くねくね退治後、関西外征から戦いの連続だったヘルヴォルは交代で休暇を取ることにした。
「ちょっと横浜までお買い物に行ってきますね」
その日は千香瑠が休みの番。料理道具や料理の本などを買うつもりである。比較的近場とは言え、わざわざ横浜まで。
とは言え、今は昔のような東京信仰は薄れている。度重なるヒュージの襲来により、首都一極集中が半ば強制的に見直されたからだ。日本が抱えていた長年の懸案が国土をズタズタにした侵略者によって改善されたのは、皮肉としか言いようがない。
そういうわけで、本日の千香瑠みたいに東京の外まで物を求めて出ていくのは珍しくもない光景だった。
「食べ物買いにいくの? らんも一緒に行っていい?」
「あら、それじゃあせっかくだから中華街にも寄っていきましょうか」
同じく休暇だった藍も連れて、千香瑠は朝早くからエレンスゲのある六本木を後にする。
都営電車で港区の浜松町駅に向かい、それから京浜東北線に乗り換えて横浜を目指す行程だ。何のトラブルも無ければ一時間も掛からず着く予定である。
◇
「藍ちゃん、この餃子は食べたことあるかしら?」
「ギョウザ? ギョウザなら食べたことあるよ」
「ふふっ、これは藍ちゃんの知ってる餃子とは少し違うのよ」
買い物を一通り済ませた千香瑠たちは昼時になって中華街を訪れていた。
最盛期は250件もの店舗が並んだ日本最大の中華街、横浜中華街。今でも100を超える店が営業する中、二人はとある北京料理店で昼食を取っている。
「この餃子はフライパンで焼いたりしないの」
「えっ? 焼かないでどうやってギョウザ作るの?」
「お鍋のお湯で茹でる水餃子っていうものなのよ」
千香瑠が説明している間にも、アルバイトらしき女の子が平皿に盛った料理を運んでくる。頭にお団子を二つ作っているものの、服は洋服の上からエプロンを掛けた普通の格好であった。
藍はその格好を見てキョトンとする。
「チャイナドレス着ないんだね」
「アイヤー、この子何言ってるアルか。チーパオ着て給仕する人間がどこに居るアル」
「そうなの?」
「あと大昔じゃあるまい、アルアル言う中国人も普通は居ないアル」
「居ないんだー」
「居ないアル」
お喋りも程々にして、二人は料理を頂く。
最初に箸を伸ばしたのは、ついさっき話題に挙げた水餃子。
「んー、このギョウザもっちりしてる」
藍に遅れて千香瑠も口の中に入れ餃子の薄皮に歯を立てる。もっちりとした皮の中に包まれていたのは挽肉と、ネギやニラやレンコンといった野菜類。プリプリとした食感はエビだろう。甘辛のタレは豆板醤や生姜がピリリと効いて食欲を増進させてくれる。
舌鼓を打ちながらも千香瑠は対面の席に座る藍の様子を窺ってみた。
藍は言葉こそ無いが、黙々と箸を動かし食事に勤しんでいた。少なくとも気に入らない味ではないらしい。
(出会った頃はたい焼きにばかり興味が向いていたけど、今では色んなものを受け入れてる。私も腕を振るってきた甲斐があったわ)
ちょとだけ自分の料理に自惚れる千香瑠であった。実際、それが許されるだけのものを彼女は作ってきた。
そうして木のテーブルに並んだ料理が胃の中に収まった頃、新たな皿がやって来る。皿の上には黄土色の焦げ目が魅力的な焼き菓子が二枚載っていた。
「月餅アル。古代王朝時代、さる高名な仙人との賭けに敗れたカバの霊獣が目で食したという由緒正しきお菓子アル」
「そんな由来あったかしら……?」
「これはお店からのサービスアルよ。帰ったらしっかりうちの宣伝するよろし」
謎を残しつつも、千香瑠たちは礼を述べて店を出た。
藍は後ろを振り向きながら、服の袖に隠れた右手を振っていた。
店のすぐ前の細道から、中華街の中心を走る大通りへと出る。
藍が隣を行く千香瑠と手を繋ぎながら話し掛けてくる。
「美味しかったー。パリパリもいいけど、モチモチもいいね」
「そう。あそこを選んで良かったわ」
「そう言えば千香瑠は朝、何買ってたの?」
「新しい包丁と中華鍋とレシピ本。それと、ワンちゃんの写真集もあるわよ」
「本当?」
「東京に帰ったら一緒に見ましょうね」
喧騒に溢れる歩道の上を並んで歩く。
出発前は晴れていた空が、今ではは灰色に淀んでいた。
生き生きとした熱気の漂う街だが、それはそれとして、冬の乾いた風はやはり身に染みる。千香瑠は空いている方の手で、羽織っているコートの襟を整えた。
その時だ。街頭に立っているスピーカーからサイレンが鳴ったのは。
「千香瑠ぅ!」
「ヒュージ警報……」
「行こう! 千香瑠、行こう!」
うずうずと武者震いする藍と目を合わせ、顔を引き締めた千香瑠は静かに頷いた。
幸い、ほとんどの荷物は街のロッカーに預けていた。背中に背負う大きなケース以外は。
着ているコートを取り払う。その下には白のエレンスゲ標準制服。
背負うケースを展開する。中に入っていたのはそれぞれ黒色の槍と濃紫の鉄塊。ケースはチャームケースだった。
「ヒュージが出たのは近くの埠頭。急ぎましょう!」
休暇中とはいえ、彼女たちはリリィであった。
◇
横浜に複数ある埠頭の一つ。倉庫が建ち並び何台ものフォークリフトが鎮座する地へ、千香瑠と藍はヒュージの捜索のためにやって来た。
そのはずだったのだが、二人は一発も撃つことなく一太刀も交えることなく埠頭を去っていた。
二人が現在訪れているのは、海沿いからも市街地からもある程度離れた木造の小屋。個室が六つに大部屋のリビングが一つある中々大きな小屋である。
そのリビングのテーブルにて、千香瑠と藍の向かい側に座る亜麻色の髪の少女が神妙な面持ちで頭を下げる。
「千香瑠様、藍様。ご助力感謝します」
「でもヒュージ、誰かにやっつけられてたよ?」
藍の言う通り、彼女らが埠頭に駆けつけた時には既にヒュージは撃破された後だった。
そこで深顯たちと出会い、こうして黒十字マディック隊の用意した拠点に招かれたというわけだ。
「深顯さん、この辺りで活動していたリリィは他に居なかったんですね?」
「はい。なのでどこかのガーデンの特務レギオンではないかと考えたのですが……」
「それにしてはあのヒュージの残骸、不自然だったわ。何かに押し潰されたような跡があって」
「そうなんです。一体二体ならともかく、全てがそうでした。千香瑠様、あのような行為が可能なチャームは存在するのでしょうか?」
「うーん……。打撃用のチャームは知ってるけれど、あんなヒュージの体を丸ごと叩き潰せるようなものではないの。藍ちゃんのモンドラゴンでもあんな風にはならないわ」
「だとしたら、新型機の実戦テスト? だから極秘で動いてる?」
「待って。仮にそうだとしても、この横浜でそんなことされて、シエルリントが全く把握してないって話があり得るかしら」
不可解な事態に両ガーデンの人間が頭を悩ませる。
千香瑠と藍のように、休暇で偶然居合わせたリリィの仕業というのは考え難い。それならそうと分かるからだ。
リリィはガーデンに定められた国定守備範囲から出るだけで届け出が要る。守備範囲を持たないガーデンでも、遠方に外出する時はやはり同様だ。なので深顯たちシエルリントが調べたら突き止められるはずだった。
口には出さなかったものの、千香瑠はリリィやヒュージだけでなく怪異の可能性についても念頭に置いていた。しかし残念ながら、現状では彼女にも判断できなかった。
千香瑠は一旦、憶測で物を考えるのを中断する。
「現場をどうにか押さえるのが一番ね」
「はい」
「エレンスゲとシエルリント、両方のガーデンと一葉ちゃんから許可は取ったから。私と藍ちゃんにも出来る限り協力させてください」
「それは、非常に助かるのですが。お二人ともせっかくのお休みだというのに……」
深顯が眉を曇らせ声の調子を下げる。
幾ら友好ガーデンの知り合いとはいえ、遠慮するのは仕方がない。それは彼女のマディックという立場だけでなく、彼女自身の性格によるものだろう。
「フフフ、わくわくする」
「ら、藍様?」
「どんな人がやったんだろうね。きっと凄く強いよ」
「そう、ですね。我々黒十字マディックに課せられた使命は情報取集と偵察ですが、悠長なことを言ってられないかもしれません。よろしくお願いします」
「らんとどっちが強いかなあ? フフフフフッ」
まだ見ぬ強者に思いを馳せて、藍は椅子の上で足をぱたぱたと動かしている。一見すると、子供ながらの危うい好奇心。
だが千香瑠は藍の態度を窘めたりはしない。以前と違い、今の藍は死の恐怖を、死別の恐怖を味わったことがあるからだ。廃墟と化した遊園地での戦いで。
あの経験がある限り、不要な危険は冒さないだろう。
「ではお二人はこの拠点の一室をお使いください。我々は分散して情報収集に当たっているので、部屋は空いています」
深顯の隊は40人規模で――――リリィのレギオンと比べたら――――大所帯だ。だがこの場に居るのはその三分の一といったところ。
「そうそうそれから、今晩の夕食はカレーなんです! 千香瑠様たちには以前ご馳走になってますし、是非召し上がってください!」
神妙な顔から切り替えて、深顯は年相応の明るさを浮かべる。
「さあさあ、早速!」
「隊長、まだできてません。早過ぎますよー」
傍らに立つサイドテールの副官が深顯の空回りを止めた。
それに釣られて千香瑠の目尻も柔らかくなっていく。
◇
翌朝、再びリビングのテーブルに集まった千香瑠たちは机上に広げられた地図に目を落としていた。横浜一帯にフォーカスされたその地図には、幾つかの黒点と黒点を結んだ一本の折れ線が書き込まれている。
「我が隊が調査した、不審な戦闘跡の発見地点です」
「だんだんと海沿いに北上してるわね。街中に出ないのは、ヒュージを倒すことが目的だからなのかしら」
「基本的に住宅地域はエリアディフェンスで守られていますからね。昨日の埠頭に現れたのもケイブからの侵攻ではなく、
横浜ネストは既にシエルリントのリリィたちによって攻略されていたのだが、それでもこの地が完全に平和となったわけではない。他地域から流れてきた小規模なヒュージの群れが襲ってくることがあった。
「それで、次の出現予想地点がここなのね」
「はい。この三ツ沢の可能性が高いと睨んでいます」
深顯がやけに古風な万年筆で二重丸を記したその土地は、かつて住宅・商業地域だった所である。ヒュージとの戦闘により住民が出ていき、今ではすっかり人気の減った寂しい場所になってしまったが。
「海沿いではなく、内陸部ね」
「そこは私たちも悩んだんです。ただ、ここから北の埠頭は横浜駅の目の前で人目が多いので。今までの傾向から避けるんじゃないかと思いまして」
「確かに、ヒュージだけを倒して迅速に姿を消している辺り、あり得る話だわ」
「最低でも対象の正体を掴めれば良いので、不要な戦闘は仕掛けません。2個分隊に海岸沿いを監視させ、残りでこのポイントに張り込む予定です」
千香瑠も深顯の方針に異論は無かった。こういった調査や偵察任務は彼女の方が長けているのは明らかだ。
その後、地図を畳んだ深顯は左隣に立つ副官に目を向ける。
「皆揃ってる?」
「はい、隊長。海岸線を監視中の第5と第6以外は揃っています」
続いて右隣に立つ第1分隊長の方を向く。すると深顯が問い掛ける前に、望む答えが出てくる。
「
「了解。では、千香瑠様と藍様さえよろしければ早速出発したいのですが」
勿論、千香瑠は首を縦に振る。そのために横浜に残ったのだから。
隣の藍がいまいち元気が無さそうなのは、朝早いから。だがそれもすぐにいつもの調子を取り戻すだろう。
床板をキシリと鳴らせて千香瑠は立ち上がった。次いで傍に立て掛けていたチャームを手に取る。今度はケースに仕舞わず、抜き身のままで。
千香瑠たちが外に出てみると、小屋の裏にある空き地には同じ黒衣を身に付けた少女の集団が五人ごとの列を作っていた。
彼女らの列の前に、先程まで小屋の中で話していた三人のマディックが立つ。隊長と副官と第1分隊長。黒十字マディック隊の作戦立案はこの三人で行なっているようだ。
「昨今この横浜を騒がせている仮称
Xというのは件の存在のコードネームだろうか。隊員たちの見つめる前で深顯のブリーフィングが続く。
「本作戦は、シエルリントの友好校であるエレンスゲ女学薗の御二方に協力して頂きます。各員、知と魔導のガーデンの名に恥じぬ働きを心しなさい!」
同年代の少女と比べても低身長で痩せ型。流石に藍よりは上だが、千香瑠などと比べると大分幼く見える容姿。そんな深顯が数十名の部下に訓示を示す光景は本来なら不自然に映りそうなものだが、この黒十字マディック隊に関して言えば、不思議と様になっていた。
「部隊の一体感がそうさせてるのね」
「なーに?」
「皆とっても仲良しってこと」
朝の微睡から完全に覚醒し切った藍に答えながら、千香瑠は改めてマディック部隊の編成を確認する。
四個分隊20名の戦闘要員に救護班の4名、隊長と副官からなる隊本部2名が実地に赴く人員だ。整備班の4名はいわゆる『戦うアーセナル』ではないので拠点で待機する。
訓示を終えて隊の半分を先行させた深顯のもとに近付いていき、千香瑠は小さめの声で話し掛ける。
「深顯さん、少しご相談が」
「あっ、はい! 何でしょうか?」
「もし戦闘になったら、私は深顯さんの指揮下に入るつもりなのだけど」
「ええっ? わ、私がリリィの方を指揮するんですか?」
「大人数の部隊指揮は貴方の方が適任です。土地勘もあるでしょうし」
「それは、そうですけど……」
「ただ、藍ちゃんに関しては細かな指示は難しいと思うの」
「そうですね……。藍様の戦いぶりはよく存じ上げています。無理に合わせようと考えない方が良いでしょう。ですが、それならそれで戦闘に組み込む方法もあるかと」
深顯が幾つかの戦術プランを語ってくれた。
細かな指示を受け付けない藍をフォーメーションに組み込むのはヘルヴォルも普段からやっていることだが、やはりマディックの部隊になると勝手が違ってくる。
聞きに徹した千香瑠に対し、やがて話し終えた深顯は恐縮したように目線を下げる。
「な、何だか済みませんっ。出過ぎたこと言って」
「いいえ、やっぱり深顯さんにお願いして良かったわ」
目を細めた千香瑠に真正面から褒められると、はにかんだ深顯は顔を崩し白い歯を見せる。
元より表情がころころと変わる娘だが、千香瑠にはこの照れ笑いが一番可愛らしく思えた。
「隊長! そろそろ我々も出発する時間ですよ」
「えぁっ? ああ、そうだった。ごめんなさい」
副官に呼ばれて我に返ったかのように驚くと、指揮官の顔に戻り号令を発するのだった。