「よく吠えたな、人間」
怪異の溢れる駅前広場に、嬉々とした少女の声が響いた。
スイカだ。いなくなった時と同じように、これまたいつの間にか広場の片隅に立っていた。
赤茶色の長髪を揺らしながら、スイカは広場の中を悠然と歩く。この場にひしめく怪異たちを歯牙にもかけないかのように。
「ちょっとは助けてやるって約束したからなあ。嘘は駄目だ、嘘は」
やけに声の大きな独り言。
そうして歩いているうち、スイカの身に異変が起きた。
幼子同然の小さな体が着ている服と共に膨張していく。忽ちのうちに10メートルもの巨人と化して、悪魔に全く引けを取らない姿を見せる。
更には頭だ。髪の毛の下から左右二本の角が生えた。木の枝みたいに捻じれていると同時に、頭のサイズと不釣り合いなほど長い角だった。
「スイカさん、その姿は……」
「フフッ。どうやら異界化したこの土地なら、私らが存分に力を振るっても影響なさそうだな」
困惑する一葉の様子に気付いているのかいないのか、スイカは楽しげな顔で周囲を見渡した。
一方の悪魔だが、こちらは振り上げた尾を停止させ、突然の闖入者を見つめたまま固まっていた。
「――――何デ」
見つめたと言うよりも、睨みつけたと言った方が正しいかもしれない。
現に悪魔は元々厳めしい顔に筋を何本も浮き上がらせ、興奮で赤く紅潮させていた。
「――――ドウシテ! ココニ鬼ガ!」
悪魔の叫びをよそに、スイカが大木の如き巨腕を薙ぎ払う。それだけで辺りにひしめく熊の群れが弾け飛び、窮屈だった広場に開放感が戻ってきた。
悪魔は一葉に向けていた尾の矛先を、より脅威であるスイカへと変更する。自在に伸縮可能な尾は一瞬でスイカの右腕を捕らえ、動きを封じようと幾重にも絡みつく。
「フンッ」
だがスイカは拘束されたまま、右手で作った拳を真下に叩き付けた。
次の瞬間、大地を激しく揺さぶる振動によって一葉は膝を突く。
広場に残っていた取り巻きの熊たちは煙となって一掃される。
悪魔は堪らず巻き付かせていた尾を離し、体勢を大きく崩して場内に生える木々を押し潰しながら転倒するのだった。
「さてと、助太刀はここまでだ。怪異退治は人間の手で締めなきゃな」
振動が収まったところで、スイカが視線を落として言う。
「今のあんたらならアレを討てる。病も怪異も気から。修行の長さが全てじゃない。聞き分け悪く吠え続けたその意志があれば、模造品の地獄にも悪魔にも打ち勝てるだろう」
「スイカさん……」
「
「えっ?」
「私の名前だよ。改めてよろしくな、相澤一葉」
名を名乗るという行為が妖怪にとってどんな意味を持つのか。一葉には想像しようもない。
けれども一つだけはっきりしていることがある。これまで山に籠って積み重ねてきた修行の日々は、短くとも意義ある時間だった。無駄ではなかった。
ブルトガングを握る一葉の手により一層の力が湧いてくる。
「改めて、ヘルヴォル参ります!」
転倒していた悪魔が体勢を戻し、一葉に向けて刺すような視線と殺気を放ってきた。
そこへ発砲。
ブルトガングから繰り出された弾丸を顔面に浴びて、悪魔は甲高い叫声を上げながらのけ反る。
効いていた。今度は確かに一葉の攻撃が通じていた。
「――――小癪ナ、小癪ナ! 人間ガ、タッタヒトリデ!」
「一人ではありません」
一葉の台詞の直後、悪魔の背に生える蝙蝠型の翼に砲撃が炸裂した。左右同時攻撃によって、濃紫色の巨体がまたもや大きく揺さぶられる。
「ごめん、一葉。遅くなった」
大剣のチャームを構えた瑤。
「リンフォンの本体であるパズルを探していたの。町中に散らばっていたけど、全て破壊しておいたわ」
槍のチャームを抱えた千香瑠。
二人の仲間が左右別々の方向から一葉と合流を果たした。
「パズルが無ければ異界の門は開かない。あとは、ここに居る怪異を退治するだけよ」
千香瑠からもたらされた事実に、一葉は驚くと共に勇気づけられる。
悪魔にとっても無視できないことなのか、千香瑠へ警戒心を向けているようだった。
「これで三人です。三人なら――」
「待って」
仕切り直そうとした一葉へ、瑤が突然待ったを掛けた。
一葉は何事かと斜め後ろを振り向いて、そのまま視線をずっと後方へと移す。
その先に見えたのは一匹の魚だった。川でも池でもない道路の上を、人間よりも大きな魚がこちらに向かって爆走していたのだ。
熊や鷹の同類か、と一葉がチャームの銃口をかざす。
「ストップ! ストーーーップ!」
「……って、恋花様!?」
「待った待った、あれ、藍だよ! 藍!」
息を切らせて飛び込むように広場へ入ってきた。その恋花が怪魚に人差指を指しながら盛んに訴える。
訳が分からず一葉が戸惑っていると、低空を泳ぐように飛ぶ怪魚が失速して墜落した。
固い地面にヘッドスライディングを披露した後、怪魚はピクリとも動かなくなった。そうかと思えば、いきなり上下に激しく跳ね出した。長い胴体が折れ曲がったり元に戻ったりを繰り返す様は、ちょっとしたホラーである。
「ぷはっ」
怪魚の腹が割れ、中から現れたのは確かに藍だった。ただし着ている制服はヨレヨレで、髪は普段よりも更にボサボサで跳ね放題である。
「ら、藍! ちょっと、大丈夫?」
「…………」
藍は身を案じる一葉の呼び掛けに反応しない。その代わり、今しがた怪魚の腹を掻っ捌いたチャームをカタカタと震わせ始める。眉を顰め、片手で鼻を押さえている。
「う~っ、くさい」
怪魚に飲み込まれたまま揺らされ続けたのだろう。腹の中でどのような状態に置かれていたのか、藍の姿を見れば想像に難くない。
「くさい、くさいよぉ……」
細められた藍の両目は金色に光っていた。彼女のレアスキル――ルナティックトランサー発動の合図だ。
「……らんは怒ったぞう!」
今すぐにでも敵に向かって飛び出しそうな藍。
そこで一葉は今取るべきだと判断した作戦を実行しようと口を開く。
「皆様、揃ったばかりですが、ヘルヴォル反撃開始といきましょう」
「あたし、思いっきり全力疾走してきたんだけど。人使い荒いわ~」
「では恋花様はお休みしますか?」
「冗談。町を散々引っ掻き回されたお礼をしないとね」
恋花の軽いウインクを見て、一葉も軽く頷いた。
「目標をラージ級ヒュージ相当と認定。千香瑠様と瑤様の援護射撃の下、藍が突貫。私と恋花様で動き回って目標を攪乱。フォーメーション・シマリスさんです!」
◇
異界化し赤錆色に染まった空の下、複数の発砲音が轟き渡っていた。
四つ足と翼を持つ異形の怪異に対し、四方からレーザーと実体弾が飛ぶ。
怪異は首や得物たる尻尾を左右に振って対応しようとするものの、的が小さい上にちょこまかと動き回るリリィたちを捉え切れない。図体の大きさが仇となっていた。
「瑤様、千香瑠様、牽制を!」
腰だめに構えられた瑤のクリューサーオールが電子の光を纏いながら極太の光線を放つ。光線は怪異の前足、そのすぐ手前の地面を薙ぎ払って敵の行き足を止めた。
その一方で千香瑠のゲイボルグは怪異の尾を狙っていた。伸縮自在の凶器に射撃を当てるのは至難の業だろう。ところが千香瑠は尾の付け根――
「藍が前に出ます! 恋花様!」
藍のレアスキルであるルナティックトランサーはマギと身体能力を大幅に強化する代わり、理性を薄めて戦闘狂と化す諸刃の刃。
しかしヘルヴォルはそんな藍の突出さえも戦術に組み込み活かしていた。
牽制射撃によって動きの鈍った怪異の側面に回り、恋花がブルンツヴィークのレーザーを掃射する。マシンガンの如くばら撒かれた光は怪異の脇腹や翼に突き刺さっていく。
当然、敵もやられっ放しではない。千香瑠の掣肘を無視して、悪魔の尾が恋花の頭上に振り下ろされる。
恐るべき速度で落とされた尾の穂先は広場の土を深く抉った。
だが肝心の恋花は巨大な尾をすり抜けて発砲。引き抜かれた尾が再度襲ってくると、後方にステップしてまた発砲。
「こっちです!」
更に恋花の反対側から一葉が射撃を加えることで、相手に的を絞らせない。
そうしているうちに、一気に間合いを詰めた藍が巨大な怪異の足元から思い切り跳んだ。両膝のバネとマギの力場を用いた跳躍は藍の小さな体を弾丸と成す。
怪異の足元から鼻先まで飛び上がり、藍は手にしたモンドラゴンで強烈なアッパーカットをお見舞いした。
堪らず怪異は四肢をよろめかせた。全長10メートルに達する巨体からは濃紫の体液を滴らせている。傍目にも弱っているのは明らかだ。
「いける、いけるじゃん。あたしらのチャームが効いてるよ」
「その通りです。リリィとしての戦い方が通用するなら、私たちは負けません!」
これまでの鬱憤が晴れるかのような優勢に、恋花と一葉が意気を揚げる。
ほとんど千香瑠頼みだった怪異退治において、今初めてヘルヴォル全員がヘルヴォルとしてチャームを振るっていた。
卓越した連携を前に押される怪異。しかし完全に膝を突く前にふらつく足取りを持ち直し、四つ足で埃の舞う地面に踏ん張った。
「――――見クビルナ!」
咆哮と共に怪異が濃紫色の体表から無数の突起を作り出す。
突起はぐんぐんと伸び、鞭のようにしなり、まるでそれ自体が意思を持つかの如く獲物を求めて動き出す。全身に触手を蠢かせるその様は、悪魔の容貌に恥じない異形の中の異形。
怪異に半包囲を仕掛けるヘルヴォルに対し、触手が一斉に牙を剥く。あるものは槍となって鋭い突きを放つ。またあるものは鈍器となって殴りつけようとする。
「くっ、各自散開!」
一葉は攻撃の手を止めざるを得なかった。チャームで斬り払っても斬り払っても、次から次に触手が伸びてくるからだ。
「うわっ、キモっ! これムリ! ムリだから!」
「恋花、実は余裕あるね?」
恋花は悲鳴を上げつつも、小刻みにステップを踏んで触手の魔手を掻い潜っている。
それに対して瑤はチャームの剛性を頼りに回避より防御に重きを置いているが、長く続けばやはり消耗は避けられないだろう。
そして一番の問題点、藍はと言うと――――
「あははっ、何これー? いっぱい来るよぉ!」
独楽か何かのように全身を使ってモンドラゴンを振り回し、触手を薙ぎ払っていた。
最も怪異に近いが故に、最も多数の触手が襲ってくる。にもかかわらず、藍は一歩も退かずに戦い続ける。
だがこのままでは、触手よりも先に藍のマギが尽きるのは自明。
「往生際が悪いですね」
冷静であるが故に底冷えのする声。千香瑠だ。
「ヘリオスフィア!」
暖かな千香瑠のマギがヘルヴォル一人一人を包み込み、防御結界を強固にする。
すると襲い掛かってきた無数の触手が不可視のバリアに弾かれていく。
これを好機と、一旦間合いを取っていた一葉が再び怪異へ接近し、大木の如き前足の肘にブルトガングの刃を突き入れた。
バランスを崩した怪異は
「藍!」
一葉に促されるまでもなく、藍はもう一度怪異の鼻先まで跳び上がっていた。
悪魔を思わせる横っ面に、真横からモンドラゴンが振り抜かれる。怪異の首は横に90度曲がり、胴体も引き摺られて転倒した。
倒れたまま起き上がってこない怪異に、一葉たちは銃口をかざして警戒する。
程なくして濃紫色の巨体が粉末状に朽ち始め、それから赤錆びていた空が青色を取り戻す。ここでようやく一葉はリンフォン討伐を確信するのだった。
◇
後日。
戦禍に飲まれた町並みはすぐには直せない。それでもそこに住む人々は元の姿を一応取り戻しつつある。
この日も町の中心部から外れた郊外の公園に、何人もの子供たちが集っていた。
「いや~今回はどうなることかと思ったわー」
敷地の隅にあるベンチに座る一葉のもとへ、子供たちと遊んでいた恋花がやって来る。若干疲れを見せてはいるが、声や表情は晴れていた。
「特に藍が飲み込まれた時。あれは流石に焦ったね」
「ああ、あれですか……」
「おまけに一葉たちとは連絡つかないし」
「それは、申し訳ありませんでした」
町一つが丸ごと異界化するなど想定しようもないのだが、恋花と藍を危険な目に遭わせてしまったのは事実である。
「ですが、それほど心配はしてませんでしたよ」
「あー、ひっどーい」
「お二人なら切り抜けられると信じていたので」
「褒められてる? でも何か納得いかないなあ」
口を尖らせ不満を露わにする恋花。
ところがすぐに両の目を細めて口角を持ち上げる。いかにも何か良からぬことを思い付いたかのように。
「この詫びは、精一杯あたしを労わることで果たしてもらおうか」
そう言って恋花はベンチの空いている所、一葉のすぐ隣に座る。一葉の肩に頭から寄り掛かる格好で。
「いいですよ」
少しだけ考えた後、一葉は了承する。
そして恋花がまた口を開く前に、素早く彼女を抱えて自身の膝の上に乗せた。
「ちょっ、何!?」
「今日一日、私が恋花様のお布団を務めさせて頂きます」
「何言ってんの!?」
驚いた恋花がジタバタともがくが、一葉の両腕に腰をしっかりと抱かれているため脱出は叶わない。
「いや、これはちょっと、流石にねぇ……」
思わぬ反撃を食らってバツが悪そうな様子。
そんな恋花の表情を正面から窺えないのは残念だが、代わりに一葉は彼女の首筋に目を止める。
「恋花様、うなじ綺麗ですね。何だか良い香りもします」
「恥ずい! 恥ずいって! さっきから何なのよ!」
「これもきっと、橋姫の仕業でしょう。仕方ありませんね」
「んなわけあるかーーー!」
一方その頃、同じ公園内にてフットサルで遊んでいた藍と女の子たち。
「ねえ、藍お姉ちゃん。あれ何やってるの?」
「しーっ、見ちゃいけないよ。お昼から人前でイチャついてる駄目なカップルだから。皆は真似しないでね」
「はーい」
◇
「五大怪異。早くも一つ倒して、あと四つか」
町の外、大江山の麓へと続く道端に鬼の少女の姿があった。頭の角は消えていたし、体のサイズも人間の子供のそれである。
「皆が頑張った結果です」
「そうだな。でもあそこで片が付いたのは、あんたが事前にリンフォンの本体を見つけ出して破壊していたお陰なんだが」
萃香と共に居るのは千香瑠。と言っても、別に見送りというわけでもない。怪異を討伐する間にまたちょくちょく会うだろう、とは萃香の弁だ。
「これで貴方の……貴方たちの目的である結界の強化は進んだのかしら?」
「勿論。まあ、人間の手で怪異を討つという儀式としては、今回のは文句の付けようがない大成功だ。私もちょこっと手を出したが、必要無かったかもね」
そう言って萃香は屈託無く笑う。
だが千香瑠の方にはまだ懸念があった。
「リンフォンのパズル。あれは本来一つのはず。あんな風に幾つも無作為に出回るなんて、考えられません」
「うん?」
「以前の、子取り箱の模造品の出どころもそう。大妖怪になろうとしていた人面犬もそう。怪異たちに何か違和感があるんです」
「怪異を焚き付けてる奴が居ると、そう思っているのか」
千香瑠が断言できないでいたことを、萃香が口にする。
「残りの四つの中に、居るかもしれんな」
「…………」
「いずれにせよ、この調子で怪異退治を続けていけば、いつか当たるはずだ。だから期待してるよ、ヘルヴォル」
そうして萃香は霧となって山の方に昇っていった。
霧の如く神出鬼没な彼女のこと。本人の言葉通り、これからまた何度も会うだろうと予感する千香瑠であった。
西方外征 完
次章、怪異との戦いが激化していく中、物語の核心に入っていきます。