「今控室で起きたことは、明日必ず皆に説明します」
『皿屋敷』事件の直後、事態を把握できずに困惑していた四人の前で千香瑠はそう言った。
恋花と共に別室でモニターしていた瑤には、何が起きたのか本当に分からなかった。カメラには最初から最後まで、一葉と藍と千香瑠しか映っていなかったのだから。
もっとも、通信機から聞こえてくる三人の言葉から、ただ事でないことは十分に伝わっている。
ちなみに一葉はガーデンに対し、見たままを報告していた。今頃上層部は頭を抱えていることだろう。
何にせよ、詳細は今晩千香瑠が話してくれるはず。
それはそれとして、今日のヘルヴォルは非番だった。
昼下がり、ガラス張りのビルや大型商業施設が立ち並ぶ六本木の中心部。高層建築物に囲まれた開けた空間。一見するとレンガ敷きのような見た目の型押しアスファルトで舗装された大広場に、人を待つ瑤の姿があった。
ベージュ色のシャツはネックラインが横に広く、鎖骨が露わになっている。下に穿く黒のカーゴパンツはゆったりとして着心地が良い。セミショートの赤毛を後ろでシニヨンに纏め、いつもは前髪で隠れがちな片目も今日はよく見える。
エレンスゲの制服を纏っていない、リリィとはまた別の顔。そんな瑤が広場の片隅に立っていると、近付いてくる者が居た。
生憎と瑤の待ち人ではなかったが。
「ねえねえ、お姉さん。今って暇ー? うちらと一緒に遊ぼうよ~」
「カラオケ行こう! カラオケ!」
ガーデンではない一般の女子高校生か。制服をラフに着崩している二人組だ。午前で学校が終わり、そのまま遊びに繰り出したといったところだろう。
「いや、人を待ってて」
「その人も女の子? だったらさあ、2対2でちょうどいいじゃーん」
正直な話、垢抜けた女の子二人に囲まれて瑤も悪い気はしなかった。
しかし遊びの趣味は合いそうになかったし、何よりも今日は予定がある。
(こんな時、恋花なら上手く断るのかな? それとも意気投合して一緒に遊びに行くかも)
瑤はコミュ力お化けの友のことを思い浮かべる。自分とは気質が正反対の彼女が居たら、今のこの状況にも嬉々として対応するに違いない。
「あのー」
横からよく聞き知った声を掛けられて、今度こそ待ち人が到着したと知る。
女子高生二人組は声の方角に振り向いて、ちょっとだけ目を見開いたようだ。
「うっひゃー、すっごい清楚系じゃん。これは勝てんわ」
「ざーんねーん。お姉さん、またねー」
名残惜しむものの、女子高生たちは手をひらひら振って去っていった。
二人組の方を不思議そうに眺めながら、待ち人である千香瑠が瑤の傍へと歩み寄って来る。
「すみません、お待たせしました」
純白のブラウスと紺色のロングスカートに身を包んだ彼女は眩しい程に清楚であった。
◇
日が暮れる前に目的を果たし、瑤と千香瑠はガーデン目指して六本木の街を歩く。
夕方に近い時間とは言え、夏ゆえに日は長い。気温もまだまだ高いので、彼女らは街路樹の木陰に沿うように歩道を進んでいる。
二人とも中身の詰まった大きな紙袋を抱えていたが、それこそが今日待ち合わせた目的だった。
「瑤さん、買い物に付き合わせちゃってごめんなさい」
「平気。千香瑠こそ皆の分もご飯作るわけだし、買い出し大変でしょ」
「いいえ、私は好きで作ってるから」
瑤は横に並んで歩く千香瑠に視線を落とす。170㎝オーバーという女性としてはかなり高身長の瑤と比べ、千香瑠は幾分か目線が低い。
普段は一本に縛っている艶やかな茶髪を、今はストレートに下ろしている。それがまた千香瑠の持ち味を引き立たせていた。
(一葉だったらストレートに褒めるだろうし、恋花だったら何か気の利いた台詞でも言いそう)
瑤は口数が少なく、口を開いたとしても話が上手い方ではなかった。
しかしながら、人と話すことや人と接することが特段嫌いなわけではない。
「千香瑠、お嬢様みたい」
「……! ふふっ、ありがとうございます。でも百合ヶ丘には編入しませんよ」
「うん、知ってる」
千香瑠は一瞬パチパチと瞬きしたが、すぐに目を細めて笑みを浮かべる。その様は、身贔屓であることを差し引いても、たおやかで、品があって、美しい。
瑤は内心「街で自分ばかり声を掛けられて千香瑠が掛けられてないのはおかしい」と首を傾げていた。
だがその内「高嶺の花過ぎてかえってちょっかいを出し辛いのではないか」と勝手に納得するのであった。
「お魚、安くなってて良かったわ」
先程の買い出しの話を振られて瑤は小さく頷く。
「このところヒュージの動きが鈍いのと、関係があるのかも」
「ええ。小型ヒュージはまだ見かけるけど、大型はぱったりと出なくなったわね。一時の激戦が嘘みたい」
「これはこれで、不気味」
「そうね……」
本来自分たちリリィが暇なのは良いことなのだが、手放しで喜んでばかりはいられない。
状況が有利な時ほど気を引き締め直すべきなのだ。
「不気味と言えば。千香瑠、あの時のこと」
「分かってます。……お夕飯を済ませた後にしましょう」
話している間にも、彼女らの学び舎、エレンスゲの校舎が見えてくるのだった。
◇
時は流れて宵の口。夕餉を取り終えた後の、団欒の時間。
本日は非番ではあるが、翌日に向けたミーティングも含めてヘルヴォルはできるだけ会合の機会を持つようにしている。
会合といっても、ただのんびり駄弁る時も少なくないのだが。
「ご飯美味しかったー。お魚、美味しかったー」
リビングの絨毯で脚を崩して座る千香瑠の元へ、腹一杯で満足げな藍が飛び付いた。千香瑠の膝に上半身でもたれ掛かり、両足を絨毯の上で交互に上げ下げし始める。
「藍ちゃん、スズキのホイル焼きは気に入った?」
「うん! 一緒に入ってたジュワジュワのマヨネーズも好きー」
瑤は千香瑠に羨望の眼差しを送る。藍の
とは言え藍本人がとても嬉しそうに顔を輝かせているものだから、瑤も釣られて優しい気持ちになってくる。
「瑤ってば、今日私服で街に遊びに行ったんでしょ?」
「そうだけど」
「声、掛けられまくりじゃなかった?」
含みのある笑みを浮かべた恋花が尋ねてくる。
実際、ガーデンの制服を着ていた場合は――同じリリィを除いて――ちょっかいをかけられることはあまりないが、リリィと気付かれない格好なら話は別だろう。
「まあ、そうだね」
「何人ぐらい?」
「男の人が二人、女の子が四人ぐらい」
「はぁ~、やっぱり美人は得だねえ」
わざとらしく溜め息を吐く恋花。
それに対して、瑤は一部勘違いが混ざっていることを指摘しようと試みる。
「別に、男の人はナンパとかじゃないからね。チラシ配りとか宗教の勧誘とかだから」
「女の子は?」
「それは、まあ、うん……」
「やっぱりナンパじゃないか!」
そんなこんなリビングで憩いの時間を過ごしていると、キッチンの方から一葉がやって来る。
ヘルヴォルにおいて、食事の後片付けは交代制だった。なお調理の方は本人の希望により、千香瑠偏重の交代制である。
「お待たせしました、皆さん。千香瑠様」
「全員、揃ったわね。……あの時の約束通り、お話しします」
一葉の着席を以って、ヘルヴォル五人が揃う。
円になって座る仲間たちを見渡して、千香瑠は慎重に言葉を紡ぐ。
「あの時私たちが控室で遭遇したモノ。あれは、怪異。そう呼ばれる存在です」
そう言われて、他の四人はすぐに言葉を返すことができなかった。
少々の間を置いて、初めに話に加わったのは、難しい顔をしながら首を傾げる藍だった。
「それって幽霊?」
「幽霊も含まれているわね。人の噂が大きく膨らんで、実体を得た姿。それが怪異」
掻い摘んだ説明だった。これだけでは理解は困難だ。
「つまり、怪談とか都市伝説とか、そんなものが現実に現れてるってわけ?」
「そっくりそのままではないけれど。そういうことね」
「いや、でも。そりゃあ確かにあたしも今まで都市伝説の噂は幾つも聞いてきたけどさ。それが、余興や娯楽じゃなくて、実際に起こってるとか……」
恋花は頭を押さえて軽く唸る。怪談話を楽しんでいた彼女でも、自分自身が物語の登場人物となれば、流石に動じざるを得ないのだろう。
「ずっと昔、このような超常の存在は度々囁かれていたそうです。それが科学文明の発達と共に人々から忘れられていき、空想上の産物と見なされるようになった。そして今、どういうわけか再び表に出始めたのです」
千香瑠の口から語られるのは突拍子もない話であった。常ならば、聞き手がヘルヴォルのメンバーでなければ、一笑に付されてもおかしくない。
ところが今は事情が違う。実際に不可思議な体験をしておいて、尚も「あり得ない」と現実逃避することはできなかった。
「千香瑠様。千香瑠様は何故そのような事情を知っているのですか? 何故あの怪異を撃退できたのですか?」
千香瑠の対面の位置に正座する一葉が神妙な顔つきで問う。
恐らくは、この場に居る誰もが一番気にしていた疑問だろう。無論、瑤も例外ではない。
「それは私が、神社の生まれだから」
「千香瑠様の故郷……甲州でしたね」
「ええ。甲州の、山奥にある小さな神社だったわ。それでも怪異については幼い頃から聞かされてきたし、修行も積んできたの」
「リリィとしての修練とは別に、ですか。それはかなりの負担でしょう」
「いいえ、そうでもないわ。リリィと巫女、意外に似通ったところがあって……」
巫女として積んだ修行の詳細については割愛された。
今重要なのは千香瑠が怪異とやらに、超常の存在に対抗できるという点だった。
だがそれ以外にも疑問は残っている。
「千香瑠様のような方が、他にもいらっしゃるのでしょうか」
「勿論居るわ。東の桜ノ社と、西の鹿野苑。この二つのガーデンは元々そういった存在を祓っていた人たちなの」
百合ヶ丘女学院と並ぶ鎌倉府5大ガーデンの一角、鎌倉府立桜ノ社女子高等学校。京都舞鶴市にある真言尼寺を前身とした鹿野苑高等女学園。
千香瑠曰く、それらは時代の移り変わりと共にガーデンへと再編された怪異退治の専門家集団なのだとか。表に出てくるのはガーデンとしての役目ばかりで、かつての顔が取り沙汰されたことは無いらしい。実際、怪談・都市伝説などよりヒュージの方が明らかな脅威だった。少なくとも、これまでは。
「成る程、大方の事情は分かりました。未だ理解できない部分はありますが」
一葉は正座したまま腕組みして考え込む。
当たり前だが、ここに来て千香瑠の言を信じない者は居なかった。
問題は彼女らのガーデン、エレンスゲがこの件をどう取り扱うか。こればかりは控室で話し合っていても詮無いことではある。
「ふーん、そっか。千香瑠がお化け退治の巫女かぁ」
それまでの真剣な空気の流れを堰き止める恋花の発言。
良きにつけ悪しきにつけ、こんな時は決まって彼女のムードメイカーとしての本領が発揮されるのだと、瑤は経験則から知っていた。伊達に長い付き合いではないのだ。
「じゃあさあ、巫女の衣装って持ってるの?」
「甲州から逃げる時に持ち出してきたけど……」
「せっかくだから見たいなー」
「ええっ?」
「千香瑠の巫女服、見たいなー」
恋花がこれまたわざとらしく棒読みでチラッチラッと千香瑠を見る。
見られた方は視線を彷徨わせて助けを求めるが――――
「よろしいのでは? 退魔の装束、我々も何かしら感じるものがあるかもしれません」
一葉は至極健全な動機で賛成に回ってしまった。
実を言うと、恋花ほどではないが瑤も興味がある。故に口を挟まない。
そして藍は目を大きく開いて興味津々といった様子。
こうなると千香瑠は断れないだろう。彼女に対して罪悪感はあるものの、今回は瑤も好奇心の方が勝った。
「…………分かったわ。寮の部屋に仕舞ってあるから、明日にしましょう」
千香瑠が観念して頷いたところで、その日のミーティングはお開きとなった。
◇
翌朝、講義の前の早朝ミーティングにおいて、昨晩の約束は実行されることになる。
ヘルヴォル控室のリビングで待つ四人。その四人の待っていた人物が別室から現れる。
「とてもお似合いですよ!」
「はぇ~、やっぱあたしの目に狂いは無かったね」
一葉が素直に称賛し、恋花が感嘆の声を上げる。
「千香瑠可愛い!」
恐らくは衣装の持つ意味をよく分かっていないであろう藍。だからこそ純粋な気持ちが表れているのだ。
「あの、えっと……」
着替えを終えておずおずと姿を見せた千香瑠だが、どう反応して良いか分からず立ち尽くしている。
彼女が纏うのは袖の広い
下半身を包む袴は濃い緋色で、千香瑠の人よりも長い脚を足首のすぐ上まで覆い隠している。
それはオーソドックスと言っても差し支えない巫女装束。特筆すべき部分の無い、どこの神社でも見れそうな有り触れたものだった。
ただ一つ、着用者と芸術的なまでにマッチしている点だけは、おいそれとお目に掛かれないことだろう。
「可愛い」
瑤はほとんど真顔で呟いた。
すぐ隣の藍と台詞こそ同じだが、外見上のギャップは如何ともし難い。
「可愛い……可愛い……」
元々それほど豊富でもなかった瑤の語彙力が余計に失われていく。
実際、濃い茶色の長髪を一本に纏め、淑やかで慎み深い所作の千香瑠は抜群に巫女装束が似合っていた。そんな彼女がヘルヴォルの皆から称えられて恥じらう光景は、下手な言葉では飾り切れないほど尊い。
「でも、腋は出てないのかぁ。ちょっと残念」
「恋花様、何を仰っているのですか」
「いやいや、巫女服に腋出しは外せないっしょー」
「本当に何を仰っているのですか?」
一葉と恋花で、認識の隔たりは大きい。
「いいなぁ、可愛くて」
「私の、小さい頃の巫女装束も仕舞ってあるのだけど。藍ちゃんも着てみる?」
「本当? らんも着たい!」
「……っ!?!?!?!?!?」
「落ち着け瑤、座れ」
無邪気な藍のお陰で千香瑠が元気を取り戻す。
一方で恋花は元気になり過ぎた瑤を抑える。
これがトップレギオン、ヘルヴォル。
非日常に晒されても、超常にぶつかろうとも、その姿はそうそう変わるものではない。
「このカップリングは絶対にありえない。それはない」
「マイナーこじらせてんじゃねえ」
「そもそもこの二人接点あまりねえぞ!」
「同じレギオンに居る!」