「ふぅー……実にいい一時だった……」
そう呟きながら、リンノスケは「男湯」と力強く書かれた百八枚の暖簾を潜り抜けていく。
ガラス張りの通路から見える左右の人工紅葉で彩られた庭園に目を凝らしてみれば、重厚な輝きを見せる銃口がこちらを睨んでいる。
暖簾上部に設置されたセンサーから得られた情報により、ここを通過したものの性別を電子頭脳が判断する。カラテのタツジンであろうと、不正な侵入を試みれば即座に射殺されてしまう。極めて厳重なセキュリティだ。
眼鏡の位置を微調整しながら最後の暖簾を潜った次の瞬間、リンノスケは何かとぶつかり思わず尻もちを着いた。
「オット、これは失礼。本に夢中でして、スミマセン」
驚きのあまり目を点にしたリンノスケの前に立っていたのは、インバネスコートを身につけ鹿撃ち帽を深く被った、大柄な男であった。
手には古めかしい本を手にしており、正しく今読書の最中だったのだろうことが見て取れる。顔はサイバネか、或いはテックサイバーグラスの一種か。なんにせよ顔は機械製の部品で覆われ、眼部にあたる箇所に取り付けられたサイバー液晶に「心配な」の文字が映し出されていた。
「いえ、こちらこそ……あ、お怪我はありませんか?エート…」
「ドーモ、ゴンベです。大事ありませんのでお構いなく」
「ドーモ、ゴンベ=サン。リンノスケです。いや本当にお恥ずかしい。お風呂上がりですっかり浮かれて……」
入浴後の余韻に浸り前方への注意を怠ったことと挨拶を欠いたこと、この二点を恥じるように後頭部を掻きながらリンノスケはオジギをした。
「リンノスケ=サンはお風呂上がりですか、オンセンはどうでした?」
「とても素晴らしかったです」
「それは良かった。では、湯上りに卓球でもいかがでしょう」
卓球とは、ゲンソウキョウが切り離される以前から伝わっている古典的球技である。音速を超える球でラリーを続ける反射神経を競うスポーツとしての側面を持ちながら、オンセン上がりの貴族によって嗜まれる雅な遊戯としての側面も持つ伝統的オンセンスポーツだ。
「卓球ですか!良いですね!実は卓球には自信があるんです」
「ははは、それはそれは。ではお手並み拝見といきましょう」
淡い水色のユカタ・ウェアの袖を捲りながらゴンベと名乗る男の背中について行く。
それは湯上がりから来る緩みか、或いは男の巧妙さ故か。リンノスケは男の両腕に取り付けられたサイバネ腕から覗く物騒な一対の刃には気づかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ハァーッ……ハァーッ……!」
一方その頃、ソウカイニンジャであるブロッケンはジェット内蔵ソリを巧みに操り雪原を駆け下りていた。
心臓の鼓動は酷く不安定であり、飛沫を上げながら駆け下りる様は隠密する意志の欠片も感じられない。リンノスケがもしこの時外を眺めていたら、きっとブロッケンが駆け下りる姿を目撃していたであろう。しかし彼にはそうまでしてでも逃げねばならない理由があった。
((威力部門、集金部門、スカウト部門…この際誰でもいい!とにかく連絡だ!一刻も早くチャフ雪の影響下の外に出なくては!))
彼の任務はリンノスケの逃亡阻止だ。リンノスケに罪をなすり付けコウリン・マートの権利書を奪った上でを社会的に殺すミッションが失敗し、リンノスケが逃亡した場合にそれを捕らえ、拷問しハンコを奪う事こそが彼がソウカイ・シンジケートから与えられたミッションであった。
モータルを拷問し、情報を吐かせて殺す。ニンジャとなってから日が浅い彼でも簡単に達成できるイージーなミッションだった。先程、センパイニンジャであるアナライズの死体を見つけるまでは。
((ナムアミダ・アナライズ=サン、スライサー=サン!あの二人がやられる程の手練、俺が勝てるわけが無い!))
どう見ても死んでいるアナライズに思わず駆け寄り、声をかけたのが運の尽きだった。顔を上げた彼の視界に写りこんだのは、スライサーが居るはずの地下から上がってきた、手を鮮血に濡らした赤黒いニンジャであった。
ジェット内蔵ソリの時速は120kmにも達する。バイオ馬すら軽く追い越し、己を風にでもなった気分にさせてくれるそれも今は酷く緩やかに感じる。ニューロンを苛立ちと恐怖が支配してゆくが、しかし自分にできることはただハンドルを握りしめる事だけ。故に歯噛みするように両手に力を込める。
積もった雪に車体が乗り、一瞬大きく揺れる。
「イヤーッ!」
「バカナーッ!?」
ソリの縁にフックらしきものが引っかかったと思った次の瞬間身体が宙に舞っていた。困惑しながらもかろうじてウケミをとり、雪面を転げ落ちる。
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです。鬼ごっこは終わりか、ソウカイヤの腐れ鼠めが」
「ハ、ヒ……ドーモ、ブロッケンです…!バカナ!貴様、どうやって旅館に!貴様のようなものが敷地に入り込んでいたなら、俺が見逃すわけが無い!」
「答える義理はない。そしてお前は殺す」
何が起きたのかは理解できないまま、しかしながら自分がこれからどうなるのかを理解し、ブロッケンの顔が恐怖に歪む。
「チクショウ!ブッダはやっぱりゲイのサディストだ!チクショウ!イヤーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
ブロッケンのニューロンが、本能が闘争を拒否する。口汚い言葉でブッダを罵りその場から離脱しようとしたブロッケンの両膝を、ニンジャスレイヤーのスリケンが貫いた。
「貴様らはなんのためにここに来た。目的を洗いざらい吐け」
「フザケルナー!俺もソウカイヤの端くれ、貴様ごときに話すことは無い!」
欺瞞!話せば用済みとして殺されるに違いない、その恐怖心がブロッケンの口を噤ませる。
録音を聞かれた際に備え、ソウカイヤへの忠誠心をアピールするように言葉を選び口にする。僅かにでも生きのび、デスマンティス=サンが気づくことに全てをかける。そんな僅かな可能性に全てをかけ、ブロッケンは全力で次の言葉を捻出する。
「そうか、では貴様に用は無い。一思いに殺してやろう。ハイクを詠むがいい」
しかしブロッケンの淡い期待は、死神の一言であっさりと断ち切られることとなった。
「そんな!?や、やめてくれニンジャスレイヤー=サン!ヤメローッ!」
「イヤーッ!」
「サヨナラ!」
赤い尾を引きながら這いずるブロッケンの頭を、ニンジャスレイヤーは無慈悲にも踏み砕く。脳漿が飛び散りニンジャスレイヤーの装束をより赤く彩った次の瞬間、ブロッケンは爆発四散した。
「あと、一匹」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「イヤーッ!」
「ナイスショット、12-10。試合終了ドスエ」
「ヤッタ!」
試合終了を伝える電子マイコ音声を聞き、リンノスケはガッツポーズを取る。
最小限の点差での勝利は、相手へのリスペクトも欠かさない極めて礼儀正しい勝利だ。仮に11-0などで勝利していたならリンノスケは社会不適合者の烙印を押されていただろう。
「ナイスショット!素晴らしいワザマエでした。卓球のご経験が?」
「知り合いに卓球が上手な子がいまして、その影響で」
彼はそう言いながら、静かに胸のロケットを握りしめた。ロケットは古びており、ここ数年は開かれた様子がない。
「そうですか……。しかし、動いたものですから喉が乾きましたね」
「あぁ、でしたら何か買ってきましょう。水でいいですか?」
「かたじけない、もちろん大丈夫です」
敗者に買いに行かせることは非常にシツレイ。リンノスケはラケットを卓球台の上に置くと、その場を後にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「しかし、なんだってこんなに自販機が遠いんだ…ン?」
別館にのみ備え付けられた自動販売機で購入した水を抱えて球技場へと戻る最中、リンノスケは微かな冷気を感じ上へと続く階段を見た。
誰かが窓を開けているのか?まさかミヤシタ=サン?しかしなんでこんなにサムイ時期にわざわざ窓を?
ニューロンが危険信号を発する。何か関わらない方がいい気がする。野生動物の本能めいたその予感は、即座に掛け軸のリラクゼーション効果により払拭される。
なにかに導かれるように、リンノスケは二階へと歩を進めていた。廊下の板を踏む事に床がきしむ。バイオ杉製の床材はスケートリンクめいて冷えていた。そのまま歩みを進めていけば、各部屋に設けられた自動開閉式のフスマの下から冷気が漏れだしているのを感じ取り思わず足を止める。
そこはリンノスケの予想通り、ミヤシタ・セキボの部屋であった。
「ミヤシタ=サン?どうかしましたか?風邪引きますよ」
フスマをノックし声を掛けるも、反応は無い。寝ているとも考えづらい、外出中か?
ガコン!プシュー!
思案の中、ふと思いつきで取っ手に手をかけた瞬間フスマが開く。
「ウープス!スミマセン!てっきり鍵が閉まっていると……アイエッ?アイエエエエ!?」
フスマが開くと共にどっと吹き付けるような寒風に、リンノスケは思わず目を閉じた。
まさか鍵が空いてるとは、ミヤシタ=サンに強盗と間違われるのでは?そのような事を考えつつ目を開けば、リンノスケの視界の中央に鮮烈なまでの赤色が映りこんだ。
赤?オーガニック・トマト?チゲ?ハンテン?否、否、否。
視界が晴れれば晴れるほど、リンノスケは可及的速やかにそれがなんであるのかを理解して行く。やがてそれがミヤシタ・セキボの死体だと、無残に殺された成れの果てなのだと理解し、彼は悲鳴を上げた。
「どうかしましたか、リンノスケ=サン!…バカナ!ミヤシタ=サン!?」
「アッ、ゴ、ゴンベ=サン!ミヤシタ=サンが、ミヤシタ=サンが!早くマッポを!」
「落ち着いてください、リンノスケ=サン。残念ながらここは圏外です、マッポは呼べない」
「そんな!」
リンノスケの悲鳴を聞いてか、その場にゴンベが駆けつける。パニックに陥るリンノスケとは対照的に冷静なゴンベは、自身のIRC端末に写る『圏外な』の文字を見せながらリンノスケを諭した。
「どうかしましたか」
「殺人です。あなたは?」
「ドーモ、ハヤシです。帰って来たら、随分上が騒がしかったもので。状況は?」
次に現れたのはトレンチコートを羽織り帽子を深く被った大柄な男であった。あのハヤシと名乗っていた男だとリンノスケは咄嗟に理解した。
「ドーモ、ハヤシ=サン。エー、ゴンベです。殺されたのはミヤシタ=サン。死因はおそらく…この額のナイフですね。壁にあるのはダイイングメッセージ…?フーム……」
「あ、あの、これからどうしたら…」
リンノスケは戸惑っていた。恐怖と困惑に支配される自分とは対照的に、機械のように冷静な二人。もしかしたら自分が異常なのかもしれない、そのような考えにすらリンノスケのニューロンは支配されつつあった。
「ご心配なく。お二人は自室に戻って下さい」
ゴンベはそう告げると、鹿撃ち帽を深く被った後に懐から取りだしたマフラーを首元へと巻き付けた。
マフラーには『口は災いの元』の文字が力強く刻まれ、いつの間にか口元に咥えられているキセルも相まって、知的アトモスフィアを漂わせている。
「私は探偵です。この事件は、私が解決します」
帽子のつばを指でなぞると、ゴンベはそう力強く告げた。
雪山の奥の孤独なペンション。騒動とは無縁のこの場所で今、殺人事件の幕が切って落とされた─────
ドーモ、お久しぶりです
ソウカイヤクザの信号無視による悪質な衝突事故によりスマホと共にパスワードを紛失したボブは、再ログインを諦めマグロ漁船に乗り込んでいた
年単位での空き、誠に申し訳ございません