「北関東に大規模な濃霧と通信障害。気になりますね」
和歌山から京都の飛行場に戻ってきたヘルヴォルはガーデンから急な指令を受け取った。
一葉の見つめるスマホの画面には、霧の異常発生と霧に包まれた地域との通信途絶、事態把握と近隣のヒュージに対応するため防衛軍部隊が出動したこと、そしてヘルヴォルへの調査命令が記されていた。
「何か大事になってるけどさ、普通わざわざあたしたちを関西から呼び戻す?」
「付近のヒュージはスモール級とミドル級ばかりなので、今のところ本件にリリィは出撃していません。防衛軍とのそういう協定もありますし」
「それでヘルヴォルにお鉢が回ってきたってわけ? ヒュージじゃなくて怪異の調査なら、協定の例外って言い張る気だ」
「まあこの協定自体、ヒュージが再び活発化したら終了するという取り決めですけど。それよりどのガーデンも、沿岸部やネスト周辺の警戒を優先しているのが大きいでしょうね」
飛行場内、ガンシップ発着場の機体の前で、恋花と一葉が指令の背景について推測し合う。
現状ではヒュージが元凶か怪異が元凶か判断できない。しかしどちらにしても、ヘルヴォルが介入するに越したことはないだろう。少なくとも現時点で、他のガーデンが事態を重く見ている様子が無さそうだから。
「ところで萃香さんは、霧の怪異についてご存知ですか?」
「霧ったって、私じゃないぞ」
「いえ、それは分かってますが……」
一葉の質問に鬼の少女はおどけて答えた。
当たり前だが、今の萃香は人間の子供のサイズだし、頭の角も消えている。
「ま、行ってみれば分かるさ。百聞は一見に如かず」
「そうだけどさあ。心づもりってもんがさあ」
「ほら、早いとこ行った行った。必要になれば、またちょっとは助けてやるよ」
ゴネる恋花のお尻を叩くように、萃香はヘルヴォルにガンシップ搭乗を促した。
実際、緊急の指令だけあってあまり悠長にはしていられない。機体下部に吊り下げられた兵員ポッドのハッチから、五人のリリィは順番に乗り込んでいく。
「バイバイ、スイカ。また特訓しようね」
「またな。特訓は気が向いたらな」
ごうごうとエンジン音が響く中、最後に乗り込んだ藍がハッチを閉めて、離陸準備が完了するのだった。
◇
陸上防衛軍東部方面軍隷下、首都防衛隊。
名称こそ「隊」ではあるが、その戦力は大きい。二個歩兵連隊を基幹に、砲兵大隊・偵察戦闘大隊・高射中隊・工兵中隊・通信中隊・その他支援部隊で編成される。さながらミニ師団と呼ぶべき混成部隊だ。
現在の防衛軍では、広大な平野を守る北部方面軍と中国地方奪還を図る中部方面軍を除き、師団を編成していない。代わりに首都防衛隊のような旅団規模から大隊規模の混成部隊を多数作って分散配置している。そうでもしなければ、虫食いのように国土を侵食し、ケイブにより神出鬼没に出現するヒュージに対応できなかった。
また、首都防衛と称している割に、彼らが東京都内で戦闘任務に就く機会は少ない。沿岸部から襲来する大型ヒュージは九人制レギオンを擁する東京御三家が担当するし、市街地に侵入してきた中・小型ヒュージは五人制レギオンのガーデンが対応することになっていた。
マギを通さない防衛軍の通常兵器でヒュージを撃破しようと思ったら、火力の投射が重要なのだが、当然都市圏では運用し辛い。リリィの場合はいざとなったらチャームのブレイドモードがあるが、まさか兵士に「銃剣や
では首都防衛隊の主たる任務は何かと言うと、内陸部、取り分け北関東から東京方面に向かって来るヒュージの迎撃である。重要だが普段スポットライトに当たらない地味な任務だった。
埼玉との県境に程近い群馬の南端。鬱蒼と茂る山林はすぐ傍の大都市圏とは対照的な光景だ。
そんな中、東西に走る河川と国道を臨む平地に濃緑の天幕が幾つも立っていた。
天幕群の外周には鉄条網や土嚢が設置され、各所に遠隔操作式の無人銃座が銃口を光らせる。更に外周の木々の上には、巧妙に偽装されているが、各種センサーが鳴子の役目を担っていた。
県境を越えた首都防衛隊の野戦陣地、その一角である。
天幕の中に一際大きく天井の高いものが見える。内部では金属のケースや木箱が積み重ねられ、その前でタブレット端末を手にした二人の士官が話し込んでいた。
「軽MATが四基に擲弾発射機が二基、重機関銃が四挺。たったこれだけ……」
「市ヶ谷は『これ以上は出せぬ』と」
「重砲は品切れか? ヒュージ相手に、火力優勢は必須だってのに」
需品科の士官である彼らが愚痴を零しているのは、装備品の増強要請に対する
数の上でヒュージの主力を務める一般的なスモール級は歩兵の小銃でも撃破可能とされている。例えば防衛軍の主力小銃――――20式小銃の5.56mm弾の場合、装弾数の30発を全て当てれば倒すことができた。
それは確かに事実なのだが、あくまで理論上の話。スモール級は小型ゆえに機動力が高い上に、数も多い。加えてミドル級が交ざれば小火器だけでは撃破困難となるので、機甲戦力か航空支援、あるいは砲兵戦力が必要となってくる。その中で一番現実的なのは、やはり砲兵戦力だろう。
今も昔も、砲は歩兵にとって心強い友なのだ。
野戦陣地内、また別の天幕にて。こちらは兵たちの宿営用天幕である。
濃緑の帆布の下、二人の兵士が各々の折り畳み簡易ベッドの上に寝っ転がっていた。彼らはランタンの灯りを頼りに週刊誌や日付の三日遅れた新聞を眺めている様子。
「なになに、『国立ガーデン新設に係る調査・研究指示。教職員は軍から派遣か?』だとさ」
「えぇ……。霞が関には、まーだそんなこと考えてる連中が居るんですか」
「私立のガーデンは外国メイカーとなれ合ってるから信用できんってわけだろう。あほくさ。大口叩くなら、横須賀ぐらい日本だけで守ってからにしろよな」
「ガーデン作ってる余裕があるなら、こっちに15榴でも送ってくれませんかね?」
首都圏配置の部隊だけあって練度こそ高いものの、士気はお世辞にも旺盛とは言い難い。過酷な割に誉の乏しい彼らの環境ゆえのこと。
なお、彼らが話題に挙げた横須賀を守備しているのは聖メルクリウスインターナショナルスクール。校名が示す通り、主に欧州出身のリリィで構成される。百合ヶ丘とはまた違った華やかさを持つガーデンだ。
メルクリウスは地元の安全を確保した後、大型ガンシップを用いた遠距離外征を積極的に展開していた。必然的に危険度の高い空挺作戦の機会が多くなる。
だがそう言った過酷な任務の日々は、彼女らの絆をより固いものにした。
メルクリウスには二人のリリィがペアになる『ミンネの誓い制度』なるものが存在する。これは他のガーデンが姉妹制度という名称で含みを持たせる中、直球で
彼女らの直球さに憧憬する者も居れば、目を顰める者も居る。ただこの地で戦う兵士たちにとっては、どちらでもいい話だった。彼らの多くは何か崇高な理念のために銃を取っているわけではないからだ。
◇
首都防衛隊、隊本部が置かれた大型天幕の内部は困惑と焦燥の空気が漂っていた。
「全くもって、奇怪だな……」
副隊長を務める中佐の、途方に暮れたかのような呟き。本部に詰めている者たちは大なり小なり彼と同じ心境だろう。
「濃霧の中を徘徊するゾンビと怪物。まるでパニック映画じゃないか」
偵察部隊の持ち帰った報告は恐るべきものだった。
茫然とした面持ちで彷徨う人間たち。呼び掛けられると、唸り声を上げながら追い掛けてくる。空想上のゾンビのような話だが、実状が分からないので偵察部隊は発砲を控えて退却していた。無論、その正体について最悪のケースを想定してのことである。
そしてゾンビの他にもう一つ、四つ足で這い回る恐竜みたいな化け物が確認された。こちらには小銃射撃を加えたのだが、手応えは見られなかったらしい。接触した部隊はやはり退却を選んだ。
「化学防護班は本当に
「はい。BC兵器が使用された痕跡は見つかっていません」
副隊長が確認の意を込めて問うと、幕僚の士官がすぐに答える。
「毒ガスでもウイルスでもない。ならば一体、霧の中で何が……」
呪い――――――
そんな言葉を、恐らくは多くの人間が思い浮かべたであろう。
だが実際に口にする者は居ない。あまりに不確定過ぎるからだ。
「方面軍司令部からは、変わらず『情報収集と住民の避難確認に当たりつつ臨機応変に周辺のヒュージを排除しろ』とのことだ。あのゾンビに関しては『情報収集して適切に対処しろ』とだけ」
禿げ頭に丸眼鏡の将校、首都防衛隊隊長の辻大佐が言う。天幕の中心、作戦地図の広げられた机の前に立ち、地図上に散らばる駒を見つめながら。
「しかし隊長、確認されているヒュージ反応は全て霧の奥。その霧の中では通信が繋がらないため、住民がシェルターに避難しているかどうか、ここからでは確認できません。いずれにしても、あの徘徊する者たちをどうにかしなければ」
「副隊長の言う通りだ。が、現状では上から攻撃許可が下りん。上もアレらの扱いを決めかねている」
「……であるならば、仕方ありません。偵察部隊にどうにかして安全なルートを見つけ出して貰わねば」
上が躊躇している理由は明白だ。もしもあのゾンビの正体が、住民の変わり果てた姿だとしたら? 既に死亡していると確認できるのならともかく、治癒の可能性があるとしたら? おいそれと攻撃許可が出せないのだ。
もしも相手がヒュージだけなら話は早い。奴らとの長きに渡る戦いの中で、そのための法整備を進めてきたからだ。
隊本部に重たい空気が流れる中、唐突に新たな通信が入ってくる。
「失礼します。隊長、リリィが五名、隊の指揮官に面会したいと」
「レギオンが出動したという話は聞いてないが。どこのガーデンだ?」
「エレンスゲ女学園。東京六本木のガーデンです。つい先程、外征宣言も確認しました」
「色々と悪評も流れているガーデンか……。分かった、会おう」
◇
首都防衛隊隊本部の隣の天幕に通されたヘルヴォルの五人。
最低限の礼を失しない挨拶を述べた後、一葉は早速ここを訪ねた本題を口にする。
「結論から申し上げて、この霧の中を徘徊している者たちは地元住民の方々ではありません」
その言葉に、簡素な長テーブルの向かい側に座る禿げ頭の大佐が無言で続きを促す。
「ウイルスや化学兵器等の散布が認められないことは事前に調査していたので、私たちは霧の内部に立ち入ってあのゾンビのような者たちの拘束を試みました。その結果、物理的に触れることはできたのですが、拘束後暫くして消失してしまったのです。それこそ霧のように」
大佐の隣に立つ副隊長が低く唸る。
「リリィとはいえ無茶をする。しかしその話が事実なら、我々は幻影に振り回されていたことになるな……」
「念のため30人ばかりで確認しましたが、全て同様の結果に終わりました。また四つ足の未知の生物については、チャームによる攻撃後にやはり霧の如く消失しています。何らかの方法で生み出された幻と見て間違いないかと」
突拍子もない話だが、頭ごなしに否定するような人間はこの場に居なかった。現にヒュージや怪現象が存在しているのだから、突拍子もないのは今更だろう。
「こちらの部隊にも確認させる。……損耗を恐れるあまり、積極的な接触を避けたのは失敗だった」
大佐が表情を全く変えずにそう言った。
彼に対して、一葉は改まった様子で意見をする。
「我々ヘルヴォルはヒュージ討伐に先立ち、当該地域における避難状況を確認しに行くつもりです。差し出がましいことを申し上げますが、あなた方もすぐに住民の保護に動くべきなのでは?」
大佐はやはり表情を変えず、真顔のまま一葉の問い掛けに答える。
「君たちの情報の真偽とは別にして、直ちに動くことはできない。霧の中は依然として通信が不調の上、付近に展開するヒュージの総数や配置も不明。そのような状況下で不用意に隊を前進させられないからだ」
「仰ることはごもっともです。ですが事は一刻を争います。仮に住民が全て避難済みだとしても、いつまでもシェルターに籠っているわけにはいかないでしょう。霧の発生から既に少なくない時間が経っている以上、迅速な救援が必要です」
間が悪いことに、霧の発生と前後してそれまで大人しかった沿岸部のヒュージたちが活発化し始めていた。当然近隣のガーデンがそれらの対処に追われている。
故にこの場ですぐに動ける戦力はヘルヴォルの五人を除くと、彼ら首都防衛隊しか存在しなかった。
一葉とて、防衛軍部隊に対するこの提案が出過ぎたものだという自覚は当然ある。それでも彼の地の人々を守るには、そうするより他に手が無かった。
出しゃばりついでに、一葉は更に踏み込んでいく。
「辻大佐。貴方はかつて房総半島撤退戦において、ガーデンの支援を受けられない中、防衛軍の戦力のみで避難民を守り切っている。その際についた『防御戦闘の神様』という異名と栄誉は、敵に勝利したから手に入ったものではなく、市民の生命を救ったからではないのですか?」
「……よく覚えているな。そんな戦い」
これまで怜悧な鉄面皮を維持していた辻大佐に、自嘲めいた色が滲み出した。
「ここ四半世紀以内の国内での戦闘は全て把握しているつもりです。あの時の貴方の勝利は奇跡でも神風などでもなく、迅速な火力の集中と防御陣地の巧みさにあると愚考いたしますが」
そこまで言うと、辻大佐の代わりに隣の副隊長が口を開く。
「それだけ勉強熱心ならば、勿論分かっているだろう。君たちが物心つく前から軍はヒュージと戦ってきた。我々にとって奴らと相対するということは、万全を期してなお死線と隣り合わせにならざるを得ないのだと」
結局、ヘルヴォルは単独で霧中への再突入を決行することとなる。
ガーデンと防衛軍。指揮系統が異なる以上、こうなるのは承知の上だった。