「それで? お前達はただ人里でかき氷を食って帰って来たのか?」
紅魔館に帰り、図書館へと即座に引きこもろうとした我が主と私を待っていたのは、珍しく起きていたボウフラでした。私たちがいないのをいいことに、図書館でメイドと門番と共にお茶会を開いていたようで、机上には本の代わりに紅茶やらクッキーやらが散乱していました。まったく良いご身分だことで。早く磔にでもされて民衆の前に晒されれば良いのに。
「ただ遊んで来ただけじゃないか」
「かき氷を食べてきただけではありませんよ。ちゃんと収穫はありましたとも」
「コアに言われてもなあ」心底心外なことをのたまいましたボウフラを睨み付けます。が、彼女は臆する様子もなく「じゃあ何を得たのだ」と報告するのが義務であるかのように訊ねてきます。なんと傲慢なのでしょうか。
「そうですね。愚かな人間は一気にかき氷を食べると頭が痛くなるとか、そういう学びを得ました」
「魔理沙は何をやってるんだ」
「かき氷は一気に頬張るのが礼儀、とか言ってましたよ」
「あいつごときが礼儀について語るのか」
私はてっきり、このボウフラもゾンビの大量発生ごときに興味を持つと思っていなかったのですが、どうやら彼女は思った以上に小心物らしく、「魔法の森の件はどうなったのだ」とさも当然解決したかのように聞いてきました。なぜこいつはここまで上から目線なのでしょうか。
「どうもこうも、魔理沙が絡んでないと分かった以上、口出す必要はないでしょ」
はぁ、とため息を吐き、散らばっていたクッキーを頬張った我が主は、また太るかもしれないというのになぜか嬉しそうにはむはむと咀嚼していました。「特に何もしてないわよ」
「それだと困るんだ」
「なんでよ」
「さっき博麗の巫女が来たんですよ」
ボウフラの代わりに答えたのは門番でした。よく見ると、彼女の身体にはいくつか傷が点在しています。博麗の巫女。妖怪相手だと無条件に弾幕勝負をふっかけ、そして蹂躙していく恐ろしい存在。おそらく美鈴もその毒牙にかかったのでしょう。軽い怪我ですんでいるのは、早々に降伏したからです。自ずから降伏する門番なぞ前代未聞ですが、もはや彼女に門番としての役割を期待している人などいるはずもありませんでした。
「魔理沙の家に遊びに行ったらゾンビに絡まれたって、激怒してましたよ。ちょうど帰宅途中の魔理沙さんに出会って事情を聞いたみたいです」
「あの博麗の巫女が事情を聞くだなんてね。殴ってから聞くものとばかり」
「いえ。魔理沙さんは最初、死んだふりをしてたらしいですよ」
「はい?」
「巫女対策らしいです。魔理沙さん、死んだふり無茶苦茶うまくて。それで巫女の怒りを削ぐって」
「逆効果のような気がするけど」
「鋭い」とどこか楽しそうな声を出したのはメイドでした。彼女だけは姿勢正しく座っていましたが、口元は他の連中と同じくらい緩んでおります。「そうなんです。霊夢、余計に怒ってしまいまして。その怒りを保ったまま紅魔館に来てですね。ゾンビといえば吸血鬼なのだから、何とかしろとお嬢様に凄んだのですよ」
「そんな滅茶苦茶な」
「それで? このボウフラは人間ごときの圧力に屈したということですね」
なんと嘆かわしい。人間に退治される吸血鬼の話はいやというほど聞いたことがありましたが、人間の尻に敷かれる吸血鬼の話なぞ聞いたことがありません。
「そうだ。だから、何とかしてくれ」
そして、酷く曖昧な指示を出してくる当主も聞いたことがありませんでした。前代未聞です。
「何とかしてくれって」
「帰ってきて早々で悪いが、魔法の森にいるゾンビを打ち倒してきてくれ」
「えー」
誰がこんな奴の言うことを聞くのでしょう。絶対に嫌です。まあ? この私にかかればゾンビの掃除など暇つぶしにすらなりませんが、それでも面倒であることには変わりありません。
「ほんと、ゾンビは嫌ね。一匹見れば四匹はいると思えって誰かが言ってたわよ」
「面倒ですね。バルサンでも買っておけばいいんじゃないですか?」
「駄目だ。バルサンは高いからな。サラダ油はえ叩きでも買ってこい」
「どこに売ってるのよ、それ」
「魔理沙の実家とか」
「怒られるわよ」
サラダ油はゴキブリを殺す。そんな庶民の心得を把握している悪魔の館の主がいていいはずがないのですが、どうやら彼女は普段の傲慢さとは裏腹に酷く謙虚な生活を強いられているようです。金欠の夜の王など笑い話にもなりやしません。
「だったらまだ転移魔法を応用した方が楽よ」
「転移魔法?」突拍子もないことを言うのには定評がある我が主が、また妙なことを言い出しました。「対象範囲の生き物を丸ごとある場所に移す魔法よ。実はコアにはその魔法をかけた魔道具を渡しているわ」
「え」初耳でした。慌てて体をまさぐります。おそらく、ブーブークッションをしかけられた子供も同じような感情なのでしょう。「最悪なのですが」
「モアイよモアイ。小さなモアイ。あれを使えば、紅魔館へ一瞬で帰れるのよ。一部屋分くらいの生き物が一緒についてきてしまうのが難点だけど」
「ああ、なるほど。これで魔法の森のゾンビを連れてこればよいのですね」
「本当にやったら今後口を利かないからな」
猪口才なレミリアが言ってきますが、それは私にとってはただのご褒美です。お前と話していていいことなんて一つもないのですから。
「コア。あなたに一つお願いがあるのだけれど」うざったいボウフラを睨んでいると、今度は我が主から声をかけられます。
「嫌です」
「ゾンビを倒してきなさい」
「は?」嫌だと言ったのに、我が主は言葉を続けてきます。耳が腐っているのでしょうか。
「今、なんと」
「いえ。私は紅魔館でのんびりしているから、あなたが解決してきてちょうだい」
「嫌に決まっているではありませんか」
「またまたー」
「いえ。冗談ではなく」
分かったわ、と絶対に何も分かっていないにもかかわらず、我が主はただですら眠そうな目をさらに細くします。嫌な予感しかしません。
「だったらそこで寝ているニャプと共に調査してきなさい」
「は?」
「調査じゃなくて勝負でもいいわよ」
紫もやしの指差す方に目をやると、たしかにそこには出来損ないが地べたで丸まって寝息を立てておりました。が、どこからどう見ても狸寝入りです。馬鹿にしているのか、普段は猫の尻尾がついている尻には丸く茶色の、狸の尻尾がついておりました。ふざけやがって。
「勝負って、何ですか」
「先にゾンビ大量発生を解決した方が私の正式な使い魔ということで」
「それ、本当かにゃ!」
さっきまで部屋の片隅で己の矮小さを象徴するかのように小さく丸まっていたというのに、我が主が甘い蜜を垂らした途端、出来損ないは目を爛々と輝かせました。あまりの醜さに目を覆いたくなります。
「それは、つまり、我が主様になってくれるということかにゃ?」
「その通りよ」
「絶対にゃ。約束にゃ!」
「分かった。分かったからとっとと行ってきなさい」
騒がしい出来損ないは、図書館の扉を蹴破るように飛び出していきました。まったく。産まれたばかりの妖精ですらもう少しまともな知性を身につけているでしょうに。嘆かわしい。
まあ。元々こんな魔女に仕えたくて仕えていた訳ではないので? 私にとっては今回の件に協力するメリットなんてまったくありません。だとすればこんな面倒なことをやる理由もないわけです。いくら後ろから「お前はなんで行かないのか」という視線を感じたとしても、私にとっては春のそよ風のような清々しさしか感じられません。ああ、何と心地よいのでしょうか。意地でもここから動いてやりませんとも。
「ああ、コア。別れの言葉を言っていないわよ」
「なんで出発する前提なんですか。そもそも、別れの言葉だなんて言ったことありませんよ。そういうの嫌いなんですね。またね、とか鼻白んでしまいます」
「だったら、代わりにまた会いたくなるようなことを言えばいいのよ」
「例えば?」
「この借りはトイチで返してもらうからな、とか」
「夜逃げしますよ」
そもそもこんな奴に借りを作った記憶もありません。貸しなら無限に思いつくというのに。
「何やってるにゃ、ダエモン様」
なんて。合理的で理知的な判断を下したところで、先ほど全力で出て行ったはずの出来損ないが、同じく全速力で戻ってきました。悪魔なのにもかかわらず、肩でぜいぜいと息をしております。本物の猫のように汚らしく、はあはあと息を吐いておりました。
「そんなところでぼさっとしてないで早く行くにゃ」
「おやおや。この私にあなたごときが命令しようというのですか?」
「ほら、早く」
愚かな出来損ないは、その薄汚い手で私の手を掴み、そのまま引っ張っていきます。頭に血が昇り、一瞬そのまま手を吹き飛ばしたくなりますが、寸でのところで耐えます。己の自制心に感服しました。さすが私です。
「もしかして、ダエモン様は不安なのかにゃ?」
私の手をぐっと引っ張っている出来損ないが、邪気のない悪魔らしい顔で訊ねてきます。「私が先にゾンビの秘密を解き明かしちゃうって、心配なのかにゃ?」
「安い挑発ですね」
ここまで安い挑発も久しぶりです。まあもっとも。高い挑発なんて聞いたことがありませんので、この世の挑発は全て安いのかもしれません。だとすれば、世間一般的な挑発を、この私が無視する訳にもいきません。それが悪魔というものです。
「仕方ないですね。対価はお前の命で良いですよ」
「冗談に聞こえないと何度言えばいいにゃ」
「冗談じゃないですから」
それこそ冗談じゃないにゃ、と喚く出来損ないを無視して足を進める。後ろから、面倒くさい性格ね、と呆れる主の声が聞こえたようが、当然私は無視しました。
ついさっき行った場所に、再び戻ってくることほど愚かなことはない。そう分かってはいるというのに、どうして私はこんなことをしているのか。それもこれも悪いのは我が主と、無邪気にはしゃぐ出来損ないだ。
「だからといって私が付き合う必要もないと思うんですがねえ」
「しょうがないにゃ」
私とは違い、出来損ないは随分と楽しげでした。そもそもこんな奴と二人で行動すること自体がおぞましく、耐えられるものではないというのに。何が悲しくて再び人里に行かなければならないのか。
夕暮れの人里は、当然と言えば当然だが昼頃に来た時とほとんど変わっておりませんでした。いささか通りを歩く人の数が少ないような気がしますが、それだけです。
「まずは情報収集が大事にゃ。ゾンビの専門家に聞くのが一番にゃ」
「そんなことしなくとも森ごと燃やせば早いのでは?」
「物騒すぎるにゃ」
何も私だって、何の意味もなくこの馬鹿に着いてきている訳ではありません。こいつの言っていた「ゾンビを作り出す道具」に興味があったのです。別段、その道具自体は珍しいものではないでしょう。しごく無意味で悪趣味ですが、作ろうと思えば作られるはずです。が、この出来損ないが、今回のゾンビ大量発生を「道具を用いて人間がやっている」と言っていたのが気にかかったのです。なぜそう断言できたのか。その情報源は何なのか。興味深いです。
「ゾンビの専門家とはどのような馬鹿なのですか?」
「なぜ馬鹿って決めつけるにゃ。馬鹿じゃないにゃ。優秀な人間にゃ」
「人間? どうして人間ごときが」
「百聞は一見にしかずにゃ」
着いたにゃ、と出来損ないは民家を指差します。専門家というからには、それなりの地位にいるような人物を想定しておりましたが、残念なことに当てが外れたようです。
民家は仰々しいものではありませんでした。むしろみすぼらしいものです。それこそ、つい先ほど行ったばかりの、かき氷屋と大差ありません。この出来損ないは古びた民家が好きなのでしょうか。悍ましい趣味ですね。
二三度ノックをし、「入るにゃー」と酷く気さくな挨拶をした出来損ないは、意気揚々と民家へと入っていきます。このタイミングで火でも放てば面白いのでしょうが、今回は勘弁しておいてあげます。
後から続いて入ると、一人の人間と目が合いました。人間の女性です。煎餅布団に横になり、上体だけをあげております。
「あらニャプ。と、そちらは?」
女性の声は酷く擦れておりました。身体そのものも細く、華奢です。髪の毛は白く変色しているものの、そこまで年齢を重ねているようには見えません。いえ、話し方や魔力的には成熟しているように感じるのですが、見た目は三十代後半の、美しい女性にしか見えませんでした。
「このお方はダエモン様にゃ。偉大な悪魔のお方にゃ」
「あらまあ」
「紅魔館の魔女の使い魔なのにゃ」
「魔女」
あらあ、と中年女性特有の鳴き声をあげた彼女は「懐かしいわね」と自らの白くなった髪を軽く撫でました。それだけでぽろぽろと髪が落ちていくのが痛ましくもあります。
「懐かしい? お前ごときが魔女の何を知っているんです?」
「実はね、恥ずかしながら、私も昔は魔女を目指したことがあったのよ」
うふふ、と少女のように笑った女性は魅力的な笑みを浮かべておりました。人間特有の、弱々しく後悔の詰まった笑顔です。死にかけの人間しかできない、諦念が詰まった笑顔です。
「それは本当に恥ずべきことですね」
「魔女になれなかったことが?」
「いえ。魔女なんかを目指したことが恥ずべき事ですよ。魔女なんて碌でもないのですから」
例えばですよ、と私は脳裏に一人の常にパジャマを身にまとった貧弱な頭でっかちを思い浮かべました。それだけで無性に腹が立ってきます。
「私を召喚した魔女なんて最悪ですからね。ええ、最悪ですとも。この前なんて夜眠れないからって子守歌を歌えとか言ってきたのですよ? 百歳超えているくせに、赤ん坊のようなことを抜かし出したのです」
「歌ったのですか?」
「ヘヴィロックを歌ってやりました」
「なんで得意げなのにゃ」
何が面白いのか、女性はくすくすと笑います。「それではベビーロックですね」と意味不明なことすら口走っておりました。呑気な物です。
そう。呑気すぎます。普通の人間であれば、この出来損ないや私を前にすれば少なくとも失禁、よくて恐慌、悪ければショック死するものですが、酷く平然としています。
「悪魔を見て平然としているということは、魔女を目指していたというのも強ち間違ってはいないでしょうね」
「ええ。まあ」
「なぜ魔女になろうと?」
「不老不死になりたかったんですよ」それはありふれていて、そして同時に叶わない願いでした。魔女と人間の一番大きな違いはそこです。人間には寿命があるが、魔女にはそれがない。だからこそ魔女に憧れる人間は多い。
が、そういう人間は決まって魔女には慣れないものです。魔女とはそれ即ち魔術に命を捧げた奴の末路であり、不老不死はそのおまけのようなものです。不老不死になるために魔女になろうとするのは、手段と目的が逆転しております。
「まあ、魔女になる前に命が尽きそうなのですがね」
「惨めですね」
「うふふ。でもまあ、そのおかげで色々な知識は身につけられましたよ。ニャプも、何か私に聞きたいことがあったのですよね」
「そうだったにゃ」
鶏並の知識しかない出来損ないは、ゴロゴロとずっと鳴らしていたのだけれど、ようやくそのうるさい音を止めました。
「実はにゃ。ゾンビの効率的な倒し方を知りたいのにゃ」
「はあ?」
特に口出すつもりなんてなかったというのに、ついつい声に出してしまいます。あまりの出来損ないの無能さに声を出さずにはいられません。
「ゾンビの効率的な倒し方など聞くまでもないですよ。おとりの人間を目立つ場所に置いておけばよいのですよ。そうではなくて、私が気にかかっているのは」
「いるのは?」
「ゾンビを生み出す道具についてですよ」
別に道具の構造は容易に理解できます。あくまで予想でしかありませんが、その道具を作った馬鹿がよっぽど愚かでなければ、似たような作りになっているはずです。
「ゾンビとは人間の死体に魂が取り残された際に発生するものです。未練があった死体に魂の一部が残されてしまった時とかですよ。ですから、人工的にゾンビを作るのはそこまで難しくありません。拾ってきた死体に無理やり魂をぶち込めばいいのですからね」
「あれにゃ。うどんをどんなに湯切りしても、少ししゃびしゃびになってしまうみたいな感じかにゃ」
「全然違います」
ゾンビ。動く死体。死体自体はそこまで珍しくはありません。墓を掘り起こせば出てきます。魂もそうです。生きている連中は誰もが魂を持っています。問題は、その魂を死体に移す技術です。
「そんじょそこらの人間に魂の移行なんざできるはずがありません。私ですら難しいでしょう。つまり、その道具とやらはそれが可能にする道具ということです。あなたはその道具について心当たりがあるのではありませんか?」
「心当たりですか」
「ええ。その道具を持っている奴を見つけ出せさえすれば、後は殺すだけです。簡単な仕事ですよ」
ですが探すのが面倒くさいのです。まあ、やろうと思えばできるのでしょう。それこそ、何かを対価に私の能力を使えば、考える間もなく解決できるかも知れません。ただ、代償や失敗した時のことを考えるとやりたくありませんでした。というよりも、こんなしょうもないことで私の能力を使いたくないです。
「それを使っているのが誰かは心当たりありませんね」
残念なことに、この人間の女性も役立たずのようです。申し訳なさそうに頭を下げるだけ我が主と違ってまともとは言えるでしょうが、とんだ無駄足であることには間違いありません。「ですが、その道具は聞いたことありますね」
「前言撤回します」
「何の話ですか?」
「いえ、こちらの話です」
あれはたしか、と大した時間を生きていないのもかかわらず、記憶を辿るような仕草をした人間は
「移魂を残さない君3号」
「は?」
「魂を移動するで移魂です。黄色いボールみたいな見た目だったはずですよ」
「何ですかそのふざけた名前は」
「いえいえ。それほどでも」
「褒めてないのですが」
まあ、道具を作った奴が大した実力がなさそうと分かっただけで収穫とも呼べます。が、この程度の情報しか得られないのであれば、わざわざ人里に来る必要もありませんでした。どうせ、ゾンビを一層すれば首謀者もあぶり出されるでしょう。やはりそれが一番手頃です。
「じゃあ行きますよ出来損ない。とっととゾンビを殲滅して、紅魔館に帰って言ってやります」
「言うって、何をにゃ」
「次はお前だ、と」
もちろん、その「お前」の範囲には出来損ないも含まれておりますが、彼女に気づいた様子はありません。大した情報を得られなかったにもかかわらず「ここに来てよかったにゃ?」と偉そうに言い「また後でにゃ」と女性に手を振ります。また後でも何も。少し経てばあの女性の命は消え去りそうなほど衰弱しておりましたが、出来損ないに悲壮感はありません。まあ、それは不思議でも何でもありませんが。人間はいつか死ぬ。それを悪魔が悲しむなんて、考えづらいですから。
ボロボロの扉を出ると、既に外は薄暗くなってきておりました。あれだけ酷かった暑さも落ち着き、湿気は孕んでおりますが、それでもそよ風が吹き込んできます。室内では気にならなかった蝉の声が空気を震わせておりますが、閑散としている人里を余計に寂しくしておりました。最近、なんかそんな俳句を詠んだ日本人が持て囃されていたような気がしますが、中々どうして。本質を捉えているといえるではありませんか。
「でもダエモン様。ゾンビの殲滅なんてできるんですかにゃ?」
とっとと魔法の森へ行こうと翼を広げていると、後ろから面倒な質問が飛んできます。愚問です。聞くまでもありません。
「それは、周りに被害を出さないでということでしょうか?」
「そうじゃないにゃ。いや、それもあるんだけど。単に一人で大丈夫なのかと不安に思ったんだにゃ」
「余裕ですよ。私を誰だと思っているのですか」
「ダエモン様だにゃ」
「欧州の覇者、です。いいんですよ? もう用済みですから紅魔館に帰っていただいても構いませんが」
「帰るのはもう少し準備してからにするにゃ」
いくら出来損ないが準備をしたところで焼け石に水だというのに。そんなことも分からないのでしょうか。これだから出来損ないは。
「それじゃあ、準備をすることにゃ。危ないから少し下がっているにゃ」
「危ない? 何がですか。ああ。お前の頭の話ですか」
「否定はしないにゃ」
所詮は上級悪魔。準備をするといっても、大したことはできるはずがありません。
その、準備とやらをするためか、出来損ないは住宅街もとい廃屋街を抜け、開けた広場の真ん中で突っ立っております。薄暗い空の奥には半分ほどかけ月が浮かんでいて、出来損ないの頬を若干照らしておりました。
その場でくるりと回った彼女は、おもむろに指をパチンと鳴らしました。別段なんてことのない仕草です。魔力の発出もなければ、道具を使った形跡もない。強いて言うならば乾いた音が鳴り響きましたが、それだけです。
それだけのはずなのに、空気がたしかに変わりました。長閑でどこか物寂しい夕暮れ時は終わり、慣れた雰囲気──血と悪意に満ちた夜の時間へと変わります。
それを象徴するかのように、出来損ないを囲うように四つの影が現れます。比喩ではありません。文字通りの影です。宙に壁ができたのかと思うほどの閉塞感。鬱屈とした空気。人間の存在など、もはやこの人里では空気とかしております。
たまらない。自然と笑みが浮かんでしまいます。ここまで楽しみなのは二百年ぶりでしょうか。まさかこんな東国のゴミみたいな楽園でここまで楽しめるとは。いやはや、出来損ないもたまには良い仕事をするものです。
そこに現れたのは四匹の悪魔でした。いずれも出来損ないと同じほどの能力を持った悪魔です。召喚された訳でも、出来損ないが生み出した訳でもありません。先ほどの、指を鳴らす音を聞きつけ、わざわざ集まってきたのでしょう。あの微かな音を聞き、一瞬でかけつける聴力。明らかに人里に潜んでいたにもかかわらず、この私ですら欺いたその隠遁力。まあ、それを加味したところで雑魚にはかわらないのですが、潰し心地はよさそうです。
「どうにゃ。さすがのダエモン様も腰を抜かしたんじゃないかにゃ」
四匹の悪魔に囲まれた愚か者は、ふっふっふと得意げに笑っておりました。なんとも腹立たしい。いくら雑魚が積み重なったとしても、それはただのゴミの山だということを理解できていないようです。
相手にせずに、そのまま道を抜けようとします。と、「どこに行くにゃー」と情けない声が聞こえてきました。思わず笑ってしまいそうになりますが、何とか耐えます。
「どこにって、決まっているじゃないですか」
「そうなのかにゃ」
「魔理沙の実家ですよ」
「何しに行くのにゃ」
「サラダ油はえ叩きを買いに行くんです」
最近の奴らは一匹見れば四匹いると言いますから。私のその呟きは「私たちはゴキブリじゃないにゃ」と喚く声にかき消されてしまいます。が、当然私は無視しました。