神社生まれの千香瑠様   作:坂ノ下

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第42話 喪失のあと

 西の空が赤みを帯びた頃、大江山ではパラパラと雪が降り始めていた。

 山地や高地が大部分を占める京都府北部は豪雪地帯である。

 天気予報によると降雪量はそれ程でもないそうだが、予報とは往々にして当てにならないものだった。

 山中に取り残されたヘルヴォルの四人は山を下りた。途中、いつもの彼女たちらしくなく、会話はほとんど無かった。

 敗走という言葉がこれ程相応しいものはそうそう見られない。

 今のヘルヴォルが結成されて以降も敗戦の経験はあるが、今回の負けは悪い意味で格別の負けだった。故に下山の列は葬儀の列みたいな空気を醸し出していたのだ。

 

 やがて山を下り切った四人は麓にあるバスの停留所跡にやって来る。

 幾つかの長椅子と、それらを雨風から守るトタン屋根と壁。登山者たちのスタート地点だけあって、小休憩できるぐらいには広いスペース。

 ちなみに併設された自動販売機はまだ生きていた。バスの便こそ動いていないが、訪れる人が居るからだ。

 錆び付いた屋根の下、一番初めに口を開いたのは瑤だった。

 

「これからどうするの?」

 

 その問いに一葉はすぐ答えることができなかった。

 瑤の瞳に真っ直ぐ見つめられ、責められているような錯覚さえ覚えそうになった。

 一葉の反応を予想していたのか、瑤は返答を急かさずジッと待っている。

 

 ――――勿論、助けに行く。

 

 そう答えられれば良いのだが、許されない。許されるはずがない。

 レギオンの隊長として隊員全員の命をも預かっている以上、軽々しく口にできるはずがないのだ。

 なので一葉は当たり障りの無い回答を絞り出すしかなかった。

 

「今は、分かりません……。現状では、何も……」

「うん、それはそう。じゃあ聞き方を変えるね」

 

 瑤は尚も一葉を見つめたまま。怒るでもなく失望するでもなく、何かを期待している様子。

 それが今の一葉には重荷に感じられた。

 

「一葉はどうしたいの?」

 

 どうしたいか、などと決まっている。

 だがおいそれと口にはできない。自分が口にすれば、きっと他の皆も賛成すると確信していたから。

 沈黙する一葉に対し、瑤は続ける。

 

「ヘルヴォルを結成したばかりの頃に私が負傷した戦闘のこと、覚えてる?」

「はい」

 

 無論、忘れるはずがない。

 ヘルヴォルとヘレンスゲの改革という理想を掲げる一葉を信じて戦い、瑤が大きな傷を負った件である。

 

「あの時、私は一葉に賭けてもいいと思った。一葉を信じてみようと思った。今では恋花も同じ想いのはず」

 

 口だけでなく、行動と結果で皆の信頼を得た。一葉にもその自負はある。

 だが信頼されているからこそ、己の判断ミスがもたらす結果を恐れてもいた。

 

「だから、もし一葉が本当に諦めたんだったら、仕方ないと思う。私も諦める」

 

 瑤は躊躇なくはっきりとそう言った。

 瑤と恋花は親友だ。中等部時代から轡を並べて戦ってきた戦友だ。

 にもかかわらず、瑤は一葉に判断を委ねて諦めても良いと言っている。

 

(諦める……?)

 

 恋花を。恋花の笑顔を。恋花の温もりを。恋花への想いを。

 今ここで自分たちが諦めたら、それらを全て失ってしまう。二度と手に入らなくなってしまう。

 隊長としての責務と、仲間を更なる危険に晒すことへの忌諱と、恋花を失う恐怖。その三つが一葉の中でせめぎ合い、ない交ぜとなっていく。

 

「…………できません」

 

 結局のところ、最後は口に出してしまった。

 いや、瑤のお陰で口に出せたと言うべきか。

 

「諦めるなんて、できません! 諦めたくないっ!」

 

 一葉の吐露を聞き終えると、瑤はゆっくりと頷いた。

 

「やっと言った」

「……えっ?」

「判断を押し付けて、ごめん。でも一葉は真面目で頑固だから、あんな聞き方しちゃった」

 

 瑤が謝った。

 千香瑠と藍も、待っていたかのように口を開く。

 

「一葉ちゃん。一葉ちゃんだけに重荷を背負わせたりしないわ。あの子を、萃香さんを討つというなら、私も」

「らんも! 今度はらん、負けないよ!」

 

 一度口に出してみれば、何てことはない簡単なもののように思えた。

 ヘルヴォルは常に仲間と共に乗り越えてきたのだから。今回だって例外ではないはずなのだ。

 しかしだからと言って、みすみす勝算の低い戦いへとただ突っ込んでいくわけにはいかない。

 

「瑤様、千香瑠様、藍。ありがとうございます。落ち着いた場所で詳しく話し合いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瑤さん」

「何? 千香瑠」

「こんなことあり得ないだろうけど。もしも、もしも一葉ちゃんが諦めるって言ってたら、瑤さんも本当に諦めてたの?」

「まさか。一人でも恋花を捜しに行ってた」

「まあ。それじゃあ、わざとあんなこと言ったのね。意地悪だわ」

「そうだね、意地悪だ。でも少しぐらいは意地悪してもいいでしょ?」

「……何だかちょっとだけ分かるわ。あの二人を見てたら妬けてくるもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来た時より一人欠けた状態でヘルヴォルは京都市内の宿に戻ってた。

 一葉の宣言通り四人は早速作戦会議を開始する。

 

「もう一度秘封倶楽部のお二人に会って、助言を得たいと思います。そして可能なら、彼女たちを通じて鹿野苑の協力も」

 

 一葉の提案の内、前半はともかく後半は意外だったのか、瑤も千香瑠も驚いた後に渋い反応を見せる。

 

「一葉ちゃん、当然分かっていると思うけど、鹿野苑は鬼との接触を防ごうとしてる。私たちがお願いしたところで手を貸してもらえるかどうか……」

「ええ、勿論メリーさんから伺ったお話は覚えています。むしろ止められる可能性が高いでしょう」

「だったら何故?」

「ですが我々だけで鬼に対抗するのが難しいのも事実。なので鬼の脅威を説いて何とか協力を引き出そうと考えています。場合によっては、チャームのコアに記された戦闘記録を提示してみるのも有りかと」

 

 そう説明すると、渋い反応だった二人も深く考え込んだ。

 実際に鬼による被害――――リリィが一人拉致されたとあっては動いてくれる可能性も出てくるだろう。

 

「コアの記録を見るなら、うちのガーデンの許可も要るね」

「はい、瑤様。そちらも説得しなければなりません」

 

 むしろそちらの方が難題かもしれれないと一葉は内心思っていた。

 

「あとは我々ヘルヴォル自身の強化も必要ですね。彼女は、強い。想像していたよりもずっと」

「らんが必殺技考えよっか?」

「ふふ、それもいいかもね」

 

 大よその方針を固めたヘルヴォルはまず自分たちの傷を癒してから動き出すことにした。

 あれだけ()()()に拘ってきた萃香が攫った恋花へ今すぐに危害を加えるとは考え難い。これまでの彼女の言動から見ても明らかだ。

 それに、今度はより確実性を期さなければならない。リリィとしての務めを果たすために。失ったものを取り戻すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反撃に向けて動き出したヘルヴォルは出だしから早速躓いてしまう。

 それは一葉と彼女の属するガーデン――――エレンスゲとの通信においてのことだった。

 

「今は動くな。京都市内で待機していろ」

 

 タブレット端末のディスプレイに表示された映像通信の向こう側で、黒髪を一本に絞った二十代の女性がそう告げてきた。

 

「教導官殿、『動くな』とはどういうことでしょうか? 先程報告した通り、飯島恋花の捜索・救出に当たらねばなりません。前回の戦闘で負った傷とマギは既に回復しています」

 

 一葉が表情を硬くして反論すると、画面の向こうのヘルヴォル教導官は首を左右に振った。

 

「言葉通りの意味だ。軽挙妄動を慎み、待機状態で次の指示を待て」

「……見捨てろと仰るのですか。これ以上の戦力の喪失を防ぐために」

 

 こうなることを、一葉もある程度は覚悟していた。

 エレンスゲ女学園は全体の損得を目に見える結果から判断する傾向が強いガーデンだった。

 一葉はどうにかして翻意を促そうと、拙いと自覚しつつ弁を振るう。

 

「一度ならず二度も敗北した私では説得力に欠けますが。しかし鹿野苑の協力が得られれば勝算はあります。ガーデン間の正式な作戦となれば、先方の重い腰を上げられる可能性は十分あります。ですから機会をください」

「駄目だ。命令は待機だ」

「……どうしても、動くなと?」

「……トップレギオンとして相応しい判断をしろ」

 

 命令が覆らない可能性も当然覚悟済みだ。

 

「分かりました。ではエレンスゲ女学園の生徒としてではなく、一人の人間として事に当たります」

 

 たとえ学園の改革という野心を捨てることになっても、諦めないと決めた。

 

「本件が解決した暁には――――」

 

 全ての責任を取る。

 そう言おうとした一葉の口が突然遮られる。

 

「たわけが! 待てと言ってるんだ!」

 

 これまで、無感動に意見を却下されることはある。冷たい視線で非難を受けたことはある。

 しかしながら、一葉は自分たちの教導官から声を荒げて感情的に叱られたことは一度もなかった。

 

「いいか! 絶対に早まった真似をするんじゃないぞ! 絶対にっ!」

「しかし!」

「……風向きが、変わるかもしれんのだ」

 

 ヘルヴォル教導官はそれ以上説明してはくれなかった。

 だがそれでも、常ならざる熱の籠った視線を見て、一葉は信じてみようと思った。

 

 それから三日後。ヘルヴォルの待機命令は解除され、鹿野苑との協力関係が正式に結ばれることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルは不良霊能者サークル秘封倶楽部ともう一度会合の場を設けた。

 ただし今度は郊外のカフェではなくヘルヴォルの宿泊する宿の一室で。そして秘封倶楽部は個人的な活動ではなく鹿野苑の使いとして出席していた。

 

「聞いたわ、恋花のこと。私たちにも責任の一端はあると思う。鬼の脅威について、もっとちゃんと伝えられていれば」

 

 テーブルを挟んだ反対側で、蓮子がバツの悪そうな顔を向けてくる。

 本人はああ言っているが、困難を知りつつも鬼退治を決断したのはヘルヴォル自身である。なので当然、責めを負うべきなのはヘルヴォルだ。

 

「いいえ。たとえ相手がどんなに強大でも、我々は動いていました」

「でも対策は講じるでしょう? 私たちも、今日はそのために来たんだし」

 

 自然な流れで本題へと移る。

 秘封俱楽部がヘルヴォルを訪ねてきたのは、鹿野苑が提供してくれる支援について説明するためであった。

 

「まずは行方をくらました鬼の居場所だけど。貴方たちは『報せ地蔵』って知ってる?」

「はい。鹿野苑のリリィたちが運用しているヒュージ粒子感知計測システムのことですね」

 

 蓮子からバトンタッチしたメリーの質問に、千香瑠が答えた。

 

「そう。京都府内3800箇所に設置した地蔵型の装置から遠隔操作でマギを放出し、ヒュージ粒子との接触反応を計測してヒュージを索敵する代物よ。これを妖怪の索敵にも応用しようというの」

「それは、可能ならば頼りになるわ」

「このシステムにはマギをぶつけられたヒュージを凶暴化させる副作用もあるのだけど、知性の高い妖怪には関係無いから」

 

 今現在、巷に溢れていた怪異騒ぎはすっかり鳴りを潜めていた。萃香を除いては。

 従ってその報せ地蔵に引っ掛かる怪異・妖怪は、ほぼ確実に萃香ということになる。

 

「ただし、もしも彼女が京都から離れていたとしたら、意味が無くなってしまう」

「ええ。妖怪は()()()のある土地に拘るものだけど、あの子はかなり自由に動き回っているみたい」

「その時は、私が手伝うわ。大江山にあった境目はもう閉じたようだから、私の目でまた結界の境目を見つけ出してみる」

 

 メリーことマエリベリー・ハーンは結界に生じた隙間を認識できる異能の持ち主であった。

 幾ら異能の持ち主とは言え、リリィやマディックでない人間に協力させるのは抵抗がある。それでも、その力に頼る必要があるのなら、吞み込まなければならない。

 

「はい、その時はよろしくお願いします。微力を尽くしてお守りさせて頂きますので」

 

 一葉が深々と頭を下げたのを見た蓮子とメリーは一瞬静かになるが、すぐにくすくすと笑い声を漏らす。

 

「ふふふ、恋花の言ってた通りの子ね」

「そうねー」

 

 メリーの台詞と蓮子の相槌に、一葉は気を揉む。

 

「うっ……。恋花様、何か変なことを言ってませんでしたか?」

「いいえ、ただ凄く固い子だったって。でも最近は柔らかくなってきたとも言ってたわねえ。大丈夫、褒めてたから」

「はあ……」

 

 蓮子は何か思い出しながらそう言うと、テーブルの上に出された紅茶のカップに口を付けた。

 居たたまれなくなった一葉も気を紛らわすかのように紅茶を口の中に流し込むのだった。

 ちょっとした小休止を挟み、本題が再開される。

 

「鹿野苑から貴方たちに提供される支援がもう一つあるの。チャームが一機」

「一機、ということは何か特殊な機能が搭載されているのでしょうか?」

 

 一葉が問うものの、蓮子は首を横に振って肩をすくめる。

 

「流石に私たちじゃあ現物を預かれなかったから、後日鹿野苑のリリィが届けに来るはずだけど。相当な代物みたいね。素人の私でも分かるぐらいには」

「成る程……」

 

 エレンスゲと鹿野苑との即席の協力体制。蓋を開けてみれば、鹿野苑側は情報や装備面での支援は行なうが、直接戦力は出さない内容となっていた。

 その辺りは一葉たち第一線のリリィには計り知れないが、ガーデン間で抜け目ない折衝が繰り広げられたのだろう。

 一見すると戦闘要員としてリリィを派遣しない鹿野苑が及び腰に思える。

 だがガーデンとしての性質も戦術も異質なエレンスゲとの協同が困難を極めるのは想像に難くない。

 結局のところ、平生からの交流が無い以上はこの程度の協力が無難なのだ。

 

「ありがとうございます。蓮子さん、メリーさん。お二人にはご迷惑をお掛けしたというのに」

「いや、私たちは何も……」

「鬼との件を鹿野苑が知ったということは、貴方たちにお咎めがいったのでは?」

 

 鹿野苑は元々鬼との関りを避けようとしていた。よって秘封俱楽部がヘルヴォルに大江山にある結界の境目を教えたのはガーデンの方針に反する行為と言えた。

 

「ああ、いいのいいの。前にも言ったけど、私たち鹿野苑に正式に所属してるってわけじゃないし。まあ確かにちょっと釘を刺されはしたけどさ」

 

 蓮子はさも何でもないかのように言ってみせた。

 しかしヒュージ溢れる戦時下のこの御時世において、それはとても肝の据わったことではなかろうか。

 

「とにかく私たち、ってかメリーの能力が必要な時はよろしくね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ、んんーーーっ」

 

 微睡から目覚め、大きく伸びをする。

 一番最初に恋花が感じ取ったのは、普段馴染みの薄い香りであった。ゴロンと寝返りを打っていると、それが畳の匂いであると気付く。

 横向きの状態で恋花は両の瞳を開ける。

 視界に映っていたのはこれまた馴染の薄い紙張りの襖である。

 完全に覚醒した恋花はすぐさま上体を起こして周囲を見回した。

 彼女が寝転がっていたのは八畳一間の和室に敷かれた布団の上。部屋は襖や障子で区切られている。

 上を見上げれば、天井に電気照明の類は無い。その代わり床の間に直方体の行灯が置かれていた。時代劇のセットかと錯覚しそうになる。

 京都市内の宿ではないし、勿論エレンスゲの寮でもない。

 

「…………ここ、どこ?」

 

 

 

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