連日に渡り大江山での修業は続く。晴れの日は滝に打たれてチャームを振るい、雨の日はリモートの講義を受けつつ書物を読む。
山に籠ってから未だ十日ほど。それでもここでの時間はヘルヴォルにとって非常に濃密なものとなっていた。
それはさておき、本日は修行を中断して皆で山を下りている。時には休息も必要であるし、食料等の必要物資も調達しなければならないからだ。山籠もりといえども、雲や霞を食べて生きていくわけにはいかなかった。
大江山の麓の小さな町で、郊外をぶらぶらしていた藍は公園のベンチに腰を落ち着けた。
腕の中に抱えた紙袋に右手を入れて、ごそごそと漁る。掴んだたい焼きに頭からかぶりつき、餡子の甘味に頬を蕩けさせる。
夏の晴れた日。気温は決して低くない。だが風がよく吹くこともあって、藍はしっかりと休日を満喫していた。元気なことである。
「はーい、じゃあフットサルやる子は集まってー!」
元気なのは藍だけではない。
藍の眺めている前で、人差指を空に掲げる恋花の周りに何人かの子供たちが集まってくる。小学校高学年か、中学生ぐらいの女の子たち。
初めて訪れたこの公園で、あっという間に打ち解けた。恋花最大の特質、コミュ強の賜物か。
「4対4でやろっか。ゴールは地面に線を引いて」
「お姉さん、フットサルってどうやるの?」
「基本はサッカーと同じだよ。まあ細かいところは気にしない気にしない」
遊具が少ない代わりに敷地だけはやたらと広い公園だ。ボール遊びを想定しているのか、縁を囲うフェンスも付いている。サッカーや野球はともかく、フットサル程度なら出来ないこともないだろう。
藍もたい焼きを食べ終わったら参加するつもりである。しかしだからと言って、焦ってたい焼きを詰め込むような真似はしない。それはたい焼きのたい焼き性を否定する行為だから。
「んぐ、んぐ……?」
たい焼きを口内で咀嚼している最中、藍はベンチの隣に人が座ったことに気付く。
こちらも小学校高学年らしき女の子だった。藍よりも大分小さい大人しそうな子である。
その女の子は真横に居る藍に目もくれず、下を向いて何やら両手を一生懸命動かしている。
「何してるの?」
「…………」
「ねー、何してるのー?」
「……えっ、私、ですか?」
女の子はようやく藍の存在に気が付いたのか、ハッとした表情で顔を上げた。
「これ、パズル、学校で流行っているんです。誰が最初に解けるか、交代でチャレンジしてて」
「パズル?」
藍は首を傾げた。彼女の知るパズルとは、平面的なジグソーパズルのことである。
一方で女の子が取り組んでいるのは立体パズル。両手の上に乗るぐらいの正二十面体だった。木製と思しき薄茶色をしている。
藍と会話しながらも、女の子はパズルを弄る手を止めない。両手で撫でるように正二十面体の各面や角を動かしていく。カチ、カチと金属にもプラスチックにも感じられる音が鳴る。
初めて目にした玩具を前に、藍の瞳は輝いていた。
「それ、貴方のパズル?」
「ううん、友達から回ってきたんです」
「じゃあその友達の物?」
「……友達も、友達から回ってきたって言ってました」
「ふーん? 変なの」
またもや首を傾げる藍。
「……お姉さんも、パズル、やってみますか?」
「いいの?」
「はい。私、中々解けなくて。何かの動物ができるはずなんですけど」
「えーっ、これが動物になるんだ」
俄かには信じられず、藍は瞬きをする。しかしより一層興味が湧いてきた。
藍が女の子からパズルを受け取ろうとして右手を伸ばす。ところが一度はその手で掴んだにもかかわらず、パズルを取らずに引っ込めてしまう。
「やっぱり、いいや」
「……そう、ですか」
女の子は藍の態度を疑問に思うこともなく、再びパズルに挑戦し始めた。一心不乱に没頭するその姿は、周りに誰も存在しないかのようだ。
藍は藍で、先程の違和感について思い返す。
(嫌な感じ。よく分からないけど、何か嫌)
あのままパズルを触っていたら、力を込めて壊していたかもしれない。
このおかしな体験を、あとで恋花たちにも教えておこうと決めた。
◇
藍と恋花が公園で子供たちと戯れている頃、一葉と瑤は町の中心にある駅前の広場で落ち合っていた。
「瑤様、どうでしたか?」
「北の府道は駄目だった」
「南側の国道も、通行不能のようです」
休暇中にもかかわらず、二人が真剣な顔を突き合わせているのには訳がある。
町の中で奇妙な噂を小耳に挟んだ。「だだっ広い平野部の道で土砂崩れが起きた」とか、「熊の群れが道路の真ん中で通せん坊をしている」とか。
与太話としか思えないが、気になった一葉と瑤は町の散策ついでに少し調べてみた。休暇中とはいえ制服姿でチャームケースも持参していたので、リリィの身分を使って町役場や駐在所に尋ねたのだ。
噂は一部分だけ真実だった。山あいの箇所で土砂崩れが発生して道が塞がっていた点である。
「山間部ですから、あり得ない話でもありません。ですが府道と国道、同時に起きるなんて……」
「ちょっと不自然だね。でも町の人はそんなに動揺してないみたい」
「この辺りは元々ヒュージの目撃例が僅かですし。田畑が多く食料備蓄も豊富と聞きます。それにまだ鉄道線が生きてますから」
そう言いながら一葉は首を横に回して駅の方を見やる。
やたらと広い駐車場。簡素だがゆとりある造りの駅舎。北の宮津湾と南の福知山市街地を結ぶ交通の要所と言える場所。
「だけど、鉄道線だっていつ何が起きるか分からない」
「はい。なので、折角の休日に心苦しいのですが……」
「皆で集まって話し合おう」
あとを引き継いだ瑤の言葉に、一葉が頷く。
トレーニングの鬼たる一葉といえども、休息の重要性はきちんと理解していた。自分自身の休息については考慮外だが。
かくして一度は町中に散ったヘルヴォルが集結する。
時は昼下がり。場所は、町役場に掛け合って公民館を貸してもらった。
この町――大江町には常駐のリリィが居らず、たまに遠方のガーデンからやって来たレギオンに施設を貸すことがあるらしい。
「皆様、申し訳ありません。討議すべき事案が発生しました」
「知ってる。道が塞がれたってことでしょ?」
「ご存知でしたか、恋花様」
「ちょくちょく噂にはなってるね」
和室12畳の大部屋にて、五人は車座となって話し合う。
「幸い町の方々は落ち着いていますが、不測の事態に備えるべきでしょう」
「応援が期待できそうなのは、京都市の鞍馬山環境女子と舞鶴市の鹿野苑。どちらもすぐには来れないと思うけど」
瑤が近場で外征可能な京都ガーデンの名を挙げる。
しかしそれら二校にも二校なりの事情があった。
「鹿野苑は唯でさえ昨今の怪異騒ぎに忙殺されています。鞍馬山環境女子は強豪ガーデンですが、京都南部のヒュージへの睨みと京都市街の守りがありますから」
一葉の見立て通りなら、暫くの間ヘルヴォル単独で町を守らなければならない。
ただ、いずれにせよ現状の土砂崩れだけで他所からレギオンが飛んで来たりはしないはず。そのまま何も起こらず、杞憂で済めばそれに越したことはないのだが。
「町で調査するにしても、問題が一つあります」
「山小屋を引き払う……山での修業を中断することになるわね」
千香瑠が困り顔を一葉に向けつつそう言った。何故困り顔なのかというと、一葉の危惧を察したからだろう。
「僅かな修業期間で、正直、強力な怪異に対抗できるか疑問です」
「それは、ごめんなさい。私にも断言できないわ。前より力がついているのは確かだけど」
「千香瑠様が謝られることではありませんよ。ですがどの道、私たちは動かなければならない。今この町に居るリリィはヘルヴォルだけですから」
全員――畳の上に寝そべってゴロゴロしている藍も含めて――から了承の返事を得ると、一葉はすっくと立ち上がる。
「私と千香瑠様と瑤様で山小屋を引き払ってきます。町での拠点は、このまま公民館を使って構わない、とのことです」
「それじゃあ、あたしは藍と留守番してるよ。もう一人のチビッ子によろしく言っといて~」
「ええ、見かけたらスイカさんに挨拶しておきますよ」
◇
一葉たち三人が大江山へ出発してから暫くの間、残る二人は大して動いていなかった。少なくとも藍にはそう見えた。
「ねえ、恋花ぁー。お化け探しに行かなくてもいいのー? 何か嫌な感じのパズルは?」
「ああ、例のパズルね。怪しいけど、手間が掛かりそうだから三人が戻ってからね。てか、まだ怪異の仕業だと決まったわけじゃないし」
公民館の和室で、藍はスマートフォンを弄っている恋花に尋ねてみた。
この公民館からほとんど動いていないのは事実。ただ恋花は電話であちこちとやり取りしているようだった。
「取りあえず、今実際に起きていることについて考えるとして。北と南の土砂崩れはそれぞれ近くの土建業者と福知山駐屯地の防衛軍が復旧することになってる。特に福知山の防衛軍部隊は後方支援がメイン任務の部隊だから、インフラの復旧もお手の物でしょ」
脚の低い座卓の机上にスマホを置いて、恋花は藍に教え諭すかのように説明し始める。
「増援は、哨戒任務で鞍馬山環境女子のレギオンが明日の昼頃に来るみたいだから。まあそこは安心できるかな」
「ふーん、そっか」
「ただ、ね……。相手がヒュージならともかく、本当に怪異が襲ってきたらどうするか、よね……」
割と楽観的な材料を述べた直後、今度は声を低くして話し出した。
「一葉もちょっと言ってたように、あの修行でどのぐらい怪異と戦えるようになったか分からない」
「らんが全部やっつけるよ!」
「チャーム振っても、攻撃が通るか分かんないでしょ。宇治の橋姫の時は、向こうに殺し合いする気が明らかに無かったからいいものの」
依然として、千香瑠頼みになってしまうのではないかと危ぶんでいるわけだ。
町全体を守らなくてはならない時、それでは厳しい。東京での子取り箱の一件は、ただ運が良かっただけに過ぎない。
「でも恋花、この前は一葉に『考え過ぎ』って言ってたよ?」
「あれはあいつが柄にもなく悩み過ぎてたから。逆に吹っ切れて元の突撃血反吐娘に戻ったら、またあたしが抑えてやらんとね」
「うーん、よく分かんない」
「要はバランスが大事ってわけよ」
普段は、取り分け戦闘時は藍にも分かり易く話してくれる恋花だが、時折難しいことを言う。
なので藍は藍なりに考えてみる。
「そう言えば前に瑤が『ふーふは正反対の性格の方がいい』って言ってた。それと同じこと?」
「……どういう文脈でそんな話をしたのか、瑤を問い詰める必要があるわねえ」
目を細めて声も落とす恋花。
恋花の様子を目の当たりにした藍はこれ以上その話題に突っ込むのを止めた。
「それで、らんたちはどうするの? 千香瑠が帰ってくるまでゴロゴロしてるの? 牛さんになっちゃう」
「勿論、動ける範囲で動くよ」
恋花は慌てずゆっくりと立ち上がる。その緩慢な動作、火急の用件でないのは明白。
藍もまたゆっくりと恋花の後に付いて行くのだった。
◇
山間の町だけあって、大江町は長閑な所である。
藍たちのガーデンがある東京や少し前に訪れた京都市に比べ、建物の背は低く数も少ない。人の数も疎らだ。
しかし食べ物を購入するのに困りはせず、藍に不満は無かった。
また、施設の一つ一つが広々としているのは良い点と言える。駅は勿論、駅前広場も広い。休憩所の屋根に立派な鬼瓦を葺いているのが特徴的だった。
そんな大江駅を横目に歩いていると、藍の足取りが自然とフラフラ逸れていく。その先にあるのは駅舎の出入り口だった。
「ちょい待ち」
恋花の右手が藍の襟を後ろから掴んだ。前進のため前へと振り上げられた藍の右足が宙ぶらりんになる。
「あ~、お饅頭ぅ……」
「はいはい、おやつはあとでね」
たい焼きも勿論良いのだが、駅舎内の物産店に置いてある饅頭も良いものだった。こぶし一杯の大きさにずっしりとした重量感。薄皮の中にはこれでもかと餡子がぎっしり詰まっている。
想像しただけで藍の口内に涎が出てきた。
「用があるのはこっちなんだよねー」
恋花に半ば引っ張られる形で駅前を通り過ぎていく。
老朽化しかかった石畳の道路を歩き、やって来たのは町役場。
この役場もまた例に漏れず広い。二階建てで、屋根は年季ある瓦葺きである。
正面入り口から中に入れば、多数の椅子が並んだロビーに出迎えられた。人の数は少なく、緊迫感や緊張感などは見られない。
幾つもある受付窓口。その中の一つに向かって恋花が迷わず歩いていく。
すると窓口に居た職員の中年女性がこちらに気付いた。
「恋花ちゃん、またお勤め? ご苦労様だねえ」
恰幅の良いその女性は破顔して恋花たちを迎えた。役場の職員というよりは、観光地の案内人のような気安さが感じられる。実際、その役割もあるのだろう。
「そうなんですよ~。いやー、大丈夫だと思うんですけど。一応ね」
「まあこんな田舎だと、いざという時に中々助けが来れないし。恋花ちゃんたちが居てくれて良かったよ」
いつの間に打ち解けたのか。恋花も負けないぐらいフレンドリーに接している。
どうやら恋花のコミュ力が通用するのは同年代だけではないらしい。
「それよりも、随分と可愛らしいお友達を連れてるねえ。妹さんか何か?」
恋花の斜め後ろに立つ藍へ、女性職員の視線が移った。
「はい、初等部の妹です」
「らんは高校生だよ!」
「ばれたか」
「妹でもないよ!」
心外だ。藍は頬を膨らませて抗議する。
服を掴まれ揺さぶられる恋花だが、舌をペロッと出すだけで意に介さない。
その間、女性職員は一旦窓口から離れて奥のデスクへ。そしてまた恋花たちの前に戻って来る。
「あったあった。PR用のお土産だけど。二人にあげましょうかねえ」
「お饅頭!」
まさかここであの饅頭に出会えるとは思わなかった。藍は飛び付くように二つあるうちの片方を受け取った。
「藍、ちゃんとお礼を言うんだぞー」
「ありがとーございます! ……はぐっ、むぐっ」
礼もそこそこに、藍は早速饅頭にかぶりついた。恋花からペットボトルのお茶を手渡されつつ、ロビーの一番近い椅子へ座りにいく。
藍が離れたところで、窓口前に残っている恋花は女性職員へ顔を少々近付ける。
「それで、あれから何か変わったことって起きてますかね?」
「いいや、特には。ただ、熊がどうのこうのって話があったから、猟師さんが町の外を見回ってるよ」
恋花は目の前の女性職員と会話しながらも、役場内の様子に注意を払っていた。
最初に出入り口の扉をくぐってロビーを目にした時から分かってはいたが、来訪者の姿は少ない。電話が引っ切り無しに掛かってくるわけでもない。
つまり、町の住民の間にパニックの予兆すら生じていないということだ。
それならそれで、調査する側にとってはやり易い。
「ああ、ごめん。電話だよ」
女性職員が断りを入れて受話器を取ったので、恋花も窓口から離れて藍の傍へ行く。
とっくに饅頭を食べ切りお茶を飲み干した藍は、横長のロビーチェアの上でうつらうつらと睡魔に抗っていた。ひと気の少ない時の役所独特の雰囲気が揺り籠の如き心地良さを提供しているのだろう。
「――――それは、見間違いか何かでは?」
電話に向かって掛けられる小声を、恋花は聞き逃さなかった。
「目撃したのは猟師さんと駐在さん? それなら――――だけど――――」
通話が終わり、受話器がゆっくりと下ろされたのを待って、恋花は再び窓口へ近付いた。
「何かあったんです?」
「……ちょっと奥で話しましょうか」
顔を硬くした女性職員に促され、恋花は窓口から奥へ続く廊下へ移動する。
ロビーチェアから飛び起きた藍もあとに続く。
廊下を通って小さな会議室らしき部屋へ。
中に入ったところで、女性職員は戸惑った様子で口を開く。
「電車の架線が千切られた。信じられない話だけど、鷹の群れに食い千切られたって……」