ある晩、一葉は夢を見た。夢であることを夢の中で自覚する夢、いわゆる明晰夢であった。
ただ一般に伝えられる明晰夢と違い、その場所では一葉の思い通りにならなかった。金縛りにあったかのように、指一つ動かせず声一つ出せない。
ぼやけていた視界が段々とはっきりしてくる。
そこは走行中の列車の中だった。薄暗い照明が点いたり消えたり、目が痛くなってくる。壁や天井は古ぼけており、一葉の他に乗客の姿は見当たらない。
その時、一葉はようやく体を動かせるようになっていた。
しかし夢は一向に覚めないので、取りあえず状況を確認することにした。
「どこに向かっているんだろう……」
車内を見回してもそれらしき表示は見つからない。別の車両に繋がる扉もビクともしない。
たった一人、薄暗く限られた空間に取り残された。不気味さよりも物寂しさが僅かに勝る。
一旦座席に戻って思案し始めた矢先、一葉の耳に車内アナウンスが飛び込んでくる。
「次~は~活けづくり~活けづくり~」
妙に間延びする声だった。
だが問題なのは、声よりもその内容だ。聞き間違いだろうか、そんな駅名は聞いたことが無かった。
困惑しきりのところ、一葉をゾワリとした悪寒が襲う。
反射的に身を屈めると、頭上で何かが通り過ぎた。すぐさま視線を上げるが、窓ガラスが消え去った窓枠と、その向こうに広がる真っ暗な空間しか見えない。
頭を下げていなかったら、あの暗闇の向こうに引きずり込まれていたのではないか。
「活けづくりにされるのは……私ってこと!?」
開いた窓から離れて周囲を警戒する一葉。夢とはいえ、無抵抗でやられるつもりはなかった。
生憎チャームは持っていない。やはり本人にとって都合の良い明晰夢とは違うようだ。
そんな中で再び先程のアナウンスが流れる。
「次~は~えぐり出し~えぐり出し~」
「今度は何?」
一葉がアナウンスに対して問い掛けてみるが、返事は返ってこない。
その代わりに不可思議な光景が目に映る。前方の席の辺りから、スプーンらしき物体が二本飛んできた。誰の力も借りず、宙を飛んできたのだ。
またもや頭を下げてやり過ごす。
ところがスプーンはぐるりと旋回して一葉の方へと戻ってきた。
狭い列車内。ほんとんど直線にしか逃げ場は無い。
一葉は瞬時に決断した。目の前に向かって来る銀色の凶器に対し、自らの腕を振るうことを。
「いっ、つぅ!」
まるで熱した鉄に触れたかのような激痛が一葉の左腕を襲う。夢なのに痛みがリアルなのは理不尽極まりない。
だがその甲斐あって、スプーンは二本とも開いた窓から外へと飛び去っていった。
「はぁ……こんなことが続いたら、身が持たない」
リアルな質感、リアルな苦痛。夢だから死んでも平気、などという思考は湧いてこなかった。
前方の運転室に繋がるであろう扉を、体当たりしてでも突破しよう。そう決意して一葉は歩き出した。
「困りますねえ、お客さん。勝手に避けられちゃあ。もうじき地獄がお出迎えっていうのに」
突然のアナウンスに、足が止まる。
その直後、固く閉ざされていたはずの扉が開き、運転室の方から黒い影がやって来る。
やや猫背で、背丈の割に腕が長く、頭の上に紺色の制帽を載せた
「貴方が車掌というわけですか」
一葉は相手から目を離さず後ずさる。
すると異形の車掌が前に詰めてくる。
「次~は~挽肉~挽肉~」
無神経に流れるアナウンス。その意味など、今更考えるまでもない。あのドリルで人間の挽肉を作ろうというのだろう。
機械仕掛けの重低音を上げながら、鉛色の穂先が一葉へ迫る。
狭い車内に逃げ場は無い。後ろの扉をどうにか蹴破るか、一か八か窓から飛び降りるか、あるいは目の前の異形と対決するか。
一葉は決断を迫られた。
考えている間にもドリルが近付いてきて――――
「危ないですよ、そんな物を振り回しては」
車掌の手からドリルが消えた。
否、消えたのではない。傍らに立つ人物に取り上げられたのだ。
「千香瑠様!」
「はい、こんばんは」
にっこり微笑む千香瑠がいつの間にかそこに居た。
「何故、千香瑠様が? ここは私の夢の中ではなかったんでしょうか」
「いいえ、合ってるわ。一葉ちゃんの夢にちょっとお邪魔してるの」
「そんなことまで可能なのですか!?」
「巫女ですから」
「流石です千香瑠様!」
一葉と千香瑠が話している間に、車掌はじりじりと後ずさっていく。本能が「危険だ」と警告しているのだろうか。
ところが、そんな車掌の背中は何者かにぶつかって止まる。
「おいおい、こんな列車なんて用意して。
スイカだ。小さな妖怪の少女が、これまたいつの間にか車掌の背後で腕組みしていた。
形勢逆転。今度は車掌が前後を挟まれ袋の鼠と化す。
そこで改めて車掌の姿を見てみると、一葉はその正体が二足歩行した猿だということに気付く。
その内、猿は「キィキィ」と力なく鳴き始めた。
「この物騒なドリルは預かります。他にも色々持っているみたいだけど」
「他人の都市伝説に乗っかるなんて、随分せこい真似するなあ。ん?」
「キィ、キィ……」
「少々、おイタが過ぎたわね」
「何とか言ってみろ! この猿ぅ!」
「キィ……」
前門の虎、後門の狼。
仕舞いには、猿の車掌は両手で頭を押さえてその場に蹲ってしまう。
ついさっきまで命の危機に曝されていたにもかかわらず、不憫に思う一葉であった。
◇
翌朝、一葉は夢の内容をしっかり覚えていた。
寝泊まりしている山小屋にスイカが訪ねてきたところで、昨晩に体験した怪奇譚について皆に打ち明ける。
「そっか。大変だったね、一葉」
「ご飯は食べたいけど、ご飯になるのは嫌だなあ」
瑤にしろ藍にしろ、千香瑠が他人の夢の中に入っている点について、もはや突っ込みすらしなかった。
「ちょっと気になることがあるんだけどさ」
「ええ、私もです」
恋花と一葉が揃ってスイカの方を向く。どうやら似たようなことを考えているらしい。
「さっきの話を聞いてると、何だかスイカはその猿の怪異……妖怪かな? 妖怪がどこから来たのか知ってるみたいな口振りじゃん」
「更に言えば、スイカさんが私たちヘルヴォルの修行に付き合うメリットとやらに関係があるのでは?」
二人して問い質すと、スイカは少しの間天井を見上げてから口を開く。
「妖怪がどこから来るのか、だったか。まあ気になるよなあ」
「まさか、異世界なんて言うんじゃないでしょうね」
「当たらずしも遠からず」
「マジか……」
半ば冗談での発言だったのだろう。スイカの口から出てきた答えに、恋花は言葉を失った。
「その昔、超常の事象を科学によって説明付けられた妖怪たちは結界によって区切られた土地へと移り住んだ。こっち側の住民からは見えない、認識されない土地。厳密には異世界ではないんだが、似たようなもんか」
「私の夢に出た猿の妖怪は、そこの出身なのですか?」
「そうだよ。向こうの山、妖怪の山に居たケチな小妖怪さ。人間たちの中で流行ってた都市伝説に便乗して、あんな力を得たんだろう。私が釘を刺しておいたから、もうこっちに出てきたりはしないよ」
スイカによってスラスラと話が進められていく。その中には彼女と一葉たちの間で認識の齟齬が生じていると思しき部分があった。
「マギによる防御結界なら私たちリリィも使うけど、それとは別物だよね」
「ああ、勿論。あの地を覆っているのは外の世界から物理的に切り離す結界と、もう一つ、概念の結界だ。外で幻想とされたモノ、実在を忘れ去られたモノが自動で流れ着く結界。それら二つの結界によって、あの世界は成り立っている」
瑤が確認の意味で問い掛けると、スイカは当然と言わんばかりの顔で頷いた。
「……ですが、その話が事実だとするなら、ヒュージはどうなるのですか? 超常の存在でありながら、ヒュージは結界などお構いなしに我々の世界で活動しています」
「そう、そこなんだよ問題は。どうやらマギっていうのは私らの妖力や魔力とは微妙に違うものらしい。あいつらが結界の外で好き放題に暴れ続けた結果、人間の意識も変わっていった。『超常の存在を認めざるを得ない』ってね」
「それは、つまり、概念の結界が意味を為さなくなってしまうと?」
「ご名答。あいつらがこの世界に現れてから50年。ゆっくりと少しずつ概念の結界が綻んでいった。本当に小さな綻びだが、その僅かな隙間から漏れ出た連中が厄介だった」
「怪異、ですね」
今度は、得心がいった一葉が頷く番だった。
「で、その綻びた結界を補強するために、強引だが手っ取り早い方法を取ったわけだ」
「もしや、スイカさんが私たちを鍛えようとしているのは……」
「儀式だよ。人間の手で怪異を討つことで、怪異を乗り越えることで、この世界から奴らの居場所を無くさせる。そういう術式を結界に組み込んだそうだ」
「不勉強で恥ずかしい限りですが、私には少し理解しかねるお話しですね」
「正直、私も詳しくは分からん。結界についてはな」
実際、突飛な話であった。以前の一葉ならとても信じられない内容だ。
しかし今は違う。幾度も怪異と遭遇してきたヘルヴォルにとって、受け入れられない道理は無い。現に起こっていることを否定していては、対処できるものもできなくなってしまう。
「まあ全員が全員、本気で外に戻りたがってるわけじゃない。元からあっちに住んでる連中は何だかんだ今の暮らしが気に入ってるからね。あんた達がやり合った橋姫だって、里帰り気分ではしゃいでただけだろう。その内、元鞘に収まるさ」
「うっ」
宇治橋での出来事を思い出し、一葉が言葉を詰まらせる。
すると、一連の事情を把握しているのか、スイカは少しばかりバツが悪そうに頬を掻く。
「あー……そう気にするな。橋姫の能力は真面目で純粋な奴ほど掛かりやすい……らしい」
妖怪にフォローされて何とも複雑な気分。
気を取り直し、一葉は声のトーンを上げる。
「と、とにかく! 早速本日の修行を始めましょう!」
「待って一葉。話が長いから藍が寝ちゃった」
「えぇ……」
◇
夜、山小屋のダイニング。リモート講義を受けるべく一葉がタブレット端末を操作していると、後ろから恋花と千香瑠の会話が聞こえてくる。
「千香瑠は知ってた? 異世界とか結界とかって話」
「御伽噺程度の認識でなら。それこそ崑崙山とか蓬莱山とか、オノゴロ島みたいな」
「要は眉唾ってことね……」
怪異の出現など諸々の状況から考えると、スイカの主張もあり得ない話ではないと一葉は受け止めている。
だが同時に、あの小さな妖怪が全てを包み隠さず語っているとは思わなかった。あの名前が本名かどうかも定かでない。
その上で、この協力関係を続けても構わないと判断した。全て話せないのも、まだ出会ったばかりなので当然と言えば当然である。
「ガーデンには、妖怪と名乗る協力的な人物の修行を受けていると、事実を報告しています。今のところ、上は私たちの行動を容認しているみたいですね」
タブレットの操作を終えた一葉が二人の方へ振り向いてそう言った。
「ほら、
「何かしら方針を示そうにも、できないというのが実状でしょう。怪異相手のことなんて」
「それで外征に出すっていうのもどうなの? こっちとしては、司令部やラボに口出しされないのは願ったり叶ったりだけど」
恋花や千香瑠が言うように、ガーデンから過度な干渉を受けないのは良い。だがそれは同時に、自分たちが手探りで進まなければならないことを意味する。
リリィには、状況に応じた臨機応変な対応が認められている。とは言っても、その認められる範囲についてはガーデンごとに幅があった。例えば百合ヶ丘は生徒の自主性に重きが置かれるし、逆にエレンスゲではガーデン側の統制が比較的強い。
そういう意味でも今回のヘルヴォルの外征は異例なのである。
「ガーデンから強い統制を受けず、手探り状態。そんな状態だから、私たちヘルヴォルがスイカさんの協力者に選ばれたのかもしれません」
「そうね。怪異退治なら桜ノ社や鹿野苑が適任でも、あの二校は組織として当たっているから。ただ、私たちの場合は――――」
「千香瑠様の仰りたいことは分かります」
外征先で右も左も分からないヘルヴォルが都合の良い手駒にされかねない。千香瑠はそれを危惧しているのだろう。
「ですが、何をするにしても対抗する力が無ければ始まらない。そこから先、どう動くかはヘルヴォル自身の目で見極めましょう」
一葉がそう締め括ると、千香瑠は神妙な顔で、恋花は「仕方ない」と言わんばかりの顔で頷いた。
何を敵とし、どのように戦うべきか。それを見定めるのは実際難しいのである。