彼らはキリサメ・マリサに会うべく、魔法の森深部を目指していた……
ミチスガラ・シーク・ヨモスガラ #1
月は雲に隠れ、陰鬱とした空気が漂う魔法の森。頻繁する降雨により湿気を帯びた森の中ではヨーカイキノコが濛々と胞子を巻き上げ、蛍の光がそこに反射することで夜にもかかわらず僅かに光り輝いているように見える。
「ダイコン一つ」
森の外れ、人里との間の山道にぽつんと存在するのは屋台であった。「八目鰻」と書かれた暖簾を掲げ、暖簾の隙間から香ばしいテリヤキ・ソースの香りが漂ってくる。屋台のキッチンには七輪とおでん鍋が並べられ、グツグツと煮えたぎるダシ・スープの中ではタコ串やコンブ、ダイコンやモチの巾着が対流に揺られ泳ぎ、その横では表面にソースを塗ったヤツメウナギの開きが網の上に並べられ、下の炭によりあぶられ皮目に焦げを作る。下の棚には酒甕の他に瓶入りのサケが並べられていた。ラベルには「雀」の漢字が、厳かに刻まれている。
その向かいの席に座り、酒を浴びるように飲みながらおでんを頼む人影が一つ。身長は五尺程だろうか。少女のようにも少年のようにも見える、中性的なあどけない顔立ち。しかし緑色の毛髪の隙間からは昆虫を思わせる触覚が伸び、背には前羽めいたマントを背負っている。あからさまにヨーカイである。
「リグルチャン……そろそろやめた方が……」「ダイコン一つだ!サケも!」「……ヨロコンデー」
既に耳まで赤く、相当量のアルコールが回っていることが伺える。リグル、と呼ばれたその人物に声をかけたのもまたヨーカイだ。背や耳に当たる部分から雀めいた翼を生やした、少女のようなヨーカイである。慣れた手つきでヤツメウナギをひっくり返しながら、少女は黄金色に染まったダイコンを器へよそう。その後、酒甕の口に小さなバンブー製柄杓を入れ、オチョコへとサケを注いだ。
リグルはそれを煽るように飲むと、ダイコンを器用に箸で四等分し、備え付けのカラシを塗りたくると口に放り込み咀嚼した。割られたダイコンから染み出たオーガニックシイタケ由来のウマミエキス成分が芳醇な香りを発し、黄金色に変色したダイコンが以下に美味な物か連想させる。これをツマミにサケを飲む、なんと贅沢なことだろうか。考えるだけで口の端が緩みそうな光景であるが、しかしリグルの眉間には深い皺が刻まれていた。
「ヨッ!オカミ!久々に飲みに来たぜ!」
次いで暖簾を上げたのはボンズの袈裟を身につけた、一つ目の巨漢であった。下顎から伸びた牙は口を閉じても突き出し、見るものに威圧感を与える。その丸太のような剛腕には針金のような体毛が映え揃い、僅かに死臭を漂わせていた。
「悪ぃが金欠でな、宣伝してやるからタダにしてくれ」「ハハ、ドーモ……」「オッ、可愛い嬢ちゃんも居るじゃねえか。どーよ、この後俺と一晩……」
男はヨーカイだ、それも屈強な。ハクレイのミコから逃れ隠れ、人を襲い力を蓄えてきたヨーカイなのである。
オカミの声が僅かに曇る。目の前の一つ目は粗暴で礼儀もワビサビも尊重しない、低俗な男だ。しかし力だけはあるのだから手に負えない。出来ることといえばとにかく会うのを避けるか、なるべく刺激しないようにし、早く帰ってもらうだけ。しかし不幸なことなその矛先はオカミの友人へと向いてしまい。
慌てて止めようとするオカミよりも早く、リグルは肩に乗せられたその手を払い除けると、ハンカチでわざとらしく肩を拭いた。
「喧嘩売ってんのかチビ助、俺はテメェみたいな小ヨーカイ程度、軽く捻り潰せるんだぞ。今ならドゲザとファックで勘弁してやる」
下ろした腰を再び上げ、男は低い唸り声のようなその声色で、脅すようにそう語り掛けた。先に仕掛けたのは男の方だ。しかしここまで失礼な対応をされる謂れはない。過剰なまでの、シツレイにすら当たる拒絶に、男の堪忍袋は爆発寸前であった。
「所詮ヨーカイ」「何?」「所詮ただのヨーカイだろう。オマケに実力差も分からんと来た」
しかしリグルは尚も煽るように言葉を重ねる。男の纏うアトモスフィアが粗暴で大胆なものから、冷たいカタナめいた物へと切り替わるのをオカミは感じた。
「イ」「イヤーッ!!」
オカミの仲裁よりも早く、男のカラテパンチが放たれんとする。それはミサイルめいた代物で、放たれてしまえばもうオカミのような弱いヨーカイには止められない。……しかしそれが放たれるよりも早く、男の頭が弾け飛び、声もなく絶命する。何が起きたのか?その答えは単純で、リグルのチョップ突きがより早く命中しただけの事。ヤリめいたチョップが眼孔へと突き刺さり、破壊のエネルギーが内側から男の頭部を破裂させたのだ。しかしそれをオカミが認識することは無かった。
「だから死ぬ、哀れな奴だ」
そう掠れるような声量で呟きながら静かにザンシンする。その風格はさながらカラテのタツジンのようである。
「お勘定。死体は虫に片付けさせるから」
「リグルチャン……また、危ない仕事?いい加減何してるのか教えてくれたって……」
「……聞かないって約束でしょ。それから、今日は魔法の森には入らないで。……オタッシャデー」
その問いには答えず手に付着した血を払うと、会計よりやや多めの貨幣を台に置きリグルは飛び去っていく。その影は瞬く間に闇夜に消えて、残された夜雀は暫く空を見上げた後、悲しげに歌を零す。
「ミスティア=サン、歌もいいけどお客さんだよ」
永遠に続くと思われたその歌声を遮るように声を上げたのは暗闇だ。朝焼けの中にぽっと浮かぶ、繭のような闇である。眉めいた闇が泡のように弾け、中から人影が現れる。
「アッスミマセン!ご注文は!」
その内の一人が自身の知り合い、ルーミアであると理解すると、ミスティアは慌ててように注文表を手にした。
「魔法の森、中心部への案内を一つ」
後ろの男がそう呟くのを聞き、ミスティアは驚いたような表情と共にその男の顔を見た。ろくに寝ていないのか、濃い隈の刻まれた、しかしその奥底になにか恐ろしい、地獄の釜めいた炎のギラつく恐ろしい瞳をした男だ。それを見てその男がただの人間では無いことを理解し、ミスティアは静かに息を飲んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
暗く湿った魔法の森の最奥、光すら届かぬ深海のような場所。高密度の魔力に当てられ半分ヨーカイとなった木々が、風に揺られる度に低く唸るような声を木霊させる。その響きに共鳴するように化け茸は胞子を散らし、それを吸い込み自我を無くした、苗床となり果てた妖蟲や妖精の成れ果て、毛玉めいたそれがふよふよと宙を漂い霞の中へと消えてゆく。ここもゲンソウキョウではそう珍しくない危険区域の一つであり、興味本位で立ち入った人間の屍の上に成り立つ死の森である。
「キリサメ・コーポには塵一つ無かったんだな」
「あたいの目が信じらんないなら、自分で見に行きな」
「そう怒んなよ、信用してるさ」
その一角、鬱蒼としげる木々と蔦をかき分けた先にそれはあった。スクラップを乱雑に積み重ね、上に有刺鉄線を張り巡らせた城壁モドキ。その内に根ざした大樹の上に築かれた、幾つものトタン製の物置めいた四角形の空間の一つ。薄暗い明かりが室内を照らす空間の中で、少女達は相対していた。
片方は妖精だ。快晴のような爽やかな髪色に雪のような肌。その背に氷の羽根を浮かべ、威圧するようなバッテン印のマスクを付けた妖精の少女である。その背には同じく妖精であろう緑髪の少女が一人、向日葵めいた円盤形状の刃を先端に着けた、非人道的改造電動鋸を手に鋭い眼光を飛ばしている。
その向かい、随分と年季の入ったソファに腰かけそう呟くのは金髪のヨーカイ……否、人間の少女であった。しかしそのシルエットは歪だ。健康的な骨格をした右腕とは対照的に大きく太く無骨な、機械製の腕が取り付けられていた。テッコ、それも旧式のものである。プスン、プスンと蒸気を漏らすその腕の側面には「霧雨」の二文字。その漢字は腕のテッコのみならず、黒い耐酸性雨合皮ジャケットの背にも刻まれていた。そしてその後ろに控える同じく金髪の女性。赤いカチューシャに青を基調としたワンピースめいた服を身につけた、人間のような女性だ。あろう事か武器の類は一切身につけず、しかし油断ならぬアトモスフィアを漂わせながら対面の妖精二人を睨みつける。
彼女らはギャングである。「ヨーセイカルテットクラン」及び「キリサメヤンククラン」。相対しているのはその頭目であるチルノ、そしてキリサメ・マリサ。即ちこれは談合であるのだ。
「テメー、ウチのヘッドにこんな小間使任せるなんざ何考えてんだコラー!」
とてもそうとは思えぬ一触即発の空気。背後に控えていた妖精はバイクのハンドルめいた持ち手のグリップを握りしめ、先端の刃を高速回転させながら凄んだ。動作部から火花が散り、耳障りな音が響き渡る。
「ダイチャン、やめろ」「舐めてますよコイツら。分からせます」「馬鹿、死ぬぞ」
それを制するように、チルノは冷気を後方へと発した。この判断は実際正しい。妖精の少女がそう理解したのは、霜により自身の首に巻き付く糸を視認した時であった。キリサメ・マリサの後方に控える女性の指先から伸びた糸が、妖精の少女の首にしっかりと巻きついている。恐らく魔法の類か、視認しても尚糸が触れているような感覚は無い。恐らくはこのまま糸を引かれても、首と胴が泣き別れたとしても気付く事は無いだろう。そのあまりにも華麗な手口に冷や汗を垂らしつつも、好戦的に舌打ちをしながら少女はその手の凶器を背に収めた。糸がするりと後方の少女の手元へと戻ってゆく。
「悪いな、アリス=サンは冗談が通じん。……しかしこれで、アンタの話も真実味を帯びてきたな、サカタ=サン」
そう呟きつつキリサメ・マリサが視線を移した先に居たのは、二人のスーツ姿のサラリマン……それはサカタとカミキであった。バカな、彼らは死んだはずだ!しかしその事実をキリサメ・マリサ達は知らない!サカタはその言葉を受け、営業スマイルと共に手を擦り合わせながら意味もなく頭を下げ始める。
「ハイ、ご理解いただき誠にありがたい限りにございます、ハイ。付きましてはこちらの……」
「……あぁ、ありがとう」
サカタが鞄から取り出したのは一つのファイルであった。中に入っているのは数枚の写真だ。そこに写っていたのは「忍」「殺」と書かれたおどろおどろしいメンポを付けた、赤黒装束のニンジャであった。写真の下には「ニンジャスレイヤー」の文字。
「この男、ニンジャスレイヤーこそがネオヒトザトに現れお父上……キリサメ・ダイフ=サンを襲い、数多くの社員の命とお父上の命を奪い、挙句キリサメ・コーポを跡形もなく焼き払った犯人にございます。ダイフ=サンは身を呈して逆賊を食い止め、私が逃げる時間を……」
「わかってる。それ以上は言わなくても良い」
サカタは目頭を抑え、震える声でそう告げた。
何たる欺瞞!そう、この恐るべき会談の場では今まさに、ニンジャスレイヤーの名誉が陥れられんとしているのである。しかし何故この男はその事実を知っているのだろうか?果たしてその正体は?
「だがアンタを信用しきる訳でもない。コーリンはお人好しだがバカじゃない、それが向こうに付いてる訳ってのを聞かんといかん」
そう呟きながらキリサメ・マリサは壁に掛けられた巨大な大口径ショック銃を右脇に抱え、ヒューズを器用に片手で装填した。
RING!RING!直後、けたたましくベルが鳴る。周辺に張り巡らせた結界を何者かが通り抜けた証だ。結界を破らずに通り抜けられるのは彼女の顔見知りのみ、そしてこの状況下でここに来るのはモリチカ・リンノスケと、その同伴者のみだ。
「アリス=サン、それからチルノ=サン達はサカタ=サンの警護にあたってくれ。話は私がつける。カミキ=サンは着いてきてくれ。ニンジャスレイヤー本人かどうか、アンタに確かめてもらう」
「ヨロコンデー!」
セーフティハンドルを横に捻れば、制限を外された電光が、獣の涎めいて僅かに銃口の先から漏れる。ショック銃は人間どころか大型の獣すら黒焦げのローストチキンに変える凶悪な代物である。それが大口径。引き金を引く前ですら、その尋常ならざる威力が伺える。
「マ、マリサ=サン!良いですね!ミニ八卦炉は哀れにも彼奴の手に渡りました!しかし同時に、彼奴はそれこそが信用の証となりうると慢心しております!もし、もし……」
「あぁ分かってるよ。もし奴が親父の話もせず、ミニ八卦炉見せびらかしてこっちの信用を勝ち取るような真似したら、そんときゃ……」
その重く黒々しい銃身が片手で制御され、銃口が天井へと向けられる。
ZAAAAAAAAAAP!!!
次の瞬間、収束された雷光が小屋の天井を貫いた。一瞬、暗い森が真昼のように明るくなる。電磁波により生じた嵐が一瞬吹き荒れ、たったの一射で焼き切れたヒューズが排出される。
「これで脳天ぶち抜いてやるぜ」
そう言い放つと、キリサメ・マリサは窓から身を乗り出した。
なんと恐るべき事態か。キリサメ・ダイフがこの光景を見れば、果たしてなんと句を残すであろうか?しかしキリサメ・ダイフは居ない。動き出した歯車は、もはや誰にも止められない。あぁニンジャスレイヤー、ニンジャスレイヤー!