神社生まれの千香瑠様   作:坂ノ下

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鬼退治
第39話 衝撃


「目の前に居るだろう?」

 

 藍よりも幾分か小さな少女が発した言葉を、一葉はよく理解できなかった。

 伊吹萃香は妖怪だ。それもこの日本では最もメジャーな妖怪である鬼だ。それは分かっている。本人からそう聞いたし、力を振るう姿も何度か見ている。

 それでも尚、一葉は萃香の言っている言葉の意味を完全に理解できないでいた。

 

「いきなり何を言い出すのです。驚くじゃないですか」

 

 萃香は口角を吊り上げたまま。

 

「いやいや、冗談なんかじゃないよ。古代日本を恐怖の坩堝に陥れた()となれば、儀式の役者としては申し分ないとは思わないかい?」

「……やっぱり、冗談でしょう」

 

 一葉は萃香の言を認めない。にもかかわらず、体は腰掛けていたベンチから離れて自らの足で立っていた。

 そんな一葉の見つめる前を、萃香はゆっくりと横切るように歩き出す。

 

「たとえ認めたくなくても、お前さんは戦わざるを得ない。結界補強の儀式を完成させなければ今後も怪異が涌き出てくるだろう。こちら側だけでなく、そちら側を守るためにも必要なことなんだよ。前にも言ったはずだけどねえ」

 

 一葉の視界の真正面から右端へ、そこからUターンして反対の左端へ、歩きながら諭すように語り掛けてくる。

 萃香がピタリと立ち止まったところで、一葉は意を決して口を開く。

 

「できません」

「ほう、どうして?」

「貴方は今まで、何度も私たちを助けてくれたじゃないですか。怪異を退治するために。そんな貴方にチャームを向けるなど、できません」

「揺らいだ概念の結界を直すため、そのために人間による怪異退治の儀式が必要だった。お互い利があるから手を貸していただけのこと。これも言ったはずだよ」

 

 萃香の言う通りであった。

 互いにとって有益だからこその協力関係。その点は一葉も承知していたはずだった。

 しかし一葉の手は、ベンチの脇に置かれたチャームケースに伸びなかった。伸ばさなかった。

 いつまでも変わらぬ一葉の態度を前に、萃香は両の目を細めた。

 

「分かっていたけど、頑固だなあ。それなら仕方ない」

 

 呆れたようにそう言うと、萃香は自身の腰に吊るした鎖の一本を掴むと、その手を軽く上下に振った。

 直後、一葉が立っているすぐ横の地面が抉れ、石造りのベンチが粉々に砕け散る。鎖と鎖の先端に付けられた球形の分銅の仕業であった。

 

「これから森を出て、近くの町を破壊する。それが嫌なら今すぐそいつを抜くんだな」

 

 宣言と共に、萃香は一歩一歩前に踏み出す。その先に居るのは一葉であり、彼女の背後には森が広がっており、森を抜けると金沢の町がある。

 前進しながら萃香の右手がまたもや腰の鎖を掴んだ。

 ここに来て、遂に一葉はチャームケースを展開してブルトガングを手に取った。

 それを見た萃香は鎖を振るう。鎖に繋がれた分銅が一葉の眼前に迫るものの、ブルトガングのボディにいなされて標的から逸れた。

 続いて萃香が鎖を横薙ぎに払う。風を切る重低音と共に胴狙いの凶器が飛ぶ。こちらは一葉の跳躍によって空を切ることになった。

 真面な力比べなど不可能。そう判断した一葉は痺れかけた両手でシューティングモードの砲口を前にかざす。

 

「失礼します!」

 

 チャームの引き金が引かれ、発砲する。連射された実体弾が萃香の周囲に着弾し、忽ち土煙を噴き上がらせていく。

 射撃の最中にも一葉は立ち止まることなく、横方向に駆けていた。

 すると土煙の中から飛来物が飛び出してくる。小さい。だが銃弾の如く放たれたそれらは一葉の頬を裂き、肩先にめり込んで痛みに顔を歪ませる。

 肩からポロリと落ちた飛来物の正体は、砕かれた小石だった。

 

(どの間合いでも隙が無い……!)

 

 驚く暇も無く、土煙から萃香本体が躍り出る。彼女の手の指が小石を弾くようにして撃ち出す。

 進路上に石礫を放たれた一葉は直撃を避けるため立ち止まった。

 その隙を逃さず、萃香が猛然と突進を仕掛ける。

 

「くぅっ」

 

 一葉はブルトガングをブレイドモードに変形させて迎え撃つ。

 足元から肩先へ逆袈裟に軌道を描く無骨な刃。それに対するは、右手の五指を握り込んだ小さな()()()

 衝突の結果、一葉は競り合うことも叶わず後方に大きく弾き飛ばされてしまう。

 

「どうしたぁ! そんなへっぴり腰じゃあ、河童も殺せないぞ!」

 

 何度かバックステップを踏んで体勢を整える一葉へ、萃香が咆哮しながら追撃を加えてくる。

 鎖と分銅の投擲からの、肉薄してこぶしの連打。

 攻撃をいなしたり受け止めたりするブルトガングだが、本来高い剛性を誇るその機体が悲鳴を上げていることを、グリップを握る両手から一葉は痛いほどに感じ取っていた。

 

「そんなものじゃあないはずだ。ここまで怪異を討ってきたお前の戦い振りは、そんなものじゃあなかった! 相澤一葉ぁ!」

 

 攻撃の手を止めた萃香が右足を折り曲げ宙に浮かせる。かと思ったら、その場で草地の地面を踏み付けた。

 一瞬、一葉は体が浮かび上がる錯覚に襲われた。

 次の瞬間には足元が激しく揺さぶられ、辺り一帯が地獄の門でも開いたかの如き震動に包まれる。空地を囲む木々の何本かが唸りを上げて倒れていく。

 姿勢を低くし揺れに耐えていた一葉だが、折を見て慎重に立ち上がる。

 

「何か、何か他に手段は無いのですか?」

「無いね」

「……幸いにも、私たちはこうして言葉を交わして思いを伝え合うことができます。戦い以外の道を見つけられるはずなんです!」

「どうにもお前さん、勘違いしてるみたいだなあ」

 

 ふてぶてしい態度の萃香だが、一応、話には乗ってくれるみたいだ。

 

「妖怪が人の形をして人の言葉を使うのに、大した意味なんて無いんだよ。せいぜい人間を油断させて驚かせるぐらいか。あっ、あと人間の酒が飲み易いっていう大きな利点があるな」

 

 一葉の想いは伝わらなかった。いや、伝わった上でこれなのか。

 以前に千香瑠から忠告された「妖怪には妖怪なりの論理がある」という言葉の意味を、今まさに思い知ることになっていた。

 

「ともかく、人間の世界を守りたいなら剣を向けろ。今までやってきたように、な」

 

 それでも一葉は自身の信じてきたものを信じる。

 

「貴方が言いたいことはよく分かります。ですが、やはり私は諦めたくない」

 

 ブルトガングの刃を下に下げたまま、相手を真っ直ぐに見つめてそう言った。

 一葉の眼差しを受けた萃香は不機嫌そうに鼻を鳴らすものの、攻撃を再開してこない。

 

「一葉!」

 

 シエルリントの方角から聞こえてきた声に、一葉はすぐさま反応する。

 

「恋花様! 下がって!」

 

 ちゃんと通じたのか、木々の合間から恋花が顔を出すことはなかった。

 二人掛かりでも説得に応じるとは思えないし、力尽くでは尚更どうにもならないだろう。

 一葉が手詰まりに陥っていると、目の前で萃香の小柄な体がぼやけ始め、少しずつ空気中に溶けていく。

 

「今日はほんの挨拶だ。市ヶ谷での傷も癒えてないだろう。お前たち全員が万全となって、改めて挑んで来い。その時までに甘い願望を捨て切れないようなら、お前は大切なものを失うことになる」

 

 程なくして白い霧となり、姿も声も完全に消えてなくなった。

 その後に森から出てきた恋花が恐る恐る近付いてくる。しかし彼女は立ち尽くす一葉の様子を目の当たりにすると、チャーム片手に急いで駆け寄ってきた。

 

「ちょっと、一葉。さっきのって……」

「……対策を講じなければなりません」

 

 自分では分からないが、一葉は相当に酷い顔をしていた。彼女を案ずる恋花の表情がそれを物語っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。エレンスゲ女学園、ヘルヴォル控室。

 休息を経て、怪異との戦いで受けた傷から完全に回復した五人が揃っていた。

 しかし部屋の雰囲気は芳しいものではない。通夜・葬式と言ったら言い過ぎだが、どこか重たく苦しい空気が場に居座っている。

 リビングのローテーブルを囲んで沈黙する一同の中、最初に口を開いたのは一葉だった。

 

「このまま放っておくことはできません。彼女がまた何か仕掛けてくる前に、止めなければ」

 

 あの場には藍も千香瑠も瑤も不在であったが、一葉と恋花の様子を見てその話を疑う者など居なかった。

 

「具体的には、どうする? 戦うの?」

 

 瑤に問われた一葉は少しの間だけ目を閉じた後、答える。

 

「残念ですが、現状では話を聞いてもらえる余地は無いでしょう。なので彼女の望み通り、戦って制圧を図ります。結界に関して話し合うのはそれからです」

「それで満足してくれたらいいけど……。で、肝心の勝算は?」

 

 恋花の質問に、今度は千香瑠が答える。

 

「鬼の実力は、はっきり言って未知数です。あまりに伝承が多過ぎて。だけど彼女の伊吹という名が体を表しているとするなら、戦いは相当厳しいものになるわ」

 

 それはこの場に居る誰もが頷ける話であった。実際に萃香の力を垣間見て、彼女に鍛えられたこともあるのだから。

 

「千香瑠様の仰る通り。たとえ我々五人掛かりでも、無策で挑むのは得策ではありません。情報収集が先決です」

「あっ、それならちょっと当てがあるかも」

「当て?」

 

 恋花の発言に、一葉が意外そうな顔で視線を向ける。

 

「ほら、この前京都に行った時。そういう伝承とかオカルトとかに詳しい子たちと仲良くなったのよ。協力してもらったら、あの鬼っ子のことも何か分かるかも」

「恋花様。幾らその道に詳しいからといって、一般の方を巻き込むわけにはいきません。街での資料集めなどならともかく、そういうわけではないのでしょう?」

「いやいや、唯の一般人とも言い切れないのよ。あの鹿野苑と関係があるんだって」

「鹿野苑と……」

 

 かねてから西日本での怪異事件を解決していたという京都舞鶴のガーデン。鹿野苑高等女学園が絡んでいるとなれば一考の余地はある。

 

「取りあえず、会って話を伺ってみましょうか」

「よし、決まりだね」

 

 満足そうに頷く恋花。

 

「待って。京都に行くなら外征の許可を取らないと」

 

 そこへ横から口を挟む瑤。

 

「怪異騒ぎは収まったし、東京でのヒュージの活動もまた沈静化してきました。恐らく許可は下りると思いますが」

 

 そうは言うものの、念には念を入れて京都外征と怪異の情報収集の意義についてレポートを作成して提出するつもりの一葉であった。

 

「藍ちゃん、どうかしたの?」

 

 ふと千香瑠が藍を気に掛ける。

 藍は口こそ挟まなかったが、先程からきょろきょろと視線を左右させて落ち着かない様子であった。

 

「うん……。萃香と戦うのは楽しみだけど……。また皆でピクニックできるよね? またお外で美味しいもの食べたりしたい」

「……っ!」

 

 そんな藍のささやかな願いを叶える方法が、一葉には思い浮かばなかった。気休めの言葉を掛けることもできず、ただ唇を噛むしかなかった。

 

「そうね、また皆でどこかにお出掛けしたいわね。でも萃香さんも忙しいみたいだから、気長に待ってましょうね」

「うん、分かった」

 

 千香瑠のフォローで藍は幾分か元気を取り戻したようだ。

 しかし、本来ならばこれは一葉が真っ先に気に掛けるべきこと。少なくとも一葉自身はそう考えていた。

 にもかかわらず、すぐに藍を気遣えなかったのは、未だに一葉の中で割り切ることができないでいるせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(何て未熟な……。隊長の私がこのざまでは。ただでさえ彼女と戦う羽目になって、皆動揺しているというのに)

 

 解散後のレギオン控室で一葉は己を恥じた。皆が動揺している時ほど自分が悠然と構えて支えなければならなかったのだが、実際はこれである。

 幾度となく激戦をくぐり抜けて相応に自信も付いていたはず。それでも何があろうとも平静を保てるとは限らない。感情を持つ人間らしいと言えば聞こえは良いが、それが仇となる場面も存在する。一葉も頭では分かっているのだ。頭では。

 

「眉間にシワが寄ってる」

 

 不意に、眉毛と眉毛と間に冷たい感覚が奔る。

 眉間を指で摘ままれていた。横から伸びてきた手によって。

 

「れ、恋花様……」

「そんなんじゃすぐにお婆さんになっちゃうぞー」

 

 解散したはずの控室で、悪戯っぽく笑う恋花。

 今の今まで接近に気付かなかったものの、その意図は容易に察しが付く。一葉を心配してのことだろう。

 

「あんたはちょっと、しょい込み過ぎなのよ。幾ら隊長って言っても限度はあるし、できないものはできないんだから」

「……自分の限界も、人に頼ることの意義も、理解したつもりだったのですが」

「まあ、仕方ないよ。あんなことになるなんて思いも寄らなかったし」

「いいえ。想像して然るべきでした。萃香さんは妖怪で、自分たちの目的のために動いている。その点について知っていたのだから、私たちと衝突する可能性も考慮するべきだった。あの時、動じてしまったのは、未熟な私の感傷によるものです」

 

 少々自虐が過ぎるかもしれないが、事実である。山で稽古に励んだり、同じ釜の飯を食ったり、共通の敵と戦っていく内に、どこかで自分たちと萃香との根本的な差異を失念してしまったのだ。

 けれども恋花はそんな一葉に対し、変わらず笑みを投げ掛ける。

 

「だったら、あたしたちだって同じじゃん」

「えっ?」

「皆驚いてるし、悲しんでるし、腹も立ててる。同じような気持ちを共有して悩んでるあんたは、ちゃんとあたしたちの隊長をやってると思うけどね」

 

 恋花に慰められて、一葉は嬉しいと感じた。褒められて嬉しかった。隊長としてどうかと思いはしたが、それはそれとして、自分の感情に嘘は吐けない。

 

「もー、何よ。今にも泣き出しそうな顔なんかして」

「そ、そんな顔してましたか?」

「してたしてた。しょうがないから、恋花お姉さんが甘やかしてあげよう」

 

 恋花はそう言って一葉の頭上に右手を伸ばす。青みがかった髪を、幼子相手にするようにゆっくりと撫でる。恋花の方が背が低いので、少しだけ撫で難そうだ。

 この時の一葉は羞恥心やむず痒しさよりも、恋花の手の平から伝わる安堵と心地良さの方が勝っていた。

 最初はただ撫でられるだけだった一葉の頭が恋花の胸元へと落ちる。

 

「ひゃあっ!」

 

 両者の体格差もあって、突然抱き付かれた恋花は可愛い悲鳴と共によろめいた。

 

「ちょ、ちょっとー」

「……甘やかしてくれると言ったのは恋花様です」

「いや、だからって、本当に来られるとは思わないでしょ」

 

 文句を言いつつも引き離そうとはせず、背中に両手を回してさすってくれる。

 ガーデンに所属し、レギオンを統率し、リリィとして戦う。それは一葉にとって決して重りではないが、今この時は一切の役目を脇に置いて我が儘に振舞えた。

 

 

 

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