目が覚めたのは、永遠亭の自室に敷かれた布団の上だった。
「小櫃!!」
突如飛びついてきた女に抱きしめられて、俺は自分の身に何があったのか思い出すタイミングを掴み損ねた。
「…鈴仙」
「バカッ!心配させないで!」
顔面にギュウギュウと豊満な胸を押し当てられ、どう反応したものか判断に困る。世間一般の男からすれば凄まじい桃源郷だろうが、生憎俺はそういう気分ではない。このままでは何分も抱きつかれた状態でいることになる。
「…あまり締め付けると、今度こそ窒息死するぞ」
冗談めかして言ったつもりが、鈴仙は割と本気でとらえたらしく、慌てて俺から離れ畳の上に正座した。
それを確認してから、今一度自分の身に起こった出来事を思い返してみた。俺は欧我と弾幕ごっこをして――
「…負けた、か」
負けた。二重の意味で、敗けたのだ。鬼人正邪を逃し、恐らく奴が俺の前に現れることは二度とないだろう。全て潰えた。
「小櫃さん…どうしてそんなに彼女の抹殺に拘るんですか?」
鈴仙の隣に座っていた件の欧我が、俺に問いかけた。
他の誰かに理解できるか分からない。だが、俺は自分の体験を話さねばならない気がした。俺がバウンティハンターとなった最大の理由、忌々しき凄惨な過去を。俺はゆっくりと口を開き、語り始めた。
11年前の夏、無論俺のいた2129年から11年前という意味だが、俺はまだ日本の埼玉は八潮に住んでいた。
当時5歳だった俺が、一人で近所の公園から帰ってきた時に、その惨劇が始まった。
帰宅した俺を待ち受けていたのは、家族の死体と無数の血溜まり。そして、血の滴る包丁を持った男だった。その男のバイオエナジーの流動から感じたのは、俺のようなインフィニタスに対する嫌悪と悪意。俺を殺すつもりはなかったらしく、網戸を破って去って行った。
俺は、肺結核で親を失った親友と一緒に孤児院に入り、1年後、同じ里親に引き取られることになった。親友は大層喜んでいたが、その男は、俺の家族を全滅させた張本人だった。一人でテレビを見ている親友を、男は背後から拳銃で射殺しようとした。
自分の家族を殺されたことについては、数ヶ月程度で整理がつき、何とも思っていなかった。だが、男の目的が、俺の周りの人間を次々殺して苦しめることだと分かって、俺は激しい怒りを覚えた。俺を苦しめることにではない。さらに多くの人間を殺すつもりでいることに、である。
俺が間に割り込んだところで、男は構わず親友を殺すだろう。親友を連れて遠い交番まで逃げられる程の体力はない。男を気絶させるだけの技術もない。
男を殺すしかない。俺はそう判断した。
初めて人の命に手をかけるのだ。その時はさすがに緊張し躊躇した。だが殺らねば親友が殺られる。俺は意を決し、男を蹴り倒して、パン切り包丁で喉を掻き裂いた。
一度殺してしまえば、後は為すべきことを為した得意と、親友を、そして今後殺される可能性のあった人々を守れた安堵が残るばかりだ。しかし親友は、およそ次のような趣旨のことを言った。
「許されると思っているのか。お前は人を殺したんだぞ」
その言葉は、俺の心に深々と突き刺さった。
親友は家を飛び出した。男がインフィニタスを差別していたということをニュースで知ったのは、警察に捕まり孤児院に逆戻りした後だった。
その後の説明は、2ヶ月前紅魔館のベランダで欧我にしたのと同じものだ。親友と再開し撚りを戻した後も、あの時の彼の言葉が俺を苦しめ続けたと付け加えた以外は。
バウンティハンターとなった理由は、単に悪を許せなかっただけではない。確かにそれもあるが、自己の正義の実現によって、あの時自分が殺した男が決して被害者などではなく、俺の選択が最良で、かつ正しい行為であったと証明することが、最も大きな目的だった。
鬼人正邪の抹殺は、天邪鬼という彼女の種族からも、過去の行ないからも、性格からも、人類の不倶戴天の敵と位置づけし、自己の正義が絶対であると誇示できる、まさに格好の材料だった。彼女を自身の手で消すことで、今までの努力が報われる、そんな気がしたのだ。
「鈴仙、欧我…俺は…あの時の俺の判断は、間違っていたのか?どうすれば良かった?あれ以外にどうやって彼を救えた?何が正義なんだ?何故悪を滅ぼして悪と見なされなければならない?」
怒りとも哀しみとも判別のつかぬ思いが、俺の中に渦巻き、心を、体を震わせる。もう我慢の限界だった。
「話は聞かせて頂きました」
すると突然、部屋の障子が開き、外から緑髪の女が現れた。
「貴方が、四島小櫃ですね」
その姿は幻想郷縁起にも記載されていた。ヤマザナドゥ、即ち幻想郷の閻魔。
「四季、映姫…」
「知っているのなら話は早い。今回の件を境界の妖怪から相談されたのです。貴方の迷いを断ち、白黒はっきりつけて欲しいと」
「…紫から?」
あの胡散臭く振舞う自称賢者は、俺の過去を知っていたのだろうか。眠っている間にでも俺の記憶を探ったのか、或いは時間跳躍で実際に過去の俺を見てきたのか…方法は定かではない。それでも、何か目的があって行動していることだけは確かである。
閻魔の注意が俺から逸れた一瞬の隙をついて、俺は隣の二人を盗み見た。鈴仙は映姫を見るなり気まずそうに部屋から出て行き(位相変位による不可視化と物質透過エフェクトの重ねがけを利用していたが、バイオエナジーはいつも通り丸見え状態だった)、欧我は初めて会う彼女にどこか辟易している様子だ。だというのに、彼女を見た俺は先程より冷静になっている。師匠曰く、俺の天与の才能で致命的な悪癖だそうだ。沈着冷静でクールな印象とは裏腹に、神経質で感情的・感傷的な面があり、それを無意識的に第一印象では悟られまいとしているらしい。
「今回、貴方が正邪を抹殺しようとした件については、誰の目から見ても黒…貴方が賞金稼ぎになった動機についても、ある意味では黒です」
「……」
何が黒だ。俺の努力を何だと思っているのだ。喉元まで出かけた言葉を、歯を食い縛り必死に抑える。折角冷静になっていた精神が逆撫でされ、エントロピーが増大していった。
「そう、貴方は融通が利かな過ぎる。正義の名の下、傍若無人に自分のエゴを押し通しているだけ。貴方は心のどこかで、この世を自分の管理する盆栽か何かのように考えているのです。気に入らない部分を無理に矯正し、或いは切り捨て、最良の部分だけを残そうとする。貴方が作ろうとしていたのは、悪意を持って行動する者が不自然に切り取られただけの歪な世界です」
「……」
コーカサスを見るがいい、気が変わるぞ。あの地球最後にして最悪の犯罪多発国家で、悪意を持つ者と同じ空の下にいるのは死んでも御免だと。
「…ですが、あえて言いましょう。貴方が齢6で人を殺したことについては、」
刹那の沈黙。欧我と鈴仙の、生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「――白であると」
一瞬、俺はその発言の意味を図りかねた。
「貴方は親友を、そして殺されるかも知れなかった多くの人の命を救う為、自分にできる事をした。ただそれだけです。その時の貴方の心は決してエゴなどではない、純粋で高潔な正義感。貴方が心を入れ替えて、当時と同じような志を持って正義を振るったならば、貴方の死後の安寧は盤石なものとなるでしょう」
映姫の口から初めて出た、肯定の言葉。その意味が、やっと飲み込めた。もう迷うことはない。わざわざ正邪を殺してアイデンティティを示す必要などない。あの惨劇の被害者は、ちゃんと俺達だったのだ。
「小櫃さん」
欧我の声に振り向く。視界が霞んでいたが、彼が俺の肩に極優しく手を置いたのは、辛うじて視認できた。
「貴方は強い。だから、過去に囚われるのは止めましょう。それが、死んでしまった貴方の家族への手向けとなるはずです」
枷のような何かが外れた。否、堰が切れたと表現するべきだろうか。鉄砲水の如く溢れ出した訳の分からない感情が、目から、喉から、零れていく。
「うっ、ぐぅっ、…うわぁああああああああああああああああああああ!!」
物心ついた時から数えれば、片手に収まる程度しかない、涙。全てを激情に任せて吐き出した。戦う為だけに酷使した鉄色の血潮を、全て透明なそれに変えんとするように。
恥ずかしながら、閻魔が帰った後、俺はそのまま泣き疲れて眠ってしまったようだ。永遠亭の住人と欧我が言うに、「寝顔は可愛かった」そうだ。柄にもなく、酷く赤面させられた。