環境保護団体『青い竹』との接触は物別れに終わった。町の港を離れたヘルヴォルは作戦会議を開くため、宿にしている郊外のホテルへと戻ってきた。
「町のこの状況、明らかに異常です」
自身と藍が泊まっている部屋の中で、一葉は集まったメンバーを前に話し出す。
「表向きあの怪異は新種のヒュージとされています。本来、ヒュージに対して利となる行為は厳しく処罰されるはず。組織的に行なっている場合は尚更でしょう。にもかかわらず、あの団体は大手を振って活動していました」
「それ以前に町の漁師さんたちへ脅迫や嫌がらせをやってるから、普通に捕まってないとおかしいのよねえ」
一葉に乗じて恋花も事の異常さを語る。
港での騒動時から頭を冷やしたようだ。少なくとも表面上は。
「町の人たちは彼らを恐れているのでしょうけど、警察が動いてないのはおかしいわね。ここにも駐在所はあるし、少し距離があるけど
「ええ。私も千香瑠様と同じ疑問を持ったので署に問い合わせてみたのですが、『現状問題は無い』とか『適切に対処する』とか、はぐらかされてしまいました。これは県警本部の方も同様です」
「直談判は……多分無意味ね。それより今、町から離れるのは良くないでしょう」
怪異それ自体よりも、人間の方に頭を悩まされることになるとは。
「もしや、萃香さんが『正攻法だけとは限らない』と言っていたのは、このことなのでは? 町の人たちや警察の不自然な態度にはあの怪異が関与しているのかも……」
「ちょいちょい。一葉、あんた怪異が人間を操ってるって言いたいの?」
「そこまでは言いませんが……。人の精神に何らかの影響を及ぼしている可能性は無いのかと思いまして」
一葉とて恋花に突っ込まれるまでもなく、些か突飛な発想だという自覚はある。
だがしかし、そう考えると状況的に辻褄が合ってくるのだ。
「洗脳まではいかなくても、人の思考を誘導したり、認識を改変させたりしているのかも。あり得ない話ではないわ」
「千香瑠まで……。でも、だったら、凄い広範囲に能力が届くってわけじゃん。それってヤバくない?」
「正直言ってヤバいわね。人間同士の争いが酷くなる前に、あの怪異を討つべきよ」
目元口元を引き締めた千香瑠が断固とした口調で訴える。
その点、ヘルヴォルに異論は無い。問題は方法論だ。
「ヘルヴォルのガンシップは私たちをここに下ろした後、京都の飛行場で整備を受けています。すぐには飛んで来れないでしょう。他のガーデンから借りるにしても、どう説得すべきか……」
あの怪異は今現在、直接的な脅威にならないためガーデンからも防衛軍からも半ば放置の方針が取られている。その方針を覆して「ガンシップを貸そう」とは中々ならないだろう。
「どうにかして陸地の方に誘き出せないかな」
瑤が提案する。こっちから出向けないなら相手に来て貰おうというわけか。
「難しいでしょうね……。ですが、検討する意義はあると思います」
「そうね。それに町や海を観察し続けたら、何か思い付くかもしれないわね」
一葉と千香瑠が相次いで賛成し、取りあえずの目標は決定した。
「ねえ、まーだー? まだあの大きいのやっつけに行かないの?」
「そのために準備が必要なのよ。ま、楽しみは後に取っておきなさいってこと」
逸る藍を恋花が宥めるのはいつも通り。
◇
翌朝、一葉は皆でお弁当を囲んだあの丘を再び訪れた。ここからなら町に面する海を、そして悠然と沖合に浮かぶ怪異の姿を臨めるからだ。
丘の頂上付近から双眼鏡を覗き込む。二つのレンズに映るのは、青い海原の只中に白い半球が生えた不可思議な光景。怪異は相変わらずその場から全く動こうとしない。
(本当に白いな。水飛沫や雲の白とは違う、生白い白)
一葉は島のような巨体を眺めながら、少しでもその特徴を探ろうとした。
しかし微動だにしない以上、得られる情報は限られる。
どこか神秘的で、同時に言い知れぬ不安が込み上げてくる感覚。そんな極めて情緒的な感想ばかりが浮かんでくる。
(これではいけない)
一葉は一度双眼鏡を下ろし、目頭を揉み解す。
その後も首を回したり伸びをしたりと気分転換を図る。
すると後ろの方から近付いてくる気配に気が付いた。別の場所へ調査に赴いているヘルヴォルの仲間たちではない。
「精が出るな」
先日出会った、この丘に店を構える海鮮丼屋の店主であった。
「お邪魔しています」
「別に丘を登るのも海を眺めるのも自由だが……。しかし、あんたたちはまだアレを倒そうとしているのか?」
「勿論です。私たちはリリィですから、ヒュージを討つのは当然です」
本当はヒュージではなく怪異なのだが、ややこしくなるので
「町の人間と話をしたんだろう? あのイカれた連中のことも見てきたはずだ」
「はい」
「町は厄介事を恐れてあの連中に抵抗しようとしない。漁を邪魔されてるっていうのに。本当に海神様とやらを刺激するんじゃないかって心配する奴も出てきてる。ヒュージにとっては、そんなの関係無いだろうに」
「……」
「当事者がそんな調子なのに、それでも戦うのか」
「そのつもりです」
一葉が迷いなく言い切ると、彼女の三倍近く年を食っているであろう店主は目を細めた。
「結果的に、人間同士の争いに巻き込まれることになるぞ」
「人間社会に生きる以上、そういうこともありますよ」
「リリィがそこまで負う必要がどこにある?」
「ヒュージを倒し町を守るためなら、必要あります」
危うい程に真っ直ぐな固い意志。かつての体験・記憶から培われたそれは、一葉というリリィを形作る土台でもある。
自分よりもずっと若い娘の意志を目の当たりにして、店主は白髪の交じり始めた短髪を困ったような仕草で掻く。
「ガーデンってのは浮世離れ常識離れした所だと、口先だけの詰まらん奴らはよく言うが……。全くの嘘ってわけでもないみたいだな」
「はい……?」
戸惑う一葉に、店主は一呼吸置いてから改めて口を開く。
「町の南に灯台があるのは知ってるよな」
「はい。我々の止まっているホテルのすぐ傍です」
「以前、設備点検に来た海保が灯台の投光器を付けた際、あのデカブツが反応したことがある」
「それはっ、本当ですか!?」
「少しだけだが、光に釣られて灯台の方に移動してた。ここから双眼鏡で見ていたから確かだ」
非常に大きな意味を持つ情報だった。事実なら、怪異の動きを誘導し得ることになる。
無論、裏付けや子細を詰める作業は必須だが、手探り状態の中で光明が見えてきた。
「ありがとうございます。仲間と共に作戦を練ってみます」
一礼してから背を向けると、一葉は丘を下りようと歩き出した。別行動中の仲間たちと連絡を取るためスマホを取り出しながら。
その去り際に――――
「リリィを送り出すってのは、こういう心境なのか……」
風に乗ってそんな言葉が聞こえてきた。
◇
ヘルヴォルが集結したのは夕刻になってのことだった。場所はホテルの外、灯台に程近い海を臨む岸壁の傍である。
「海上保安庁からも裏付けが取れたよ。灯台の点検時、海上のヒュージが動いたかもしれないって。職員の勘違いかもしれないから軍やガーデンには通報していなかったみたい」
一葉からの連絡を受けた瑤が問い合わせた結果を説明する。
それにしても危機感が足りない。あるいは、これも怪異の精神干渉の影響だろうか。
「町の灯りには反応無いんでしょ? 当然太陽の光にも。ってことはつまり、一定以上強力な人工の光に釣られるってわけだ」
「恐らくは。だけどそんな怪異、ちょっと心当たりが浮かばないわね。恋花さんは?」
「あたしも聞いたことないかも。ま、怪談や都市伝説なんて一から十まで解説するようなものでもないし。後から尾ひれの付いたパターンもあり得るでしょ」
恋花と千香瑠が正体についての考察を脇に置く。実際、これまでにも事前情報が当てにならない事態は起きていた。
「必要な機材と場所に関しては学園に連絡して都合をつけて貰いましょう。灯台と投光器をそのまま借りれるのが理想なのですが」
怪異であり表向きは新種のヒュージであるアレの撃破なら、エレンスゲ上層部も賛成するはずである。一葉もそこは心配していない。
問題は、灯台を管理する海保がすぐに許可を出すかどうかという点だ。場合によっては強力な照明とそれを設置する高所を別に見つけ出す必要が生じてしまう。
「アレを誘き寄せるにしても、場所に気を付けなきゃ町に被害が出るんじゃない?」
「恋花様の言う通りです。仮に灯台を使えたとしても、灯台の上で照明を操作するだけでなく、離れたポイントから怪異の速度や挙動を監視する役が要りますね」
「すぐに照明を切るよう指示を出す役か。これは責任重大だ」
「私がやりましょう」
一葉はすぐさま宣言する。元より指示出しは自分が適任なのだから。
「らんは? らんは何をやるの?」
「陸地に誘い出せたら、可能な限り町に近付けさせないよう迅速に仕留めないといけないから。藍の火力とパワーが頼りになるよ」
「分かった。それまで力を温存するんだね」
一葉が藍に教え諭すように言う。
事実、あの奥の手を使用する前や使用中に、ある程度敵の動きを牽制すべきである。そのためには大型ヒュージとも真っ向から打ち合える藍の力が重要になるだろう。
藍も自分の強みや役割は自分で理解できているようだ。
「あとは学園からの返答待ちかー。期待しないで待ってようか」
「色よい返事が得られなかった時のために、次善の策も練っておきましょう」
「と言ってもねえ……。灯台が無理なら、やっぱりヘリかガンシップでも用意してくれなきゃ」
「それはすぐには難しいので」
一葉と恋花が頭を悩ませる。ヘルヴォルの作戦計画は大抵の場合この二人が中心となって立てられていた。
ヘリでは能力的に心もとないし、ヘルヴォルのガンシップは未だ京都でメンテ中。他ガーデンに借りるにしても、やっぱり今すぐとはいかないだろう。
いつ何時に何を仕出かすか分からない不気味な怪異を討たねば、という焦れる思い。必要な条件が出揃うまで耐え忍ばなければならない現実。それら二つの感情に揺さぶられているのは一葉だけではないはずだ。
◇
結論から言って、一葉たちヘルヴォルが要請した灯台への立ち入りと投光器の使用は認められた。
エレンスゲからその知らせが届いたのは、要請した次の日の正午。予想外の早さであった。
ホテルでの昼食を急ぎ終わらせ、五人は一葉の部屋に集う。
「もっと時間が掛かると思ってた」
「いや、普通は掛かるよ!」
瑤の言葉に対し、恋花が食い気味に突っ込んだ。
「和歌山を管轄する海上保安庁第五管区が許可を出したのは確かです」
「やっぱエレンスゲが強引な交渉をしたんだろうねえ。あ~また評判が落ちるわー」
一葉はわざとらしく呆れる仕草の恋花に苦笑する。
実際問題、国の機関ではない私立のガーデンが幅を利かせている現状を快く思わない人間は決して少なくはない。
とは言え恋花の懸念は事実だが、エレンスゲの強引さが今回ばかりは怪異討伐に役立ったのもまた事実であった。
「一葉ちゃん、どうするの?」
「無論、すぐに作戦の準備に入ります。灯台での投光器の動作確認に、監視ポイントの確認。チャームのチェック。作戦開始は翌朝6:30とします」
ひとたび条件が整ったなら、すぐさま実行に移す。ヒュージとの死闘を経て生まれた迅速果断な行動力はガーデンやリリィの強みの一つである。
「あっ、ちょっと待って。一つ提案があるんだけど」
皆の前で唐突に待ったをかける恋花。
四人の視線が集まるや否や、当の恋花は足早に一葉の部屋から出ていってしまう。
残されたメンバーは首を傾げざるを得ない。
「これは何か企んでるね」
瑤が確信めいた口調でそう言った。
それから少しして、部屋の外の廊下からドタバタと足音が響いたと思ったら、出入り口の扉が勢いよく開かれた。
「恋花様、廊下はお静かに」
「ごめんごめん。それよりさ、これ!」
一葉から注意を受けながらも、恋花は上機嫌な笑みを浮かべつつ持ってきた物を前に掲げる。
「それは、レギオン制服。それを着て作戦に臨もうってことね?」
「千香瑠ご名答~。ほら、大江町の時は着替える暇が無かったでしょ? だから今回は絶対に着ていきたいと思ってたのよねえ」
標準制服と同じ大きな赤いリボン。シックな濃紫のジャケットに、左肩に煌めく黄金の肩章。
大規模任務や重要な外征時に纏うヘルヴォル専用の隊服――――エレンスゲオーダーだ。
トップレギオン『ヘルヴォル』を表すこの衣装は象徴としての意義も強い。故にガーデンからの指示があれば着用は義務となる。
しかし自分たちの判断で装備することもできた。
「成る程、気を引き締めるのに打って付けですね。それに今回の相手、これを纏うだけの価値が十分あるでしょう」
「それもそうなんだけどさ。一葉は少し硬過ぎ。せっかく関西外征に持ってきたんだから、これ着て華麗に活躍したいじゃん。藍もそう思うでしょ?」
「えー? らんは別にどっちでもいい」
「何だよー、ノリ悪いなぁ」
「ご飯が美味しくなる服なら着たい」
「美味しくなる美味しくなる。美味しく感じるようになる、はず」
多少の脱線はご愛嬌。
怪異討伐に向けてヘルヴォルは動き出す。