地上の俗世から隔絶された天上の世界、天界。
そんな天界の一角、鬼が天人から勝ち取ったという土地に連れて来られた恋花は鬼に協力する少女と共に過ごしていた。
想像を絶する周囲の環境。何せ空の上に浮かぶ島の一軒家である。
ただそこまで酷く不便な生活を強いられているかと言うと、答えは否だ。
最も懸念していた食事に関しては、全て用意してもらっていた。
「心配せずとも、食べ物を口に入れたからといって、ここから出られなくなったりはしませんよ。黄泉の国じゃあないのですから」
主から恋花の世話を命じられたという魂魄妖夢なる少女。
恋花は彼女と接する内に幾つか気付いたことがある。
まず、料理が上手い。和食中心だが。他人に出して金を取れるレベルだと恋花は感じた。普段から主のために腕を振るっているし、宴会がある時もよく調理を担当しているらしい。
また、当初の印象よりも気さくな人物だった。恋花は雑談がてら彼女から色々な話を耳にした。
「元々この土地を所有していた天人は、大層厄介な人物で。地震を起こしたり神社を倒壊させたり、あの時は本当に大変でした」
「へぇ~、そりゃ災難だねえ。天人ってそんな凄いことできるんだ。どんな人たち?」
「修行を積んだり何かしらの功績を認められて天界に住むようになった人間ですよ。不老長寿で身体頑健、天変地異を起こせたり。あの天人は特別変わり者だったようですが」
はっきり言って、恋花には理解し難い内容も多々あったのだが、今はそういうものとして呑み込んでおく。
「しかしまあ、ここ天界が退屈で暇を持て余していたというのは分かります。私も主の命が無ければ来ていなかったでしょう」
「妖夢のご主人様って、地上に住んでるの?」
「いいえ、冥界ですね」
「めい、かい……?」
「死後の世界です」
「それって地獄のことなんじゃ」
「地獄は罪のある魂が堕ちる場所。冥界に居る霊は基本的に善良な者ばかりですよ。私の主はそこで霊たちの管理を司っているお嬢様なのです」
「お、おう……」
恋花はまた頭がくらくらしてきそうになったので、本題に移ることにした。
「あの鬼っ子、何だってあたしをこんな所に連れ込んだんだろうね」
「さて? あの性格だから、派手に暴れられる舞台でやり合いたいんじゃないでしょうか」
「隔離されてるって言っても、他の所に住んでる天人が何か言ってくるんじゃない?」
「また酔っ払いが騒いでる、ぐらいにしか思わないかと」
「えぇー、謎の信頼感」
恋花には、この妖夢という人物が普通の少女のように思えた。
刀を二本も差しているし、白色半透明の人魂みたいな奇妙な物体を引き連れてはいるが、話してみると所帯染みつつもどこか暢気な女の子といった感じであった。
「子鬼の思惑はともかく、私の役目は貴方のお世話と貴方を結界の外へ帰さないことですけどね」
「あたしってば軟禁されてるわけー?」
恋花はわざとおどけるように驚いてみせる。
閉じ込められているも同然なのは状況的に明らかだが、はっきりと口に出して言われるとやはり身構えてしまうものだ。
「退屈と言えば退屈な場所ですが、考えようによってはそこまで悪くないかも。天界の桃を食べ続ければ貴方も不老長寿になれますよ。多分」
「不老か~。ちょっと悩む」
「なので下手な真似をせず、ここで大人しくしててくださいね。私が助かりますから」
台詞に反して、妖夢からはどちらでもよさそうな雰囲気が感じられた。主には忠実でもこの仕事には乗り気でないのだろうか。
「う~ん、『ここに居て』か~。可愛い子のお願いだから揺らいじゃうけど。残念、もう少し大きくなってからだねー」
「おや、それは奇遇ですね。私もどちらかと言うと、さらさらロングヘアの女性が好みなので」
◇
妖夢と「帰る・帰らない」の問答を繰り広げた次の日の朝。恋花は寝床としている質素な木造家屋を出て浮島の外の大空を見つめていた。
(……やっぱりだ。ここ、マギ濃度が凄く高い。向こうの大きな浮島まで跳べるぐらいには)
軽くマギを使ってジャンプしてみたり、防御結界を強化してみたり、一人色々と試した結果そのことに気が付いた。
恋花の視線が下に向けられる。真っ白な雲海が途切れた更に下の方に、ぼんやりと山の頂のようなものが見えた。
そのような常識外れに高い山、少なくとも恋花の元居た世界には存在しない。ならば、たとえ天界からそのまま地上に降りたとしても、元居た場所に帰ることは叶わないだろう。
どうなるかなんて保証は無い。端的に言って、無謀な賭けだ。
(それでも、ここにずっと居たって何にもならない)
ヘルヴォルを、仲間たちを誘い出すための餌としてジッと囚われの姫を演じるのは性に合わない。
恋花は起動状態のチャームを抱えたまま、浮島の崖ぎわに向かって足を踏み出す。
「やっぱり出ていきますか」
後方から声を掛けられて、くるりと振り返る。
驚いても怒ってもいないその声の主は妖夢であった。
「あちゃ~、見つかっちゃった」
「ふむ……。しかし、天界にずっと居なくとも、わざわざ
妖夢の提案めいた言葉に、恋花は疑問の表情を浮かべる。
「結界の外と違ってこちら側にヒュージなんてものは存在しませんし、仮に流れてきたとしてもどうにかしてしまうでしょう」
ここにヒュージは居ない。
ということは、ここ天界の空気中に溢れているマギはマギとは似て非なる代物なのだろう。ヒュージの発生要件はマギだけではないので断言はできないが。
「まあ妖怪とか妖怪みたいな人間は居ますが、多少は戦えるみたいなので、貴方なら問題ありませんよ」
その物言いが引っ掛かった恋花は幾分か逡巡した後、妖夢へ突っ込んだ質問をぶつけてみる。
「妖夢って、何者?」
「何者、とは?」
「ただの人間じゃないっぽいし、かと言って妖怪とも違う気がする。貴方は一体何者なの?」
すると答える側は平然としたままで。
「人間でないのは貴方のお仲間も同じでしょう」
「……あの子は、人間だよ。これからも一緒に遊んだり色んなことしたり、色んなこと教えてやって」
恋花は今も自分のことを捜しているであろう仲間たちの姿を思い描く。
「―――――だからここには居られない。あたしの居場所に、ヘルヴォルに帰らないと」
相手の目を真っ直ぐに見据えてそう言い切った。
すると妖夢の口は恋花を否定するでもなく説得するでもなく、「ふぅ」と小さく息を吐き出す。
「あの子鬼に義理立てする筋合いは無いのですが」
子供らしいストラップシューズに包まれた右足を後ろに引くと、妖夢は腰に差した長い方の刀の柄に手を掛けた。
「主命により、お相手仕る」
◇
高いマギインテンシティはリリィの攻撃力・防御力のみならず、身体能力も強化する。それは脚力や跳躍力も含まれており、恋花はチャームを抱えて浮島の上を駆け回っていた。
萃香所有の平屋が建つだけの小振りな浮島。とは言え、二人で追い掛けっこする分には十分な広さである。飛び出すようにその場から離れた恋花が島内の木々や岩壁を駆使して逃走を図る。
この状況で浮島の外へ跳ぶのは躊躇われた。聞けば妖夢もここの住人も普通に空を飛べるらしい。空中で後ろから追い撃ちされては目も当てられない。
「あっぶなっ!」
視界のすぐ横を球状の白光が掠め、恋花は反対方向に跳んだ。
後方から放たれた光弾だった。
後ろでは、刀を構えた妖夢が地面の土を蹴り付けながら猛追してくる。
「本当もう、何なのよ!」
恋花は後ろを振り返らずに愚痴を吐く。
普段の妖夢は、悪く言えば、どこか能天気な雰囲気のある女の子だった。
ところが
殺気、いや剣気とでも表現するべきか。ピリピリと肌を刺す感覚が刀を構えた妖夢から発せられたのだ。
達人と呼ばれる者は闘志を他人に悟らせないとよく言われるが、彼女の場合は正反対。さながら辻斬りの如くその意を剥き出しにして襲ってくる。
恋花は左右を見回しながら、どうするべきか必死に頭を回転させる。
(さっきからピタリとあたしの後に付いてきてる。多分、その気になったらあっちの方が速い)
恋花は一戦交える覚悟を決める。
そうすると、次は場所だ。視界の中に背の低い桃の木が林立する光景が映り込むが、捨て置く。障害物の多い地形では武器の差から妖夢の方が有利になるだろう。
恋花は前方に見えた小高い岩石の上に飛び乗った。天界の地にはどういう意図で切り出されたのかよく分からない岩があちこちに鎮座していた。
岩の天辺に飛び乗って、振り向きざまにチャームで発砲する。
しかし連続して放たれたレーザーは目標にニアミスすらせずに虚しく無人の地面を抉るだけ。
恋花の正面から消えた妖夢は右側方から大きく回り込むと、瞬時に距離を詰め直して刀を振るう。
「っつう!」
チャームのボディを盾に一太刀を弾くと、グリップを握る手に鈍い衝撃が走った。その勢いに押されるように恋花が別の大岩へと飛び退く。
妖夢は着地する相手を見据えながら、半身の態勢で刀の切っ先を下方に下げる。
「ようやくその気になりましたか」
「黙ってやられるわけにはいかないでしょ。あたしが勝ったら、脱出方法とか教えてもらうからね」
「そういう姿勢、良いですね。互いに斬り結べば大抵のことは分かるというもの」
「んなわけあるか」
二人、別々の岩の上で対峙する。
不意に、後ろに引いていた妖夢の右足がキュッと岩肌を踏み締めた。
身構える恋花だが、
短い方は
太刀と小太刀の二刀流。二刀流を実戦で用いるのはそれだけで巧者の証であった。少なくとも恋花の世界では。
腰を落として身を屈め、靴の裏で岩肌を蹴って今度こそ妖夢が動いた。
恋花のブルンツヴィークはブレイドモード。距離を取り続けて射撃だけで片を付けるのは、相手の機動力を見て半ば諦めていた。
チャームを振って妖夢の斬撃をいなす――――
そのはずが、次の瞬間には大岩の上から転げ落ちていた。
「ぐっ!?」
何とか下の地面で受け身を取って態勢を立て直す。
それから初めて恋花は気が付いた。すれ違いざまの一太刀を浴びて叩き落とされたのだと。
天界の高いマギインテンシティに防御結界を強化されていなければ、どうなっていたことか。
「今のを耐えるとは。峰打ちの必要は無いようですね」
「いやいや、峰で十分! 十分応えたから!」
刀を返す妖夢を見て焦ったように声を上げる恋花。
先程の一撃、太刀筋はおろか使い手の動作すら目で追えなかった。まるで瞬間移動だ。
追い掛けっこをしていた際にはあのような動きは見せなかった。どうやら短距離限定で発揮できるものらしい。
(元々まともな剣の腕じゃあ、お話にならないって分かってたんだ。だったら……)
恋花はブルンツヴィークを両手で抱えると、あろうことか自分から距離を詰めていった。
妖夢も大岩から地面へ飛び降りて受けて立つ。
袈裟懸けに振り下ろされた太刀をチャームの刃で受け止める。逆袈裟に振り上げられた小太刀もまたチャームのボディで防ぐ。
そうしてそのまま間合いを空けずに肉迫する。体当たりでもしかねないほどに、文字通りの近接戦闘を挑んだ。
(取り回しの良さで劣るチャームがあの刀に勝ってるものは、機体のサイズと防御結界。趣味じゃないけど、無理くりいかせてもらうよ)
多くのチャームにはリリィの防御結界を補助する機能がある。初心者向きとされるグングニルが特に顕著だが、ブルンツヴィークにも多少の補助機能が備わっていた。
相手の得物に比して表面積の大きなチャームを盾代わりとする。刃による斬撃は二の次で、機体を前にかざして相手の妨害を優先に立ち回る。
ブルンツヴィークに適した戦い方とはとても言えないけれど、敵がヒュージでないなら定石通りいかないのは当然だろう。
幾度か二刀を振るって恋花の守りを崩そうとしていた妖夢が、出し抜けに大きく跳躍した。
「しまった、つい熱が入ってしまった……」
あとを追って跳ぶか迷った恋花をよそに、妖夢は空中に静止して太刀の方を大きく振りかぶった。
「今度はこちらの土俵で参りますよ」
「土俵って、剣術じゃないの?」
最初こそ当惑したものの、恋花はすぐに萃香から聞いた話を思い出す。彼女らの世界では
見上げる恋花の前で、銀剣が一閃。振り下ろされた刃の軌道に沿うような形で無数の光弾が一瞬の内に現出する。
白光を放ちながら地上に降り注ぐ弾幕を、恋花は横にステップして躱す。
するとお次は横薙ぎに太刀が払われて、左右一杯に弾幕が襲い掛かってきた。
最低限の跳躍で第二派も回避した恋花はブルンツヴィークをシューティングモードに切り替える。機体下部から前に突き出ていた刃が後退し、機体中央の窪んだ箇所から光が迸る。
地の上をジグザグに駆けてレーザーマシンガンの弾幕を張っていく恋花。空には上がらない。マギインテンシティが高ければ飛べはするものの、御三家以外の東京のリリィは本格的な空戦の機会は少なかった。高層建築物を足場に跳ね回ることは多いが。
それに比べて妖夢は瞬く間に高度を上げたり、中空にヘリの如く安定して静止したり、明らかに空戦慣れしているようだった。
相手の戦場に付き合う必要は無い。恋花は点在する大岩の間を縫うように走り、それらを盾にしつつ反撃していく。
(いつもよりマギの消耗がずっと遅い。マギインテンシティが高いせいか。長期戦はできそうだけど……)
被弾した大岩からパラパラと飛び散った石片を頭に浴びながら、恋花は次の手を探る。
だが障害物を飛び出して何かしら動きを見せれば、空中の妖夢からは丸分かりだろう。
結局、決め手に欠けるのは恋花も同じであった。
そんな思考の最中、恋花は空中の光景にふと違和感を覚えた。
「…………?」
常に妖夢の傍に付いて回っていた人魂らしき物体がいつの間にか消えていた。
その直後、勘の為せる業だろうか、恋花はすぐさまその場から弾かれるように跳んだ。
するとついさっきまで恋花が身を寄せていた大岩に、一瞬で亀裂が走る。
刀だ。刀による斬撃だ。逃げるのが遅れていたなら岩の代わりに恋花が浴びていただろう。
地上で岩を切り裂いた者は、妖夢。空中で弾幕をばら撒き続けているのも妖夢。
「びっくりしたー。へぇ、侍じゃなくて忍者だったとはね」
「それは分身じゃないですよ。半霊、私の半身」
動揺を隠して軽口を叩くと、妖夢は当然のように種を明かす。
初め恋花はユーバーザインでも仕掛けられたのかと思った。
レアスキルみたいに、あるいはレアスキル以上に奇怪な能力がここにはごろごろしているのだと改めて思い知った。
恋花の心境を尻目に地上の妖夢、否、半霊はボウッと揺らめいた後、元の幽霊の姿へと戻った。
半霊はすぐに半身の元に帰らず、自らの体を弾幕の一つとして恋花を襲う。
シューティングモードのまま前にかざされたブルンツヴィークに弾かれて軌道を逸らされる半霊だが、そのまま恋花の遠巻きを旋回して襲撃の機を窺い出した。
無論、そうしている間にも上空からの爆撃は続く。
直線的だが広範囲に間断なく降り注ぐ白色弾が周囲の岩を削っていき、一つ所に留まることを恋花に許さない。
恋花は本来、一対一のデュエルは得意な方ではなかった。フェイズトランセンデンスを使えば別だが、このレアスキルは体内のマギを一気に放出して一時的に枯渇状態となってしまう。先行き不明な状況で使用するのはいよいよ最後の手段である。
完全に抑え込まれた。
ところが突然弾幕の雨が止み、半霊は恋花から離れて妖夢のもとへと戻っていく。
「今度は何?」
頭上を見上げて訝しむ恋花をよそに、空の上から刀身を鞘に納める金属音が鳴る。
「私の役目はこれまでみたい。残念だけど、時間切れ」
そう言って空中でくるりと向きを変えると、妖夢は何処かに向けて飛び去っていく。
急な変わり身に当然恋花は困惑する。
「あっ、ちょっと待って! どこ行くのよ!」
反応は無く、徐々に小さくなる背中。
「勝手に帰ろっかなー!」
呼び掛ける声も虚しく響くだけ。
やがて本当に一人取り残された。
「出口聞けてない……」
元々、妖夢がやって来る前は自力で地上に降りようとしていたのだ。今こそ再開すべきなのだが、やはり釈然としないものはしない。
その場に休息も兼ねて座り込む。
理不尽に対する怒りも通り越してぼんやりしていると、耳元に何やらノイズが走る。念のため付けていた通信機が反応したのだ。
恋花は呆けて頭を瞬時に切り替え聴覚に集中する。
「――――――――――さまっ! ――――――恋花様!」
妙に懐かしく聞こえる声だった。