『何か』がカフェの姿をして俺を誘ってくる件について 作:ウポ東
「『何か』がカフェの姿をして出るかも、だって……?」
「はい……トレーナーさん。」
彼女がそう言ってきたのは、練習が終わって日の暮れた夕暮れの道を二人で歩いていた時のことだった。
夕陽がゆっくり沈んでいる。彼女の発言からして、今後俺は恐ろしい『何か』とやらに狙われるのだろう。カフェの担当トレーナーとなってから、そういう怪奇現象は度々起きてきた。
しかし、それに対して不服に思うことはなかった。カフェがいたからだった。彼女と出会い、鮮やかなその走りに惚れて以来、後悔したことは一度だって無い。むしろ彼女と同じ経験が出来るのは、喜ばしいことであった。
「なるほど……とにかく気をつけるようにするよ。」
「はい。」
すっかり慣れたものだな、と心の中で苦笑した。そうして俺が深い考え事をしているような面でいると、彼女が付け加えて言った。
「……では、合言葉を決めておきましょう……。もしも、私の姿をした者が『何か』かもしれないと思ったなら……トレーナーさんは"
「分かった!」
しっかりと覚えておこう。今日の晩御飯は?、今日の晩御飯は?、今日の晩御飯は?……
(……何でそんな合言葉なんだ?)
翌朝、俺はそんなことを思いながら起床した。カフェと別れた後、別に何かしらあった訳でもなく、無事に家に着いた時には拍子抜けしたのを覚えている。
「……ふわぁ〜……起きるか。」
大きなあくびをした後、寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こす。顔を洗おうと思い、俺は洗面所へと向かっていた。
「おはようございます……トレーナーさん。」
「おはよう……。」
(ん?)
今、エプロンを着たカフェに会ったような。いや、気のせいか。だってここは俺の家だ。確かに彼女はうちに来たことがあるけど、昨日は確かに鍵を閉めて寝たはずだし。
「……うん。寝ぼけてるんだろ。」
俺は寝ぼけているのだ。だから、そんな幻聴と幻覚が一気に押し寄せてきたんだ。
そう思い、俺は豪快にばしゃばしゃと顔を洗った。
「……どうしましたか。そんなにしきりに顔を引っ張って……。」
「………」
ぐにぐにと自分のほっぺたをつねる。こういう時、もしも夢ならば自身のほっぺたは無敵らしいが、結果はただただ痛いだけだった。
「……料理、上手だね。」
「はい……練習したので……」
俺は夢うつつのまま、彼女が用意したらしい味噌汁や卵焼きを美味しくいただき、中身の無い世間話を繰り広げ、鍵の閉まったドアを開けて彼女を送り返した。
「……意外と、和風なんだね。」
「洋風の方が、良かったですか……?」
────────────────
昼、正午のことだ。今日は休日だったので、近所に新しく出来たショッピングモールで何か買い物をしようと思い、目的も無いまま人混みの中をうろうろと歩いていた。
いや、目的はあった。もうじき迫るクリスマスに向けて、カフェに何をプレゼントすればいいのかを見に来たのだ。ただ、何を買えばいいのか。これが決まっていなかった。
周りを見渡せば、サンタクロースの格好をした女性が何かの看板を持っていたり、盛大に飾り付けされた大きなクリスマスツリーが天井の無い空に向かってキラキラと輝いている。
昼は何の変哲もないツリーだが、雪の降る夜に来ればそれはそれは素敵なイルミネーションとなり、カップルたちはそのロマンチックな光景に人目を気にせずキスをし始めるのだろう。ふざけるな。失せろ。
カフェさえ良ければ一緒にそれを見てみたいなと思いつつ、俺は一つの雑貨店に入った。
入り口に垂れている怪しげな紫色をしたのれんを潜り、怪しげな光に照らされた店内を歩く。ごちゃごちゃと飾られた空間は異世界に訪れたようで、己の内なる好奇心がざわざわと騒ぎだした。
何度か左に曲がって、ぐるぐるした後は右に曲がる。するとそこには、黒く長い髪を垂らし、可愛らしい私服に身を包んだ一人の可憐な少女が佇んでいて……
「こんにちは、トレーナーさん……。」
「……こんにちは。」
挨拶をされた。俺の担当、マンハッタンカフェに挨拶をされた。
不思議である。彼女はまるで俺がここに来るのを分かっていたかのように、そこに佇んでいた。
「……偶然だね。もしかして俺がここに来るの分かってたり?」
「いえ、偶然です……。」
彼女が偶然と言うならば、それは偶然に違いない。俺は当初の目的通りカフェにあげる用のプレゼントを選ぼうとした。しかし、その前にこう考えた。
(今、本人がここにいるし、それとなく何が欲しいか聞いてしまおうかな。)
考えがまとまれば実行するのは容易いことだ。俺は彼女に勘づかれないよう、細心の注意を払って言葉を発した。
「カフェ。もし君がプレゼントを貰うとしたら何が欲しい?」
「えっ……?」
「あ、いや、別に俺がカフェにあげるとかじゃなくてさ。もし貰うんだったら何がいいか……えーっと、アンケート取ってるんだ今!」
「……なら、コーヒーを飲むためのマグカップが欲しいです……。」
「おおっ!じゃあ一緒に選んでくれないか。俺、そういうセンスとか無いからさ。」
「……わかりました。」
こうして俺は、彼女へのプレゼントを彼女と買うことに成功したのだった。
「昼食べてないならどこかで奢ろうか?」
「いえ……私はもう少しあの雑貨店に居ます……。」
ぐるると、ケモノの唸り声のように彼女のお腹が鳴った。
「……俺ももう少し付き合うよ。その後喫茶店にでも行こう。」
「いえ……お構いなく……。」
「そうか。また明日な。」
「はい……。」
そのまま俺たちはそこで別れ、一人になった俺はショッピングモールの中をぶらぶらと歩いた。周りには、見知ったトレーナーや見知ったウマ娘などがちらほらいる。人の賑わいは、いつまで経っても変わらなかった。
────────────────
「疲れた……」
結局あれから何時間も歩き回って、人混みを抜けた先で俺はため息を吐いた。そろそろ帰ろうかと再び歩き出し、大通りの人混みの中に俺は入った。
最近はスマホを片手に持ちながら歩く人達が多く、思わず当たってしまうことが多い。大抵は黙って行ってしまうのだが、たまにトラブルになることもあると聞く。トレセン学園の名前に泥を付けぬよう、俺は気を付けなければいけないと決心し、しっかりと前を向いて歩くのだった。
どんっ!
そう思った矢先、誰かに当たった。背丈は俺よりも小さく、ふわっとした感触がした。俺は血の気が引いた。まずい。『中央トレーナー、痴漢!?』という新聞の見出しがありありと目に浮かぶようだ。俺は超スピードで謝った。
「すみません!しっかり前を見ていなくて……」
案の定、俺がぶつかった人物は小さな少女だった。街路の真ん中にはいつの間にか黒く長い髪を垂らし、可愛らしい私服に身を包んだ一人の可憐な少女が佇んでいて……
「ってあれ?カフェじゃないか。」
「………」
そこには俺の担当のウマ娘、カフェが無言で佇んでいた。さっきショッピングモールで別れたばかりだというのに、ここで会うとは不思議なものだ。しかし、それにしてもまるで急にぱっと現れたかのような感覚だった。
「いつの間に?気付かなかったよ。」
「来て下さい。トレーナーさん。」
「えっ?」
突然袖を掴まれ、彼女は俺を無理やり路地裏の方へと引っ張って行った。
「待て待て!どうした急に!」
「説明は後です。こっちに来て下さい!」
(……まさか、カフェの姿をした例の『何か』が出たのか?)
「トレーナーさん!急いで!」
「あ、あぁ。うん。」
俺は彼女に引っ張られるがまま、路地裏の奥へとぐんぐん進んで行った。
「………」
「こっちです。トレーナーさん。」
「……なぁ。この路地裏、やけに長くないか。」
「そうですか?」
普通ならもう行き止まりでも良いくらい、俺とカフェは狭い道をただ闇雲に突き進んでいた。先が見えない、薄暗い道。彼女の手に引かれ、やがて何も見えなくなった路地裏を駆ける。
「……もうすぐ出口です。」
彼女がそんなことを言った時、眩い光が小さく前の方に見えた。それはだんだん大きくなっていき、一つの穴となる。
「……着きました。」
(……は?)
目に見えたのは、広大な自然だった。大きな木が道沿いに立ち並び、小鳥が鳴く音が聞こえ、だだっ広い空がよく見える。
息を飲むのを忘れるほどに唖然とした。自然の美しさにもびっくりしたが、まさか路地裏の向こう側にこんな景色が広がっていたとは思いもしなかった。それは、まるで異世界に来たような。そんな気分に身を包まれた。
「こっちです。着いてきて下さい。」
再び彼女に手を引かれ、俺は黙って歩く。目の前に広がる道は分かれもせず曲がりくねったりもせず、ただ真っ直ぐに行先を示していた。木々のざわめきが聞こえる。冷たい風が吹く。後ろを見れば、俺たちが通ったらしい錆びついたトンネルが見えた。
「もうすぐです。もうすぐです。」
無機質な彼女の声を、俺は黙って聞いていた。……疑問に思った。カフェはどこに向かおうとしているのだろうか。俺たちは『何か』から逃げていたのではないのか?
「……なぁ、そろそろ説明してくれたっていいだろ。何でこんな所まで来ているんだ?」
「もうすぐです。もうすぐです。」
流石に俺も、そこで違和感を感じ取った。彼女はうわごとのように同じ言葉を繰り返す。こんなことが前にもあったような気がして、デジャヴを感じずにはいられなかった。
(『何か』?)
俺は目を見開いた。彼女の手を振り解き、そこで立ち止まった。
「トレーナーさん?」
彼女も、俺と一緒に立ち止まった。
「もうすぐです。誰にも言わないで欲しいんです。見つけて欲しいんです。」
「カフェ」
何故、気付かなかったのだろう。俺の手を引く彼女は、冬の冷たさでは説明の付かないほどに芯から冷えていて……
「トレーナーさん……?」
"
俺はゆっくりと合言葉を放った。
「何のことですか?」
彼女は言った。
「ごめん。」
後ろを振り返り、全力でトンネルの方へと走る。制止する声を必死に無視する。俺はバカだ。どうして早く分からなかったんだ。きっと漂っていたはずの違和感を、わざと見えないふりして見なかったんだ。
「待って下さい!トレーナーさん!」
彼女の声が響く。
「待って下さい!トレーナーさん!待って下さい!待って下さい!待って!まって!まって!」
彼女の掠れた声が響く。決して振り返ってはいけない。後ろを見れば最後、引きずり込まれてしまうだろう。
道沿いの大きな木の群れが、怒りに震えるようにざわめく。『何か』が俺を追いかけて走ってくる音が聞こえる。ぞっとした。もしも『何か』がカフェのように速かったら、俺は絶対に捕まってしまう!
今までに無い死の予感。俺は恐怖に怯えながら韋駄天の如き走りを見せた。しかし、足音はだんだん迫って来る。トンネルはすぐそこだ。間に合え、間に合え!頭の中で言葉が巡る。
祈るように逃げた。背後の、ゼロ距離に『何か』がいた。
「やめろぉ!」
触れられた。もう駄目かと思って声を上げたその時、誰かの足音がぴたりと止まった。
トンネルの中を駆け抜ける。足音が一つだけ、トンネルの中でかんかんと響く。マグカップを入れた買い物袋がぶおんぶおんと不安定に揺れる。やがて元来た時と同じような光が見えた。その光に向かって必死に走る。走る。レースで見た彼女の走りが、ソウマトウのように。
「あの……大丈夫ですか……?」
街路の隅で、俺は汗を垂らしながら崩れ落ちていた。