人里の南西部、日当たりの良い空き地に挟まれる形で、その建物は鎮座している。
つい最近建てられたばかりのそれは、木製の塀に囲まれ、門に掛けられた看板には仰々しい文字が記されている。
『実践型無差別格闘術:無限流』。
実践型無差別格闘術:無限流。俺の戦闘技術に対して冠された名だ。即ちこの新築物件は、俺の道場なのだ。
「前回の講義でも話した通り、戦いに於いて最も重要なのは、あらゆる状況、突発事象に対し的確に反応、臨機応変に行動することのできる合理的な心技体だ。噛み砕いて言えば、どんな時でも慌てず焦らず、ただし素早く、目的に見合った動きをとることができるようになる為には、心、体、そして技による裏付けが欠かせないのだ。心に問題のある者が技を使っても芯が通らない。技を扱えない者が体を張ってもすぐに折れる。体の弱い者の心が強くとも頼りがいがない。強さの基盤とは即ちそういうことだ」
畳の上に十数人の子供が座り、俺の話を聞いている。ヒトだけではない。チルノやルーミア、リグル・ナイトバグ、空素子等もまたここの生徒の一人であるのだ。
オリジンギアによる幻想郷拡張計画から2ヶ月が経ち、この世界に於ける俺の扱いも随分変わった。『幻想郷を救った英雄』と、葉月欧我と共にもてはやされ、妖怪の山の天狗達を束ねる頭領・天魔からは、事前にアポイントを取れば山の一画を借用することのできる権利が与えられた。俺は前々から、人里に道場のようなものを作って自身の戦闘技術を教えたいと考えていたので、天魔からの贈り物はサバイバル訓練にうってつけだった。来週の土曜日から4日間、実際にサバイバル訓練を行なうつもりでいる。
「それでは、まずお前達の基礎的戦闘能力を見る。二人一組でペアを作って並び、各自格闘戦を開始しろ。妖怪勢は弾幕と能力の使用は一切禁ずる。エナジーディスチャージャーの装着も忘れるな」
威勢のいい返事が返ってくる。子供達はそれぞれでペアを組み、稚拙ながら思い思いのやり方で格闘し始めた。妖怪は手足にエナジーディスチャージャー――パチュリーの作成した、妖怪の力を抑えるリング型の装置を身に付けている。中にはそれなりの心得がある者もいて、一本背負いやラリアットを決めている。
「…ん?」
しかし、やはり度を超す者も必ずいる訳で、
「こらそこ!絞め技は実用性がないから禁止だと言ったはずだ!」
「あだっ?!」
隅の方で相方にチョークスリーパーをかけていた少年は、即座に俺の目に留まり、愛銃アームキャノンを装備した俺によるバイオバレットの一撃が叩き込まれる。出力は弾幕ごっこの時以上に低い為怪我はさせないが、大人の拳骨位の破壊力はあるだろう。尤も「慧音先生の頭は親父の拳骨より硬い」らしいが。
実はこうして集めた子供達は、その多くが後天的なインフィニタス、つまりエヴォリューテッドパーソンとなり得る可能性がある。バイオエナジーの流動を見たから間違いはない。インフィニタスの数が増えれば、幻想郷縁起に新たに『インフィニタス』の欄が増えるやも知れぬ。その時はインフィニタスの『先輩』として彼らを導いて欲しいと、人里の里長と稗田阿求に頼まれているのだ。
「…責任重大だな」
自嘲気味に息を吐き、独りごちた。コーカサスにいた頃も弟子はいたが、一人と多人数とでは大違いだ。ましてや彼らはかつての弟子より精神的にずっと幼く、不安要素は尽きない。
「小櫃さんなら、できますよ」
「ようやく来たか。そう言ってくれるのはありがたいが」
背後からの声に、振り向かず応える。声の主は、俺と共に英雄の名を冠された青年、葉月欧我だ。
「少し見学していました。どんな風に授業を行なっているのか知りたくて」
俺が彼を呼んだのは他でもない、生徒名簿に証明写真を添付する為だ。無縁塚を漁ってみたが、やはりカメラを見つけることは叶わず、そもそも現像できる機材もない。故にこの写真屋に頼むしかないのである。
「…総員止まれ。写真屋が来た。連絡した通り撮影を行なうから、西側の壁に沿って一列に並べ」
子供達を招集し、予め用意しておいたパイプ椅子を道場の中央に設置して、欧我に告げた。
「少し厠に行く。席を外している間、子供達を頼むぞ」
数分前から尿意を催していた。膀胱の中は黄色い汚染水が満載されている。俺はやおら腰を上げ、事務室に隣接した高性能の水洗便所に向かった。
ちなみに、日本のトイレは諸外国のものよりかなりハイテクであり、コーカサスで標準的に設置されるものは大抵日本の企業が作っていた。日本人の偉大な感性に感謝せねばなるまい。
だが、用を足すことはついでのようなものだ。
事務室の奥、真新しい道場とは正反対の古びた机の上に、大量のレポート用紙が積まれている。俺がある妖怪について独自に調べたことを纏めた資料である。
幻想郷の各所には、特定の妖力に反応して電波を送信する探査用ビーコンが設置されている。電波の送信先は、この事務室にある専用の機械だ。
「くそッ!」
新しく書き始めた資料をぐしゃぐしゃと丸めてゴミ箱へ投げ入れ、苦々しく歯軋り机を殴る。その妖怪は、不規則過ぎる行動パターン故に生態が全く掴めていない。
「鬼人正邪…ッ!」
鬼人正邪。俺が幻想入りする半年前に、一寸法師の末裔・少名針妙丸を騙し、輝針城異変を起こした天邪鬼。幻想郷縁起にはそう記されていた。
以前一度だけ、人里にいる彼女のバイオエナジーの流動を見たが、酷いものだった。あれ程純粋な悪意を持った者を見たことがない。あんなものをこの世界に残しておけば、またいつ異変を起こすか知れたものではない。退治などでは生温い。抹殺する。それでなければ幻想郷の平穏を保つことは不可能だ。
俺には夢がある。自分には『バイオニックコマンドー』という異名が与えられているが、ここにいる子供達を組織し、本物の
そもそも、善悪や敵味方は相対的なものでしかない。何故なら、こちらにとって相手の行ないが悪であったとしても、相手にとってはこちらの行ないが悪であるからだ。俺のような者は、常に変化する相対敵と戦っているに過ぎない。時代によって、時流によって、敵味方はまるで風向きのように変わる。
だが、俺はついに見つけたのだ。人類全ての害悪、変わることがない絶対敵を。そう、鬼人正邪は、自身の行ないが悪であると自覚しつつ、それを行ない他人を苦しめることをこの上なしに快楽とする、下衆で、糞で、塵屑で、この宇宙に存在する価値のない、…否、存在を許してはいけない最低最悪の輩なのだ。どんな侮蔑の言葉を用いても言い表せない程の敵愾心が、俺の中に渦巻き、「滅ぼせ」と轟き叫んでいる。
この件については誰にも話していない。誰にもわかるまい、悪を許せない俺の心など。いつの時代もそうだ。津波で大勢が死のうが自爆テロが起ころうがいじめで中学生が自殺しようが、「かわいそう」「自分の近くでなくてよかった」で終わらせる。結局は皆、自分さえ良ければそれでいいのだ。
そう考えると、窓の外に見える雲一つない澄んだ空が、世間の暢気さそのものを体現しているように思えてきた。過去にも未来にも目を向けず、ただ今という時間を享楽的に生きるだけの無意味な生。
「…『どうしようもない』。師匠ならそう言って諦められるんだろうな」
そんなことは俺にはできない。悪事を働き、他人を不当に傷付ける者全てを、地の果てまで追い詰め、塵も残さず撃滅する。それが俺の信じてきた正義なのだから。法の縛りが無ければ、俺がコーカサスで捕らえてきた強盗達は例外なくミンチになって墓石の下にいることだろう。
とにかく、打倒正邪の為にはいささか情報が少な過ぎる。いくら地団駄を踏んだところでそれは変わらない。今は奴のことは忘れよう。俺は苛立ちも一緒に吐き出すかの如く大きく深呼吸して、無縁塚で拾ったロッキングチェアから立ち上がった。
「小櫃さん、撮影が終わりました」
丁度その時、欧我が事務室のドアをノックし声をかけてきた。撮影開始からおよそ22分、想定していたよりさして時間はかからなかったらしい。
「了解した。すぐに向かう」
散らかった机上を整理して、脇に置いてあったアームキャノン、撮影代、現像代を手に部屋の外に出る。
「明日には現像できていると思います」
「わかった。料金とチップだ、受け取れ」
そしてポケットの中からなけなしの千円を引っ張り出し、代金と別に渡した。
「いいんですか?」
「無論だ。色々と世話になったからな。その金で、自分の彼女に何か買ってやればいい」
努めて穏やかに笑う。言っていることは本心ではあるが、こうして気前良くするのは、自分の心を落ち着けるのと同時に、正邪への怒りで荒んだ心を隠す為のカモフラージュでもある。
「ありがとうございます!何がいいかなぁ…」
途端に色めき立つリア充を伴い道場の大部屋に戻ろうとした矢先、壁を幾つも隔てた向こうに見知った顔を発見した。
「噂をすれば影が差したな。欧我、少し事務室で休むと良い。奥の冷蔵庫でチルノのお手製アイスキャンディーが冷えているぞ」
欧我にそう言い残して、道場の玄関まで直行する。案の定、そこに立っていたのは件の射命丸文だった。
「久し振りね、小櫃。欧我は仕事してる?」
彼女が敬語を使わないのは新聞記者の仕事がオフである証拠だ。口調とバイオエナジーの流動からして、用があるのは自分の彼氏でなく俺の方だろう。
「何か用か?入門なら葉扇子と翼を捨てる覚悟はあるんだろうな?」
「とんだブラックジョークね…じゃなくて、天魔様から貴方に伝言があるの」
何とか紡ぎ出した冗談をブラックジョークと切り捨て、彼女は俺に一通の文を手渡した。俺はそれを開いて内容に目を通した――のだが。
「…読めない」
「うん、私もちょっと読みにくいと思う」
達筆過ぎて読めない。コーカサスでは筆字に触れる機会はあまり無かった。不勉強な自分を呪う。
「…まあ、要約すると、来週の土曜日は白狼天狗の演習があるから、サバイバル訓練は水曜日まで早めてくれってことね」
「演習か…了解した」
俺が借用できる地域の一部は、天狗の演習場と被っている。初回から予定を変更せざるを得なくなり、少し出鼻を挫かれた思いがした。それでも子供達は優秀だ。一部の欠席者を除き、もう全員が来週の訓練に向けて準備を整えているらしい。
「子供達に伝えてくる。欧我に何か伝言はあるか?」
「うーん…『愛してる』って伝えて♡」
「……」
このバカップルが。
しかし、やはり自分の性分、俺はいつの間に事務室に歩を進めていた。
「欧我…」
ドアを開けると、欧我がわなわなと肩を震わせて棒立ちになっていた。その足元には、俺の編集した無数の資料。彼の手に握られている紙は、俺の直筆でこう書かれている。
『鬼人正邪抹殺計画:プロジェクトジャッジメンツ』。