第9話 西の地
東京、市ヶ谷に位置する防衛省本省。その会見室で今まさに記者会見が行われようとしていた。
カメラを構えて居並ぶ報道陣と向かい合う形で、会見机の前に陸軍の礼装を纏い大佐の階級章を付けた軍人が立っている。精悍な顔つきに整った顎髭を生やした壮年の男性だ。
「防衛省、特異生物災害対策課課長の
カメラのフラッシュを浴びつつ精衛は話を進める。
「まず初めに奪還作戦が進む中国地方について。広島及び島根へ進出したところで戦線は膠着状態が続いております。軍と各ガーデンは敵主力を厳島に誘引した上で、同地を決戦場と定めて戦力の結集を進めています。また、九州、四国、中部、東北、北海道地方についてはヒュージの活動が比較的低調であり、戦況は安定。そして最後に関西地方とここ関東地方。両地方では内陸部でのヒュージの活動こそ減少したものの、太平洋側からは依然としてヒュージの侵攻が続いております。関東の各ガーデンでは沿岸防衛に重点を置くことで一致しました」
説明の合間に、記者からの質問が飛ぶ。
「全体的に見て、ヒュージの動きが鈍くなったように思えるのですが。防衛軍と各ガーデンはこの状況をどのように分析しているのでしょうか?」
「我が軍としては、現在の停滞をヒュージネストのマギ蓄積期間と捉えております。これは大方のガーデンも同様の考えです」
「ということは、いずれヒュージの攻勢が再開されると?」
「その可能性を考慮に入れています。ですが差し当たり、沿岸部はガーデンが、大型ヒュージの活動が見られない内陸部は防衛軍が優先的に対処することに決定しました」
精衛がすらすらと淀み無く答えると、また別の記者から別の質問が来る。
「ところで石川大佐、近頃京都などの街中を騒がせている怪奇現象について、何か進展はありましたか?」
「……我々は一連の現象を新種のヒュージによる攻撃と睨んでおります。ですが今のところ実情を把握できているとは言い難く、更なる調査が必要となるでしょう」
新情報を得られなかったせいか、記者たちの列から不満げなざわめきが起きる。
けれども答弁者はそんな不満を意に介さないかの如く、粛々と会見を進めていった。
「国民の皆様には、今後もヒュージ警報に従い迅速な避難行動をお願い致します」
◇
放課後、職員室に呼び出された一葉はヘルヴォル教導官のデスクの前に立っていた。
部屋の端に設置された大型ディスプレイから防衛省の記者会見が流れる中、思い掛けない教導官の話に一葉の目が細められる。
「外征ですか。それも遥々、関西まで」
リリィが所属ガーデンの国定守備範囲を越えて活動することを
「しかし、外征の目的がヒュージ討伐ではなく、怪奇現象の解決というのは……」
「西の怪異退治は鹿野苑の担当だが、このところ頻発している怪異絡みの事件で手が足りていないようだ。一方の東京は桜ノ社の駐留によって平穏を取り戻している。加えて出てくるヒュージは小物ばかり。貴様らヘルヴォルを活用する場を見出さねばならん」
黒髪を後ろで一本に束ねた20代半ばの女性が一葉の疑問に答えた。身に纏うのは軍服を思わせる白の制服。彼女はヘルヴォル担当の教導官である。
それにしても、トップレギオンを決して短くない期間遠方に派遣するとは。学園の上層部も思い切ったことをするものだ。命令を聞いた直後、一葉は心底驚いていた。
だがよく考えてみると、全く分からない話でもない。
「ガーデン周辺からヒュージの脅威が減って、代わりの戦果稼ぎとして見出したのが怪異というわけですか。ですが何故わざわざ関西まで?」
「桜ノ社と鹿野苑は担当範囲が重ならないよう配慮し合ってきた。ならば、混沌とした西の地へ介入するのは我々身軽な新参者が適任と言えるだろう。外征宣言も事前に出すから心配無用だ」
それに加えて、エレンスゲと桜ノ社の関係が良好とは言い難いのも理由の一つに違いない。桜ノ社の担当範囲外で成果を上げて、ついでに鹿野苑へ恩を売ろうという思惑がありそうだと一葉は見ていた。口には出さないが。
「教導官殿、もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「言ってみろ」
「エレンスゲの怪異への干渉はラボの……ゲヘナの意向によるものなのでしょうか?」
教導官は形の良い眉を一瞬ピクリと動かす。
「それを聞いてどうするつもりだ」
「いいえ、ただ気になったのです。怪異という得体の知れない存在を研究するのなら、ガーデンの影響が及ばない遠方よりも近場で実施するはずでしょう。今回の外征はそれと矛盾します」
暫しの間、一葉に向かって鋭い眼差しが注がれた。
しかし、やがて教導官の口がおもむろに開かれる。
「……外征はエレンスゲラボではなく、ガーデンの意向によるものだと言っておこう。そもそもラボは今のところ、怪異の研究にそれほど熱心ではない。優先度がヒュージやマギの方にある以上、手が回らないのが実情だろう」
それを聞いた一葉は少しだけ安堵し、一礼して職員室をあとにした。
◇
「それで、あたしらは学園の点数稼ぎのためにこうして空の旅をしてるってわけ?」
そう言って声と顔に不満を滲ませる恋花。彼女はガンシップの座席に深く腰掛けて、四点式シートベルトで体を固定している。
各座席は壁を背にして配置されていた。中央の通路を挟み、向かい合う形で二列八席が並ぶ。ヘルヴォルは五人制レギオンなので、各々のチャームを持ち込んでもスペース的に問題無かった。
「よく分からない実験よりも、点数稼ぎの方がまだいいよ」
「まあそうなんだけどさ」
「それに向こうなら、エレンスゲの司令部も関係なくやれる」
「それはいいねえ。ま、こうなったら思う存分、京の街を楽しみますか」
左隣の瑤に諭されるような形で、恋花はやる気になっていく。
「恋花様、観光ではありませんよ。それに拠点は京都市内になりますが、実際の活動場所がどこになるかはまだ不明です。到着後にガーデンから指示があるでしょう」
「結構行き当たりばったりじゃん。うちのガーデンらしくない」
向かいの席から一葉に釘を刺された。
通常、外征というのは何か明確な目標を定めて実施されるものなので、そういう意味でも今回の関西外征は異例である。
「皆、気を付けてね。京都は昔から魔を引き寄せやすい土地。出てくる怪異も強力なものが多いと聞くから」
一葉の右隣に座る千香瑠が真面目な顔で注意を促した。
「ヒュージもお化けも、らんがやっつけるよ。京都にはどんなのが居るのかな?」
「……ふふっ、頼りにしてるわ藍ちゃん」
「あとそれから、たい焼き! 京都にもたい焼きがあるといいな!」
千香瑠の右隣から、藍が身を捩って体を乗り出そうとする。シートベルトがあるのですぐに押し戻されてしまうのだが。
「たい焼き以外にも美味しい物は一杯あるんだよねえ。仕方がないからこの恋花様が教授してあげよう」
「恋花様、やっぱり観光目的じゃないですか」
「いやいや、任務の合間のちょっとした息抜きだってぇ」
「と言いつつ、事前にしっかりお店を調べていましたよね? パンフレットも何冊も持ってきて」
「うぐっ……」
そうこうしていると、機内に着陸態勢に入る警告アナウンスが流れ始めた。東京から京都まで、ジェット推進のガンシップならば一時間足らずで移動できるのだ。
機体を降ろす先は京都市の南西部、防衛軍保有の軍用飛行場だった。
◇
ガンシップは機体下部に兵員用のポッドを二つ横並びに吊るした輸送機である。
トップレギオンのヘルヴォルには専用のガンシップが用意されていた。ポッド一つにつきリリィ八人が搭乗できるので、ヘルヴォルはもう片方のポッドに十分な物資を積むことができた。
今回、期限を区切らない遠方への外征ということもあり、多くの物を持ち込んでいる。
五人それぞれのチャームにその予備パーツは勿論のこと、弾薬、携行食糧、日用品。そしていざという時のための第一世代型チャーム詰め合わせポッドである。
「別に拠点を山奥に設けるわけではないので現地で購入しても良いのですが。備えあれば憂いなしと言いますから」
駐機場での荷下ろしの際、一葉は何故か自信ありげにそう言った。
「だからって、寝袋やらテントやら持って行く?」
「着いてすぐ、山中へ出撃という事態もあり得ます!」
「そうならないことを祈ってるわ……」
げんなりとした様子で恋花は物資の塊を見下ろしていた。
飛行場から京都市街まで、そう離れてはいない。ヘルヴォルは学園がチャーターしたマイクロバスにより、陸路で現地拠点へと向かう。
学園が用立てた拠点は京都市街の外縁部に位置していた。高級物件というわけではないが、十分な広さを備えたマンション。部屋の階層は利便性を考慮して一階。この3LDKの空間がヘルヴォルの西国外征を支えることになる。
「広いし市街に近いし、いい所ね。ただキッチンに最低限の物しかなかったから、持ってきて正解だったわ」
「ああ。千香瑠の私物、やけに多いと思ったら」
合点がいったと頷いた後、瑤も部屋の感想を述べる。
「ここ、私もいいと思う。一階だし」
「え~? 見晴らしが良くないよ?」
「階段の上り下りをしないで済むから」
「瑤、おばあちゃんみたいー」
「おばっ……」
藍の無邪気な一言に絶句する瑤。
荷解きも終わり、皆がそんな風にお喋りを続けていた。
「ガーデンからは特に出撃命令は出ていませんね。取りあえず京都市内で待機です」
ガーデン支給のスマートフォンを確認して一葉がそう言った。
すると真っ先に反応したのは恋花である。
「そっかー。じゃあ巡回と地理の確認も兼ねて、街へ見回りに行くのはどうかなー」
「いいですよ」
「そう固いこと言わずにさぁ……って、いいの?」
「こんな時ぐらい構いませんよ。指示は部屋の中で待機ではなく、市内で待機ですからね。それにずっと籠りっぱなしというのは気が滅入るでしょう」
ここに着く前は観光気分を諫めたものの、一葉とて息抜きを軽視しているわけではない。長期の任務になりそうなら尚更だ。
「やった! さっすが我らが隊長! すきすき~」
「はいはい」
調子がいいんだから――――
そう思いながらも、自分よりも小さく柔らかな恋花に腕へ抱き付かれ、一葉の頬は自然と緩んでいた。
◇
碁盤目状に整然と区画された京の街では、都心部に近代建築が立ち並ぶ一方で、そこから少し離れれば昔ながらの木造建築が広がっていた。
趣ある街並みはヒュージとの戦いでも失われていないようで。観光地区を歩いていると、石畳の道を人力車が駆けていく光景に出くわした。
これも地元のガーデンの働きによる賜物だろう。
午後三時頃。木造平屋が並ぶ入り組んだ道を、恋花は一人歩いている。元々は瑤と一緒だったのだが、今は別行動。その右腕には紙袋が抱えられていた。
「んっふふーん。掘り出し物、掘り出し物」
鼻歌交じりで上機嫌。その理由は紙袋の中身にある。
恋花も事前に駄菓子屋が豊富なのは調べていたが、商品のラインナップまでは把握していなかった。なので東京周辺の店と大きく様相が異なるとは思っていなかったのだ。これは嬉しい誤算である。
恋花の戦利品、その一端。瓶詰の金平糖、水飴と砂糖を固めたカラフルな飴菓子、黒糖に漬け込んだ
東京でも探せば何とかお目に掛かれるものがあれば、初めて見るようなものもある。
「服の方、早めに切り上げて正解だったわ~」
後ろ髪を引かれる思いで都心部のデパートをあとにしていた。そんな恋花の選択は正しかったと証明されたのだ。
無論、服は服で次の機会にじっくり見に行くつもりである。今度は一葉を連れ出して、彼女に見繕ってやろう。本人は乗り気にならないかもしれないが。
あるいは、最近お化粧に興味を持ち始めた藍のため、一緒にコスメを見て回るのも良いだろう。
そんな風に上機嫌で今後の予定を皮算用していたところ、不意に後ろから声を掛けられる。
「お嬢さん、落とし物ですわ」
恋花が振り返ると、こちらに向けて伸ばされた手の平に小袋が載っていた。恋花の抱える大きな紙袋の中に入っているはずのものだった。
その手を伸ばしているのは、桃色のように薄い赤毛を腰までストレートに伸ばした少女。美人を見慣れているはずの恋花が内心で「おおぅ」と驚くほど端麗な容姿。こちらを真正面から見つめてくる切れ長の瞳は、微笑を湛えるにもかかわらず、畏怖の念すら感じさせる。
「ああ、ありがとねー」
内心は内心として、恋花は笑顔で礼を言う。自身よりも頭一つ分ぐらい背の高い相手だが、勘で同年代と判断した。
その後、更に話してみると、彼女もまた関東からやって来たことを知る。
一応、待機中の身なので、今の恋花は制服姿でチャームケースも背負っている。リリィだと容易に想像できるだろう。
そんな恋花と自然体で話せる彼女も、ラフな私服姿とは言え、もしかしたらリリィかもしれない。
恋花は極自然に彼女の誘いに乗って、近くの茶屋へ相席する。
「へぇ~、やっぱり貴方もリリィなのね。それも一年生」
店先で、赤の布が敷かれた縁台に腰掛ける二人。
恋花がアイスティーのグラスを傾ける傍ら、その一年生は三色団子の串を摘まんでくるくる回している。
「ちなみに、どこのガーデン?」
「フフッ、どこだと思います?」
恋花の何気ない質問に対し、一年生は肩を寄せて聞き返してきた。
当然距離は縮まり、互いのことが細かい所まで見えるようになる。
(睫毛なっが! スタイルすっご! 付けてる香水も……これ香水? センスいいわね)
美人を見るとついつい目を引かれるのはリリィの
しかし顔や態度には表さず、恋花は相手からの出題に小首を傾げる。
「うーん……ちょっと特定は難しいね。関東ってだけじゃ。ただ、この夏の日射しでも涼しげな様子だから、猛暑に慣れてる東京都心のガーデンか、山間部のガーデンってところかな?」
「ふぅん」
「でも貴方みたいな綺麗な子が近くに居たら覚えてるはずだし。東京ではないかも」
「あらあら、それは口説いてくださってるのかしら」
「あはは、そう受け取ってもらってもいいよ」
軽妙な掛け合いが心地好い。
恋花と彼女は違うタイプの人間のようだが、波長は結構合うらしい。
「どうでしょう。お互いもっとよく知るために、お店を変えてお話ししませんか?」
「そうだねえ、時間はもうちょっとだけあるし……」
腕時計に目をやりながら、恋花が肯定の返事をしようかと口を開く。
ところが、横からその右肩に手を置かれた。隣に座る彼女の手ではない。
「申し訳ありませんが、我々には任務がありますので」
驚いた恋花は声のした方を向く。
一葉だ。
一葉の物言いたげな視線に促されて恋花は縁台から立ち上がる。
「それは残念ですわ」
「ああ、うん。何かごめんね」
「いえいえ。ではごきげんよう」
少しだけ落ち込んだ素振りの彼女に、恋花は軽く手を振った。
別れの挨拶を終え、一葉にもう片方の手を引かれて歩き出す。
石畳の道。二人が人混みの中を縫うように進んでいく。
やがて先程の茶屋から十分に離れ、周りの人がまばらになってきたところで、先導する一葉の足取りが緩んできた。
「全く、軽率に知らない人に付いて行ってはいけませんよ」
「あたしは子供かい!」
いつもの通りの軽口。
そのはずなのだが、どうにも一葉の様子が少しおかしい。
さっきからずっと前を向いたままで、こちらと目を合わせようとしないのだ。それに加えて恋花の右手もしっかりと握ったまま。
「ちょいちょい、痛いってば」
「っ! す、すみません!」
そこでようやく一葉は振り返り、焦った顔で謝ってきた。
「すみません……」
「う、うん……」
初めは揶揄ってやろうと思っていた。しかし一葉の反応に面食らって黙ってしまう。
(なんか調子狂うなあ)
結局、帰り道に次回の買い物の話はできず仕舞いであった。