第19話 海神様 一.
東京都、市ヶ谷。防衛省本省11階、会見室。
「先日に生起した山形方面から仙台市へ侵攻するヒュージ群との戦闘を受けまして、陸上防衛軍東北方面軍司令部は戦力の再配置を施行しました。合わせて北部方面軍から一個歩兵連隊を増派し、内陸部の防衛体制強化に努めます」
会見机の前に立ち、報道陣に向けて具体的な措置を説明する石川精衛。
通常、防衛戦略に関する会見は防衛大臣か制服組トップである幕僚長が行なうのだが、子細については対ヒュージ戦略立案の責任者たる精衛が答弁することもある。
「石川大佐、スモール級数体程度がケイブも無しに市街地へ侵入できたのは、防衛軍部隊の準備不足によるものなのでは? 軍とガーデンの取り決めで、内陸部からの侵攻は前者が、沿岸部と河川からの侵攻は後者が担当するようになっていたはずですが」
「ご指摘の通り、本件にてヒュージの浸透を許したのは、必要な時に十分な火力を投射できなかったことが原因であると認識しております。対策として、各歩兵中隊間並びに歩兵部隊と砲迫部隊との相互支援体制を見直しております」
記者からの質問は大抵が予想し得るものだった。なので返答も大抵は容易にできた。勿論、その返答に相手が納得するかどうかは別ではあるが。
会見室がじんわりと熱気を帯びる中、また別の記者が発言する。
「昨今防衛軍の動きが鈍いようですが。これはガーデンへの補助金増額の煽りを受けて、軍の装備調達がままならないせいだと言われていますね」
「予算配分については多角的かつ総合的に判断されるものですので、一概にそれが要因だとは答えかねます」
「しかし原因はどうあれ、予算と縄張りの問題で軍とガーデンに摩擦があるのは事実ではないでしょうか? 強豪ガーデンのリリィを御息女に持つ石川大佐としては、板挟みでさぞ苦労されていることでしょう」
「ご心配、痛み入ります。ですが両者の対立は一面的なものであり、懸念は杞憂に過ぎません。従いまして、防衛軍とガーデンとの軋轢によって防衛政策に重大な支障を来す恐れは無いと申し上げます」
◇
夏が過ぎ秋が訪れた頃合。
依然として残暑が続くものの、近傍の太平洋から吹く海風が幾ばくかの清涼感をもたらしてくれる。
京都からガンシップに揺られて降り立ったのは、同じ関西圏に属する和歌山県。その中でも南東部に位置する、海に突き出た漁港の町である。
「ここです。萃香さんの話によると、この地に五大怪異の一つが居ます」
海岸線に程近い丘を登りながら、五人の先頭を行く一葉が言う。
特定の目的の下に動く強大な怪異たち。京都においてその中の一つ『リンフォン』を撃破した後、ヘルヴォルは残りの怪異も討伐すべく動いていた。
「こっちは分かり易いよね。ほら、ちょと前に話題になってたじゃん」
「ええ。出現してから何の動きも見せず、実害があまり無いため今まで討伐を免れてきたそうですが」
恋花と一葉が指しているのは過去の新聞記事の内容だろう。その際、記事の中では新種のヒュージと紹介されていた。
だが怪異退治の当事者になったヘルヴォルにとって、表向きの報道内容は鵜呑みにできるようなものではない。
「まあまあ。着いたばかりですし、まずはお昼にしましょう」
にこやかな笑みを浮かべながら千香瑠が提案する。
実際、五人はそのつもりで行動していた。どこか適当な所で弁当を広げ、その後に見晴らしの良い場所から件の怪異を確認する予定である。
「何かあるよー?」
「……あれはお店だね。多分、飲食店」
藍が小高い丘の天辺付近を指差した。
釣られて瑤が目を向けると、そこには一般的な住宅より少し大きく屋根の平べったい建物が建っている。
整備された道路が走っているのだから、何もおかしなことではない。現にここに来る道中にも民家がぽつぽつと見られたのだから。
やがて一行は店の近くまでやって来た。海を一望できる中々有望な立地である。
「海鮮丼屋だって」
瑤が店先に掛かっている看板を見ていると、店の裏手から人が現れた。店主だろうか。紺色の作務衣を着た愛想の良くなさそうな中年男性だ。
「悪いが今は休業中だよ」
素っ気なくそんなことを言ってきた。
「このところ活きの良い魚が品薄なんでね」
「漁港の町なのに、魚不足なのですか?」
一葉が疑問に思っていると、男性は溜め息を吐いて自身の頭を掻く。
「漁がやり難いんだ。海神様……いや、揉め事のお陰でな」
それだけ言うと、話は終わったと言わんばかりに口をつぐんだ。
ところが店に引っ込む直前、一葉たちの背負うチャームケースに一瞬視線を送ってきた。
町の状況や男性の態度に引っ掛かった瑤だが、この地に着いたばかりでは推測しようもない。取りあえず今はお昼のことを考える。
「仕方ありません。海鮮料理は別の機会にしましょうか」
「えぇ~? 気になる。食べてみたいよぅ」
一葉の言葉に、藍が不満げな声を上げる。
「今日はお弁当作ってきたから、原っぱにシートを敷いて食べましょう。ピクニックみたいでしょう?」
「う~っ……」
「藍ちゃんのために卵焼きも作ってきたのよ?」
「千香瑠の卵焼き! 食べるっ!」
一転して喜色満面となる藍。
幼い子供特有の変わり身の早さを見て、瑤が自然と口角を上げる。傍から見るとほとんど変化が無いように思われるが、瑤は確かに笑っていた。
◇
湾内とそこから広がる青い海原を見渡せる絶好の位置取り。
ヘルヴォルは海岸付近の丘にお誂え向きの開けたスペースを発見し、敷物の上に荷物を置いて少し早めのランチを取っていた。
五人が囲んでいるのは、重箱の如く幅も深さもある弁当箱の数々だ。箱に詰めやすい俵型のお結びが入ったもの、色取り取りのおかずが入ったもの、デザートのフルーツが入ったもの。全部合わせるとかなりのボリュームである。
もっとも、リリィ五人分の料理を詰めるのだから、これぐらいは必要になるだろう。
「相変わらず手を抜かなさ過ぎでしょ。千香瑠には頭が上がらないわ」
恋花が感心と畏敬の入り混じったような声を出した。
千香瑠に頭が上がらないのは他の三人も大なり小なり同じである。胃袋を握られるということは、そういうことなのだ。
「ねえねえ、卵焼きは?」
「藍ちゃん、その前にお手拭きで手を拭きましょうね」
「拭いたよ!」
「それじゃあ、はい、あーん……」
千香瑠の細い指に掴まれた箸が藍の口元へ伸びる。箸の先には山吹色が眩い卵焼き。弁当箱に入れて持ち歩いていたにもかかわらず、出来立てのようにも見えた。
藍は待ってましたとばかりにかぶり付く。箸ごと噛み砕いてしまいかねない勢いで。
「はぐっ……美味しい、甘くてふかふかで美味しい!」
「ふふふ、他のおかずもちゃんと食べるのよ」
藍は自らも箸を持ち、敷物の上に並ぶ弁当箱を見つめ始める。品揃え豊かなおかずに目移りしているに違いない。
料理の製作者である千香瑠はそんな藍の姿に柔らかな眼差しを注ぐ。
「…………」
一方、瑤は一連の光景を無言でジッと見つめていた。
その視線に気付いた千香瑠が不思議そうな様子で瑤と視線を合わせたところ――――
「羨ましい」
瑤の口から本音が零れた。
すると千香瑠は合点がいったかのように顔を綻ばせ、箸で卵焼きを摘まんで瑤の方に差し出した。
「はい、瑤さんも……」
美味しそうな山吹色を前にして、切れ長のツリ目がパチパチと瞬きする。思わぬ事態に面食らったのだ。
そんな瑤の態度を目の当たりした千香瑠は固まった。勘違いに気付いたのだろう。白い頬がだんだんと朱に色付いてくる。
「藍に『あーん』ってするのが羨ましかったんだけど」
「ううっ」
「何で自分でしておいて恥ずかしがってるの」
「言わないでぇ……」
「三人親子かよ!」
緑の丘に恋花の突っ込みが轟いた。
◇
腹ごしらえを済ませたヘルヴォルはいよいよ敵情偵察に入る。
今回、目標となる怪異は労せずして発見できた。何しろ逃げも隠れもしないのだ。今この時も、立っている丘の上から目視できる。
町の沖合、湾を出てからそう離れていない地点。青い海にポツリと何かが浮かんでいるのが肉眼でも確認できる。双眼鏡を通して見ると、それは半球状の白い物体であることが分かった。
「大きい。まるで島だね」
「変な島ー」
瑤と藍が見たままの感想を述べる。
ヒュージに例えると、サイズだけなら間違いなくギガント級以上に達するだろう。
「二週間前、突如としてあの海域に出現したそうです。取りあえず新種のヒュージと見做したのは良いのですが。攻撃意図は勿論あそこを動く気配すら見せないので、近隣のガーデンも防衛軍も遠距離からの偵察に止めて討伐は先送りしています」
「他に戦力を回すところもあるし、下手に手を出して藪蛇は嫌だし……ってところかねえ」
「一応、出現当初は威力偵察まで行なわれたのですが、目標からの反応は無いし大したデータも取れなかったようですね。その点も本格的な攻撃を躊躇する要因でしょう」
一葉と恋花が『島のような何か』改め『新種のヒュージ』改め『超大型怪異』を取り巻く状況について話し合う。
「一番ネックになるのは場所ね。怪異の方から陸地に近付いてくれない限り、私たちが空か海からアレに接近する必要があるわ」
千香瑠が指摘した通り、目標はチャームの有効射程距離よりもずっと遠い位置に浮かんでいる。
そうすると取れる手は限られてくるだろう。ガンシップかヘリ、あるいは船舶を手配しなければならない。
「まあ、小型で足の速い船が無難かな。今までが大人しくても、ずっとそうだって保証は無いし。的は小さい方がいい。それにもしかしたら
恋花の意見に異論のある者は居なかった。確かに
加えて言うなら、ヘルヴォルをこの地まで運んできたガンシップは今すぐには使えない。彼女らを下ろした後、京都の飛行場に戻ってメンテナンスを受けているからだ。
「幸いこの町には漁港がありますし、船には困らないでしょう。学園の許可を得た後、一隻貸してもらえないかお願いに行きましょう」
「
「私がやります」
「マジ?」
「言ってませんでしたっけ? 大型二輪に普通乗用車、レシプロ機にガンシップ、それから小型船舶については操縦できると」
「ああ、そう言えばそんなこと聞いてたような聞いてないような……」
「流石に本職の方には及びませんが、あの程度の近海を進むぐらいなら問題ありません」
自慢するでもなく、自然体で言い出す一葉。
それに対して恋花は深く追求せずに軽く流すのだった。
「ではまず、地元の漁協にアポを取って船舶をお借りしましょう。もう少し近くで調査してから討伐作戦を立てるということで」
一葉が当座の方針を打ち出した。少なくとも今の時点でそこまで緊急性は無さそうなので、まずは偵察優先にしたのだろう。
皆も一葉の方針に賛成だった。
賛成なのだが、瑤はふと思いついた疑問を口にする。
「ところであの怪異、何の怪異なのかな?」
「元ネタの話? う~ん、あれだけじゃ判断できないね。今までのパターンから言って、元ネタ通りじゃない可能性もあるわけだし」
「そうね。交戦までいかなくとも、もっと調べてみないと」
恋花も千香瑠も正体についての言及は避けた。確かに現状では情報が少な過ぎる。
ただ一つ、一葉が気を引き締めるべきことを言う。
「萃香さんは『強力な怪異だからと言って正攻法だけとは限らない』と仰ってました。あの巨体ばかりに目を奪われるべきではないのかもしれませんね」
◇
海岸近くの丘を下りて港町を訪れたヘルヴォル。近傍にガーデンや軍の基地が無いせいか、地元の漁協からは丁重な対応を受けた。
だがそれにもかかわらず、船を調達することができなかった。
一葉が無礼にならない程度に理由を問うと、目を泳がせたり俯いたり、皆一様に決まりが悪そうな様子を見せる。海の男たちの振る舞いとは思い難い煮え切らなさだった。
「連中を……『青い竹』を刺激しかねない」
やがて漁協の代表が言葉を濁しながらもそう言った。
瑤はその名を聞いてピンと来なかったが、一葉は違うらしい。
「地方紙の報道で見た覚えがあります。確か、海洋生物保護を訴える環境保護団体だったはずですが」
「元々はそうだ。だがアレが現れてから何もかも変わってしまった」
「アレとはやはり、沖に浮かんでいる新種のヒュージのことですね?」
一葉の確認に、漁協の代表は頷いた。しかしそれ以上のことはどうにも聞き出せそうにない。
ヘルヴォルはひとまず別の方策を探るべくその場をあとにする。
決して都会ではないが、寂れているわけでもない中規模の町。ざっと見る限り、目立った戦禍の形跡は無い。少なくともここ最近はヒュージの襲撃を受けていないようだ。
ヘルヴォルの五人は町のメイン通りに沿って港を目指す。町の様子と漁協からの話を実際に確かめるために。
瑤が異変に気付いたのは、港の入口部分に近付いてきた時だった。
「何だか騒がしいね」
異変の原因は程なくして判明する。
港の敷地のすぐ外側に張り付くように、20人ほどの人間が
ヘルヴォルの存在に気が付いたのか、集団の発するざわめきが一層強くなる。
「帰れ、帰れぇ!」
「神聖な海に近寄るな!」
お世辞にも歓迎されているとは言い難い。
それでも情報を得るために一葉は青装束の集団に声を掛ける。
「あなた方は青い竹ですね? 我々はこの町の沖に浮かぶヒュージを調査しに来たリリィです」
「何が調査だ、罰当たりめ! 海神様に対して無礼だろう!」
その台詞によって、瑤は大方の事情を察した。理由はともかく、彼ら青い竹はあの超大型怪異を神格化しているのだ。
事前に港に集まっているあたり、町にリリィがやって来たという情報を掴んでいたのだろう。
「ですが――――」
「海神様の御威光により、この町の海からヒュージは消えた。罪深き人間を救って下さったのだ! 青い海を生き物の血で汚す愚かな人間を! 何と慈悲深きことか!」
集団の代表と思しき男――目元以外は布で隠れているが声で男と分かる――は熱に浮かされたように信仰を語る。これでは環境保護団体ではなく宗教団体である。
確かにヒュージの襲撃は減ったのかもしれない。だが彼らの認識は危険過ぎる。相手は怪異なのだから。
「待ってください。一時的にヒュージの活動が低調になったとはいえ、アレのお陰とは言い切れません。場合によってはヒュージよりも――――」
「まだ言うか! 不信心者が!」
一向に話が通じない。
更に悪いことに、代表者以外の青装束たちも囃し立ててくる。
「そもそもお前らリリィがヒュージどもをさっさと駆除しないから、奴らを追い払ってくれた海神様が崇められているんだろう」
「そうだ! 反省しろ!」
あまりにも身勝手な物言い。
だが一葉はそれについては反論しない。リリィとしての使命感ゆえか。
「そんなチャラチャラした格好してるからヒュージに勝てないんじゃないのか? 胸を強調して、スカートひらひらさせて」
また別の青装束が言い掛かりをつける。その視線の先には千香瑠が居た。
五人とも同じヘルヴォル標準制服を纏っているが、中でも特に美しい容姿と目立つプロポーション、淑やかな雰囲気を持つ彼女が槍玉に上げられた。
「何? 誘ってんの? いいよなあ君ら女は。男に媚を売ってりゃやっていけるんだから。いや~女だなあ」
千香瑠は僅かに目を伏せ、口元をきつく結ぶ。本当なら耳を塞ぎ背を向けたいに違いない。
そんな彼女と青装束との間に割って入るように、一葉と瑤が動く。
「何てことを! 人の容貌をあげつらうような真似して、恥ずかしくないのですか!」
「この子は貴方たちのために綺麗になったわけじゃない。勘違いは止めて」
正義感の強い一葉が声を荒げた。
普段は冷静で寡黙な瑤までも、静かな怒りを湛えていた。
二人して千香瑠の前に立ち、青の集団に眼光を飛ばす。
藍は仲間たちのただならぬ様子に、おろおろと混乱しているようだった。
一触即発の状況下、場を取り成すことができるのは、恋花だけ――――
「まあまあ、ここは一つ穏便に……」
「胸が無い、男だな」
「ああン!?」
恋花は激怒した。
恋花は確かに胸は無い。
胸は無いが、ファッションや髪には気を遣っている。
容姿だって瑤や千香瑠には負けると思っているが、それなりに自信はある。
故に男呼ばわりは甚だ心外であった。
恋花は激怒した。
必ずこの邪知暴虐のカルトどもを誅せんと欲した。
「こんの、もういっぺん言ってみろぉ!」
「落ち着いて恋花さん! 落ち着いて!」
暴れ出す恋花を千香瑠が後ろから羽交い絞めにする。
その光景を目の当たりにした瑤と一葉は逆に冷静さを取り戻すことになった。
しかし結局、その場は話し合いなど到底叶わないまま物別れになってしまう。