「わっ!?」そのまま下に勢いよく落ちていく金髪の後ろから、三つ編みお下げの頭がやはり床に落下する。
「おい、お前ら……」
「あわわわ、いや、これは違うっぽい!?」
白露型駆逐艦・四番艦の夕立は、あわてて上体を起こすと両手を顔の前で振り回す。翡翠色の大きな眼と首がきょろきょろとして、いかにも落ち着きがない。
「ダメだよ夕立……バレちゃったじゃないか」
いてて……と、その夕立の隣で立ち上がるのが同型二番艦の時雨で、膝のあたりをさすっている。
「お前ら、確か今日は非番か」
私はどうしようもない教え子をみる教師のような面もちで、眼下の駆逐艦娘二人を見下ろす。夕立に時雨、この両名はかの第二次ミッドウェー海戦や硫黄島沖海戦を生き残った、それなりに練度の高い駆逐艦……のはずだが、中身はまだまだ年頃の子供と相違ない。
「だって見てみたかったっぽい、仕方ないっぽい!」
「もう……夕立のせいでボクまでこんな目に……」
「時雨もノリノリだったっぽい! 裏切りはよくないっぽい!」
「あー、はいはい分かったから。雪風、紹介する、この二隻がお前と同じ第一二水雷戦隊を組む白露型の――」
「夕立よ。よろしくね」
「時雨。これからよろしく」
「雪風です! 陽炎型です!」
派手な登場に最初は面食らっていたが、敬礼をする二人に返礼をした雪風は、先程よりは緊張がほぐれた様子で自己紹介をする。
「雪風ちゃんは呉の出身? どこかで聞いたことあるっぽい……」
「呉の雪風、佐世保の時雨だね」
首を傾げる夕立に、すかさず時雨が答える。自らと並び称される幸運艦を前に、時雨は感慨深げな様子だ。
「じゃあ、私たちは基地内を案内してくるから」
後でな、と立ち去ろうとする私たちに時雨は穏やかな笑顔でまたね、と手を振ったが、夕立はちょっと意地悪な表情を見せると、いきなり雪風のワンピースの端をつまんで上へと引っ張り上げた。
「スカートめくりー――っぽい!」
「ひゃあっ!? な、何を――!」動揺する雪風は慌てて裾を押さえつけて前屈みになり、真っ赤な顔で夕立を糾弾する。「いきなりなんてことするんですかっ」
「これは親愛の証っぽい!」
なんてとぼける夕立を隣で見ていた時雨は、「じゃあこれもだねっ!」何の躊躇もなく夕立の黒いスカートを跳ね上げた。
真っ白い。何が真っ白いのかというと、スカートの中が。対して、夕立の顔は紅い。紅くなったという言い方の方が正しい。
「あああ、見ないで、見ないでっぽいーっ!!」
ローファーを盛大に打ち鳴らしながら夕立が走り出す。その瞳にはちょっとした涙のようなものすら垣間見えた。唐突な事態に当惑した時雨が、「あ、ちょっと……!」と叫ぶやいなや、慌てて追いかけ出す。
「ごめん提督、また後で!」
待ってよ夕立――という声が廊下の奥へ吸い込まれていってから数秒した後、わたしたちはようやく我に返った。もう五分も経つのに、まだ執務室の前から一歩も動けていない。
「さ、さあ雪風、次に行こう」
「は、はい……」
南方作戦域は、現状この恒久基地を軸に支えられている。第二次ミッドウェー、硫黄島迎撃の両作戦の成果によって、対深海棲艦戦争は一時の膠着状態を見ており、現在帝国海軍はそのドクトリンを艦隊決戦から前進基地戦略へと転換しつつある。
帝国海軍の防衛線は主に東南アジア島嶼部に敷かれている。インドシナ半島以西はイギリス海軍の管轄となっているため、余計な衝突を避けるべく、帝国海軍も潜水艦派遣を除き、その周辺への進出は控えている現状がある。今現在、艦娘などの人型海洋兵器の運用に成功しているのは、日本帝国海軍と技術移転の行われているドイツだけだ。言ってしまえば信頼性のそこまで高くない少女型兵器がそのようなデリケートな地域に赴けば、そこでどんな事故を起こすかわからない。この基地への観戦武官受け入れを求める声もあったが、いずれも機密保持を理由に却下されている。
「この戦争のお話は教育隊で教えてもらいました」
雪風はぐっと拳を握ってみせる。小さなその手から少し血の気が引いて、雪風から笑顔が剥がれ落ちる。精悍な表情で私を見上げたその駆逐艦は、どうしてもまだ年頃の少女だ。私はその顔に曖昧な返事を返すと、手に持っていた書類を手渡す。第一二回小演習実施要綱と書かれたそれなりの厚みを持つ紙束を持たされた雪風は、見出しを見て再びはっと顔を上げた。
「演習ですか!」
「ああ」
統合軍令部からは雪風の性能評価試験は終わっているという通達を受けているが、いきなり実地運用はできない。結果次第では後方へ突き返して練度向上まで再び教育隊行きだ。
「明後日には実施する。それまでには他の駆逐艦とも顔を合わせておいてほしいな……ん?」
「おーい提督ー!」
後方から嫌にでかい足音が迫ってくるのが聞こえてくる。長い基地暮らしで艦娘とともにいる方が長い提督ともなると、その足音で大体その艦級が分かるものであったりする。
振り返ればそこには長身で、長い黒髪の美女が走ってくる。艤装の砲塔だけが外されて、甲板部などがまだ残ったままだ。艤装取り外しの最中に抜け出してきたのだろうか。
「長門か、どうした」
「いやな、大淀から艦隊に新しく可愛い生き物が加わったと聞いてな!」
「そんなものはここにはいない。帰ってとっとと艤装を外せ」
「何を言うか、提督! そこにいるではないか!」
雪風を見る長門の目が輝いている。こいつには一番後に引き合わせようと思っていたのだが、いきなりその目論見を崩されてしまった。駆逐艦のことにこいつが関わると長くなるのだ、間違いなく。
「陽炎型八番艦の雪風です! よろしくお願いします!」
なんの事情も知らないのであろう雪風は、いきなりやってきた艦隊旗艦に少し緊張した面持ちで、また舌足らずな挨拶と敬礼をする。それを見て一旦は軍人の威厳を取り戻して返礼した長門だったが、すぐ再びだらしなく顔が緩む。
「雪風か、いい名前だ……!」うんうんとわざとらしく頷く長門に、雪風が少し怪訝な表情を浮かべて後退ろうとした、その時。「可愛いなあ可愛いなあ可愛いなあ可愛いなあ可愛いなあ!!」
逃げようとした足より一歩早く、長門の腕が強力に雪風を捕まえて、自らの頬を近づけて頬ずりをする。ずりずりずり、と嫌がる雪風などまるで意に介さず――それだけ戦艦の力は強い――気の向くままに雪風の柔肌を蹂躙する。
「きゃあああ、なんですかいきなり……っ、離してっ、離してください!」
「逃さないぞー! 私の艦隊に来た以上この儀式は絶対なのだからな……!!」
「そんな軍規は存在しない。おい長門、離してやれ。時間が押しているんだ」
「無粋だぞ提督。洗礼の儀式の最中だ」
「………………」
本当に、初めの頃の武人然とした超弩級戦艦はどこに行ったのだろうか。わたしが艦隊司令になる前から旗艦を務めていた長門が、水雷戦隊から上がってきたわたしに向けていきなりビンタを張ってきたことを、未だに覚えている。
あっけにとられたわたしに、「部下の失礼を叱らないか、提督!」と怒声を浴びせてきた時にはどうしようかとも思ったが、今では信頼してくれている……と……信じたい。
目の前の光景は信じがたいが。
「んー雪風ー!」
「いやああああ、やめてください! 助けてください――司令っ!」
雪風のほっぺたへのキスを狙う長門の頭を必死に押さえつける雪風が、こちらに向かって悲痛な叫びを上げるのをわたしは黙殺する。だって勝ち目がない。戦艦の馬力なら人間の身体など手の指五本で折れる。
「ま、まあ、スキンシップも時には大事かもしれない」
「そんなあ……!」雪風の顔が絶望に歪む。徐々に距離を詰めてくる戦艦の魔の手から逃れようとするが、体をよじる程度では戦艦の出力を前にあまりに非力すぎた。長門の唇があと何センチか、というところまで来たところで、雪風から会心の一撃が突然放たれる。「雪風、長門さんのこと……キライですっ!」
「……なん……だと……!」
突然腕の拘束が解けた雪風は慌ててわたしの後ろに隠れたが、先の態度でいざという時提督は役に立たないということを思い出したのか、やっぱりいいやとばかりにひょいとわたしの隣に立つ。
……いきなり新任の部下の信頼を失ってしまった気がする。
「嫌われてしまった……――もう死にたい」
「ええっ!?」
フラれた長門が拗ねるあまり自殺をほのめかしている。我が艦隊ではよくある光景なので今更どうとも思わないが、新任の雪風はそれに初々しい反応を示した。まあ確かに、一八〇近い身長の女性がいきなり廊下に崩れ落ちたら、それはそれなりにインパクトある絵面ではある。
「あ、あの……ごめんなさい……」
「もういい……旗艦やめる……」
ショックのあまり元聯合艦隊旗艦の誇りさえ失いかけている長門に、雪風が駆け寄る。
「別に本当は長門さんのこと嫌いじゃないです、だから旗艦やめるなんて言わないでください」
雪風がうずくまる長門の頭を撫で始める。いろいろ倒錯している。何から何まで逆ではないかと思う。
「………………」
それから三分ほど経った。
いまだ長門に動きはない。本来ならあの雪風の慰めの一言ですぐ飛び起きて再び駆逐艦に狼藉を働こうとするのだが、今日は何故かそれがない。なにかが、おかしい。
「おい長門、もういいだろう。――雪風、行くぞ」
雪風が躊躇いながらも長門のつむじから手を離そうとすると、またしても長門の手が雪風の手を捕まえる。
「ひっ……」
「提督、あとここで五時間ほど雪風に撫でられてからではダメか?」
「ダメか? じゃねえよドック行け」
長門は本当なら泊地防御任務から帰ってきたばかりのはずだ。休むことにも優先して雪風のもとに来るその心意気は見上げたものだが、いきなり新任を萎縮させるとはいただけない。
「ちっ……まあいい、後でだ」
忌々しげに私を睨んでくる長門は立ち上がると、その場で動けずに硬直する雪風の頭を今度は逆に撫でる。
「お前の幸運には期待しているぞ」
雪風は出会って初めての長門の真面目な発言に当惑してから呆けたように、はい、とだけ返事をした。