神社生まれの千香瑠様   作:坂ノ下

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第17話 顕現するもの 三.

「事態は悪化しています。大江町に向かっていた鞍馬山環境女子のレギオンが、町に近付けないそうです。同じ場所を延々と回っていたとか、GPSが故障したとか。要領を得ませんが、すぐに応援に来れないことは確かでしょう」

 

 下山の最中、麓を目前に控えた所でスマートフォンを握る一葉がそう言った。

 

「迷わされたのかしら……。それで一葉ちゃん、その鞍馬山のレギオンと合流するの?」

「恐らく迅速な合流は望めないでしょう。私たちはこのまま町に下りて状況を確認します」

 

 千香瑠の問いに対し、一葉は優先順位を考慮した上で判断を下す。

 また、町の把握を優先したい理由はもう一つあった。

 

「駄目。やっぱり恋花とも藍とも、町役場とも電話が繋がらない」

 

 最後尾を歩く瑤の冷静な声が、好ましからざる事態を報告した。

 

「通信が遮断され、接近が不可能。町自体が隔離されてしまったのですね」

 

 一葉は危惧していた。このまま下山するのはいいが、果たして町の中に入れるのだろうか。自分たちも町に近付けないのではないか。

 そんな内心の疑問に答えたのは、「麓まで」と一葉たちについて来たスイカである。

 

「入れるよ、今のあんた達なら町の中に。巫女以外でもね」

 

 好奇心を湛えたような表情でヘルヴォルを眺めていた妖怪の少女。その顔がある時、急に真剣味を帯びた。

 

「問題はその後だろう。力不足だと自覚がある上で、あの町に行って何ができる? 巫女一人で町全体を守るなんて土台無理な話だ。それとも最低限、手の届く分だけ守るのか?」

 

 スイカの指摘はもっともだ。千香瑠のように怪異と戦うため、そう思って始めた山籠もりを中断したのだから。

 しかしながら、一葉の意志は下山を覚悟した時から変わっていない。

 

「それでも、私たちは行きます。日々の訓練も今回の山籠もりも、全ては人々を守るため。町が脅かされている今こそ行かなければ、本末転倒というものです」

「歯が立たなくても?」

「避難の時間稼ぎぐらいはできるでしょう」

「今度の相手はそんな甘い奴じゃないかもしれんぞ?」

「それでもどうにかしてみせるのが、私たちリリィです」

 

 そこでスイカは他の二人に視線を移す。

 

「一葉ちゃんがどうにかすると言うなら、きっとどうにかできるわ」

「一葉に同感。私たちは守るために戦ってる。それに短くともあんな修行をしてたんだから、勝機はあると思う」

 

 千香瑠と瑤の意志を聞くと、スイカは短く鼻を鳴らしてそれ以上何も言わなくなった。

 ただ依然としてヘルヴォルのあとに付いて来るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スイカの太鼓判通り、一葉たちは何の障害も無く麓の町に入ることができた。

 しかし一歩町の中に足を踏み入れた途端、青かった空が錆びついた赤に変わり、辺りにどんよりと重苦しい空気が充満する。

 

「ほーう、異界化しかけてるな」

 

 後に続くスイカが空を見回しながらそんなことを口にした。

 

「それは、どういう――――」

「こっちの世界に自分のテリトリーを作ろうとしているんだよ。それも、町一つ丸ごと飲み込んで」

「そのようなこと、一体何者が」

「……怪異『リンフォン』」

 

 一葉の問いにスイカが答えた直後、チャームの発砲音が響く。

 先頭を行く千香瑠がゲイボルグの銃口を前にかざしていた。民家の裏から飛び出してきた影を撃ち抜いたのだ。

 道路に崩れ落ちた影は熊の姿形を取っていた。

 

「気を付けて。ここはもう、私たちの知ってる町じゃない」

 

 千香瑠に促され、一葉たちは改めて警戒しながら大通り沿いに歩を進める。

 民家の庭、建物間の脇道、スーパーの駐車場。そこかしこで徘徊する熊。

 それに加えて、視線を上に上げれば、町中に走る電線や家々の屋根瓦を幾羽もの鷹が啄ばんでいた。食い千切られた電線は火花を飛ばしながら地面にだらりと垂れ下がる。

 

「町の人たちが見当たらない。避難したのかしら。瑤さん、藍ちゃんと恋花さんは?」

「呼び出し中のまま。電話に出れない状態なのかも」

「そう……」

 

 人の気配が消え、代わりに我が物顔で怪異が闊歩する場所。

 こんなものを作らせて良いはずがない。

 

「さっきの続きだが――――」

 

 スイカが再び口を開く。

 

「リンフォンが目指すところは、地獄だ」

「地獄とは、あの死後の世界の地獄のことですか?」

「ああ。勿論ここと本物の地獄を繋げようってわけじゃない。そんなことをすれば閻魔様が黙っちゃいないだろう」

「閻魔様?」

 

 冗談を言っているのか、本気なのか、一葉にはやはり分からない。ただスイカの表情は至って真剣に見えた。

 

「奴がやろうとしているのは、もう一つの新しい地獄の創造。まさに現世に顕現する地獄ってわけだ」

「これまでの怪異とは規模が違い過ぎる……」

「結界の外で、明確な目的の下に動く強大な怪異。私らはこれを五大怪異と呼んでいる」

 

 五大怪異。

 これほどの怪異が少なくともあと四体は存在する。

 いやそれ以前に、目前の敵リンフォンを本当に討てるのか。そんな今更な恐れを全く抱かなかったかと言えば、嘘になる。

 

「しつこいようだが改めて聞くぞ。アレとやり合う気か?」

「無論です」

 

 試すような物言いのスイカに、一葉は即答した。

 

「むしろ、ますます退けなくなりました。それにこの町には恋花様や藍が残っていますしね」

「一葉、その二人のことなんだけど。恋花は臨機応変に動くだろうから、前に連絡してきた通り小学校のシェルターを守ってるとは限らないと思う」

「そうですね。では我々は大通り沿いの敵を撃破しつつ駅前のシェルターを目指しましょう」

 

 一葉と瑤は早速具体的な行動について話し合う。ここまで来て引き返すという選択は端から考えられないというわけだ。

 

「道中、逃げ遅れた人が居ないか確認するのなら、分散して行動する必要があるわ」

「致し方ありません。幸いあの熊や鷹には普通にチャームによる攻撃が通用するので、千香瑠様だけにお任せする必要は無いでしょう」

 

 それは裏を返せば、怪異本体に対して一葉や瑤の攻撃が通じるかどうかは定かでないということでもある。だがこれで山籠もりの成果がはっきりするはずだ。

 

「では駅前で合流しましょう。ヘルヴォル、行動開始!」

「了解」

「了解しました。一葉ちゃん、瑤さん、くれぐれも無理はしないでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人々を、力無き存在を守る楯。それが楯の乙女ヘルヴォル。

 一葉は今まさに盾としての真価を問われようとしていた。

 

「……どうやら私のところが当たりだったようですね」

 

 場所は駅前広場。

 千香瑠や瑤と別れた後、一葉は最短ルートで駅に向かった。まずは合流地点であるシェルター付近の安全を確認する必要があったのだ。ついでに言えば、後ろに付いてきていたスイカの姿はいつの間にやら消えている。

 そこで一葉が遭遇したモノ。それは端的に言って、悪魔だった。

 白目を剥いた、人とも猿ともつかない厳めしい顔。矢尻の如く尖った尻尾。蝙蝠によく似た巨大な翼。濃紫色をした四足歩行の体躯。極めつけは、ラージ級ヒュージに匹敵する全長10メートルを超えるサイズ。このような異形、悪魔と言わずして何と言えば良いのか。

 

(今、ここで戦わなければ。シェルターに害が及んでしまう)

 

 仲間たちとの合流を待っていられない。少なくとも時間稼ぎはしなければならない。

 一葉はチャームを悪魔の方へとかざす。

 すると悪魔の首がゆらりと動き、一葉を真っ直ぐに凝視する。

 

「ぐぅっ!?」

 

 体内の内臓を鷲掴みにされたかのような悪寒。首元を締め付けられたかのような息苦しさ。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。

 ただし、この場に立っているのは唯の小さな蛙などではない。抗うための牙を研ぎ澄ませてきた蛙である。

 広場には悪魔の他にも熊たちが群れを成していた。

 しかし一葉は取り巻きを相手にせず、本命に向けてチャームの射撃を開始する。

 一葉を見下ろし威圧していた異形の顔に弾着の火花が咲いた。立て続けに五発。的が大きい上に避けようともしなかったので容易く命中したのだ。

 その直後、一葉は悪魔の声を聞いた。

 

「――――無駄ダ」

 

 目の前の異形が口を開いたわけではない。相変わらずしかめっ面で見下ろしてくるだけである。

 だが一葉は理屈ではなく感覚で理解した。合成音声のような単調な声が、目の前の存在によって紡ぎ出されていることを。

 

「――――人ハ儚ク脆イ」

 

 悪魔が尾を振るう。

 すると広場にあった東屋(アズマヤ)――柱と屋根だけで構成された休憩所――が軽々と吹き飛んで、広場と隣接する駅舎にぶつかった。

 コンクリート造りの駅舎の壁に大穴が穿たれ、舞い上がった屋根瓦があちこちに落ちていく。

 町の避難所、シェルターの入り口は駅舎の裏手にあったはず。

 

「それ以上は!」

 

 焦る一葉は発砲しつつ悪魔へ接近しようとする。

 ところが、取り巻きの熊たちが行く手を遮ろうと割って入ってきた。五頭、六頭、それ以上に数が増えていく。

 本命に傷も付けられなかった上、多勢に無勢。

 他の仲間たちも恐らくは町中を徘徊する熊や鷹に足止めを食らっているのだろう。

 

「たとえ一人でも!」

 

 一葉はチャームの刃を振るう。

 押し寄せる敵が薙ぎ払われるが、広場には次から次へと新手が湧いてくる。

 どこにこれだけの数が隠れていたのか。まるで本当にこの町が彼らの世界へと変質したようだ。

 熊の群れとの攻防を繰り広げている間に、一葉は悪魔からまた引き離された。熊たちに囲まれて広場の一角に追いやられてしまう。

 そんな一葉を尻目に再び悪魔の尾が高く掲げられた。

 

「邪魔を……するなぁ!」

 

 それは危険な行為だった。チャームを突き出した突進で包囲の一角へ強引に穴を空けると、シューティングモードへ高速変形させて悪魔に一発お見舞いした。

 尾の付け根に命中した一葉の一撃は、やはり効果が無いように見える。

 ところが悪魔は一度、ぴたりと攻撃の手を止めた。

 

「――――無駄ダ、無駄」

「何がっ」

「――――受ケ入レロ」

 

 耳障りな音声が頭の中に響いてくる。

 

「――――死ヲ、滅ビヲ、世界ノ始マリヲ」

 

 誘惑、あるいは慈悲。

 一葉を楽な道へと誘う悪魔の囁きだった。

 

『こんな山奥の町一つ、死守する意味があるものか』

 

『無理に自分たちがやらなくとも、地元のガーデン地元のレギオンが片付けてくれる』

 

 そんな考えが一葉の頭を過る。

 悪魔の教唆か、一葉自身の深層心理の表れか。どちらなのか一瞬悩む。

 しかしながら悩んだのは本当に一瞬のこと。チャームの引き金を引くことで一葉は悩みを振り切る。

 

「諦めません。マギが尽きチャームが折れるまで。私はリリィなのですから」

「――――ナラバ散レ」

 

 一葉の啖呵に反応して悪魔の尾が放たれた。鞭の如くしなり、槍の如く鋭利に、地面に立つ一葉の頭上から襲い掛かる。

 取り巻きである熊の群れを巻き添えにした尾の攻撃は一葉に躱された。

 だがまともに食らっていれば、リリィといえども唯で済む保証は無い。あの一撃で取り巻きが何匹も消し飛び、さっきまで一葉が立っていた地面は地割れでも起きたかのように穿たれていた。

 穂先を地中に突き立てた槍は一旦引き抜かれ、また一葉を襲う。連続して繰り出される刺突がチャームの刃に弾かれる度、熾烈な剣戟音が広場の中に木霊した。

 

(敵の注意が、駅舎から私に移った)

 

 その結果にひとまず安堵する一葉。

 しかし、それまでと比べて状況が好転したわけではない。

 駅前広場には相変わらず熊の群れが陣取っている。降り注ぐ尾の槍は、標的が気を抜いた瞬間に忽ち刺し貫いてしまうだろう。

 それでも一葉はチャーム――ブルトガングを構え続ける。

 藍緑色の機体は高速・大質量の連撃によく耐えていた。頑健さが自慢なだけはある。

 だが一方で、チャームを握る一葉の体は生身であった。ブルトガングが巨槍の突きをいなす度、グリップを握る手を通して激しい圧力が持ち主を襲う。

 

(恋花様は、藍はどこで戦っているんだろう)

 

 ふと町に残していた仲間たちのことを頭に浮かべる。

 決して余裕ぶっての行動ではない。むしろその逆だ。切羽詰まった厳しい状況だからこそ、大切な存在に思いを馳せるのだ。

 しかし結果として、それが仇となる。

 頭上からの刺突に意識が向いていた一葉の脇腹に、悪魔の前足が伸びた。太くて短い指と鋭い鉤爪を備えた前足が、尻尾による攻撃と同調して横薙ぎを放っていた。

 

「っ!?」

 

 満足に悲鳴を発することもできず、一葉の全身が真横に跳ねた。咄嗟にブルトガングを盾にしたものの、体に伝わってくる余波までは殺し切れない。

 地面に何度もバウンドした後、一葉はうつ伏せの状態で倒れ伏した。

 そこにわらわらと熊の一団が近付いてくる。本当に際限が無いのかと思えるほどの多勢である。

 今すぐに立ち上がってチャームを振るわなければ。そう頭では分かっていても、荒い息と両膝の痙攣が治まってくれない。

 やがて倒れたままの一葉はまたも怪異に取り囲まれた。

 

 

 

 

 

 ――――あの町に行って何ができる?

 

 脳裏に思い起こされる問い掛け。

 

 ――――町全体を守るなんて土台無理な話だ。

 

 一葉の答えはあの時から変わっていない。

 

 ――――それでもアレとやり合う気か?

 

 

 

 

 

 獲物に向かって突き出された熊の牙が頭ごと粉砕される。一呼吸置いて、獣の怪異は黒い煙を上げながら崩れ落ちた。

 鉛色の切っ先が、下から上へすくい上げるように突き出されていた。

 一葉は片膝を突いた体勢から、ゆっくりと二本の足で立ち上がる。口の中では鉄の味が滲んでいた。

 

「戦う、人々の楯として。かつて私がそうして守られたように!」

 

 怪異の大群相手に楯の心は砕けない。

 そんな一葉に向けて、悪魔の尾が矢となって伸びていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく吠えたな、人間」

 

 一葉を貫くはずの矢は途中で動きを止める。

 その代わり、幼き少女の嬉々とした声が異界の地に響いた。

 

 

 

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