「毎度、ありがとうございました」
モリチカ・リンノスケは自動開閉式フスマから出て行く客にお辞儀をした。
重金属性酸性雨は降り止み、化学スモッグめいた霧を生じさせていた。客の退出に伴い店に入り込んだ霧が床一面に広がり、客の居ない寂れた店内により一層不気味なアトモスフィアを生じさせる。
コウリンマートは、マートとは名ばかりの道具屋である。かつては外の世界の道具も販売していたが、イチヤ建設ファンドが出来てからはハクレイのミコの意向のせいか、外から何も流れつかなくなってしまった。
故に現在はヨーカイやマホウの道具を売るのみであり、その売れ行きもカワシロ工業のサイバネ義肢や工業製品のせいで実際宜しくない。
彼は大きくため息をつくと引き出しに雑多にしまい込んだ、ヤゴコロ製薬のサラリマンから渡された分厚い史料に視線を落とす。
「いや、生命は売り物じゃないんだ」
その資料の内容は読むこともはばかられる恐るべき人身売買を、コウリンマートにて執り行わないかという旨のマーケティング資料であった。
臓器、バイオ生体部品、サイバネ義肢。確かにそういったものを取り扱えば売上は安定するだろう。しかしそれは彼のポリシーに反するものである。
それにもし仮に自分がその提案を受け入れれば、ここからそう遠くない人里にもヤゴコロ製薬、カワシロ工業といった暗黒メガコーポの手が及ぶだろう。
しかし人里の住民はゲンソウキョウがサイバーパンクシティへと変貌する前からの常連も多い、ゲンソウキョウ最後の安息の地である。
ゲンソウキョウの住民として、それだけは受け入れ難かった。
「ン?なんだこれ」
バイオバンブー製の箒を持ち、店前の清掃をすべく外に出れば、店前のポストに何やら手紙が入っている。
封を閉じるシーリングワックスには、見たことも無いクロスカタナ・エンブレムが刻まれている。これは恐るべきソウカイ・シンジケートのエンブレムであるのだが、その存在を知らないリンノスケは差し出し元がいかに邪悪な存在であるか分からなかった。
どこか嫌な予感を感じつつも手紙を開ければ、中に入っているのは旅行券であった。
”一泊二日、雪山ペンション豪遊ツアー”と毒々しい色合いの文字で書かれたそのチケットは、ケミカル色彩から来る心理的効果により、モリチカ・リンノスケの心を踊らせた。
((ヒョウタンからオハギ、いやブッダオハギだ!なんの懸賞か知らないが、ツイてるぞ!))
冷静な思考能力はそこにはなく、彼はカレンダーに油性のペンで丸を描き、その日の夜童心に帰ったような気持ちで準備をするのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一方その頃、ソウカイ・シンジケートのニンジャであるパペッティアーは、朝焼けに照らされ始めた魔法の森の中を全速力で駆け抜けていた。
指先の糸から重みが消える。彼のジツ、クグツ・ジツによって操っていた人形が全て襲撃者によって破壊された証拠である。
額に冷や汗が流れる。彼はニンジャとして生きてきて今初めて、死の恐怖を覚えているのだ。
「イヤーッ!」
「何っ!」
樹木の間を縫うような精密なスリケン投擲!咄嗟のことに驚きつつも、パペッティアーは即座に跳躍し二枚のスリケンを回避した。ニンジャの跳躍力は、常人のそれとは比にならないのだ。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
次の瞬間、跳躍したパペッティアーの脇腹を強烈なランスキックが打ち据える。己の骨が砕ける異音を聴きながら、パペッティアーは乱回転したまま地面に叩きつけられた。
「ゴボーッ!! 」
「オヌシの人形は全て叩き壊した。もう鬼ごっこは終わりだ、パペッティアー=サン」
メンポ越しに大きく吐血するパペッティアーを冷徹に見下ろしながら、そう語りかけるのは我らがニンジャスレイヤーだ。その右手には乱雑にもぎとられたであろうクローンヤクザの生首。
いくら非ニンジャのクローンヤクザと言っても、パペッティアーのクグツ・ジツによって操られたそれらは肉体の限界を超えた動作を可能とする。
ニンジャすら殺しうる己の兵隊を秒殺し、容易く己に追いついたという事実に、目の前のニンジャのワザマエにパペッティアーは大きく恐怖した。
「た、頼む!見逃してくれ、ニンジャスレイヤー=サン!言っておくが俺は下っ端だ!インタビューしたところで何も話すことなどないのだ!」
「では殺す」
「アイエッ!?何故!?」
「オヌシがニンジャだからだ。それ以外に理由は要らぬ」
ニンジャスレイヤーの言動は狂人のそれだ。己が助かる余地がないことを理解したパペッティアーは取り乱し、ニンジャスレイヤーに背を向け逃亡を図る。
「イヤーッ!」
「アバーッ!!さ、サヨナラ!!!!」
しかしその隙を見逃すニンジャスレイヤーではなかった。逃亡を察知すると、即座に距離を詰めパペッティアーの背中にチョップ突きを放つ。
背中越しに心臓を貫かれ、パペッティアーは爆発四散した。
ごうごうと燃え盛る爆心地の中で、ニンジャスレイヤーはパペッティアーが持っていたであろう封書を見つめる。
"一泊二日、雪山ペンション豪遊ツアー"と書かれたチケットと、モリチカ、ミヤシタ、ハヤシと乱雑に描き殴られた密書らしき代物。密書の名前らしき単語のうち、ハヤシを除く二つには大きくバツ印がつけられている。
「…イヤーッ!」
封書を胸元にしまい込めば、ニンジャスレイヤーは空高く飛び上がり、魔法の森を後にした。
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「あのー、すみませーん…」
厚手のコートに纏わりついた人工雪を払い落としながら、モリチカ・リンノスケは自動開閉式のフスマ越しに声をかけた。
ペンションの外観は正しく屋敷であった。ゲンソウキョウにおいても中心都市では見ることの無いような、古典的かつ伝統的な奥ゆかしさをたゆたえた、素晴らしい景観だ。いやらしい電脳オイランハウスの広告や、怪しくないが故に実際怪しいバリキドリンクのケミカル色を放つ広告もない。手がかじかんでいなければ、彼は直ちに電脳サーバ上に☆5つのレビューを投稿していたであろう。
しばらくするとフスマが生体認証により開閉する。
頭の狂ったアンタイブディズムのカルティストや、ヤバレカバレのヨタモノによる強盗、襲撃被害を防ぐための防衛機構である。職員の生体認証がなければまず開くことはなく、ロケットランチャーを打ち込んだとしてもフスマは無傷だろう。IRC経由のハッキングなど、それこそモリチカ・リンノスケには不可能だ。
「ドーモ、イラッシャイマセ…お客様ですか?」
モリチカ・リンノスケは一瞬圧倒された。彼を出迎えたのは、彼の二倍はあろう大男であったのだ。髪は整髪材で整えられ、シワひとつ浮かべていない額と骨ばったまゆ骨をさらけ出していた。
男の表情が笑顔でなければ、あるいはモリチカ・リンノスケは失禁していたかもしれない。
「は、はい。今日宿泊予定のモリチカ・リンノスケです」
「あぁ、モリチカ=サンでしたか。お待ちしておりました。わたくしは当旅館の支配人をやらせて頂いているオノメ・シンと申します。本日は遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」
大男の対応は極めて丁寧だ。ワビサビを感じさせる、極めて奥ゆかしい態度である。少し前まで抱いていた警戒心はこの一瞬でモリチカ・リンノスケの中から消え去ってしまった。
「それではお部屋の方に案内させていただきますので、どうぞお上がりください」
リンノスケは促されるままに靴を脱ぎ、奥の階段を昇ってゆく。階段の左右には「安らぎ」「休息」「安全」といった、リラクゼーション効果をもたらすショドーが掛け軸めいて貼られている。
「おや、モリチカ=サン。こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
「あっ、ミヤシタ=サン。ドーモ。なんだか懸賞が当たったみたいで」
廊下の角から歩いてきた影に歩みを止めれば、それはコケシマートの支店長であるミヤシタ・セキボだった。大して仲が良い訳では無いが、挨拶は大事だ。二人は互いに一礼した。
「ミヤシタ=サンはお風呂上がりですか?」
そうリンノスケが指摘したとおり、ミヤシタの身体からは湯気が登っていた。髪も僅かに濡れ、首にタオルをかけている。
「ええ、オンセンがありましたので。露天でしたよ」
「オンセン!それは大変良いですね」
リンノスケは興奮のあまり目を輝かせた。昨今ではオンセンコテージなどあまり見掛けるものでは無い。しかも露天風呂とくれば、その興奮は当然のことであった。
「フフ、モリチカ=サンもゆっくり入られて下さい。……オット、お客さんのようですね。すみません、モリチカ=サン。使用人に案内させますので、私は少し失礼させていただきます」
「いえ、お気になさらず」
障子戸をノックする音を聞きつけたオノメは、モリチカに一礼するとそそくさと玄関へ向かってゆく。
そのまま入れ替わるように現れた、兄弟めいて顔の似通った二人の男に案内されながら部屋に向かう途中、ふと玄関を振り返れば、そこに居たのは対酸性雨性のトレンチコートに身を包んだ奇妙な男だった。
「ドーモ、ハヤシです」
ハヤシ、と名乗るその男の目に。生気も感じられぬ暗闇の奥に潜む何かがこちらを睨んだような気がして、モリチカ・リンノスケは駆け足で二階に上がり込んだ。
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「アイエッ!ゲンソウキョウの山々が一望できるじゃないか!なんて素晴らしいんだ!」
モリチカ・リンノスケが露天風呂でくつろぎながら景色を楽しんでいたその頃、ペンションお付きの料理人であるタナカは地下室で包丁を研いでいた。
だが待ってほしい。その顔にはメンポを身につけ、その研ぎの速度はどんどん加速し、周囲にソニックブームを放っている。研ぎ澄まされた包丁は暗闇の僅かな光を最大限反射し、太陽光めいた輝きを放っている。
「ヌハァ…!この包丁で、三枚おろしぃ…ヌハァッ……!!アァ早く!早く俺のカラテを試したい!早くおろしたい!」
邪悪なギラつきを瞳に宿しながら、モータルであれば失禁を免れない言動を放つその男はニンジャだ!ソウカイ・シンジケートから差し向けられたニンジャだったのだ!
「アァ早く!早く指示を出してくれデスマンティス=サン!このままでは俺はおかしくなってしまうぅ!!」
実際優れたイアイドーの腕前を持つソウカイニンジャ、スライサーは獣めいて大きく吠えた。
絶頂しそうな程の昂りを受けて、研ぎが加速する。ニンジャ動体視力がなければその手元を目指することは困難を極めるだろう。
「早くぅぅ……早く血が見たいぃ…!」
「であればオヌシの鮮血を見せてやろう」
「ナニッ!?」
「イヤーッ!」
「アバーッ!!」
研いでいた包丁の表面に反射するのはおどろおどろしい『忍』『殺』の二文字。素早く包丁を振り抜こうとするも、驚愕のあまり硬直したスライサーのイアイドーよりも早く、謎の襲撃者のチョップ突きがスライサーの首を後ろから貫いた。
「ニンジャ!?バカなっ!貴様どうやってここに入った!受付のオノメ=サンが…いやアナライズ=サンが見逃す訳が…!」
「ドーモ、スライサー=サン。ニンジャスレイヤーです。受付のニンジャならばもう殺して外に捨てた。次はオヌシが死ぬ番だ。イヤーッ!」
その襲撃者の男はニンジャだ!我らがニンジャスレイヤーだ!
ニンジャスレイヤーが血塗れた指をズルリと引き抜けば、スライサーの身体がどさりとこぼれ落ちる。その身体は打ち上げられたイカめいて、力なくぐったりと倒れている。首の傷からは鮮血が栓の抜けたワイン樽めいて溢れている。
「もはや動けまい。そのまま静かに死ね」
「そ、そんなっ!まだ女子供しか殺してないのに!?嫌だっ!助けてくれ、ニンジャスレイヤー=サン!」
「慈悲は無い」
「待ってくれ!ニンジャスレイヤー=サン!ニンジャスレイヤー=サン!!」
スライサーの縋り付くような声の尽くを無視し、ニンジャスレイヤーは地下と上を隔てる木製の扉を静かに閉めた。
辺りには静寂と、死を待つしかないスライサーだけが残る。
「ソンナ!ナンデ!?ニンジャなのに死ぬ!?ニンジャだから!?ニンジャ死ぬ!?ナンデ!?分からない!分からない!!アーッ!!」
痛みは無い。しかし死ぬことだけは確かに分かる。血溜まりが広がると共に、自分のニンジャソウルが、カラテが段々と失われてゆくのがわかる。
気が狂いそうな暗闇と、静かに体温が失われ死が迫る感覚に、彼のニューロンは数分も耐えられなかった。
「ヤメローッ!離せオバケめ!俺は、俺はまだ死にたくない!」
慟哭しても、地下室から上の階に声が届くことは無い。心的外傷から来る幻覚の中で自身が殺めた者の姿を見ながら、彼は誰にも見られず静かに絶命した。
イカをインクにより叩きのめす過酷なゲームの凶悪な依存性から逃れたボブは、全話から1ヶ月以上経過している事実に恐怖し嘔吐した