神社生まれの千香瑠様   作:坂ノ下

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第10話 渡る者の絶えない橋 一.

「ガーデンから調査指令が下りました」

 

 ヘルヴォルの仮拠点、マンションの一室のリビングにて、改まった一葉が四人の前で話し出す。藍だけは瑤の膝の上で船を漕いでいるが。

 

「最近、とある橋の付近でちょっとした諍いが頻発しているそうです」

「諍い?」

「内容は()()()()なのですが。共通しているのは、どうも痴情のもつれが原因なのだとか」

 

 瑤の疑問に一葉が答えた。

 ところがそれを聞いた恋花はソファの背もたれにグダっと背中を預け、露骨に呆れた顔をする。

 

「痴情のもつれって……。それも怪異の仕業だっての? 警察に相談した方がいいんじゃない?」

「それを確かめるための調()()指令です。それに、場所が場所なので」

 

 一葉の言葉に、千香瑠が目を細めて反応する。

 

「一葉ちゃん。その橋というのは、もしかして……」

「はい。ここから南、宇治川に架かる宇治橋です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇治川とは淀川水系に属する一級河川であり、宇治市から京都市に掛けて弧を描くように流れる川だ。

 そこに掛かる宇治橋は日本最古の橋の一つとされ、西暦646年の飛鳥時代に架けられたと言い伝えられている。

 とは言え、勿論現存する宇治橋は後年になって架け替えられたもの。歩行者用の歩道は当然として、片側二車線の車道も付いた立派な道路橋である。

 

 ヘルヴォルはその日の午前中から早速現地調査に赴いた。事件が起こるのは夕方から夜の間がほとんどだが、事前に下見しようという判断だった。

 実際に渡って一通り見て回り、今は橋の東詰にある茶屋で昼食を取っている。

 茶屋と言ってもその建物は大きく広く、食堂と呼んでも差し支えないぐらい。提供するメニューは茶や茶菓子だけでなく、軽食なども充実している。

 窓際の、件の宇治橋がよく見えるテーブル席にヘルヴォルは陣取っていた。

 

「何も無かったわね」

「何もありませんでしたね」

 

 千香瑠に続き、一葉が淡々と事実を述べた。

 怪異の気配は無かったし、物理的な異常も見受けられなかったのだ。

 

「らんもいっぱい探したけど、何も見つからなかったよ。あれだけ探したんだから、きっと何も無いよ」

「そうだね。凄いね。でも出っ張りを掴んで橋桁の下を動き回るのは、危ないから止めようね」

「うん、分かったー」

 

 瑤の注意も、もっともなこと。

 何せ、いきなり橋の欄干から飛び降りたかと思ったら、橋脚に取り付き、よじ登り、橋桁の下側に雲梯(うんてい)の要領でぶら下がって動き回り始めたのだから。

 下は川で、今は夏。リリィは落ちたぐらいで死んだりしない。それでも驚き心配するのは当然だろう。

 

「やはり、夜を待つしかないようですね」

 

 一葉はそこで一旦思考を中断し、昼食を頂くことにした。

 ざるの上に山と盛られた抹茶色の蕎麦は、そば粉に抹茶を練り込んだ茶蕎麦である。大盛を越えた特盛なのはリリィならば当然のこと。マギを操る彼女たちはカロリー消費が著しく大きいのだ。

 だがしかし、そんなリリィの事情を考慮しても、一葉の向かいに座る恋花の前には顔を顰めざるを得ない光景が広がっていた。

 

「恋花さん、本当にそれ全部食べるの?」

 

 千香瑠が信じられないものを見るかのように瞬きする。皆もその言葉に釣られて改めてテーブルの上を見つめる。

 そこには茶蕎麦は勿論のこと、茶団子に抹茶パフェに冷やしぜんざい、クリームあんみつ。更にこれらをたいらげた後、宇治金時のかき氷も頼むつもりらしい。

 

「いや、皆の言いたいことは分かるよ。でもさ、宇治に来てこれを食べないってありえないでしょ!」

「恋花、いつもそんなこと言ってるよね」

 

 瑤が事実で突き刺す。

 

「甘いものは別腹だから、大丈夫!」

「別腹ってどの腹ー? この腹?」

「やめろ! お腹を摘まむなぁ!」

 

 恋花と藍は、やいのやいのと戯れる。

 その様子を見た一葉は秘かに安堵していた。昨日の一件を、恋花が気にしていないように見えたから。あの時の自分はどうかしていたのだと、自分自身に言い訳して。

 店内の冷房が少し効き過ぎている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西の空が赤く染まった頃、ヘルヴォルは新たな行動を開始した。それは再び橋に赴いて行われるものだった。

 宇治橋は幅広なだけでなく、全長155mと長さもある。それでいて高欄は桧造りと、風情も大切にされている。

 今も車道の往来は多い。その一方、今回の噂のせいか、昼までに見られた歩行者の姿はなくなっていた。

 

 ヘルヴォルが――主に主導したのは恋花――立てた作戦とは、至って分かりやすい囮作戦だった。五人の内の二人がカップルを装い橋を渡り、残りの三人が隠れて監視するという内容である。

 宇治川の東岸に広がる公園で、ヘルヴォルは準備を進めていた。

 

「私たちの方は用意できています。と言っても、着替えただけなのですが」

 

 大きめのショルダーバッグを肩に提げた一葉が千香瑠たちの前に歩いていく。身に纏うのはエレンスゲの制服ではなく、ブイネックの白シャツと青のハーフパンツ。

 五人は関西外征に当たり、当たり前だが制服以外にも何着か服を持参していた。

 

「作戦の性質上チャームを持参できないのは不安ですが、致し方ありませんね」

「まあ、そこは千香瑠にお任せしよう」

 

 一葉に続いて恋花も着替えた私服をお披露目する。こちらは黒いシャツの上にサマージャケットを羽織り、ボトムスには黄色のプリーツスカート。ハンドバッグを片手に歩く姿は、ちょっとだけ背伸びした女子高生といったところか。

 

「これでどこからどうみても、よく居る普通のカップルでしょ」

「ガーデンにはよく居そうだけど。普通とは……?」

 

 上機嫌な今の恋花にとって、瑤の突っ込みも気にならないらしい。

 

「うーん……。チャーム使えるのはいいけど。らんもお着換え、したかったなぁ」

 

 監視役の方に含まれた藍がカップル役の二人を羨む。

 囮は確かに私服だが、チャームを身に付けることはできない。

 

「それじゃあもし一葉と恋花で何も起きなかったら、次は私と藍でカップル役やってみようか」

 

 そんな瑤の一言で、場が一時沈黙する。

 そして次の瞬間、一葉と千香瑠と恋花が立て続けに口を開く。

 

「私の耳が遠くなったのでしょうか? 瑤様、今何と仰いましたか?」

「瑤さん、それは流石にいかがなものかしら」

「ちょっと眠ってろお前」

 

 残念ながら当然の反応だった。

 

「冗談なのに、皆して酷い……」

「おー、よしよし。らんが頭を撫でてあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今更だけど、宇治橋みたいな曰く付きの場所の調査を、鹿野苑はどうして後回しにしているのかしら。幾ら手が足りないとはいえ……」

「鹿野苑は怪異事件の解決においては、被害の軽重を鑑みて優先順位を決めているそうです。宇治橋の件は今のところ軽い喧嘩止まりで、刃傷沙汰までには至っていませんから」

「そう……」

 

 作戦開始前に交わされた千香瑠とのやり取りを一葉は思い出す。

 宇治橋。古くから伝承が語り継がれる地。

 そのエピソードとは橋姫伝説。カップルが被害を被っているあたり、何らかの関連があると見て間違いない。

 

(千香瑠様は宇治橋という場所を随分と気にしていた。被害が軽微だからといって、本当に一筋縄でいくのだろうか)

 

 橋の上を渡りながら考えを巡らせる。

 以前、千香瑠一人に頼り切りにならないための方策を立てねばならないと、皆の前で宣言した。だがそれを実行する前に今回の調査指令が下りてしまった。

 今のままで解決できる案件なのか。改めて懸念する。

 

 赤かった空は薄暗くなっており、横の車道を走る車のヘッドライトが酷く眩しい。

 そんな中、誰ともすれ違うことなく歩き続けていると、頬に突然軽く突き刺すような刺激が走る。

 恋花の人差指が一葉の頬肉に埋もれていた。

 

「もーっ、さっきから生返事ばっかりなんだから」

「す、すみません」

「一葉さあ、ちょっと考え過ぎなんじゃない?」

「いえ、ですが、大事なことなので」

「そんなこと言って。今にあんたの頭、爆発するわよ」

 

 隣を歩く恋花が冗談めかして笑い掛けてくる。

 

「何だかいつもと逆だよね。ヒュージ相手の時はあたしが悲観的に考えて、一葉はノリと気合でどうにかしようとするのに」

「そっ、そんな行き当たりばったりではありませんよ!」

 

 恋花の言を否定する。

 しかしそんな風に言われる理由を、一葉自身もよく分かっていた。

 いつもなら、ヒュージ相手ならば、常日頃からの特訓と練り上げた戦術が一葉の自信となっていた。だからこそ自分やヘルヴォルを信頼して迷うことなく突き進めた。

 しかし怪異が相手だとそうはいかない。一葉は怪異のことが何も分からず、戦闘も千香瑠に頼らざるを得ない。そんな状態にあるが故、頭を悩ませずにはいられなかった。

 

「心配なのは分かるけどさ。今回は調査任務なんだから、まずは囮をしっかりやらないと。ちゃんと恋人らしくしてないと、怪異も何も引っ掛からないぞー」

 

 そう言いつつ恋花が腕を絡ませてくる。

 ふわふわの茶髪が一葉の横顔に急接近し、甘い香りに鼻をくすぐられる。

 

 恋人。

 恋人。

 恋人――――

 

 一葉が頭の中でその言葉を何度も反芻していく。

 やがてその答えを導き出す。自らの意思だけで辿り着いたと信じて。

 

「恋花様はスタイルの良い方が好きなのですか?」

「んー? 何かそれっぽい話じゃん。まあ別に、そこまで気にしないかな」

 

 前を向いて歩く恋花は一葉の方を見ないで答えた。

 

「私は、恋花様は今のままがいいと思います」

 

 そう言って一葉は絡めた腕を一旦解くと、恋花の腰に右腕を回した。そしてそのまま橋の欄干側へと寄っていく。

 宇治橋の歩道には、途中、川の方へと出っ張っている少しだけ開けたスペースが存在する。橋姫を祀るためのささやかな広間だ。

 その広間へと連れていかれた恋花は背中を橋の欄干に預け、眼前には一葉の体が立ち塞がる。左右では、伸ばされた一葉の両腕が欄干を掴んでいた。ちょうど恋花の体を挟み込む形で。

 

「おー、雰囲気も出てきた。一葉もやればできるねえ」

「今のままが、いいです」

 

 先輩風を吹かせた言葉を意に介さないかのように、一葉の左手がウェーブがかった茶髪に触れる。髪の間に指先を差し込んで優しく()いていく。それが終わると今度は張りのある頬っぺたを包み込んだ。

 一方、恋花の腰を抱いていた一葉の右手はゆっくりとその位置を下げていた。腰から、なだらかな膨らみを描くお尻へと。

 ここにきて、悠然と構えていた恋花の顔がようやく固くなってきた。

 

「一葉……?」

「恋花様」

 

 桃色に薄く色付いたルージュを、一葉はじっと見つめる。薄闇の中でもはっきりとその形が目に焼き付いていた。

 頭に上った熱に急かされて、一葉が身を屈める。

 

「ちょいちょいちょーい! それはちょっとやり過ぎかなぁ! これ、振りだからね!? フ、リ!」

 

 焦った恋花は手の平で一葉の顔を受け止めた。

 ところがその次には、恋花の体は宙に浮いていた。両腕で抱き抱えられていたのだ。

 一葉は恋花の体を硬い石畳の床の上へ仰向けにそっと寝かす。

 

「うん、分かった。もう十分。怪異もきっとすっ飛んで来るよ。『いい獲物を見つけたぜ~』って」

 

 宥めすかせるような恋花の叫びをよそに、一葉の手がスカートの裾へ伸びた。手触りの良い布の下に隠された瑞々しい柔肌を繰り返し掻き撫でる。

 

「んもー、一葉ったら。いくら恋花様が魅力的だからって、がっつき過ぎでしょ~」

 

 なんて恋花が苦し紛れにふざけている間にも、もう片方の手がスカートを繋ぎ止めるホックに触れる。

 

「って、言ってる場合かぁ! だから、それ以上はマズいってば!」

 

 更には脚を撫でていた方の手が上に這い上がっていく。その先にあるのは太腿の付け根と、スカートよりも触り心地の良い薄布。

 

「ちょっ、ヤバっ、んっ……ひゃあ!?」

 

 顔を赤く染め上げ、平生とは違った声色で鳴く恋花。

 だが一葉の方は全く動じず、粛々と黙々と手を動かしている。そんな調子なので、遠くから聞こえてくる叫び声にも無反応だった。

 

「かずはーー-っ!」

 

 軽快な足音。

 次いで、横合いから受けた衝撃により一葉の体が跳び跳ねた。

 石畳の上で三回転ぐらいして、川の下に落ちることなく動きを止める。

 続いて一葉の耳に届いたのは他の仲間たちの声。

 

「二人とも落ち着いて。今は作戦中」

「一葉ちゃん! 恋花さん! 初めてが野外っていうのは、どうかと思うわ」

 

 体が痛む。

 うつ伏せの一葉は痛みを押して、埃まみれの顔を持ち上げる。

 一葉と同じく、着ている服に埃を纏った藍が心配そうにこちらを見ていた。その後方には瑤と千香瑠が同様の表情を浮かべて立っていた。

 彼女たち三人の傍で、恋花が欄干に寄り掛かって座り込んでいる。顔までは見えないが。

 

「えっと、これは……」

 

 ぼんやりと霞がかった一葉の意識が徐々に覚醒していく。それに伴い、現状を確認しようと状況把握に努める。

 先程の衝撃は藍の体当たりによるものだろう。それは察せたのだが、他のことは難しかった。囮として恋花と共に橋を渡っていたところから、どうにも記憶が曖昧だった。時間が幾らも経っていないはずなのに。

 

「これは、どういう状況なのでしょうか?」

 

 恥も何もあったものではない。一葉は仲間たちに問い掛ける。

 

「一葉ぁ、恋花に酷いことしちゃ駄目だよ……」

「いや、うん。何か様子がおかしいとは思ったんだ」

「一葉ちゃんは悪くないのよ? 悪くない。不可抗力だから」

 

 いまいち歯切れの悪い三人の発言では要領を得ない。

 だがそれでも、一葉は自分が何か過ちを犯してしまったのは理解できた。これで察することができないのはよっぽど鈍い人間ぐらいであろう。

 一葉は懸命に思い出そうとする。慌てず焦らず、呼吸を整えて。それから慎重に、覚えている範囲から記憶の糸を手繰り寄せていく。

 つい先程までの光景が、頭の中でおぼろげに浮かび上がってくる。

 ところが記憶が鮮明になるより先に、一葉の思考は急激な悪寒によって中断された。

 

「皆、橋の西を警戒して。一葉ちゃんと恋花さんは立てる?」

「は、はいっ」

「何とかね……」

 

 ダウンしていた囮役の二人は立ち上がり、千香瑠と瑤からそれぞれチャームを受け取った。

 ヘルヴォルは千香瑠と藍が先頭に陣取る形で橋の西方を睨む。

 狭い歩道。そう派手な立ち回りはできないだろう。周りの被害を考慮しなければ別だが、観光地のみならず交通の要所でもあるこの橋を落とすのは避けなければならない。

 

 気が付けば、車道を走る車の姿がいつの間にかなくなっていた。

 街中に居たはずなのに、寂寥たる原野にでも連れていかれた錯覚に陥ってしまう。

 

 カツ、カツ、カツと石畳を叩く靴の音が妙に甲高く聞こえた。

 

「おかしいわねえ。貴方たちが相手だと、私の力も調子が狂うみたい」

 

 夜闇の向こうから愉しげな女の声が響く。

 

 

 

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