神社生まれの千香瑠様   作:坂ノ下

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第24話 霧 二.

「嫌なことを思い出させてくれる……」

 

 首都防衛隊隊本部に隣り合う天幕の中。

 ヘルヴォルが退出し、副隊長以外の兵たちも遠ざけた後、辻大佐は口の端を歪めて独り言ちた。

 

「しかし隊長、先程はああ言いましたが。本当に彼女たちを支援しなくて良いのでしょうか? レギオン単独であの霧に侵入するなど、危険極まりない」

「不要だ」

「ですが……」

「我々の火力は無限ではない。マギなどという精神力と違ってな」

 

 副隊長の懸念にもかかわらず、にべも無かった。

 これは何も、ガーデンやリリィに対する当て擦りなどではない。本当に戦力や弾薬を温存する必要があるのだ。首都圏を守る精鋭部隊ですら、それだけ慎重でないと壊滅の憂き目に遭いかねない。

 情けない話だが確かに防衛軍の中には「ガーデンは戦略・戦術の素人で自分たち軍こそ戦いのプロだ」と自負する者も居る。実際に国防を担っているのは誰か、という現実から半ば目を逸らしながら。

 そんな恥知らずな主張もある面では間違っていないと言える。これまでの戦いで防衛軍の対ヒュージ戦術自体は確実に洗練されてきた。

 そう、()()は。

 だが計量的な戦力の差を戦術で埋めるのは苦肉の策、奇策の類である。足りないものを工夫で補うのには限度がある。戦争の常道としては、あくまでも保有戦力の時点で敵を優越するべきだ。

 奇策が作戦の前提となるのは危うい。ましてや、それを自分で誇るようなことは戒めなければならない。

 

「せめて通信状況が改善すれば、我々でも戦いようがあるのですが」

「偵察は続けさせる。だが本隊は現状維持だ。少なくとも状況が変わるまでは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルは住民の避難確認のため霧の中に進軍した。

 幸いなことに、ゾンビや怪物の幻影ともヒュージとも今のところ遭遇していない。

 心なしか、霧の白さも当初より薄れているようだった。周りを見渡せば、山間に広がる長閑な田園風景が薄っすらと映り込む。

 この非常時でなければ落ち着ける光景なのに、と残念に思う瑤だった。

 

「さっきの、テントの中での話なんだけどさ――――」

 

 不意に恋花が前を向いたままそう言った。相手は恐らく、彼女の後方を歩く一葉だろう。

 

「まあ確かに防衛軍にあんなこと言うのは、ちょっとマズかったかもしれないよ。でも言ってること自体は間違ってないと思う」

「上からの命令も勿論あるのでしょう。ですが、私たちリリィほどではないにせよ、部隊を指揮する将校には部隊規模に応じた裁量が認められているはず。そうでなければ神出鬼没のヒュージにはとても対応できませんから」

「そりゃまあ、そうだよねえ」

「だからあんな言い方をしてしまったのです。結局のところ、攻勢に出るタイミングは隊長判断になるでしょうから」

 

 あの大佐の実績もそうだが、防衛軍の真価は守勢にこそ発揮される。ゆえに攻勢に出る判断はどうしても慎重にならざるを得ない。

 一葉が後ろめたさを感じているのはそのためだ。彼女が提案した住民の保護には、当然ながら陣地の移動を伴うのだから。

 

「どちらにせよ、ヘルヴォルだけで住民の保護とヒュージの殲滅を両立するのは不可能かと。小型種ばかりとはいえ、数が多過ぎるし広範囲に分散しています。それに何より、この霧を生み出したであろう怪異の討伐も忘れてはなりません」

 

 一葉がこの地にやって来た本来の目的を改めて確認する。萃香の言う五大怪異の一角を探し出して討たねばならない。

 無論、今は住民の避難が優先事項だが。

 

「怪異の正体、まだ分からないんでしょ?」

 

 瑤が口を挟んだ。

 住民を守るにしても戦うにしても、敵の情報が無いのは厳しい。

 

「あっ、それそれ! 実は今回のこれと似たような話を見つけたんだよ」

「恋花さん、本当なの?」

 

 千香瑠が目を丸くした。彼女の方は未だ心当たりが無いらしい。

 

「うん。アメリカのとある田舎町が舞台で。あ、田舎って言っても、アメリカだから結構な広さの町なんだけど――――」

 

 ある日ある時、町全体を覆うように濃霧が発生した。そしてその霧の中から得体の知れない怪物たちが大量に現れた。怪物に襲われて次々に命を落とす人々。徐々に尽きていく物資。町の住民たちは生き残りをかけて結束するのだが……。

 

「それで? どうなったの?」

 

 話に引き込まれたのか、興味津々に問う藍。

 恋花は勿体ぶるかのようにゆっくりと続きを語る。

 

「結局、主人公が出会った人たちの殆どが死んじゃったのよ」

「やはり、怪物に襲われたせいですか?」

「それもあるんだけど……一番は疑心暗鬼になって人間同士で殺し合ったせい」

 

 一瞬、その場に沈黙が流れた。

 それから最初に口を開いたのは一葉だ。

 

「では今回ばかりは怪異の目論見も当てが外れましたね。怪物の幻影も見破ったことですし。シェルターの方も、きっとそんな事態には陥っていないはず」

 

 その言葉に場の緊張が緩んだ気がした。

 

「だけど恋花さんのお話、都市伝説や怪談というよりパニック映画みたいね」

「うん。て言うかそのものズバリ、大昔のパニックホラー映画」

「えっ?」

 

 千香瑠は瞬きして驚いた。一葉も似たような反応だ。

 ただし瑤だけは何となく予想が付いていた。

 

「そんなことだろうと思った」

「でもさ、実際今の状況ってパニック映画みたいじゃない? 大江町の時も似てるけど」

「まあ、映画が多くの人の目に留まって年月を経れば、怪異化する可能性もあるかもしれないわね」

 

 思い直してみたのか、千香瑠が恋花の言に肯定的になった。

 怪異の元ネタらしき物語に見当は付けたが、しかし一つだけ肝心な点が抜けている。

 

「でも怪物は幻だったんでしょ? らんたちは何をやっつければいいの?」

 

 霧を徘徊する者たちが幻ならば、怪異の本体は一体何なのか? どこにあるのか?

 誰も藍の問いに答えることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が真っ赤に染まり出した。

 相変わらずヘルヴォルは怪物の幻影にもヒュージにも遭遇していなかった。

 当然、怪異の本体らしきものにも出会っていない。運が良いと言うべきか、早期にケリを付けられず運が悪いと言うべきか。

 一方で確実に朗報と呼べることもある。これまでの道中、田園風景の中まばらに建っている民家に人の姿は無かった。同時に戦闘の形跡も無い。既に避難済みというわけだ。

 ただし一軒だけ例外があった。

 

「……あの家、まだ人が残ってるかも」

 

 最初に気付いた瑤が声を上げる。隣家から遠く離れた一軒家に灯りが灯っていたのだ。

 避難を促すべく、ヘルヴォルは家の門戸を叩く。

 若干の間を置いて中から住人が現れた。一葉たちが孫にも見える高齢の女性。一人暮らしのようである。

 

「突然お邪魔して申し訳ありません。我々は東京のガーデン、エレンスゲ女学園に所属するリリィです。現在、この辺りに避難命令が出ているはずなのですが……」

「どこにも行かないよ」

「えっ?」

 

 女性は背中こそ若干曲がり気味だが、足腰も口調もしっかりとしている。

 そんな彼女から返ってきた言葉に、一葉は最初戸惑った。

 

「この年になって、どうしてわざわざ逃げるんだい。どうせ死ぬなら自分の家の中で死ぬよ」

「お言葉ですが、年齢にかかわらず命を粗末にすべきではありません。幾ら思い入れのある場所だとしても」

 

 一葉は説得を続けるものの、上手くいかない。

 相手は自暴自棄になっている風には見えず、どちらかと言えば落ち着いている雰囲気だった。これは時間が掛かりそうだと瑤は思った。

 

「私のことは構わないから、あんた達だけで逃げなさい」

 

 そう言われて大人しく引き下がるほど一葉は素直ではない。ヘルヴォルの皆が知っていることだ。

 少し考え込んでから、一葉は女性に別のお願いをする。

 

「もしご迷惑でなければ、ここから去る前にお宅に上がらせてもらえないでしょうか?」

「はあ? 今から?」

「はい。もう少しだけお話をしたいと思います」

「あんたも大概、変わり者だねえ……。こっちは構わないけど」

「ありがとうございます! では失礼しますね」

 

 突然の行動。

 一葉にはいつも驚かされる。が、不快ではない。

 初めこそ呆気に取られながらも、瑤たちは一葉のあとに続く。

 

 内装もまた一般的な和風建築のお宅であった。一人暮らしのためか、物は少なめといったところ。

 上がらせてもらったのは良いが、これからどうするつもりなのだろうか? 瑤が疑問に思っている内に、五人は通された和室に腰を下ろした。

 家の事をすると言って奥の部屋に引っ込む家主を見送った後、まず最初に恋花が口を開く。

 

「皆気付いてる? 通信が、短距離なら繋がり始めてる」

「ええ。それから、霧も少しだけど薄くなってるわ。気のせいじゃない」

 

 恋花のあとに千香瑠が付け加えた。

 まだ特別何かしたわけでもないのに、状況が変わりつつあった。

 

「これなら防衛軍も動いてくれるかも」

「そうですね。ただヒュージと戦端を開くにしても、ここのご夫人には避難して頂かなくては」

「何か考えがあるんでしょ?」

「いえ、特には」

「行き当たりばったりかい!」

 

 思惑は無いという一葉の思惑に、恋花が切れの良い突っ込みを入れた。

 これは瑤も予想外。だが悲観はしていない。一葉のことだから。

 口ではともかく、内心では恋花も瑤と同じ気持ちだろう。

 

「ねー、お化けもヒュージも出ないならご飯にしようよー」

 

 うつ伏せで畳の上に寝転がった藍がそう言った。確かにそろそろ夕飯時の頃合ではある。

 

「藍ちゃん、人のお家でお行儀が悪いわよ?」

「ご飯はもう少しあとにしようね。ちゃんとリュックの中に持ってきてるから」

 

 千香瑠と瑤が窘め、宥める。ご飯といっても持ち込んだのは携帯性に優れた保存食だけなのだが、今回の任務の性質上仕方がないだろう。

 

 そんな風に暫く五人で話していると、襖が開いて家主の女性が戻ってくる。

 

「さてと。こんな辺鄙な家まで来て、何を話すんだい?」

「その前に一つ気になったことがありまして。ここに来る途中、仏壇が目に入ったのですが」

「ああ、あれね……」

「無礼ついでに、線香をあげることをお許し頂けませんか?」

「……本当に、礼儀正しいんだか厚かましいんだか分からない子だ」

 

 言葉こそ丁寧だがグイグイとくる一葉に対し、女性は怒りよりも困惑を覚えているようだ。

 

「ごめんなさ~い! 見ての通り厚かましい奴だけど、悪気は無いんです~」

 

 真面目腐った顔の一葉の横で、恋花が愛想良くフォローを入れる。やはり性格が正反対の者たちは相性が良いというか、バランスが良いらしい。

 

「まあ、いいさ。ここまで来たんだ。別に隠すような物でもない」

 

 そう言うと女性はくるりと向きを変えて廊下へ逆戻りする。

 その小さな背中のあとに後に続くと、目的の場所がすぐ傍にあることが分かった。

 そこは居間のようだった。一葉が見たという仏壇と、足の短い机と、座布団が一枚置かれているだけの空空間である。

 部屋の中に入ってよく見てみると、仏壇のすぐ手前の台に飾られた遺影に気が付いた。軍服を着た若い男性だ。防衛軍の服とは若干デザインが異なっていた。

 

「この方はご主人でしょうか?」

「そうだよ」

「自衛官だったんですね」

「今でこそ信じられないが、ヒュージがまだ珍しかった頃は、街中を行進しただけで『人殺しの訓練』なんて新聞に書かれたものだよ」

 

 日本列島にヒュージが本格的な侵攻を仕掛ける前。生物学者の忠告を無視した自称有識者たちがヒュージのことを「ちょっと凶暴な害獣」と称していた時代の話だろう。当然、ヘルヴォルのリリィたちは生まれていない。

 話を聞き終えてから、まず一葉が仏壇の前に正座する。

 マッチ――自前のものを持ち歩いていた――で蝋燭に火を付け、蝋燭から線香に火を移す。すると仄かに甘い木の香りがふんわりと漂ってきた。

 線香をあげる一連の所作は五人が順番に行なった。藍は見様見真似だったが、合掌し一礼するまで問題無く終了した。

 最後に蝋燭の火を消した後、仏壇の前から離れた一葉が居間の端っこに座る家主のもとに移動する。

 

「やはり、避難するべきです。私たちと一緒に来て頂けませんか?」

「またその話かい」

「国民の生命を守るのが自衛隊と自衛官の使命。ならば、ご主人もきっと避難されることを望むはず」

「…………」

「……若輩者が知った風な口を叩いて、申し訳ありません」

 

 謝りはするものの、一葉は依然として真っ直ぐ女性を見据えて答えを待っていた。

 

「戦おうが、逃げようが、どうせ死ぬ時は死ぬ。だったら旦那の死んだ土地で死にたいね」

 

 それから訪れる気まずい沈黙。

 ずっと続くかと思ったその沈黙は、意外にも早く終わりを告げる。

 女性が黙って首を左右に振ったところ、一葉がおもむろに立ち上がって口を開く。

 

「分かりました。では私たちもここに残ります!」

「……はぁ?」

 

 とんでもない宣言に、女性は間の抜けた声を上げた。

 瑤も耳にした瞬間に驚きはしたが、すぐさま「一葉らしい」と納得する。それは他の仲間たちも同様だろう。

 

「ご安心ください。野営の準備は整えてきたので、お隣の空き地にお邪魔します」

「いや、そういう問題じゃないだろう。何言い出して――――」

「いいねえ、いいねえ。ここを野営地とする! ってやつだ」

 

 いつもはストッパーを務める恋花も一葉の話に乗り出した。

 

「残念だわ。こんなことなら携行糧食以外にも、もっと持って来れば良かった」

 

 千香瑠だ。早速今晩の夕飯について考えている。

 

「もう暗くなるのに、帰らないの?」

「うん。今日はここでキャンプにしよう。時期的にちょっと寒いけど」

「キャンプ! キャンプする! らん寒いの平気だよ!」

 

 お次は藍と瑤が和気藹々と語り出す。

 若干わざとらしく思われるかもしれないが、少なくともリーダーである一葉は本気で野営を始めるつもりであった。そしてそれは今日出会ったばかりの女性にも伝わったようで。

 

「分かった、分かったよ。避難するよ。それでいいんだろう?」

「はい! ありがとうございます!」

 

 元気の良い一葉の返事を聞き、女性は力無く溜め息を吐いた。

 

「全く……。あんた達みたいな若いお嬢さんを巻き添えにしたら、向こうで旦那に合わせる顔が無いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから軽く食事を取って、女性に最低限の身支度をしてもらい、いざ出発となった。

 

「何とか一番近場のシェルターと連絡取れたよ。収容人数にまだ余裕があるし、地元のリリィが警備についてるって」

 

 先程まで通信機と格闘していた恋花が明るい情報をもたらしてくれた。

 幸い避難所は正常に機能しているらしい。

 

「群馬のガーデンと言えば、ガンシップを保有しておらず規模も小規模ですが、森林戦とゲリラ戦のエキスパートとして定評があります。シェルターの防衛に関しては取りあえず心配要らないでしょう」

「だったら私たちは、まずそこにお婆さんを連れていって、それから怪異とヒュージの討伐かしら?」

「そうですね。千香瑠様の仰った通りでよろしいかと。怪異に関しては居所と正体を探るところからになりますが」

 

 一葉が頷き方針を決定する。

 

「じゃあ、お婆さんは私がおぶって行くね」

「お願いします瑤様。私と千香瑠様が先行し、藍は瑤様とご婦人の護衛。殿を恋花様に務めて頂きます」

 

 敵情がはっきりしない中、取り得る最善の布陣。

 決めるべきことを全て決めたヘルヴォルは迅速に行動へ移す。

 

「では一足先に、私と千香瑠様で進路上の安全を確認しておきますね」

 

 一葉と千香瑠はチャームの切っ先で足元の地面に円を描く。すると円は淡い光を放ち、その場で跳躍した二人の体を遥か前方の空へと打ち上げた。マギによる力場の形成だ。

 迅速な移動にはマギの使用が不可欠。多少荒っぽいことになるだろう。

 だからこそ瑤は体格の良い自分が女性を背負おうと志願した。実は、お婆ちゃんっ子という理由もあったりするのだが。

 

「落ちないように、背中に掴まってください」

「……すまないね。こんなことになって」

 

 背中越しからバツが悪そうに謝る女性に、瑤は黙って首を左右に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 露払いのため先行した一葉と千香瑠は幾らも進まぬ内に、その役割に直面することとなった。

 

「これは……っ! 霧がついてくる!」

 

 ある時を境に薄らいできたはずの白い霧。それがあろうことか、部分的に濃霧となって一葉たちに迫ってきたのだ。

 チャームによる攻撃は効かない。霧に弾丸も刃も通るはずがない。

 二人はマギによる身体能力強化を以って霧と追い掛けっこするはめに陥った。

 

「一葉ちゃん、盲点だったわ」

「千香瑠様?」

「怪異が霧を生み出してるんじゃない。この霧自体が怪異だったのよ!」

「な、何ですってぇ!?」

 

 地を駆け、木々の合間を飛び跳ねながら、一葉はその事実に驚愕する。

 

「広範囲に広がり薄まっていたから、今まで気付かなかった。それがこうして存在と妖力が凝縮したことで、はっきりしたの」

 

 会話の最中にも、霧の怪異は執拗に追い掛けてくる。現れては消え、消えては現れ。一葉たちの行く手に先回りするように立ちはだかってくる。

 真っ白い濃霧の部分に包まれた木の枝が跡形もなく砕け散った光景を目にし、一葉の背筋から冷たいものが流れ出た。

 

「千香瑠様、何か対策は?」

「この手の怪異は火に弱いのだけど。でも……」

「マッチやライターならありますが、あの濃霧を包み込めるほどの火勢となると、可燃物が大量に必要です」

 

 しかし悠長に枯葉などを拾っている場合ではない。手当たり次第に火を放てば山火事が起きてしまう。

 八方塞がりか。

 そう思っていたところ、一葉たちは不意に開けた空間に出てきた。鬱蒼とした山林が途切れ、前方に川の畔が広がった。

 そしてまたも先回りしてきた濃霧が目の前に現れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火を放て!」

 

 耳に響いた声に従い、一葉は瞬時に取り出したマッチを擦って濃霧の中に投げ入れる。

 直後、空間が燃えた。濃霧の漂っていた場所に真っ赤な紅蓮の炎が巻き起こり、パチパチと火の粉が吹き荒ぶ。

 チャームを強く握り締め警戒する一葉をよそに、空中で燃え上がる炎の中から低く呻くような断末魔が轟いた。

 炎はやがて高度を失い、すぐ下の川の中に落下して燃え尽きていく。

 

「萃香さん」

 

 先程の声の主の名を呼ぶ一葉。

 

「いやー、ちょっと危なかったなあ」

 

 すると声の主は姿を見せず、声だけで会話を進めてきた。

 

「ご助力感謝しますが……。一体、何をしたのですか?」

「なーに、可燃物を引っ掛けてやったのさ。あんたがマッチを投げ込んだ瞬間に」

「可燃物? どのような――――」

「燃える水だよ、燃える水。私の瓢箪のね」

 

 まさか灯油ではないのかと訝しむ一葉だが、声はそれ以上は語らない。どこか楽しそうな声色なのが気に掛かるところであった。

 一葉は改めて周りを見渡してみる。

 また少し霧が薄らいだような気がした。当初こそ一寸先は闇といった状況であったが、今ではある程度遠方まで見通しが利く。

 一刻も早く他の仲間たちと合流し、今度はヒュージの動向を探らねばならない。

 

「あの怪異、これで終わりとは思えない」

 

 固い表情を維持していた千香瑠がそう呟いた。

 無論、聞き逃すことなどできない。

 

「ほーう、分かるか。流石は巫女」

「あれだけ広範囲に散っていた霧の怪異が、あまりに呆気なさ過ぎる。さっき倒したのは怪異のごく一部じゃないかしら」

 

 萃香が感嘆し、千香瑠が理由を説明したことで、一葉も危機感を覚えた。

 

「それが事実ならば、また一から怪異を探し出す必要がありますね……」

「いや、そうでもないかもしれんぞ」

「萃香さん? どういう意味ですか?」

 

 次の瞬間、首を傾げる一葉の耳に萃香ではなく恋花の声が響く。インカムに通信が入ったのだ。

 

「一葉ぁ! 千香瑠ぅ! ヒュージの群れが動いた! 凄い数! 数え切れない!」

 

 突然の凶報に顔を強張らせる。

 確か、当初確認された群馬県内のヒュージ反応はそこまで多くなかったはず。

 

「おかしいと思わないか?」

 

 またもや萃香の声。

 

「霧が濃い間は大した動きを見せず、今こうして霧が薄まった途端に暴れ出す」

 

 言われた通り、怪異とヒュージの行動には不可解な点がある。何らかの相関関係があるのではないか。

 

「もしや、この霧が……怪異がヒュージを操作している?」

「霧がヒュージの中に乗り移ってる。だから、空気中の霧が薄れてる」

 

 一葉の台詞を千香瑠が受け継いだ。

 二人の出した仮説が正しかったのは、次の萃香の言葉から明らかとなる。

 

「さて、乗り移られたヒュージ全てを倒せば倒し切れるだろうが。一体全体どれだけの数を倒せばいいんだろうね?」

 

 

 

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