初登場がこれでいいのか……
執務室までの近道である司令部近くの資料室にまで戻ってくると、わたしは違和感に襲われた。何故か――照明が暗いのだ。普段から点けっぱなしが常態化していたこの部屋にしては、めずらしい。
「…………すぴー」
部屋の中央まできた私は、陽炎に続いて今日二人目のツインテールを発見した。今はあの、正規空母独特の飛行甲板を模した艤装は外してしまっているようだったが。
「おい、瑞鶴。起きろ」
まさか資料室で寝る奴がいるとは思わなかった。
「……はっ! 翔鶴姉っ、なに?……ああ、提督さんか……」
「おい待てっ」
一度起こしかけた上体を、再び弛緩させようとする瑞鶴の肩を、無理矢理引き起こす。長門型をも超える馬力を誇る正規空母であるとはいえ、艤装を外してしまっている状態では、外見相応の少女の体重ほどの重量しかない。
「寝るな、そこはみんなの椅子だ。……加賀を呼ばれたいか」
「……うう、なら仕方がない……。起きます……よ……」
何だか生気のない表情で、瑞鶴が座っていた椅子から立ち上がる。さながら夜なべの後といった雰囲気だ。瑞鶴には、うちの夕張のように深夜アニメの衛星放送を見るような趣味はなかったはずだが。
「どうしたんだ、瑞鶴。何かあったのか」
両腕をだらんと垂らして、ゾンビのような二足歩行をしていた正規空母は、首だけをぬるり、とこちらに向けていかにも不機嫌そうになる。
「一昨日の訓練のことでまた……あの一航戦の陰険な方……許すまじ…………うっ」
突然膝の力が抜けてしまったらしい瑞鶴が崩れ落ちそうになるのを、慌てて下から支える。
「おい、大丈夫か、瑞鶴!」
また加賀の瑞鶴いびりらしい。何があったのかは、大方推察できる。もはやこの基地の日常茶飯事となっているのだ。加賀は加賀で、後輩を立派な戦力に仕立て上げようとしている……ものだと信じたいが。
「て、提督さん……もう限界……雷撃処分して……」
「なに言ってんだお前。寮まで運んでやるから、ほら、少しぐらいは自分で歩け」
力の抜けかけてしまっている瑞鶴に肩を貸し、のろのろとした歩調にあわせて、ゆっくりと歩き出す。
有事でもないのにこの資料室が暗いのは、壮絶な加賀からのお説教の後、きっと寮へたどり着くことを断念した瑞鶴が、人の往来がほとんどないと言っていいこの資料室で休息を取ろうとしたからだろう。
実際、この部屋は時々わずかにショートカットできるからと私が通るかどうかぐらいのものだ。警備を司る妖精が見逃したのも、きっと気を遣って、あえて通報せずにいたのだろうと容易に想像できる。ここは一つ、甲斐性ある提督の姿でも見せてやろう。
「分かった、加賀には黙っておいてやるよ、仕方がない」
瑞鶴の口角がほんの少しだけつり上がる。どうも笑っているらしい。「…………ありがと……翔鶴姉……」
残念ながらわたしのアピールは無駄足に終わっていた。張本人はすでに夢の中に片足をつっこんでいる。こうして、ずいぶん穏やかな表情でよだれを垂らしている正規空母・瑞鶴は、実は二番艦――つまり妹なのである。姉であるはずの一番艦・翔鶴は未だ進水すらしておらず、配備はかなり先とされている。
そんな、まだまだ幼さの残る寝顔を見つめ、わたしが微笑んでいると、
「んっ!?」
瑞鶴の首が急に前方を睨みつけた。
「なっ、どうした!?」
まさか顔をじっと見ていたのがバレたかと思い焦りつつ、わたしも瑞鶴にならって廊下の先を見る。別段異常は見られないようだが――そう思って隣に視線を戻すと、当の本人は眉間に皺を寄せて目をつむり、集中した様子でうつむいていた。
「六時の方向……彩雲と思しき航空機が一」
「偵察機、まさか――」
加賀だ、言われなくても分かる。わたしを付けていたらしい。さすがに航空母艦、索敵はお手の物というわけである。しかし、まずいことになった。加賀が瑞鶴とわたしに何かあったとでも勘違いされれば、まず間違いなく瑞鶴いびりは加速する。
「五〇三航所属機か」
「職権濫用じゃないの? 全く!」
瑞鶴が苦々しくつぶやく。後ろのS字クランクになっている廊下の陰に隠れているらしい。できれば今すぐにでも鹵獲したいが手段がなかった。
「瑞鶴、指揮通信網であいつの座標を探れ。近くにいるか?」
「あいつ?」瑞鶴は怪訝な顔でわたしを見返す。「何、加賀さん?……ああ、そういうことね」私の意図に気づいたらしい瑞鶴の顔に、いたずらっぽい笑みが浮かび上がる。「運が良いわ。彼女ならこの近くにいるみたい……もうすぐそこ、廊下を左に曲がったところに」
「なら、話は早いな」さすがは幸運の空母、とわたしは瑞鶴の肩に回していた手をほどくと、一歩、いきなり踏み込む。「行くぞ!」
突如として脱兎のごとく駆けだしたわたしたちの耳に、後方の彩雲が慌ててついてこようとプロペラの回転数を上げた音が響いてくる。いかに最速の偵察機と言えど、ここは戦闘形態になれず艦娘の能力に大幅に規制の掛かる陸上だ。角を曲がるまでならこちらにも勝機がある。
「曲がれっ!」
全速力で廊下の突き当たりの角まで来たところで、無理やり身体を右にひねる。揺れる視界の中央に寝ぼけ眼の正規空母――『赤城』を捉え、そのままその長身の後ろに隠れる。
「へ……何です……?」
「見ろ赤城! ボーキサイトが飛んでるぞ!!」
「えっ!?」
わたしの指さした方向に、飛んで火に入る夏の虫がごとく、全速力の彩雲が角で優雅な旋回をして、飛んでくる。その姿がわたしたちの目に入った次の瞬間、信じられないような速度で目の前の赤城が跳躍する。
「わたしのボーキサイトォォ――――――!!」
朝飯前だと言わんばかりに素手で彩雲を捕まえてその主翼に喰らいついた赤城は、脱出するパイロット妖精には目もくれずに両手でプロペラの回転を強引に止めると、ぼりぼりとかじりつき始める。
「瑞鶴、パイロットを確保しろ。――赤城、それは加賀の彩雲だ。返してやれ」
ちょこちょこと歩いて逃げ出そうとする妖精さんのパイロットを瑞鶴がひょいと拾い上げ、こちらに笑顔を送る。
「トラトラトラ、ね」瑞鶴が自らの手の中で涙目のパイロットの頭を撫で、立てた人差し指を唇に当てて、しー、とジェスチャーする。「加賀さんには内緒だからね」
「ハイ……」
ならいいわ、と瑞鶴は自分の胸当ての中に妖精をしまうと、「工廠に寄ってから寝ることにするね」と言い、一つ、大あくびをした。
「ああ。気を付けてな」
「何、ついてきてくれないの?」
「これ以上勘違いを誘発させるような真似は御免だな。――もう、一人で歩けるか?」
わたしは再び睡魔に襲われている赤城から無理やり彩雲を引きはがすと、瑞鶴に手渡す。すでに左の主翼は食いちぎられている。一応精錬済みの合金であるジュラルミン製なのだが、この空母はそれを意にも介さないらしい。
「ええ。もう大丈夫。提督さん、助かったわ」
そうか、とわたしが安心したように笑いかけると、瑞鶴はにこっと微笑み返して、わたしとは逆の方向へ歩き出す。ゆさゆさと揺れる灰色のツインテールは、すぐに見えなくなった。
シリアスとは一体