横浜ネスト撃滅、首都圏完全奪還に向け弾み
先日、東京湾における海上交通の脅威であった横浜ネストが、巣の主であるアルトラ級ヒュージ諸共撃破された。
これにより、横浜のみならず東京湾全体の物流が大きく改善されることが期待できる。
作戦に参加したガーデンは地元のシエルリント女学薗の他に、相模原を国定守備範囲として担当する相模女子高等学館と、東京六本木に所在するエレンスゲ女学園だ。
作戦は終始順調に推移し、他地域からの増援をネスト本軍と合流させることなく教科書通りの分断・各個撃破を実行できた。
横浜ネストは横浜沿岸から遠過ぎず近過ぎない、ヒュージにとって絶好の距離に位置するネスト。
今回、そのようなネストを攻略できるだけの戦力を結集できたのは、昨今ヒュージの活動が停滞気味だという事情によるところが大きい。
あれだけ猛威を振るい続けてきたヒュージが何故今になって足を止めたのか。
理由はともかく、これを好機と攻めに転じるべきだという意見もあれば、嵐の前の静けさに過ぎないと警戒する意見もある。
いずれにせよ、事態の変化を見逃さぬよう、より一層の注視が必要となるだろう。
テーブルの上、恋花は己の人差指を上下に動かし続ける。
指の踊っている舞台は軽量のまな板……ではなく、小さな洗濯板……でもなく、板状のタブレット端末だった。
タブレットのディスプレイには最新のニュース記事が映し出されている。
「んーーー」
もう片方の人差指でテーブルをトントンと叩きながら、他に誰も居ない部屋で恋花は思索に耽る。
急に大人しくなったヒュージたち。原因は判然としていない。恋花には「大攻勢の前の準備期間」という説が最も信憑性が高く感じられたが、それとて他説との比較に過ぎなかった。
「でもしっくりこないのよねえ」
これが本音である。
結局は推測の域を出ず、今の段階では検証の手段も無い。
その上、このヒュージの異常行動は関東圏だけでなく、全国的な現象になりつつあるのだ。
ふと、部屋の出入り口になる機械式のドアが真横にスライドした。
入室してきたのは恋花の後輩にして、彼女たちヘルヴォルのリーダーだった。
「恋花様お一人でしたか」
「はいはい、お一人様ですよっと」
「では全員揃うまで待ちましょうか」
いつもの控室、いつものリビング。
恋花の向かい側に一葉が腰を下ろす。
「何を見ていたんですか?」
「これよ、これ」
「……ああ、先の合同作戦ですね」
「一応トップのうちらが呼ばれないなんて、おかしくない?」
「主攻はあくまでもシエルリントと相模で、エレンスゲの役割は支援でしたから」
眉を顰めて不満げな声を上げる恋花に対し、一葉は仕方ないと言わんばかりに宥めようとする。
「ま、それはもういいのよ。こっちはこっちで大変だったし。問題なのは、その大変なことになった元凶の方ね」
「それについては……皆さん到着したので改めて説明します」
残りの三人が出入り口をくぐったところで仕切り直しとなる。
そうして早速、一葉の口から本題が語られることになった。
◇
「結論から言うと、ガーデンは私たちの上げた報告をそのまま受理しました」
ヘルヴォルメンバーが一堂に会したリビングにて。
内容だけ見れば喜ぶべきものだったが、一葉の表情は硬く引き締まっていた。
「普通なら『そんなふざけた報告、書き直しだ!』って突っぱねられそうなものだけどねえ」
ジト目で皮肉っぽい恋花の言葉に、他の面々も同感だと相槌を打つ。
「しかし、実際は長い協議の末に受け入れられた。これは、エレンスゲ上層部も怪異絡みの事件を認識していると考えるのが自然でしょう」
「その辺り、実際どうなの?」
恋花に話を振られた千香瑠は少しだけ考え込んでから口を開く。
「十分、あり得るわ。桜ノ社や鹿野苑以外のガーデンも怪異に関わろうとしているかもしれない。程度の差はあるでしょうけど」
「実際、あんなことが起こってるわけだし。何も把握してませんって方が無理があるか」
予想通りの答えに恋花は納得する。
ただ納得と同時に、嫌な予感も覚えていた。
「また良からぬことに巻き込まれなきゃいいけど……」
「それは、杞憂でしょうね。怪異関連であの二校よりエレンスゲが進んでいるとは思えないわ」
「悪用しようと思ってできるものじゃないってこと?」
「ええ。仮にできたとしても、労力に見合わないわね」
千香瑠の意見を聞いて安堵する恋花。
実験と称して幽霊か何かにされては堪ったものではない。
「ガーデンの思惑はともかく。千香瑠様のお陰で無事に解決できたのは僥倖でした。ヒュージではありませんが、人に害を及ぼしかねないものなら私たちの出番もあるかもしれません」
「本気でヘルヴォルが幽霊退治しようって?」
「その時が来れば、ですよ。そうそう機会があるとは思えませんが」
一葉が真面目な顔を崩して軽く笑う。
確かに、恋花もあんな奇怪な体験を何度も味わうとは思えなかった。好奇心がそそられないと言えば噓になるが、そうそう面白い話が転がっているとも考え難い。
そんな恋花の心情を慮ったのか、一葉が思い出したかのように話題を変える。
「ところで、次のシエルリントとの情報交換会、私たちヘルヴォルも参加ということになりました」
「マジ? よーっし、
恋花は一転してウキウキ気分で笑みを浮かべた。
「
「細かいことはいいんだって! 大体、トップレギオンを参加させない方がおかしい!」
瑤の指摘も何のその。それぐらい楽しみだった。
友好ガーデンだし、距離的にも大して遠くはないのだが。
「何? 深顯の所に遊びに行くの? やったぁ!」
「藍、遊びに行くんじゃないからね」
軌道修正を図るべく窘める一葉だが、あまり効果は無いようだ。
結局、情報交換会はともかくとして、その後の友との対面は遠足気分になるのだった。
◇
シエルリント女学薗とは、ヘルヴォルが所属するエレンスゲ女学園と友好関係にあるガーデンだ。鎌倉府5大ガーデンの一角で、横浜をお膝元とする。恋花たちも何度か直接関わったことがあった。
シエルリントはエレンスゲと同様、マディック制度を導入していた。
マディックとは、スキラー数値――――マギの出力――――がリリィの基準に満たず、チャームが扱えない者たちの名称である。
両校による情報交換会の後、シエルリント校舎に程近いカフェで、ヘルヴォルは一人のマディックを囲んでいた。小柄な痩躯を黒尽くめの衣装に包んだ少女である。
「ふむふむ、怪談ですかー」
左右の席を一葉と恋花に挟まれた少女は、両手でグラスを握りつつ相槌を打つ。ちなみにグラスの中身は黒一色の珈琲だった。
「そうそう、最近嵌まっててさー。深顯も何かその手の話を知ってたら教えてくれない?」
恋花が肩と顔を寄せて気安く尋ねると、黒衣の少女――――道川深顯は声を低くし「うーん」と唸る。
この場では藍の次に幼い容姿の深顯だが、その実、6個分隊30名に隊本部・救護班・整備班を加えた総員40名ばかりの黒十字マディック隊を率いる指揮官なのである。
「私ではお力になれないかもしれません。何せ
つぶらな瞳を輝かせ、鼻息を荒げ、深顯は妄想の世界を熱弁する。
いや、妄想などではなく文化だ。シエルリントに根付く独自の文化だ。
「そうですか……。それは良かった」
「あ、でも、怪談じゃないかもですが、一つ気になる話はありますね」
深顯のノリに当然の如くついていく一葉。
そこへ、今度は至極真面目な情報がもたらされる。
「最近、うちの学生寮に差出人不明の新聞が届けられているんです。怪しいので、人の目につく前に寮長が回収しているらしいのですが。その甲斐もなく、寮の中では噂になってて」
「どのような新聞なのでしょう?」
「書かれている内容は特におかしくはないそうです。リリィを話題にした記事だとか。ただ、噂に尾びれ背びれが付いて、読むごとに一日寿命が縮まる呪いの新聞ってことになってますね」
「呪いの新聞……」
一葉は深顯の話を反芻しているようだ。
恋花としても、どこかで聞いたような内容である点は気になったものの、これだけでは何も判断できない。
「あのさ、深顯。その新聞、実物を確かめることってできる?」
「ええっと、実物を持ち出すのは無理ですが、写真を撮るぐらいなら可能だと思います」
「オッケー、それじゃあ写真をお願いしようかな」
「はい。撮れたらメールで送りますね」
恋花はトントン拍子で話を纏めていった。怪談話も興味をそそられるものだが、深顯と話したいことは他にもあるからだ。
ちょうどその時、カフェオレをストローからチュウチュウと吸っていた藍が、向かいの席から深顯たちの会話に割り込んでくる。
「お仕事のお話、終わった? だったら公園に行こうよ」
「公園? ひょっとして山下公園ですか?」
「あそこで千香瑠のお弁当食べて、ゴロンってするの」
言葉足らずな藍の話に、最初はクエスチョンマークを顔に浮かべていた深顯。
しかし、輝きに溢れる藍の表情と、両手をパタパタ動かしジェスチャーを試みる姿を目の当たりにし、深顯の顔も次第に綻んでいった。
「ふふっ。藍ちゃんもこう言ってることだし、早速場所取りに行きましょうか。ネストがなくなってから、人が増えたと聞きますし」
千香瑠の言葉が後押しとなって、一行は席を立つ流れとなった。
◇
後日、ヘルヴォルの姿は再び鎌倉府にあった。今回訪れたのは、横浜市と鎌倉市の境界付近にある小さな町である。
ただし、この日の彼女らは私服だった。その光景は有り触れた女学生を思わせる。大きなチャームケースが目立つ点を除けば、だが。
「あれですね」
車道を挟んだ反対側に、一葉がお目当ての建物を発見した。それは何かの事務所みたいな平屋の建物だった。
「写メに映ってた新聞に、印刷所の名前が載ってるなんてね」
「お陰でここを特定できました。深顯さんには感謝しないと」
恋花と一葉が頷き合うのは例の新聞について。
いとも容易く送り主を見つけられそうで、助かると同時に不思議でもある。
「シエルリントのガーデンとしては無視を決め込み、学生寮のリリィたちは気味悪がって関わろうとしない」
「気味悪がってるんじゃなくて、あえて詮索してないだけなんじゃ……。闇の組織がどうのこうのとか言って」
瑤の言葉を恋花が訂正した。
実際、わざわざヘルヴォルが出張らなくても解決できたはずの案件だ。
それでも今まで放置していたのは、実害が皆無だったからであろう。ただ何の変哲も無い新聞を送りつけてきただけのこと。寿命が縮む云々という話も、今のところ与太話に過ぎない。
それよりも、恋花はエレンスゲがヘルヴォルに調査許可を出した事実に驚いていた。リリィが各々のガーデンに定められた国定守備範囲から出ていくだけで外征扱いになるのだから。
ヒュージが大人しくて暇になったから、という理由だけでは説明がつかない。
やはりエレンスゲも怪異絡みの事件に首を突っ込もうとしていると考えるのが自然ではないか。
「ともかく、新聞の送り主が現れるまで交代で張り込みしましょう」
「あいよ。ところで一葉、その手に抱えている本は?」
「長丁場に備えて、時間を有意義に使おうかと」
「それでこんなとこでも戦術教本?
後輩にして我らがリーダーである少女の優等生ぶりに恋花は苦笑する。
けれども無理に改めさせようとは思わない。これまでの付き合いで、ブレーキを掛けてやるべき部分とその必要が無い部分の塩梅が何となく分かっていたから。
「一葉、具体的にはどう監視するの?」
「そうですね……小さな町とは言え、幸いこの近辺は人通りも店舗も多いので、あちらとこちらのポイントで二人一組になって――――――」
一葉が瑤の質問に答えて監視体制を組み立てていく。
案件に対して、些か大袈裟な感もある。しかしこれが相澤一葉という人物だった。
それに最初から徹底的にやってさっさと終わらせるという考えは恋花も嫌いではない。
狙い通りと言うべきか、張り込みの成果が早くも翌朝に出るのだった。
◇
怪異新聞の正体を突き止めようと、ヘルヴォルが張り込みを開始した二日目の朝。
恋花と一葉のペアは重要参考人の確保に成功した。両腕で大事そうに抱えている新聞の原本が決め手である。
印刷所の手前、歩道の真ん中で前後を挟まれた重要参考人は一葉たちと年の変わらぬ小さな少女であった。
「やっぱり、ふーみんじゃん。遠目からでも分かったけどさ」
「あうう……」
後ろから恋花に肩を叩かれた少女は動揺して言葉を詰まらせているようだった。
彼女は二川二水。百合ヶ丘女学院所属のリリィであり、ヘルヴォルとは戦場においてもプライベートでも面識があった。
「二水さん、シエルリントに差出人不明の新聞を送っていたのは貴方ですね?」
「ええっと。は、はい。そうです……」
「シエルリントでは、読むたびに寿命が縮まる怪異新聞などという噂が流れているのですよ」
「ふええっ、すみませんっ」
一葉から真っ直ぐに問われた二水は己の行為を認めた。小動物の如く縮こまっているのは少々気の毒に思えたが。
「でもさ、せっかく書いた記事なのに、匿名で送ったら誰が書いたか分からないじゃん。それって勿体なくない?」
「うっ、それはそうですけど……」
「そもそも、ふーみんは何でシエルリントに読ませようと思ったの?」
恋花の問いに、二水はまた口ごもる。
しかし間を置いて、ゆっくりとだがポツポツと語り始めた。
「ご存知の通り、反ゲヘナの百合ヶ丘と親ゲヘナのシエルリントは仲がよろしくありません。そこで、他愛のない話題から始めて、私たちの考えを知って貰おうかと」
二水の言いたいことは分かる。
エレンスゲもまた百合ヶ丘とは関係が悪い。ヘルヴォルの場合、ガーデンから睨まれながらもこうして二水たち一柳隊と懇意にしているのだが。
「でもねえ。記事の内容が、誰それと誰それが
「い、いえ、だからこれは
「ふーん? けど新聞を刷り続けるのだってお金掛かるでしょ。ちょーっと悠長過ぎやしない?」
「あー、えーっと……」
「まあそもそも、肝心の
追及される度、二水はしどろもどろになっていく。
可愛そうではあるが、しかし大事なことなので、はっきりさせておかなければ。
「恋花様、その辺りで」
「はーい」
「二水さん。やはりこの方法では目的を達成するのは難しいでしょう」
「そう、ですね。一葉さんや恋花様たちにもご迷惑お掛けしましたし。新聞を送るのは止めておきます」
二水は眉を八の字に垂れ下げた残念そうな顔で承諾した。
彼女の熱意や行動力は大したものだが、方法が些かズレていたと見るべきだろう。
問題が片付いた頃、一時的に別行動を取っていた他の三人、藍と千香瑠と瑤がやって来る。
全員が合流したのを見計らって、恋花が改まった調子で口を開く。
「さ~て、無事に怪談も解決したし。最後に皆でお昼食べて帰ろっか」
明るくあっけらかんとそう言った。
今はまだ朝なので、昼までどこかで遊ぶなりして時間を潰す必要がある。
「勿論ふーみんも一緒だからね」
「え、ええ。今日は非番なので大丈夫ですが」
「よし! 決まり!」
一葉が異を唱えないこともあり、恋花は強引に昼の予定を決めてしまった。
「千香瑠様、念のためお聞きしますが、今回は本当に怪異の関与は無いのですね?」
「無いと思うわ。新聞の原本からも二水さんからも、印刷所からもおかしなモノは感じないから」
「そうですか」
神妙な顔で尋ねた一葉は千香瑠の返事を聞いて「ふぅ」と息を吐き出した。肩の力も幾分か抜けたに違いない。
ただそれでも、リーダーである彼女は警戒を完全には解いていないだろう。
恋花は二水の肩を左手で抱きつつ、一葉の肩にも右手を伸ばす。
「なーに難しい顔してんのよ。まさか一葉、このまま東京にトンボ返りしようって言うんじゃないでしょうね」
「いえ、そういうわけでは……」
「だったら、これから町の中ゆっくり見ていくよ。ふーみんに案内してもらおっかな」
「はい。私もそこまで詳しくはないですが」
恋花を中心に横並びの三人が歩き出した。
その後ろから、微笑を浮かべた千香瑠と若干の呆れ顔をした瑤が続く。寝惚け眼の藍は瑤に手を引かれている。
怪異の調査は空振りだった。
しかし、こんな日もあるものだと、朗らかに前へ進む恋花の姿と晴れ渡った青空が暗に語っているようだった。