三本の矢という言葉を知っているかしら。
いつの日か、我が主に言われた言葉を思い出しました。夜更けの人里を散歩しながら思い出す話題にしては随分と平々凡々としたものでしたが、かえってらしいと言えばらしいのかもしれません。
たしかあれは紅魔館にムカデが大量発生した時のことでした。というよりも、あまりに退屈だったので暇つぶしに私が召喚してみたのですが、とにかく。図書館内のみ結解を張り、侵入してきたムカデを消し炭にしながら、愚かな我が主様はそんなことを言い出したのです。
「一本の矢なら簡単に折れるけど、三本の矢なら折れない。そうでしょ?」
「何がそうでしょ? ですか。お前は一本の矢だって折れないくせに」
「折れるわよ」
「心の方が絶対先に折れますよ」
それに、と私は愚かな魔女に 真実を伝えて差し上げます。
「常識的に考えて、いくら雑魚が積み重なったところで戦況は変わりませんよ。私であれば矢が一万本でも折れます。よく言うではありませんか。塵が積もれど所詮ゴミだと」
「初耳よ」
はぁ、とため息を吐く我が主の顔には疲労が浮かんでおりました。いったいなぜでしょうか。てんで検討がつきません。
「口ではどうとでも言えるわよ。一騎当千なんて非現実的なのだから」
「私ならできますよ」
「もしできたのならこの世の辞書全てに、塵が積もれど所詮ゴミと書いてあげるわよ」
「類義語は幻想郷でお願いします」
「それは怒られそうね」
私の貴重な提言を受け流した彼女は、どこから取り出したのか実際に3本の矢を私に見せ「これがフランとレミィと美鈴とするわね」と言い始めました。頭でもおかしくなったのかと本気で心配になります。
「全員貧弱そうだと言いたいのでしょうか」
「違うわよ。要するに、一人でもただですら強い彼女を相手にするのは大変なのだから、全員に喧嘩を売ったら酷い目に遭うということよ」
「はぁ」
「つまり何を言いたいのかと言えば」
図書館の扉が開かれたのはその時でした。あまりに勢いよく開かれたせいで扉がぎしぎしと悲鳴をあげています。いつの日か鋭いしっぺ返しがくるでしょう。それを楽しみに生きていく他ありません。
「今からあなたは地獄を見るということよ」
扉の外には明らかに殺気だった紅魔館の連中がおりました。その後の結末についてはもはや語るまでもないでしょう。私に返り討ちにされた三人は、結局怒りの矛先を変え我が主に「なぜ自分の図書館にだけ結界を張るのか」と散々と責められておりました。今思い出しても笑い出してしまいそうです。
「だが、この状況もそれと同じく笑えますよ」
四匹の悪魔を引き連れた出来損ないの頭を叩きながら、私は必死に笑いをこらえることしかできません。「高々ゾンビ相手に随分と意気込むではありませんか」
悪魔の姿は歪でした。その誰もが似たような姿をしております。人間を模しているのでしょうが、いやに整いすぎていて、マネキンのような非現実感を醸し出しております。もはや隠す気もないのでしょう。
「いかにも擬態能力が高いですと言いたげな悪魔共ですね」
「鋭いにゃ」
さすがダエモン様にゃ、と訳の分からぬ感心の仕方をした出来損ないは、魔法の森の方角へ歩きながら自慢げに語り出します。身内の情報を易々と引き渡すなんて。信頼の証のつもりでしょうか。
「私たちは変化が得意なのにゃ。誰であろうと欺し通す自信はあるにゃ」
「その割には人間の擬態に失敗して猫みたいになってますよ」
「だから、これは私の個性にゃ」
変化。自らの肉体を様々な物体を模した物へと変え、相手を欺す技術。私からすれば、何が悲しくてそんな狸や狐のような低俗な畜生の専売特許を犯そうとするのか理解できませんが、彼女たちのような非力な悪魔にはそれが唯一の生きる道なのでしょう。浅ましく涙ぐましいものです。
「とはいっても、あなたの変化くらいであれば私にとっては無意味ですがね」
「それは」さすがに自分の得意技を馬鹿にされたからか、出来損ないの声も一段低くなっていた。「何か癖があるとでもいうのかにゃ」
「お前達全員、目が歪なのですよ。獣のような目です。まあ私くらいしか気づくことはできないでしょう。我が主様なんてひっくり返っても気づきませんよ」
「そりゃ、ひっくり返ったら気づかないとは思うにゃ。それに」
「それに?」
「ダエモン様に言われたくないにゃ。変化ヘタクソなくせに」
「五月蠅いぞ間抜けが」
私は素で美しく完成されておりますので、これ以上別の姿になる必要がないだけです。それに、例え変化したところで私の高貴で魅力的な雰囲気は隠すことができないのですから、そんな無意味なことに労力をさらす必要は一切ないのです。
私の言葉にびびったのか、手をパンと叩き「こんな大人数でいるのはまずいにゃ」と露骨に話題を変えた出来損ないは「散会するにゃ」と突然宣言しました。さすがのこいつも悪魔7匹で人里を闊歩すれば怪しまれると気づいたのでしょう。「それじゃあ、頼みますにゃ」とどこからか取り出した白いハンカチを振り出します。と、それが合図だったのか、4匹の悪魔がすっと姿を消しました。人里を出て森へと行ったのでしょうか。ゾンビくらいであれば、あんな雑魚悪魔でも十分な戦力でしょう。もしかしなくとも私たちの出番はないかもしれません。
これはあの雑魚悪魔共もろとも吹っ飛ばすのも面白いかも知れないな、と今後の行動について思いを馳せながらしばらく人里を歩いていると、後ろから何者かが追ってきていることに気がつきました。ちょうど人里の端まで来た時です。隠れているつもりなのでしょうが、気配すら隠し切れておりません。笑えるほど稚拙です。
「さっきのガキじゃないかにゃ」
出来損ないも気づいたようで、くるりと身を翻します。そんなことをすれば当然子供にも気づかれてしまいます。
てっきり、気づかれたと分かるやいなや逃げ出してしまうと思っていたのですが、子供は動きませんでした。それどころか、こちらへ駆け出してきます。力も知識もない子供がこんな夜更けに人里を歩いているだなんて。明らかに普通ではありません。
「あの…お姉さん達は、今日かき氷を食べに来てくれたお姉さんだよね」
「おやまあ。世間知らずの幼稚な愚か者に教えてあげますが、目上の者と話す時には口調に気をつけた方がよいですよ。立場を弁えてください」
「あのね…ししょーが、ししょーが!」
「無視ですか」
糞餓鬼は明らかに動揺しておりました。恐慌状態に陥っていると言ってもよいでしょう。唇は紫に変色し、顔は体液でぐちゃぐちゃになっております。尋常ならざる事態に陥ったのだと、容易に想像できます。
「何があったにゃ」が、それは何もこの少年だけではありませんでした。この出来損ないも同じように動揺しております。こちらは必死に隠そうとしておりますが、ぎょろついている目を見れば一目瞭然です。「何かトラブルが」
「ししょーがね。あの」
「何にゃ」
「ししょーが死んじゃったの!」
少年の絶叫が人里に木霊します。あまりの大声につい耳を塞いでしまいますが、もちろん大した意味はありませんでした。
かき氷屋は以前来たときとほとんど何も変わっておりませんでした。みすぼらしい民家。そうとしか形容できない舐め腐った建物です。
一つ変わったことといえば、椅子に腰掛ける男性が目を閉じたまま微動だにしないということだけでしょうか。そいつの姿も昼来た時と同様何も変わっておりません。そのかさついた肌も、色の抜けた髪も、半開きのまぶたから覗く若干濁った瞳も、何一つ変わっていない。が、たしかに息はしておりませんでした。心臓も止まっております。紛うことなく人間の死そのものです。が、美しくはありません。つまらない死です。
「これは何にゃ」
目を丸くした出来損ないは、必死に死体の検分を始めます。上体をむき出しにし、爪を剥がし、そして目玉の裏を確認しだしました。そんなことをしても無駄だというのに。
「これは本当に死体なのかにゃ。本当に死んでいるのかにゃ」
「死体の定義にもよるものですが、二度と起きることはなくこのまま朽ち果てていくという意味では間違いなく死体と言えるでしょう」
「でもにゃ」と死体を床に投げ捨て、家の隅でカタカタと震える少年の頭の上に顎を置いた出来損ないは「その割には」と震える声で訊ねてきます。「死体が綺麗すぎるにゃ」
「魂が抜かれているからですよ」
一目見て分かります。この死体は死体と呼ぶにはあまりにも面白みにかけます。どんなに成熟した人間であったとしても、己の死には大抵動揺するものです。それが肉体に現れます。苦悶の表情を浮かべていたり、逆に悟ったような表情をしていたり。そもそも、死には必ず原因があります。病気、寿命、怪我。人間の生命維持が困難になった時に訪れるものが「死」です。が、この死体はどうでしょうか。どこからどう見ても、生命維持はまだ可能であるはずです。もちろん現在は心臓が止まっていて、肉体そのものは間違いなく死んでいますが、それは原因ではなく結果です。心臓が止まったからこの老人が死んでしまったのではない。
「つまりは、この老人は魂を抜かれたから死んでしまったのですよ。おそらくは、生きながらにして何らかの手段で魂を抜かれたのでしょうね」
思わず笑みが浮かんでしまいます。こんな偶然あるのでしょうか。いえ、あるはずがありません。奇跡や運命だなんて下らない妄言を信じるほど私は愚かではありませんでした。そういった類いの信仰を必要とするのは力がなく、精神的にも貧弱な連中だけです。己の中に信念がなく、見知らぬ誰かの信念を自分に取り込まなければ生きていけない弱者の象徴。そんな低俗な物に惑わされては一環の終わりです。
「おやまあ。何やら聞き覚えがあるではありませんか。人間の魂を抜くだなんて、随分とタイムリーです。間違いなくこれは」
「これは移魂を残さない君3号のせいに違いないにゃ」
私の言葉を奪い取った出来損ないの顔は晴れませんでした。ゾンビを生み出しているだろう存在。そいつの意図はまるで分かりませんが、迷惑だから殺す。ただそれだけであるはずなのに、どうしてそんなに深刻な顔をしているのでしょうか。まさかここの店主に同情している? まあ、私もロボットではありませんので、残念という気持ちもありますし、憤りも感じております。ですが、何もこの世の終わりのような顔をしなくても良いでしょうに。まだ少年がその顔をするのは理解できますが、どうしてお前が。
「まあいいでしょう。状況は変わりません。ゾンビを作り出している奴を見つけ、殺す。人里の人間に手を出していることが判明しましたので文句も言われないでしょう。簡単な仕事です」
善は急げ、悪も急げ、です。先ほど散会した出来損ないの友人の悪魔共に任せて解決させるという案は撤回します。特に理由はありませんが、この手で解決したくなったのです。ええ、もちろん理由なんてありません。自分の見知った人間が殺されて怒りを覚えている訳でも、部屋の隅で震えている人間のガキに絆された訳でもなく、単に暴れたい気分なのです。こんな夜に血を浴びることができたら、どれだけ楽しいのでしょうか。想像するだけで胸が躍ります。
私が期待で胸を膨らませ、外へ出ようとしている時でした。後ろから何者かに触れられます。何者かといっても、こんな状態でそんな愚かなことをする奴は一人しかおりません。
「おや。私に許可無く触れるとは。いささか図に乗りすぎではありませんか?」
「あの、僕はこれからどうしたら」
足下に纏わり付いていたのは涙目の少年でした。こけた頬には影が浮かんでおり、頬が赤らんでおります。まだ年端もいかぬだろうに、その目元は苦労の象徴である皺が浮かんでいた。
「どうしたらも何も好きにすればいいのではないですか? お前がどうなろうと知ったことではありません」
「着いてくるといいにゃ」
私が口を開くより早く、出来損ないが勝手に決めつけます。もはや何も言えません。
「お前には聞きたいことがたくさんあるにゃ」
「タイプの女性とかでしょうか?」
「ダエモン様は空気を読まないにゃ」
空気を読む悪魔なんているはずがないというのに。これだから出来損ないは駄目なのです。
少年は酷く怯えていました。私のことを母親と勘違いしているのでしょうか。スカートを掴んで離そうとはしません。愚かというか何というか。天下のコア様にここまで横暴な態度を取れる人間なんてこの世に存在しないでしょう。
「しょうがないですねえ。まあいいでしょう。ゾンビを相手にするのですから、少しくらいハンデがあった方が望ましいですし」
決して孤児として幼い時間を過ごし、ようやく拾われたというのに、その主人が亡くなってしまったことを憐れんだ訳ではありません。ましてや昔の自分も一人で英国をさまよっていて、主人に拾われたかと思ったら再びすぐ捨てられたり、利用するだけされて酷い目に遭ったことを思い出し、同情を覚えたからでは断じてありませんでした。ただの足枷。自らを縛る悪魔としての習性。それだけです。
「あの……ありがとうコアお姉ちゃん」
「その呼び方は止めていただきたいですが」
「そう? ならコアおばちゃん」
「やっぱり殺しますか」
クスクスとようやく少年が笑います。それは決して心からの笑みではありませんでしたが、まあよいでしょう。人間は強い。弱いが強い。つまりは彼のような人間こそ、理想の人間像と言えるでしょう。どこかの主も見習ってほしいところです。まあ、我が主は人間ではなく魔女なのですが、いずれにせよ。紅魔館のような傲慢な洋館より、こういう民家で細々と暮らしている人間の方が、強固な精神を持っていることは間違いありませんでした。
本来であれば魔法の森へはすぐに着くことができます。ですが、さすがに幼く愚かで脆弱な人間を連れて高速で飛ぶことはできず──私は飛ぼうとしたのですが出来損ないに止められてしまったため、しぶしぶ我々は徒歩で魔法の森へ向かうことになりました。そのせいか、森近くに着く頃には夜も更け、丑三つ時になっております。こんな時間に人里の外へ来たことはないのか、吉田と呼ばれた少年はさすがに怖がっておりましたが、師匠とやらが殺された時に比べれば随分とマシになっておりました。図太いというか何と言うか。
そもそも、人間は魔法の森に入れば瘴気に犯されてしまいますので、このまま連れて行けばこの少年は発狂してしまいます。まあ、それもよいのですが、それでは折角苦労して連れてきたというのに割があいません。いったいどうしてくれるのでしょうか。
「吉田、と言ったでしょうか。あなた、ゾンビを浄化できる力とか持っていたりしますか」
「ないよ」
「役に立ちませんね」
「そんなことないにゃ」ぽんぽんと吉田少年の頭を汚い手で触った出来損ないは「これもダエモン様の計画通りだにゃ」となぜかキラキラと私を見てきます。「言ってたじゃにゃいですか。餌となる人間を置いてゾンビを一掃すればいいって。この少年を餌にしてここに置いておけば自然とゾンビが来るって算段ですにゃ」
「慣れない敬語は使わぬ方が身のためですよ」
分かりやすいヨイショに乗っかるのは、器の狭いあの吸血鬼だけです。まあ、よいでしょう。少し手間ですが、大暴れすることは吝かではありません。ゾンビを生み出しているどこかの馬鹿も、私が魔法の森でゾンビを皆殺しにすれば嫌でも顔を出すでしょう。まあ、もしかするとどこかに隠れて私から逃れようとするかもしれませんが、その場合は最悪私の能力を使って居場所を突き止めるのも悪くありません。代償と失敗した際の影響が不安と言えば不安ですが、そんな大した願いでもないので取り返しはつく代償となるはずです。
「よし。それでは私がゾンビを全滅させてきますので、ニャプは──ああ、お前のことですよ。猫耳人間に化けているお前。お前はそこの古田という少年を他の妖怪に触れられぬよう、そして呪いもかけられぬよう護衛をしなさい。できなかった場合は私はお前を殺します」
「ま、待ってほしいにゃ」せっかく乗り気な私に水を差した出来損ないは「護衛はダエモン様にやっていただきたいにゃ」と言ってきました。「適材適所にゃ。こっちの仕事はこっちで全部やるから後は任せるにゃ」
「お前ごときが私を指図するとでも?」
「それじゃあよろしくにゃ!」
有無を言わせぬまま出来損ないは駆け出していきます。なんて愚かなのでしょうか。今すぐ引っ捕らえて、中身をぶちまけてやってもよいのですが、寛大な私は見逃してあげます。彼女があまりにも焦りと不安で一杯一杯といった表情をしていたのもありますが、何よりもそれがいかにも『悪魔らしく』て私は感心したのです。相手の要求をいかに撥ね除け、騙し、そして自らの利益を生むのか。それを追求するのが悪魔という生き方です。愚鈍で愚かだと思っておりましたが、中々どうして。どうやら見くびりすぎていたようです。反省ですね。悪い癖です。
「コアお姉ちゃん。どうしてこんなところに来たの?」
「どうして私がお前なんぞの質問に答えなければならないのですか」
「優しいから」
「私が優しい?」
悪い冗談です。冗談にしても面白くありません。優しい悪魔がいていいはずもないというのに。この『悪魔の中の悪魔』『ダエモン』『生きる黒』の私が優しい? まあ、若く社会経験が未熟な幼稚な人間にはお世辞を言うセンスなんて無いことはわかりきっていましたが、それにしても酷い。
「優しいというのは一種の侮辱ですよ。悪魔はいつだって冷酷でなければ務まりません。優しさに眼を曇らせてしまえば、一瞬にして安寧は崩壊し、絶望へと落とされます」
「大変なんだね」
「まあ、お前よりはマシですよ」
こんなことであれば魔理沙にでも来てもらえばよかった。今更後悔しても遅いですが、そう思ってしまいます。まさかあの人間が必要だと思うときが来るとは。一生の不覚です。
「あなた、ゾンビって聞いたことあるでしょうか」結局私はそう説明をすることとしました。このガキのためではありません。単に暇だったのです。「ゾンビ? 知らないよ」
「歩く死体ですよ。妖怪の一種です。それが魔法の森に大量発生していて、それを駆除しに来たという訳です。まったく、悪魔遣いが荒い主人だこと」
「へー」
興味があるのかないのか、少年の声は夜風に乗って消えていきます。森の前とはいえ、木々は鬱蒼としており、星の光すら木葉に隠れて消えております。一寸の光もないのは面倒なので、一応私が光を灯してはいますが、それでも周囲は信じられないくらい暗い。だというのに、少年は信じられないほど落ち着いておりました。師匠が死んで、どこかネジが飛んでしまったのでしょうか。
「ねえ。魔法の森ってさ、なんか凄い氷とかあるの?」
「曖昧ですね。仮にあったとして、どうするつもりなのですか」
「いや。ただ、かき氷に合う氷があればいいなって」
「お前」呆れるというより驚きました。まさかかき氷狂いが弟子にまで遺伝しているとは。「そんなにかき氷のことを愛しているのですか」
「いや、そんなことはないって思ったけど」
断言すればよいものを、なぜか少年は言葉を止めました。うーんと首を傾げ「そんなことはないはずなんだけど」とやけに曖昧な言い方をしてきます。
「師匠に言われて作ってたけど、僕はまだ未熟だから氷の知識もなかったし」
「世界で二番目にいらない知識ですからね」
「一番目は」
「お前に関する記憶ですね」
でもね、と少年は困ったような顔になります。そうすると老獪な年長者のような表情になり、幼さが消し飛んだような気がしました。
「なぜか、無性にかき氷のことが気になるんだ。何でだろうね」
「知りたくもないですね」
三つ子の魂百までというやつでしょうか。それにしては随分と嫌な物を引き継いでおります。「お前は、師匠が死ぬ瞬間は見ていたのですか」
おそらくは見ていないのだろうな、と半ば自分で結論を出した後で、念のため訊ねたのですが、予想外なことに少年は「見てたよ」とあっけらかんと言ってきました。なぜそんな大事なことを黙っていたのか、と叱責しそうになりますが、何とかこらえました。
「なんか、男の人が部屋に入ってきたの。師匠と仲が良さそうだったよ。それで、いきなり金色のボールを師匠と僕に向けてきて、そしたらぱーって光って、師匠が死んでた」
「間違いないですね」魂を移し替えたに違いない。「その男って、どんな奴だったか思い出してください」
「なんか、凄い格好良い人だったよ。顔が整ってて。まるで」
「まるで?」
「悪魔みたいな人だった」
それはどういう、と聞き直そうとしましたが、途中で打ち止めます。私は耳をそばだてながら周りをぐるりと見渡しました。舌打ちと同時に口笛を吹きます。下らないおしゃべりの時間は終わりです。あの出来損ないはどうやら本当に出来損ないだったようで、ゾンビを殲滅するだなんて簡単な仕事もこなせなかったようです。
その証拠に、四方八方からゾンビが真っ直ぐこちらに向かってきていました。ツンと鼻の奥を刺すような匂いが辺りに充満しております。
「ね、ねえ」
少年にはまだゾンビの姿は見えていないでしょうが、匂いと雰囲気で何となく分かったのでしょう。不安げな顔で声をかけてきます。「いったいこれは何が起きてるの」
「面白い声を出すのですね。私好みのよい声です」
「何を言ってるの、お嬢ちゃん」
「明日、寺子屋で辞書を買ったらいいですよ」
「辞書?」
「きっと、塵も積もれど所詮ゴミという諺が追加されているはずですから」
ちなみに類義語は幻想郷です、と言いながら私は無数のゾンビへと大きく跳躍します。久々のゾンビ狩りは、想像よりも楽しいものになりそうでした。