Gate/beyond the moon(旧題:異世界と日本は繋がったようです) 作:五十川タカシ
リアルで色々ありましたがボチボチ更新を再開していきます
ロマリア会議や火竜山脈での神殿建造の下準備にあたる地脈調整を終えた海苔緒は、皆と共にド・オルニエールに戻っていた。
資材と人手が集まり次第、建造は開始される予定であり、それまでは海苔緒もド・オルニエールに待機していることとなった。
加えてだがその間にビダーシャルとの会談が行われる運びとなっており、海苔緒も同行することが決まっている。
その機会に原子力潜水艦が聖地に沈んでいるか否かを確かめた方がいいだろう。
ド・オルニエールに滞在しているルクシャナは聖地の付近を住処にしている“海母”と呼ばれる水韻竜と親しい筈。
なのでルクシャナならば、原潜が存在する場合……手掛かりを知っている可能性があるので、ビダーシャルとの会談前に確認を取っておくべきであろう。
そこまで考えて、海苔緒は自分の置かれた状況が酷く現実味に欠けていることを不意に思い出した。
地に足を付けている実感がないというか――時々紙風船のように宙に浮いているような心地になるのだ。幼少より抱いているこの衝動が一体何なのか? つい最近になって気付いてしまった。つまるところ、それは……。
――ここから●なくなりたい。
不意に浮かんだ想いを否定するように、海苔緒はかぶりを振った。……話を戻そう。
責任が次々積み重なってくるとこれは全部夢で、目が覚めればあのマンションの一室で引き篭り生活を続けているのではないか、と思えてくるのだ。
だから海苔緒の口から溜息混じりに零れた言葉は、本音というより弱音のようなもので。
「誰か、嘘だと云ってくれ」
「――嘘だ」
返事など期待していなかった海苔緒の言葉に、確かな返答がもたらされる。
海苔緒はすぐさま後ろを振り返る。……目に映るのは鮮やかな銀の髪と
ロマリア会議の後、料理人の大沢氏と共に千早もまたド・オルニエールに戻ってきていたのである。
「――ッ!?」
思案に耽っていた筈の海苔緒は、椅子から飛び退く勢いで立ち上がった。唐突なことで驚いたのだ。
「あっ! 申し訳ありません。どうやら驚かせてしまったようですね」
茶目っ気のある笑みを浮かべる御門千早に、紫竹海苔緒は苦笑めいた微笑みを返すのが精いっぱいだった。
少し落ち着いた後、海苔緒は千早の入れた紅茶の御相伴に預かっていた。他の人物は諸々の用事で出払っており、才人の屋敷には現在、千早と海苔緒の二人のみであった。
茶葉自体も地球産の超高級な代物なのだが、千早当人のお茶の作法も超一流なため、入れられた茶の香りも味も何倍にも引き立てられている。
使用人であるシエスタや、公爵令嬢であったルイズすら目を見開くような紅茶――けれど実の所、海苔緒は緊張で味も香りもよく分からない。
静かな茶会と云えば聞こえがいいが、実際は沈黙が積もる度に息苦しさが増していく。少なくとも海苔緒はそう感じていた。
――端的に述べると、苦手なのだ。紫竹海苔緒は御門千早に苦手意識を抱いている。
ファースト・コンタクトはロマリアからド・オルニエールへとオストラント号で帰還する際の同乗者として鉢合わせだった(無論、大沢シェフとリュリュも同乗していた)。
一目見た時は気付かなかった。眼鏡を掛けていて、どこぞの無限書庫司書長の様な雰囲気を醸し出したからだろう。
『誰だろう?』と首を傾げてから数分後……その正体を察した海苔緒は空の上で盛大な奇声を発してしまった。まぁ、本人に聞かれなかっただけ幸いか。
加えて海苔緒と千早の容姿は驚くほど似通っていた。二人並べば姉ま……兄弟に見えるほどに。事情を知らぬ他人ならば確実に親類と誤認するだろう。
けれど海苔緒からしてみれば、似ているというより自分の容姿は単に千早のパチモノにしか思えない。
中身など比べようもない。御門千早は文武両道、才色兼備の完璧超人であり、さらに母方の旧姓が妃宮――つまり『“妃”の“宮”』であることからも分かるが元を辿れば皇族の血筋を引いている(原作でも妃宮は明治時代に臣籍降下【皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りること】の末に出来た家と明言されていた)。
しかし腑に落ちないのは、何故千早が外交官をしているか? ……だ。原作では外交官の仕事にかまけて、母をないがしろにした父を嫌悪しており、面と向かって『自分は外交官にはならない』とはっきり明言していた筈なのだが……。
まぁ、辿るルートごとに千早を取り巻く環境に差異が出ていたことを鑑みるに、父の跡を継ぐ可能性もなかった訳ではないだろうから……不自然なことではないのかもしれない。
……ともかくとして今の御門千早は、海苔緒から見て心身共に完璧な人間だった。だから何というか……千早を見ていると自分の人間として底の薄さが露呈していくように感じてしまう。
あるいは――、あの深い色を湛えた目で見つめられていると、
だから海苔緒は、曖昧な笑みを浮かべながらただ沈黙を貫くことしか出来なかった。
御門千早から見た紫竹海苔緒は――どこか不思議な雰囲気をした青年であり、同時に放っておけない人物でもあった。
だが不思議なことなら、銀座に門が開いて以来この世の中に溢れ返っている。
そして何の因果か、千早はまだまだ経験の浅い外交官でありながら
切っ掛けは、つい先日正式に防衛大臣兼異世界(原作では特地)問題対策担当大臣に就任した嘉納太郎氏の鶴の一声だ。
嘉納の家は元々九州三大石炭財閥の一つであった名門であり、嘉納自身も財閥の元社長であった。その関係で鏑木財閥とも親交があり、政治家に転向してからは千早の父とも知己。
そんな訳で嘉納は鏑木財閥のとある御曹司や、千早とも面識がある。
加えてだが嘉納はクリスチャンであり、カトリックのお嬢様学校である『聖應女学院』などに大口の寄付を行っていた故、嘉納と千早は浅からぬ縁があると云っていい。
千早の父と面識があった嘉納は外交官となった千早を何かと気に掛けており、いち早く千早の有能ぶりに気が付いていた。
銀座事件後の混乱の渦中での政権交代。民●党政権下で散々防諜関連をかき乱され、手足となる官僚や役人たちも誰が味方で敵なのか現段階では明確に判断出来ない始末。
だから嘉納は、信頼のおける者なら猫の手も借りたい状況にある。加えて非常に有能ならば尚更だ。
貴族社会のハルケギニアに派遣する外交官であるが故に家柄も考慮する必要があったが――御門の家は旧華族の家柄であり、皇族の血脈を継ぐ千早はこれ以上ないほどに適任だったのだ。
若すぎるという一点だけは問題だが、信用出来るベテラン外交官を他にも数名派遣していた。嘉納が求めた役割は飽くまで補助的なもの。
そこからさらに色々な思惑やドラマを経て、御門千早はシェフである大沢公とコンビを組んでハルケギニアに派遣された訳である。
加えて現地にてタバサの知人であるリュリュが合流し、千早、大沢シェフとのトリオが結成されて現在に至っていた。
ベテランフレンチシェフの大沢。教養深く、人並み以上に料理が出来る千早。ハルケギニア全土を周り、料理の知識を蓄積してきたリュリュ。
この三人のハルケギニアにおける料理外交の物語は、既に料理漫画にすれば数巻分ほどにもなる活躍なのだが……それはまた別の話なので割愛させて頂こう。
今重要なのは、御門千早が『紫竹海苔緒』に邂逅したことである。
千早が海苔緒を見て最初に感じたのは、“昔の自分”を見ているような既視感だった。
容姿だけの話ではない。中身の在り方を含めてのことである。
――そう千早が思ったのは、海苔緒に関する情報の一部を先に知らされていたことも、おそらく関係するのだろう。
海苔緒がハルケギニアに来訪するのに先んじて、嘉納からの書簡が千早に届けられた。内容を要約すると『紫竹海苔緒という重要人物がハルケギニアに来るので、目をかけてほしい』というものだった。
当初の千早は『紫竹海苔緒』なる人物が誰か分からず首を傾げたが、添付されていた銀座事件に関わる資料の一部に目に通して、驚愕と共にその正体を知った。
――地球で確認された最初にして現在唯一の“魔法使い”。
そんなファンタジーな正体に反して、紫竹海苔緒のこれまでの人生は泥臭くも生々しい不幸に塗れており、海苔緒のこれまでの歩みは千早と重なる所がある。
確かに海苔緒が“魔法使い”であるという事実は驚くに値するが、千早にとってはそれよりも過去の己と重なる存在として海苔緒のことが気に掛かった。
嘉納太郎氏に頼まれたからということもあるが、そうでなくとも千早の海苔緒を気に掛けた筈だ。
全く……御節介焼きになったものだと、千早は自分の入れた紅茶に口をつけながら内心で苦笑する。引き篭りであった時の自分から想像も出来なかった。
母の無茶ぶりから始まった
魔法を使う貴族が治めるトリステインに派遣されても、さほどカルチャーギャップに苦しまずに活動出来ているのもあの学院での経験の賜物である。
そうして培った悩める子羊に対する御節介スキルを駆使して、今現在千早は海苔緒と相対している訳だが……今の所成果は芳しくない。分かってはいたが、人見知りするタイプなのだろう。アストルフォや才人たちとは問題なく会話していることを考えると、打ち解けることさえ出来れば、饒舌に会話を交わすことが出来るだろう。
けれども今は、近くに居ながら碌に会話も出来ないまま――まるで背中合わせのようなもどかしくてむず痒い距離感。
その感覚に、千早はまたも学院時代のことを思い出して破顔一笑する。
(本当に、こうして見ていると……本当に昔の僕を思い出す)
不器用な笑みを浮かべる海苔緒を見て、千早は彼がハルケギニアに滞在している短い間だけでも、せめて出来る限り世話を焼こうと心の内で改めて決意するのであった。
「いいのですか、戻ったことを報告しなくても?」
「うん、邪魔しちゃ悪いしね」
海苔緒と千早が静かな茶会を行っている最中、屋敷に戻ってきたケイローンとアストルフォだったが、海苔緒と千早の交流に水を差しては悪いと――霊体化してこっそりと書斎で待機をしていた。
片や難しそうな内容の哲学書を、片や痛快な内容の漫画を手に二人は書斎でゆったりとくつろいでいたのだろう。どちらがどちらの本を手にしているかは、語るまでもない。
「信じているのですね、千早殿のことを」
ケイローンも千早とは出会って間もないが、既に親しくなっていた。教養深い面や文武両道といった所に共感を覚えたからだろうか(ちなみに千早はケイローンやアストルフォの正体に関しては政府から聞かされてはいない)。
これまで何十人と弟子を育ててきたケイローンの確かな観察眼は千早の人柄を見抜いていたので問題ないと判断したが……、アストルフォは現段階で特に千早と親しい訳ではない。
何故そんな千早にマスターである海苔緒を任せたかと云えば――。
「う~ん。何というか――ノリとチハヤって似てるよね。だからチハヤがノリの相談に乗ってくれるんじゃないかって、何となくそう思ったんだ」
アストルフォの理性蒸発のスキルは直感スキルに似た働きをする場合がある。これは理性の蒸発したアストルフォが理性に囚われず本能の赴くままに行動するためであろう。
なのでアストルフォは正しい行動を選択したとしても、何故その行動が正しいと思ったのか――判断の基準や過程を説明出来なかったりする。
それ故、アストルフォは己のことを御世辞にもあまり賢くはないと自覚しているのだが、ケイローンからすればそれは少しばかり違うと云える。
アストルフォは理性が蒸発しているからこそ、物事の本質を曇りなく理解することが出来ている。ただし己の理解したことを他人へと伝える語彙が足りないため、時としてアストルフォの行動は突飛なものに見えてしまう。
それが現在のケイローンのアストルフォに対する見解であった。
ケイローンも深い思慮の結果として、千早に海苔緒を任せるのは好ましいと判断していたので、アストルフォの決定に異論は挟まなかった。
するとアストルフォは漫画を読んでいる途中で、思い出したかのように声を上げる。
「あっ、そう云えば……例の“宝石剣”の試作案が纏まったからケイローンに見て欲しいって今日の朝、ノリが云ってたよ」
「ッ! それは本当ですか?」
ケイローンは開いた本から目を離し、アストルフォを向いて目を何度か白黒させた。
より正確に云えば、“宝石剣のようなナニカ”である。
キャスタークラスに転身出来る様になったことで、海苔緒の魔術や魔法に対する理解はそれなりに深まっており、模造品のカレイドステッキの機構を大まかに解析出来る様になっていた。
そこから宝石剣に似た機能を持つ魔力供給用特殊礼装が作れないか、と考えた訳だ。
流石に今の海苔緒でも第二魔法に関してはお手上げであったので、核となる術式にルイズの協力を得て虚無魔法の
使用時に肉体損傷のデメリットに関しても、カレイドステッキのリミッター機構をそのまま応用して肉体負荷(主に筋繊維の断裂等)を最小限に留められないか試行錯誤している。
完成した暁には、マナが大気中に溢れていない世界でもサーヴァントへの安定した魔力供給が可能となるため、ケイローンとティファニアも銀座のゲートの向こう側への長期滞在が可能となる筈だ。
ケイローン自身も精霊石を材料とした術式の依り代となる宝石剣の本体とも云える刀身の作成を担っており、準備を重ねていた。
(このまま何もなければいいのですが……)
ケイローンの想いとは裏腹に、懸念要素は残っていた。
まずケイローンのマスターであるティファニアが襲撃を受ける可能性。
エルフの過激派がティファニアを狙っているのは周知の事実だが、トリステインとゲルマニアが共同で暫定支配している空に浮かぶ国――アルビオン王国の主権復帰に向けた騒動の渦中にティファニアが巻き込まれそうになっていたりもする。
生き残った旧アルビオン貴族は、アルビオン王国は王権(つまりブリミルの血を引く人物)を持つ者を新たな王として迎え、復権を果たしたいと考えている。
その旧アルビオン貴族の中にも派閥が存在し、大まかに二分するとジェームス一世(旧国王)派とモード大公派に区別することが出来る。
モード大公(ティファニアの父)派のアルビオン貴族たちはモード大公が処刑された後、冷遇が続き勢力が衰えていたが、レコン・キスタの反乱が起こった際――忠誠心がない分、反乱初期の段階で周辺諸国に亡命していた者が多く生き残っていた。
ジェームス一世派は逆に、レコン・キスタの反乱時に多くの貴族が死亡しており、勢力が急速に衰えた。これにより二つの派閥は力関係が拮抗したのだ。
どちらが新しいアルビオン王国の主権を握るかは、どちらの派閥が新しい王を玉座につけるか決まる訳で……その争いにモード大公の血を引くティファニアが巻き込まれないとは云いきれないのである。
現にモード大公派のアルビオン貴族の中にはティファニアへと接触しようと動いている者も居る。当然ながらそれを面白くないと考える輩も多い筈だ。
最終手段として別の世界(地球など)に一時的に避難することも視野に入れ、ケイローンはティファニアも身を守る策をいくつも練っていた。
第二に、海苔緒が行う予定の火竜山脈への神殿の設置だ。
神殿の設置に関しても、多数の人間の思惑が絡み妨害や
その後、火竜山脈での調査では異常は何一つ見つかっていないのだが、それが余計にケイローンの不安をかきたてる。
運命というものは時として神々の気紛れほどに唐突であり、酷く理不尽で残酷なものだ。
ケイローンは生前の経験から、それを身に染みて理解している。
人生とは常に選択の連続である。人は生を享受する限り、何かを得る代わりに何かを喪い、何かを喪うことで何か手に入れて前に進んでいく。そして人は、己の取捨の選択を全て自由に出来る訳ではない。
紫竹海苔緒という危うい存在が、この先に何を得て、何を失っていくのか……ケイローンはそれが心配で仕方なかった。
次回は魅惑の妖精亭ド・オルニエール支店での一幕を予定しています。
では、