法をかけてるんだ」
「気が狂って」
「それはもう聞いたよ」あっはっは、と魔女よりも魔女らしい笑い声をあげ、馬鹿は「ほら。よく言うだろ」と絶対に誰も言っていないだろうことを口走り始めます。
「暑くなりすぎると涼しくなるってな。夏に激辛料理食べたり、サウナに入るのはそのせいだよ。逆転するんだ」
「だったら冬に氷を食べたら暑くなるのかしら」
「そうだ」絶対にならないだろうが、人間は頑なでした。「寒いところで氷を食べたら逆に燃えるんだぜ」
「滅茶苦茶ですよ。そんな奴がいたら我が主がイソギンチャクの物真似します」
「勝手に人の十八番を確約しないで頂戴」
「十八番なのかよー」
部屋の片隅で転がっていた猫悪魔が、唐突に立ち上がったのはその時でした。黒い髪が逆立ち、吊り上がり気味の目が見開かせます。あまつさえ、ふしゃあと威嚇さえしています。笑えますね。
「ゾンビか?」が、対照的に人間の口調は軽いものでした。面倒そうと言ってもいいでしょう。「最近まじで多いんだよな。お前らの言うように、やっぱりどっかの馬鹿が何かやってんのかもな」
「危険にゃ。対処しないとまずいにゃ」
「そうでもないだろ。弱いし。ただまあ、気持ち悪いからなあ。見かけると不快になる。私、そういう奴は昔から苦手なんだよ」
「自己嫌悪はほどほどにした方がよいですよ」
「なんだコア。喧嘩なら買うぞ」
それに、と人間は心底面倒くさそうに間延びした声を出します。休日にソファで寝そべり「ちょっと膝枕しなさいよ」と要求してくる我が主と同じような声です。「なんか、子供のゾンビが多いんだよなあ」
「子供のゾンビ?」
「そうなんだ。子供とか、あとは若い奴のゾンビとかばかりで。なんか倒しにくいんだよ」
「あなたにも人の心があったのですね」
「なんで無いと思ってたんだ」
ゾンビがいると外出しづらいんだよなあ、と雨の日の愚痴のようなことを零した人間の顔は哀愁が漂っており、笑ってしまいそうになります。さすがにゾンビが彷徨いている現状に困り果てているのでしょう。
「いいかにゃ人間」そんな困り果てた人間に、出来損ないが突然偉そうに講釈を垂れ始めます。「こういう時は鬼の居ぬ間に洗濯作戦にゃ」
「何だよそれ」
「敵地に攻め込む時は、厄介な敵を追い出してから攻め込むのが鉄則にゃ。ゾンビがいる森なら、ゾンビを他の場所に誘導して、その後に攻め込むにゃ」
「いや、空飛んだ方が早いぜ、絶対」
そもそも霊夢は鬼に洗濯を任せてるぞ、と面白い話をした人間は突然、よし、と声をあげ立ち上がりました。先ほどまでの堕落した姿とは一転して、やる気に満ち満ちております。「よし。まずは人里にでも行くか」
「人里に行けばゾンビの秘密が分かるのかにゃ?」
「ああ」
部屋の端に置かれた箒を手に取り、おもむろに肩に担ぎます。ここまでステレオタイプな魔女を初めて見たかもしれません。いえ、魔女ではなく人間なのですが。きっと十年後には博物館に飾ってあってもおかしくないでしょう。魔女っぽい魔女として。
「そうだな。多分、美味い飯でも食べれば秘密が分かるよ」
ですが、性格は致命的に人間臭いところが、霧雨魔理沙の特徴でした。
かき氷。人間が好んで食べる謎の食べ物。普段人間が摂取している水を冷やし、固形状にした後に細かく粉砕する。そして砂糖と食紅等を混ぜた液体を上部にかけ、穴の空いたスプーンのような何かでわざわざ一口ずつ食べる。私には理解の及ばない食べ物です。いえ、そもそも食べ物かどうかも分からない。やはり人間の嗜好を理解することは永遠にできないでしょう。まあ、悪魔がたかだか色と甘味で味付けられた氷を嬉々として食べるなんてあり得ませんが。
「美味しいにゃ!」
が、残念ながらできそこないの悪魔には味覚や誇りなんて微塵もないらしく、むしゃぼりつくように氷を口に入れます。口やスプーンから溢れた氷が机に散らばってすらいました。汚らしい。これだから低級悪魔は駄目なのです。
店側も店側です。大通りを何カ所か外れた細道。人が誰も来ないような寂れた場所にあるかき氷屋に私たちはいました。かき氷屋といっても立派な店ではなく、もはや廃墟と呼んだ方がよいほどボロボロでした。私のような高貴な存在が、なぜこんな所に。いえ、理由は明らかです。喧しい出来損ないが「いい店を知っているにゃ」と強引に我々を引っ張りこみやがったのです。
「かき氷の味は最早どうでもいい。お前、『いい店を知っている』と言ってましたが、ここのどこがいい店だと言うのですか?」
「何が気に入らないにゃ」
「全てです。臭くてボロい。主様みたいな店ですよ」
「誰が臭いのよ誰が」
まるで自分は臭くないかのように我が主が言ってきます。が、無視して店内を見回しました。もちろん、店の良さを見つけることはできません。
「この世の中でもっとも見つけにくいのは、洗面台に落としたコンタクトとこの店の良いところですね」
「あなたの長所も見つけられないけれど」
「主様の目は節穴ですから」
小さな机、というよりも木製の台の上に置かれた4つのかき氷を見ます。私と私の隣に座る主様。そして主様の前に座る人間も、一切口につけておりませんでした。唯一おいしそうに食べているのが出来損ないというわけです。
「あれか。隠れ家的名店というやつか」フォローした訳ではないのでしょうが、人間がしみじみと言いました。「この前知り合いの現人神が言ってたよ」
「隠れ家的ではありますが、名店ではないですね。隠れ家的凡店です」
「おい、それじゃあ普通に悪口じゃないか」
「普通に悪口を言っているのですよ、私は」
何が悲しくてこんな連中とこんな場所でこんな物を食べなければならないのか。清廉潔白で罪など犯したことがない私ですから、何かの罰という訳ではないでしょうに。まったくもって意味不明です。
仕方が無いので、とっとと店を出るために氷を口に入れようとしていると、「言うじゃねえかお嬢ちゃん」と店の奥から男の声が聞こえてきました。目を向けるのは面倒だったので後頭部に眼球を作ります。と、そこに写ったのは年老いた人間の爺でした。年老いたといっても、私に言わせれば赤ん坊のようなものですが、姿形はまさしく死にかけの老人です。髪は抜け落ち、髭すらない。窪んだ眼窩の底にある目は曇っており、手足は枝のように細い。蟷螂を擬人化したような姿です。
「なかなか店主の目の前で、そこまで店をぼろくそに言える奴も珍しいぜ」
「お褒めに預かり光栄の至りです」
「褒めてねえよー」
笑っているのか、それとも咳き込んでいるのか。のどを小刻みに震わせながら、老人はわざわざどこかから椅子を持ってきて、私たちの側に座ります。煩わしい。
「ま、たしかにウチの店はボロいがな、これには訳があるんだ」
「はあ」
「この柱も床も元々は廃材なんだぜ」店主は自慢げに胸を張る。そうすると鎖骨が浮き出て骸骨のようでした。見ていて痛々しいです。「捨てられていて、どうせ朽ち果てるしかない奴を再利用して、長生きさせてやるんだ。偉いだろ。ワシはリサイクル人間だからな」
「どちらかといえば廃材人間でしょうに」
すぐにでも死にそうなほど弱っているのですから。そう続けようとしますが、傲慢な店主は「いいから」と言葉を遮ってきます。愚かしいですね。
「とにかく、かき氷は絶品なんだ。自信はある。文句は食べてからにしてくれ」
「らしいわよコア。文句を言わずに食べてみなさい」
「おやおや。私は所詮わが主様に使える身。主より先に甘味を楽しむなど言語道断でございます」
「毒味をしろと言ってるのよ」
「嫌だと言っているではありませんか」
はー、と息を吐いたのは店主でも出来損ないでもなく、私たちをぼんやり見ていた人間でした。長く伸びた髪をがしがしと掻き、氷がこんもり積もったスプーンを口へと運びます。
てっきり、すぐに感想を言うのかと思いましたが、彼女はしばらく黙ったままでした。私と我が主は顔を見合わせます。主は心配そうでしたが、私は破顔しそうでたまりませんでした。毒? それとも何かが腐っていた? いずれにせよ、これで人間がもがき苦しんでくれれば最高でした。
「これ、めちゃくちゃうまい!」が、もったいぶっていたくせに、人間は拍子抜けするほど元気に声をあげました。私の可愛い耳をここまでコケにする人間に出会ったのは初めてです。「やるな、おっさん」
「お兄さんと呼んでくれ」
「いや、おじいちゃんだろ」
頭がおかしいとは思っていましたが、舌まで狂っているとは。憐れみを超えて恐怖すら覚えます。まさか私を恐怖させる人間が存在するとは。感激ですね。死ねばいいのに。
嫌々という風に肩をすくめながらスプーンを口に運びます。美味しそうに見えたからではありません。食べて、その不味さを馬鹿にしたかったのです。
「なんか嫁をいびる姑みたいな目をしてるわよ」
「嫁をいびる姑なんて碌に見た事もないくせに」
「欠点を探して仕方がないっていう顔をしてるってことよ」
幼稚な当て擦りを無視してスプーンを口に入れます。入れて、驚きました。口内に入れたはずの氷は一瞬にして溶け去ってしまいます。人間の命のように儚く、我が主の考えのように甘い。美しい風味です。が、だからこそ苦々しい。こんな低俗な奴が、こんな低俗な場所でこんな高尚な氷菓子を作るなんて認められなかった。認めていいはずもない。
「おい、どうしたんだよコア」
くすくすと嫌な笑みを浮かべながら、人間が面白そうに指をさしてきます。不愉快極まりないです。「何とか言ったらどうだ」
「何ですかこれは」
「美味しすぎてびっくりしたか?」
「いえ。ただ、食べ物にしては冷たすぎると思っただけですよ」
「コア、あなた」
隣のパチュリー様が横腹を突いてきます。契約さえなければすぐに殴り殺してやるところでしたのに。まったくもって悲しくて仕方がありません。
「あなた、姑力ゼロね」
姑力って何ですか、と訊ねるも、返事はかえってきません。ほんと、許されがたいです。
「さすがのデアモン様もおっちゃんのかき氷には勝てなかったということだにゃ」
私の反応を受けて早とちりした出来損ないがニヤニヤと嘲笑を浮かべながら、意気揚々と言ってきます。ここまで不快に笑えるのもある種の才能です。
「喜ばしいにゃ。快挙にゃ。あの亡国の天災に一泡吹かせたにゃんて、歴史の教科書に載るにゃ」
「歴史の一つや二つくらい簡単に消し去れますが」
「冗談に聞こえにゃいにゃ」
別に冗談でも何でもなかったのですが、出来損ないは出来損ないらしく物事の本質を捉えられないようです。同情しますね。絶対に助けませんが。
「いや、今日はいい日だ。こんな綺麗なお嬢ちゃん方が来てくれるなんて」
「綺麗なお嬢ちゃんなんて一人しかいないではありませんか」
「どういうことだ、赤髪のお嬢ちゃん」
「私以外は皆醜いですよ。あまりお世辞を言う物ではありません。つけあがりますからね」
「コアが一番つけあがってるわよ」
相も変わらず覇気の欠片もなく、呪いのように低い声で呟いた我が主様は、頬杖をつきバナナ髪の人間へとストローを向けました。
「魔理沙は相変わらず適当な人生送るのね。こんな店でかき氷を食べて満足しているようでは魔女なんてなれないわよ」
「うるさいな。おかんかお前は。悪寒がするぜ」
「寒いわね」
「夏なのにか? 自律神経狂ってるんじゃないか」
「神経が狂っているのはあなたの方よ」
「ですにゃ」と出来損ないが我が主に続いて頷きます。「そうですよ」と私も同調しました。圧倒的に不利な立場にいる人間を集団で虐める。ああ、なんて素晴らしいのでしょうか。感動的です。
「そんな怠惰に時を過ごすと魔女にすらなれずにあっという間に死んでしまいますよ。年老いた自分に後悔しながら絶望しながら死んでいくのです。ああ、楽しみですね。早くその日が来ればよいのに」
「性格悪いなあ」
「何を今更」
性格の良い悪魔だなんて、それ自体が矛盾しています。そんな存在がこの世にあるはずないではありませんか。
「少しはおっちゃんを見習うべきにゃ」その証拠に出来損ないですらにやにやと笑いながらコスプレ人間を馬鹿にしています。「おっちゃんみたいに、一つのことに命を賭けて生きる人間こそ眩しいのにゃ。花火と一緒にゃ」
「爆発する人生なんてご免だぜ」
「このかき氷にはおっちゃんの人生がかかっているんだにゃ。人生の味にゃ」
大袈裟ですよ、と私は言うことはできませんでした。おっちゃんの顔を見るに、それは大袈裟でも比喩でもなく、間違いなく真実でした。彼は本当にかき氷なんぞに命をかけているのです。爆笑物ですね。たかが氷に自分の人生を使うなんて、滑稽です。
「知ってるか? 氷にも鮮度ってのがあるんだ。そのタイミングを見計らってかき氷を擦るんだ。釣りと同じだよ」
「だったらコアが得意そうね」
こんなしょうもない話に加わる気など微塵もなかったというのに、我が主は何を考えているのか嬉しそうに頬を指でつついてきます。忌々しい。
「コアは釣りが得意なのよ。霧の湖で釣り大会をやった時も優勝してたし」
「好きなだけですよ」むしろ、なぜ他の連中が手こずっていたのか理解できません。
「狙った奴をひたすら泳がせて、食いついたところを仕留める。それこそが今生の喜びというものです」
「ダエモン様が釣りが好きだなんて、イメージと違うにゃ」
「昔は悪魔界のフィッシュマスターとも言われてましたからね」
「なんでコアの名前はそんなにダサい奴ばかりなのよ」
「パチュリー様の方がよっぽどダサかったですよ」
あの時のことを思い出すと今でも笑ってしまいそうです。「始まる前から釣りが得意だって言っていたのに、全然駄目だったではありませんか。負けた時の顔といったら傑作でしたね」
「そこまで擦らなくてもいいじゃない。しつこいわね」
「私の座右の銘って何か分かりますか」
「分かりたくもないけれど」
「相手がどや顔で自慢していた得意分野を、圧倒して打ち負かすことこそが人生の喜び、ですよ」
「長すぎるし覚えられないし悪趣味だわ」
くすくすと笑う私たちとは対照的に、老人はどこか疲れているようでした。目が合うと少し照れくさそうに笑い、訊ねてもいないのに「ワシには元気がない」としごく当然のことを言ってきます。
「まあ、ワシの身体はもう限界だがな」彼の命同様、残り少なくなった髪を手で撫でた老人は「だからな」と皺だらけの顔を綻ばせました。「未来を託すことにしたんだ」
「未来なんて碌な物じゃありませんよ」
「おーい、吉田! こっちに来い」
私の言葉を無視した死に損ないは、店の奥、といっても狭い店内なので奥というほどでもありませんが、彼なりに声を張り上げられなければならない後方に向かい声をかけました。一瞬間が空き、遅れてとてとてと幼い人間がかけてきます。
「お呼びですか! ししょー」
「お前、息子に師匠って呼ばせてんのか。やべえな」
「むすこじゃありません!」
幼い人間は声を張り上げます。五つか六つくらいでしょうか。黒い髪を後ろでくくっている。目は大きく、唇は薄い。しばらく外で生活していたのか日焼けで肌は黒く焼け、身体は酷く細々としています。明らかに栄養状況が悪いですね。三食かき氷でも食べてたのでしょうか。「私は拾われました!」
「孤児か何かかしら?」
「鋭いなあ。嬢ちゃんの目つきくらい鋭い」
「なまくらでは?」
目がなまくらって何よ、と突いてくる我が主を無視して、吉田と呼ばれた少年に目をやります。純粋無垢を絵に描いたようなそいつは、おそらく名前からして少年なのでしょうが、性別が分からないほど幼さが残っております。
「孤児を拾って面倒を見るなんて。生け贄にでもするのですか? だとすれば赤子の方が適しておりますが」
「怖いこと言うなよ」
ケラケラと人間は笑います。きっと、冗談だとでも思ったのでしょう。まあ、私は冗談でもなく真面目に言ったのですが。
「あれだよな。後継者にするんだよな」
「吉田のおかげでこの店はしばらく安泰だからな」
「感謝してほしいにゃ」
関係ないはずなのに、出来損ないが胸を張ります。なんと小さいのか。器も脳みそも胸も、全てが壊滅的に小さい。
「わざわざ少年も拾ってきた私を称えるにゃ。いたせりつくせりなのにゃ」
「お前が拾ってきたのか」
「もう完璧のはずなのにゃ。そろそろ対価を払ってほしいにゃ。期限はもう過ぎてるにゃ」
「分かった。分かったよニャプさん。嬢ちゃん達の前でそんな話しないでくれ。ほら、とりあえず。吉田、作ったかき氷を持ってきてくれ」
「わかりました!」
誰に影響を受けたのか、両手を揉み合わせた少年は、とてとてと店の奥に行き、今度はのそのそと戻ってきます。その手にはかき氷がありました。えっちらおっちらと、ふらつきながら机へとやってきます。
「あの、これ」と出来損ないの目前に差し出します。
「何にゃこれ」
「イチゴとリンゴのあいすたわー。氷を添えてです」
「氷がダブってるわよ」
私たちの前ではいつも薄気味悪い笑みを浮かべていたのですが、かき氷を前にした出来損ないの顔は、それこそ氷のように冷たい真顔です。
手製のスプーンを手にし、かき氷を頬張った出来損ないは、口に入れた瞬間固まりました。元々大きな目を吊り上げ、口元を歪めます。
「おい人間」そして、怖さの欠片もない怒り口調で、淡々と言います。「あまりふざけていると私も怒る。自分の立場を弁えた方が良い」
「ご、ごめんなさい」
涙目になる吉田少年と、同じように怯えた目つきになる老人を前に、私たちは苦笑することしかできません。ああ、と声を漏らしてしまいます。
「パチュリー様、準備はいいですか」
「何の?」
「イソギンチャクの物真似ですよ」
氷を食べて熱くなる奴がいたじゃないですか。私はきょとんとする我が主に懇切丁寧に説明します。そういう意味じゃないわよ、と抗議してきますが、もちろん私は無視しました。