「主人様? あー……治安悪い場所を教えれば食いつくさ」
「火事の起こりやすい家でも教えてあげなんし、大火がいいね」
「ファデュイとかあ、宝盗団とかあ、そういう輩退治提案なんていいんじゃないか?」
「穴場の酒屋とか……度数の高い酒ばかりあるような」
「花鈿様は真新しい物とか好きだよ。引き手茶屋に来た新規の客はみーんな外国の特産物をなんとかして持ってくるのさ」
「これ内緒だよ、月に一度花鈿様は墓参りに行くの。誰のかは教えてくれない、二つ回るの。私お花持ちに着いて行ったことある。だから……喪花の咲き場所とか……」
「とにかく退屈しないところ」
「とにかくおもしろいところ」
そんな、こんなで。
「あーっ難しすぎないか!? これじゃあオイラたち何にも情報見つけられないぞ!」
パイモンの言う通りだ。外の夕日も隠れ始め、残り半刻。少し落ち着きを取り戻してきた炊事場を前に、畳に座って悩む。しかし新参者の自分たちの立場に立てば経つほど、目に見えてこの遊戯は詰んでいった。
とりあえず、と通りの端で腕を組む。
「一旦情報を整理しよう」
「おう」
頷き、指折り数えていく。
「えーと、無憂は楽しいことが好き、新しいものが好き、異国のものが好きで……だから、やんちゃな奴らの溜まり場の情報なら喜びそうって話だけど」
「でも稲妻に来たばかりの俺たちには提案しにくい」
二人して腕を組んで唸る。遊郭の人々は快く、というより新顔に飢えているのか過度におしゃべりでたくさんのことをすれ違いざまに教えてくれたけれど、どうもうまくいかなかった。
「どうしよう旅人〜……今から怪しげな路地全部回ってみるかあ?」
苦渋の決断だがそれが最も可能性の高い方法に思えてきた。時間はない。渋顔ながら首肯し立ち上がる。
「あー、そこのお二人さん、ちょっと」
中性的な声がした方を見ると、簾の中から手招きされている。訝しがりつつ寄って竹でできたカーテンを押し上げてみれば、中には小さな文机にだらんと凭れる覇気のない、水で薄めた墨色の髪の男が一人。随分と小柄だった。年は、読書家行秋や方士重雲ほどだろうか。後ろには稲妻の祭壇らしきものが飾られている。
その少年がこちらを下から見上げ、ひらひら持った筆を揺らす。
「あー、手短に聞くけどさ、あんたら無憂様に何の無茶振りされたの?」
「えーと、無憂にとって益になるような情報をって」
「また厄介ごと抱え込むつもりかよあの狸婆……」
歯切れ良い舌打ちと共に顔半分を歪め、年寄りくさい仕草でがしがし髪をかく。松ぼっくりを投げつけるようなぶっきらぼうな喋り方がやけに大人びたように見せているがしかし、この年端も行かぬ子供は何者なのだろうというこちらの疑問混じりの視線に気づいたのか、不機嫌に目尻を釣り上げ、あーだのと濁してからようやく身体を机から起こした。手近な紐で雑に括ったような後ろ髪が揺れる。
「俺は紺尾。詳しい身分は聞くな」
「あ、オイラはパイモ」
「知ってる。てか聞いてないし」
「なんなんだよ!」
色のついた爪でかつかつ木目を叩く。
「俺はここの経営者とその他諸々をやってる人間で、つまり無憂様が安易な好奇心で手ェ出した事業はみんな俺が管理してるんだ。本気で労ってくれ」
「え、おまえが!?」
「そうだ」
ふんすとふんぞりかえって鼻息を鳴らす姿は実にあどけないが、どうやらとんでもない少年だったらしい。先程声をかけられていた紺尾というのはてっきり、熟年の老夫かと思っていた。
「言っとくけど本気で大変なんだぞ、特に此処と火消衆の運営は! 遊郭は金銭事情が市井の経済と異なり過ぎているとか勘定奉行にいちゃもんつけられて、火消衆は町内の治安維持ってことで天領奉行の役目だろうがっていちゃもんつけられてさ」
止まらない愚痴にどうやら稲妻の二大岩頭に日々喧嘩を売っているらしいことがわかった。あの悠々とした、言ってしまえば興味のない人間はとことん踏み潰してしまいそうな凶器たる無邪気さを兼ね備える彼女としたら、さした問題でもないのだろうが。割りを食っているのは目の前で野菜をみじん切りにするように爪をかつかつと小刻みに打ちつける紺尾なのだ。
「うひょー、反抗心満々なんだな」
「天領奉行の役目だろうがって、どういうこと?」
「あー、知らないかもしれないけど、稲妻において遊郭と火消衆は一応、社奉行に属してるんだ」
あぐらをかいた膝を叩き、厳しい顔つきのままだが少年らしくかくりと首を傾げる。
「あんたらも見たろ、あの花魁道中。稲妻の誇るべき文化さ」
「ああ、確かに独特だった」
「だろ、遊郭は保護される側の文化なんだ。でも火消衆は逆。あれは今んとこ無憂様の働きかけで火から稲妻の建築物を守るってことで文化を保護する側ってことになってるが、元々は町の治安を守るってことで天領奉行の役目だったんだ。此処で解釈が分かれててさ……」
「なるほど、どちらも正しいように思える」
「そう。最近は抵抗軍との戦闘で駆り出されてるから天領奉行は大人しいが、勘定奉行が余計にデカい顔してもう毎日うるさいのなんのって。だから多めにふんだくるようにしてんだ」
ガッハッハと可愛げのかけらもない低い笑いが響いた。よく見ると存外に服装には気を使っていそうな洒落た様子があるのに、痰を絡ませた喋り方をする腹の膨れた呑み屋の親父の声を、悪辣な表情まで見事に再現してしまった。骨の髄まで本当に子供らしくない、逆に璃月の二人組は気にいるかもしれないけれど。
「で、本題だけど。あんたらって旅人なんだろ、ならモンドに行ったことある?」
「あるけど……」
「あー、なら好都合。無憂様は以前モンドに住んでおられたからな、モンドの今の状況とか伝えたらいいだろ」
さらりと答えて筆を墨に浸し始めた相手に対し、二人で顔を見合わせる。
「無憂ってモンド出身なの!?」
「そういう訳じゃない。色々あって、出奔してたというか……まあ、その辺の事情は本人に聞いてよ」
「まあ自由人だけどな」
「確かに」
しかしモンド人の自由と同じかと問われると首を傾げたくなる。彼らの自由とは条件無しに吹く元素を帯びた風の如く自然なものであるのに対し、無憂の自由とは規則からわざと外れたり崩したりするような恣意的なものであるように思う。
「……」
「……何?」
疑り深い視線に思わず反応すると、妙に嫌味ににやつかれる。
「そうか、あんたら外の人だからわかんないんだ」
「わかんないって、何が?」
「花鈿って名字のデタラメ……まあ、ああ、まあ別にいいけど」
差し出すかと思えば相手の口に素気無く入れられてしまった謎の食べ物を訝しむように眉を顰めてしまうも、相手はけらけら笑って適当に濁して終わらせる。どうも紺尾は普段振り回されているようだからか人を振り回す癖があるようだ。
しかし有力な手がかりだ。居ても立っても居られない、滑りそうになりながら畳の上を走って靴箱から靴を急いで取り出す。
「おい、どこ行くんだよ」
少し前の情報や冒険譚ならある。けれどこういう信頼を得るか得られないかの瀬戸際では、徹底的に尽くすことが必要なのだともう学んでいる。
モンドは自由の国。璃月は契約の国。そして稲妻は永遠の国。礼儀を重んじ、関係を重んじる、礼節の国なのだ。
焦り混じりの問いかけに笑って軽く答える。
「今からモンドへ!」
*
目を開けると清涼な風と、とことん甘いスイートフラワーの微香。眼下の緩やかな急斜面に沿って並んでいるのは葡萄畑。それを越えた先に立つ大きな赤い屋根の家──アカツキワイナリー。
「よし行くぞ旅人!」
「うん!」
このワープポイントの使い方を把握しているのは自分だけなのだろうとは知っている。根本的な異邦人だからなのかは知るところではないが、ともかく便利な彫像だ。
モンドは過去の歴史による教訓もあり、統治者を戴いていない国だ。けれど有力な貴族や民に慕われる騎士は存在している。それを考えた時、向かうべき候補は二つに絞られた。
一人は西風騎士団代理団長のジン。
一人はアカツキワイナリーのオーナーたるディルック。
二人とも仕事柄情報通であり、モンドで起こった事件や経済の動向、子供達の中で流行っている遊びまで何でもござれだ。運が良ければ無憂と面識があるかもしれない。とはいえどちらかといえば、いかつい情報はディルックの方が、やさしい情報はジンの方が精通しているだろうけど。
しかし今回は礼儀が伴う。そして無憂は異国のもの好き、お酒好き。
世間話を交わしながら今日ものんびり掃除をしていたメイドを旋風を巻き上げて通り越し、挨拶も無しに屋敷に飛び入る。趣味の悪い壺を右手に急カーブ、メイド長アデリンの怒鳴り声には心中で謝る。お日様の差す色褪せた執務机、赤い髪、いた。
「ディルックの旦那あ!!」
「今すぐお酒買わせて!!」
ばんっと間近で両手をついても涼やかな表情は少しも動揺を見せず、背中を伸ばして自分たち越しに声をかける。
「アデリン、悪いがワイナリーから上等な蒲公英酒と赤ワインを一瓶ずつ取ってきてくれ。ワインは二十年ものがいい」
「かしこまりました」
「それで、君たちは何を僕に聞きにきたんだ?」
「だ、だんなあ……」
話の速さと金持ちの大盤振る舞いにモラの亡者手前のパイモンはメロメロだ。咳払いをして肘をつくディルックの手触り良い鋭さの視線を受ける。
「実はある人の益になるような情報を探してて、その人異国のお酒と事件が好きで」
「なるほど」
その説明だけで合点がいったのか引き出しから取り出した羊皮紙にさらさらと万年筆で何かを書きつけていく。ディルック直筆の情報と、アカツキワイナリー自慢の最高級の酒二瓶。今になって財布が心配になってきた、割引してくれるといいのだが。
「だから、最近モンドであった面白いこととかないかーって聞きにきたんだ。ベネットの不幸劇とかパラドの遭難話とか……そいつ、モンドに住んでたこともあるから二人のこと知ってるかもしれないし」
「モンドに住んでいた? 一応名前を聞いてもいいかな」
「花鈿無憂って稲妻人だ!」
「……花鈿?」
ペン先が止まり、インクが丸く染みをつける。顔をあげる。怪訝一色だった。
「九条ではなく?」
返しが思いつかず、固まってしまう。九条、花鈿ではなく九条。稲妻で九条といえば、行き交う人をじろじろ睨め付けていた、あの天領奉行を仕切る名家しか思い当たらないが。
「……いや、花鈿だよな?」
「うん……」
急に口元に万年筆を当て、黙考する。どういうことかわからず、生まれた困惑の塊を抱えながらディルックの思索の行方を見守ることしかできない。
「九条って……アレだよな、天領奉行の」
「俺もそう思ったんだけど……」
「無憂ってモンドにいた時は偽名使ってたのか……?」
「いやでも、九条の名前を使う意味が」
「旦那様、用意ができました」
付近に漂ってきたぎこちない雰囲気をアデリンも感じ取ったのか言葉尻が固く切れた。自分もディルックを見やり、空気の圧に後押しされてようやくペンがやっと文字を書き連ねようとし、どうしてか、新たな紙を出した。
しかし先までの丁寧な書き方とはまるで違い、メモを取るように斜めに書き終えるとさっさと折り畳んで長方形の封筒に入れ、開け口を指でなぞりながら僅かに焦がして接着させる。
「どうぞ。美しくない封で申し訳ないけど、これで満足させられるとは思う」
何かを隠す素振りだったと思いながらも、指摘はせず受け取る。
「ありがとう」
「あと、代金は要らない」
「えっいーのか!?」
顎を引き、鉄面皮を貼り付けたままで立ち上がる。手袋越しに昼の陽光で温まった窓へと手をついた。
「あと、ト」
言いかけ、何事もなくこちらを見やる。いつもの平然とした、平坦で淡白な表情。
「さっさと向かった方がいい。時間もないのだろう」
「あ、そうだな。行こうぜ旅人!」
「うん。ありがとう……ディルック」
なんだろう。こちらが歯切れ悪い挨拶をしてしまうほど、思わず立ち止まって見つめてしまったディルックの横顔には、不可解な空白があった。隙のなさに垣間見える育ちの良さが生み出した天然のそれとはまた違う、物寂しい風龍廃墟に漂う得体の知れない悔恨のような、ふと埃が払われ思い起こした哀愁のようなものがあった、気がする。
しかし、考えていても仕方がない瓶が割れないように大事に籠を抱えながら、すっ飛ばしかけたサボりがちメイドコンビに手を振られ爽風の吹くアカツキワイナリーを足早に後にした。
*
「おかえり。時間ぴったり、無憂ちゃんはとても感心!」
行く前と変わらない姿勢で出迎えた無憂に一安心し、座布団に座って答え合わせ。
「よし無憂、これがオイラたちの回答だあ!」
どどんと差し出した柳の木を曲げて作られた木籠の酒瓶を手に取り、目の色が変わった。
「……これ、アカツキワイナリーの!?」
「えっへん」
「そうです」
「ど、どうやって……凄い、なんて美しい朱色なの……」
「あとこれ、預かったんだけど」
底を覗き込むように細い指先で掲げ、既に美酒に陶酔しているかのような恍惚を窺わせる赤い頬の無憂にしずしずポケットから手紙を見せると、今度はさっと血の気が引くように顔色が変わった。
「…………まさか」
何か、よくないものに触れてしまったのだろうか。震え出した手の行方を相棒と共に恐々と見守っていると、焦げ付いた封を差出人がそうしたように人差し指でなぞり、爪で開いた。折り目の硬そうな羊皮紙を肘掛けにもたれながら今までにないほど深刻な面持ちで読み、水分の多いもたれた息を吐いて、顔を覆い、俯いてしまう。
「……お、おい、無憂? 大丈夫か? ディルックの旦那、おまえの悪口でも書いてたのか……?」
反応しない。石像と化してしまったかと思うほど動かず、部屋の主人の炎が消えたようになってしまったことを境に、いやに親指がむず痒く、居心地の悪い空間と変容する。遠くの廊下を行き交う足音と使用人の声がよく聞こえ始め、冷や汗が背を流れた頃、停滞は破られた。
「あははははははははははっ!!」
呆然と目を見開く。無憂は顔をくしゃくしゃに、気前も恰幅も良い商人かと思うほど豪胆に膝掛けを打って爆笑し続ける。涙を拭い、また溢れ、にやける。
「あははは、まさか、まさか……御兄いさまの人脈どうなってるの? こんなのって最高のボヤじゃない……」
「あの、無憂、もしかして私たちあなたの気分を害したり」
「とんでもない!」
手を叩き、屈託なく笑う。
「驚いた。こんな情報を貰えるなんて思ってもみなかったから……」
「そのー、聞きたかったんだけど、無憂ってディルックの旦那と知り合いなのか?」
空気が緩んだのを皮切りにうずうずしていたパイモンがそう問うと、鷹揚に頷いた。
「ええもちろん、お父上にもよくしてもらったよ……人なんてどうでもいいと叫ぶように猛々しく燃えるようで、火花を飛び散らせない程度の冷静さを兼ね備えた、品のある赤の髪が本当に似てた」
茹でたての素麺をたらたらと重ね詰むように紡ぎ、斜めに傾いて傘を肩にかける。
「…………そう、ディルック。ディルックね、元気なの、そりゃよかった……」
くるくると回すと影の濃淡が変わりゆく。まるで無憂みたいだ。こちらを見る。嬉々と光る彩度の狂った赤い瞳と、目が合う。
「本当に益になった、ありがとう御兄いさま方。試験は文句なしの花丸合格」
「おーっ、走った甲斐があったな!」
よいしょと手紙を懐にしまいながら立ち上がり、ほんのり笑んで艶やかな目つきで見下ろす。
「三人の元に案内しましょう。着いておいで」
あのたった一つの走り書きが、何になるのか。
「もう真っ暗だね。足元に気をつけてね」
「ふふん。オイラには関係ない話だぜ!」
「おやおや一本取られた」
それが見当もつかないことに、沸き立つような恐れが足首から這って登った。
「あとね、稲妻の緋桜は年中咲いてる訳じゃないのよ。本当に御兄いさま方は持ってる」
「えっ、そーなのか!?」
流し書きのディルックの字がちらりと見えた。
『火は消した』
たったそれだけの言葉のどこに、どれほど素晴らしい洒落を詰め込む余地があったというのだろう。
「本当に……持ってるよ、二人とも」
また笑う。また微笑む。空を押し上げるように傘を差して、夜光の乱反射する菱形の瞳孔と似合いのひしゃげた笑い方を覗かせて。
「これだからやめられないよ、花鈿無憂は」
作り物の名を嬉しそうに口ずさんだ彼女の傘が、灯火でぬらりと光った。