表通りはいつもの賑わい、誘拐事件が起こったなんて誰も感づきもしていないだろう昼時の桜降り注ぐ花見坂。しかし物質に遮られない元素の痕跡はしっかり残っており、無憂を先導しつつ香ばしい匂いで満ちた人混みを縫う。
「う、すごい人だ……」
「お昼だから、みんなご飯を食べに出てきてるんだと思うー!」
埋もれそうになりながら進もうとするが、パイモンや鳥のように自由自在と飛べるわけでもなく、背が高いわけでもないから視界が遮られて仕方ない。前に進んだと思ったら押し返されて逆戻り。これでは埒があかないと、一度冒険者協会の事務所近くの端に寄る。
「御兄いさま、どう?」
「ずっと向こうに続いてる。どうにかこの人混みを抜けられないかな」
「そうだねえ……裏手通りは扉が閉まってしまっているし……」
「あ、そうだ。千手百目神像の辺りから降りて、砂浜に沿って行けばいいんじゃないか?」
そう指を振るのに確かにと頷く。あちらからなら少し遠回りにはなるがすぐ白狐野の方に降りて行ける。
「じゃあ一度登ろうか、無憂」
なぜか思案げな表情で視線を下げたままの無憂の肩をそっと叩くと、はっと面を上げて相好を崩した。
「あ、うん。それがいい。パイモンさん流石!」
「えっへん! オイラはテイワット1のガイドだからな!」
燐のことが心配なのだろうか。気がかりはどうもそれだけではないような気がしたが、時間が惜しいはずだと追及をするのは憚られた。
千手百目神像とは、現在天領奉行が中心になって建設を進めている、稲妻城前に聳える巨大な石像のことだ。現在発令されている目狩令で剥奪された神の目が嵌め込まれる場所でもあり、初めて見せられた時には色とりどりの不協和音に鳥肌が立ったものだった。
剥奪された人間の末路を知った後だと余計に、この国の神が何を考えているのか計り知れず、到底親しみも敬意も抱けそうにない。
しかし、百目はともかくなぜ千手なのかと坂を上りがてらに聞いたら、稲妻の宗教に関わっていると彼女は答えた。
「狭い稲妻じゃ、魔神戦争時代の情勢の移ろいが激しかったから。ざっくり説明するなら、日々全ては移り変わるもの、全ては繋がりの中で変化している、と認識することで、一切に拘泥することない状態となり、苦しみから解放される……そんなところ」
「一切に拘泥しないってつまり、大切な人のことも、美味しいご飯のことも、心に留めないってことか? それは寂しすぎるんじゃ……」
神像前の足場を登り切り、風に吹かれて裾が棚引いた。
「わたしもそう思う。でも、その教えが流行るくらい戦争は苛烈だったという証明でもある」
息を吐き、微かに微笑む。
「この教えを体現しているのが、雷電将軍」
女神像に似た面影のある神像を見上げる眼差しには、似合わぬ憂いと呆れに満ちていた。周囲で巡回を続ける天領奉行への配慮か、心なしか小声で続ける。
「彼女の言う永遠って、そういうことなんじゃないかね。だから目狩令なんてくだらないものを発令して、そういう無慈悲で無味乾燥な永遠に、人を組み込みたいのかもしれない」
「どうして?」
「さあ……将軍の御心は不明」
ふと気配を探ると、番をしている武士や巡回武士がこちらを注視しているのに気がついた。話の内容が危うかったからだろうか。それならば傲岸不遜ないつもの態度で取り締まればいいだけのはずだが、なぜか遠巻きに見るだけで手も口も一向に出してはこなかった。
不審感に首を傾げたくなるも、不意に手を引かれる。無憂の薄灰の髪から、また櫻の香の匂いがした。金屋蔵嬌の華やかないじらしさに似ているけれど、それよりも大人しい。
ぱんと手を叩く。興味のない本棚を眺めさせられる子供のようにつまらなそうな、無表情だった。
「行こう。燐が心配」
パイモンの予測通り、砂浜を迂回すればすぐに城下町まで行き着いた。頭を小突き、元素視覚に切り替えて雷雲が頭上を覆う薄明るい平原を見回せば、内海にも外海にも離島の方にも逸れず、真っ直ぐに紺田村の方角まで続いていそうだとわかった。
「無憂、紺田村の方だ」
「紺田村?」
「どうかしたのか?」
「ふむ、そう、紺田村……」
水だと思ったら炭酸水だったような、明らかな戸惑いを含ませながらやはり唸り、合点がいかなそうな面持ちでまた黙り込んでしまった。一体どうしたというのだろう。明瞭快活な決断を好む面はすっかり鳴りを潜めてしまっている。
思えば、変なのだ。彼女は、口を開くたびに燐が心配だと譫言のように漏らすが、足取りがやけに重いのだ。
まるで目的地に辿り着くことを渋っているような、はたまた気がかりに足をずっと引っ張られているような、妙な拮抗が神の目の優雅な光を鈍らせていた。
いい加減に訊いてしまうかと口を開きかけ、突如耳をつんざいた鐘の叩く音に身をすくめる。
「なんだ!?」
二度連続で青銅が金槌で叩かれ、間を開けてまた二度鳴る。瞬間に無憂が広場の大櫻目がけて駆け出した。空に向かって水球を投げ、宙で花火のように弾ける。水花火は無憂到着の証、顔を見合わせる。
「まさか、これ!」
「火事だ!」
後を追って走ると火元はすぐに見えた。慌てふためく人の集まった下町の村の一角、小さな民家の釜戸から外にまで燃え広がっていた。料理途中の事故なのか鉄鍋が巻き込まれ、油を火種にしたらしく既に大人二人を縦に積んでも届かないくらいに延焼していた。
「ああ、無憂さんだ!」
「お願い、消して!」
「無憂、手伝うよ!」
「おや、ありが」
「どけどけどけえ! 下がってな!」
地を鳴らし、猪の群れが迫り来るような圧で坂を降ってきた集団が野次馬の村人を押し退けて近づいてくる。無憂のそれに似た黒の腹かけに紺の羽織、水玉の鉢巻。赤い釣り提灯の名前は、無し。相棒が飛び上がる。
「あれ、天領奉行の火消衆じゃ」
「おいそこの異邦人、退け!」
「わっ」
「おい無憂が来たんだから邪魔するなよ!」
「え!?」
「あっ花鈿無憂!」
息巻いていた男衆の威勢が一気に萎んだのが目に見えた。黒煙をもくもくと燻らせる火を背に、無憂が気怠げに首をさすりながらゆらりと振り向く。面白いものを見つけたと口角をだらりと下げれば菱形の瞳孔が歪んだ。
「おやおや、不敬千万天領奉行の皆々様じゃないですか。わたしの御兄いさまに乱暴しないでくださる?」
いつもの荒事を心から楽しむ顔つきだが、相手は応援するでも野次を飛ばすでもなく、ただただ天敵に出くわした動物さながらの怯えに染まりきっていた。
「ど、どうするんですか頭取……」
「本物の無憂だ……」
「無憂様には手を出すなと裟羅様が」
「ええい火消は俺たちの仕事だ! 構わず行け!」
そうまとめ役らしい男が一歩前に出たのと同じくして、ばしゃんとモンドの大樽を十個もひっくり返したような水量が、踊る火の上で豪快に散開した。黒焦げになった家壁と焦げ臭さだけが残り、手を翳した無憂が水滴を払うように軽く頭を振った。
「あ……火が……」
火消衆からぽつりと落ちた呟きに呼応して、垂れた髪から余分な水気を素早く取り除いた無憂がからっと晴れた空の如く笑う。
「あはは! だからわたしがいる時はわたしに任せておけばいいのさ、あなた達は強引でいけない」
「貴様……我々に楯突くというのか」
「もうその辺りのお話は済んだと思っていたけど、しつこいね。そんなにわたしが気に食わない?」
「当然だ! ここ数年で貴様が乱してきた市井の掟や諸法度による混乱を忘れたとは言わせんぞ!」
「無憂は私たちの声を汲んでくれたのよ!」
「そうだそうだ」
「お前たちが頭ごなしに慣習ばかり気にするのが悪いんじゃないのか」
「黙れ! おのれ遊人花鈿無憂! 我が師宗典の事忘れたとは言わせん、奉行所まで同行願おう!」
「と、頭取!?」
刀を構えた頭取は頭に血が昇ってしまっている様子で部下の声が耳に入っていない。一方、無憂は現れた火事場に満足げに微笑むなり槍を軽やかに構え──文句なしの、戦闘態勢だった。
*
「さて、皆さんお邪魔してごめんなさい。どうも幕府はわたしのことが嫌いなようで」
「いいよいいよ、面白かった!」
「無憂の喧嘩は見応えあるよ」
「もうすぐ町火消の者が来るから、片付けは任せて。くれぐれも火の元には気をつけて!」
「ありがとなー!」
町民たちに手を振られながらその場を後にすると、こそこそパイモンが耳打ちしてくる。
「無憂、容赦なかったな……」
「消すなら徹底的に、がモットーだしね……」
神の目は当然使わなかった。けれど一騎討ちを申し出た武士は次の手が読みにくい型崩しの槍突の嵐に可哀想なくらいの防戦一方で、赤子の手をひねるの言葉のままに決着はあっという間に着いてしまった。前で当の本人がひらひら手を振る。
「いや、申し訳なかったよ。最近は九条陣屋に詰めてて大人しいので油断してた……まあ、二奉行との火種はもうすぐ消すから」
「何をするかは……聞かない方がよさそうだな」
あっけらかんと物騒なことを流すのはいつものことだ。それに大抵、彼女が口にするより大ごとになる。前例を踏まえてか微妙に引き攣った表情を浮かべるのに追従した。
「しかし稲妻人って、本当に喧嘩が好きなんだな。すごい歓声だったぞ」
「無憂には華があるしね」
切った張ったの大立ち回りは純粋な芸のようでもあり、面白さがあった。柔術の一種か自分より二回りも大きな男の腕を絡めて後ろに投げ飛ばしたのには場も沸いた。見せ物を兼ねるので無憂も加減はしていたが、いちいちの動作を敢えて広げたり狭めたりと目を飽きさせない工夫は球投げや綱渡りを得意とする大道芸人のようだった。
「『火事と喧嘩は稲妻の華』だもんね」
そう茶化すと振り返り、得意げにピースを揺らして見せる。
「でも、どっちも良くないものではあるよな……」
「あはは、パイモンさんの言う通り」
「え、無憂としたら火消も喧嘩も楽しいんじゃないの? 水を得た魚みたいになってた」
想定以上に同意が返ってきたのに驚くと、相手は歩幅を小さくして横に並んできた。
「起きてしまうものは仕方がない。なら楽しんで乗り切った方がいい。わたしはそう思うのさ。だから、悲しむ人が出ないよう調節役を務めるの」
無憂はそうさらりと紡ぎ、甘金島の櫻を背景にする白狐野を堂々とした所作で見渡す。
「火は嫌いだし、揉め事も本当はそんなに好きじゃない。でも、だからこそ楽しくしなきゃだし、楽しまなきゃでしょ?」
花鈿無憂の晴れやかな独白は、遊び人らしい楽観的な捉え方がありながらも稲妻人の根底にある美徳がしっかり核となっていた。てっきり、自分の個人的な美学のみで動いていると思っていたが、と心の内だけで感嘆する。
しかし何かおかしい。散歩でもするような足取り、それに伴ういつもの世間話。当初の目的は火消でもなければ喧嘩の仲裁でもなくて。
「な、なあ無憂、急がなくていいのか? なんかさっきから歩みが遅い気がするけど……」
そうパイモンが堪えきれず問うと、軽く微笑んだまま目を横に逸らした。
「……そうだねえ。そろそろ行かなきゃだ」
「え、心配じゃないのか!? 燐は誘拐されたんだろ!?」
「うーん、誘拐であることには変わりないんだけど、ちょっと」
一癖も二癖もある料理をふわふわした言葉で紹介されている気分だった。狐につままれたように目の前の彼女の態度を訝しんでしまう。判断に迷ったり、意外なほどの真面目さを垣間見せたり、今日はずっと『らしくない』無憂ばかりだ。
しばらく曖昧な唸り声を出しながらブーツの先をとんとんと打ち付けていたが、ようやく草原の中に自然と刻まれた道を歩き出した。無言を貫くのに、流石に後ろから声をかける。
「ねえ無憂、どういうこと?」
「多分、見てもらった方がわかりいいから」
つんと進行方向に向けた鼻の先に、心なしか手のつけようがない躊躇いが宿っているようで、やはり、どうも。
「勧善懲悪も、難しいのさ」