これは私だけに限った話ではないが、人間というのはどれだけ生活に刺激を求めても、その根底では平穏や安寧に焦がれる生き物だと考えている。
波風立たない日常に飽き海へと飛び出す冒険家も、見果てぬ夢を追い求め海賊となった者も、正義のために日々奮闘する海兵も。大自然に揉まれ、戦火に巻かれ、現実と理想のギャップに苦しむそんな生活が続けば、その志や理念の大きさに関わらず「休みたい」「一息つきたい」と必ずどこかで思うはずだ。それは平和な日常で穏やかに暮らす庶民ですら思うのだから、誰も逃れられない思考だろう。
では、それはなぜか?
簡単だ。人は誰しも、母体という名の安らぎの中で育つからである。
愛されぬ子であろうとも、恵まれた家庭ではなくとも、地獄の未来が待つとしても……辛いことばかりのこの世に産み落とされるまでの十ヶ月間は、皆平等に、無償の愛を受けて育っていく。かくいう私も他に類を見ないほど最悪な人生のスタートテープを切りはしたものの、人伝に聞いた話ではあるが、私を生かそうとした両親が注いでくれた二年分の愛は本物だったはずだ。
そしてそんな生い立ちが故に半分自立して生活している私だからこそ──やはり六歳という年齢では一日分の家事をこなすだけで精一杯で、一日くらいは何もしない日が。あり得たかも知れない平和な日々に想いを馳せていたくなる時もあるのである。
では、その温もりと安らぎを得るにはどうしたらいいのだろうか。もう戻れはしない温度を思い出すには、どうすれば?
──二度寝。
我々人間がそれに近いものを感じるのはお風呂でも人肌でもなく、布団の中だ。だから人間は朝布団から出たくないし、油断すれば布団に身を投げ出してしまうのである。
そんなこんなで適当な理由をつけて、今日をその「何もせず惰眠を貪る日」にしようと思ったのだが。しかし人生とはままならないもの。どうやら私はこの先もベリーハードな道を歩むことが決定づけられているようで、ばっちり二度寝をキメようとした矢先、招かれざる客が訪れた。
「つまんね。なあクリス、外行ってあそぼうぜ!」
「……帰れ……」
本日のお客さまの名前は、ボサボサの黒髪と夏日にも負けないほど眩しい笑顔がチャーミングな、私より一回りほど小さな少年、モンキー・D・ルフィだ。
私を拾い上げてくれた恩人ガープおじさんの孫で、なんというか、四歳というはしゃぎたい盛りの齢だということを差し引いても、とても自由だと評さざるを得ない子である。ドアは鍵がかかって開かないはずなので、おそらく使われてない二階の窓から侵入してきたのだろう。
ガープおじさんがフーシャ村に立ち寄る際にたまに船に乗せてもらって外に行ったりするのだが、彼の海王類と呼ばれる海の怪物を拳で沈める規格外の運動能力を孫もしっかりと受け継いでいるらしい。
受け継ぐな、そんなもん。
「ルフィ、私、今日は寝たい」
「せっかく来たんだから遊ぼう!今日は海に行きてえ!」
「無茶苦茶じゃないっすか……」
基本的人権なんて知りもしないルフィは、この暑い中わざわざ歩いてきたのだから遊べ!と当然のごとく私の権利を無視し、己の理を通そうとしてくる。
この人の事情をあまり考えないあたりも似てるなと思いながらタオルケットを頭までかぶり、私にその気はないと雰囲気で訴える。別に遊んでもいいが、年下の子に一日の計画の出鼻をへし折られたことがなんとなく悔しかった。
「イカダをつくって海に出よう! ぼうけんかゴッコだ! クリスは頭がいいから
「船長ね」
「そう、それ」
しかし効果は全く見られず、当の本人はというと、辿々しい口調で覚えたばかりの言葉を使いながらベッドのへりに座って足を揺らしている。
その子どもらしい所作と舌足らずな言葉に思わず頬が緩むが、しかし待ってほしい。
ええと、なに?ルフィの中で、もう私は遊んでくれることになっているの?しかもカナヅチの私を海に出そうとしてるって、殺す気かな?
「あ、アップルパイだ!食っていいか?」
「……それあげるから、帰ってマキノさんと──」
「うめぇ!!よーし、はらごしらえもすんだし、あそぼう!!」
「──元気いっぱいか!」
思わず突っ込んでしまった。
自由すぎるだろ、君。
安らぎの対局に位置してそうなルフィの溌剌さに、つい、眉を顰めてしまう。
誤解のないように言っておくが、私は別にルフィのことは嫌いじゃない。まだ喋れもしないほど小さい時分から知っているし、友人というよりは弟のように思っている。ただちょっと元気がありあまり過ぎているというか──四〜五歳の人体の七割は水分で構成されているらしいが、ルフィの場合は全て「元気」で構成されていそうだと大真面目に考えてしまう。
私はこんななのに、どう教育されたらこうなれるのだろうか?
ジャングルとかに投げ込まれたりしてるのかしら。
「じゃあ、魔法見せてあげるから。それで許して」
「え!?やったぁ!今日はどんな魔法見せてくれるんだ?」
しかしこのままだと夕方くらいまで居座りそうなので、仕方なく体を起こし、こっちにおいでとルフィに手招きする。
素直に近寄ってくれるボサボサ頭を撫でてから、目の前に手をかざし、ぐっと力を込める。すると、イメージした通りにビキビキと無機質な音を立てて、肘から先があっという間に深緑の宝石へと変化した。
これだけでも目を輝かせて面白がっているが、まだ終わりじゃない。
そのまま腕を振り上げ更に力を込める。筋肉の動きに反応し、腕はより一層輝きどんどん色が深くなる。そのまま思わず「うぎー……っ!」と声が出てしまうほどに力み続け──バキン、と音を立てて腕が割れた。
パラパラと破片がベッドに散らばる。
「それ、いつ見てもおなかがヒュンってする」
「仕方ないでしょこういう魔法なんだから。どうせ生えるし問題ないって」
「そうだけどよぉ〜」
舌を出してオーバーに反応するルフィをよそ目に、再生した手をベッドの上に散乱した破片にかざす。
ジェムジェムの実は自身の体を宝石に変える他、宙に浮かせたり、ある程度形を整えてお人形遊びさせたりと、肉体から変化した宝石を操ることもできる。あくまでも私の体でできた宝石に限定されるので、そこら辺に売っている宝石を操ることはできない。
とはいえ複雑すぎる動きはさせられないし、一度に大量に操ろうとすると疲れて気絶するように眠ってしまうこともある。それが私の練度不足なのか能力の上限値なのかはわからないが、現状でできることと言えば、肘から先くらいの量の宝石をこうして──
「うわぁ!すっげぇ!!」
「でしょ。練習したからね」
──大雑把な鳥の形にして宙を旋回させるくらいのものだ。
宝石の鳥はぎこちなく羽ばたきながら、クルクルとルフィの頭の上を飛び回る。
幼い彼は私の能力を魔法だと認識しており、私以外の人間ではありえない現象だと思っているらしい。世の中には私と同じような人間も少なからずいると説明したこともあったが「──つまり“ふしぎげんしょう”ってことか」と全く理解してなかった。
しかしそれはそれで好都合。お陰様でルフィの中での私は「近所の姉ちゃん」から「魔法が使えるすごい人」にランクアップしたため、言うことを聞いてくれそうにない時は、こうして能力を見せることで満足して帰ってもらえるようになった。
これが憧れとかそういう感情だったら尚良かったのだが、おそらくルフィが抱いている思いは“曲芸ができるクマ”とかを見るような物珍しさからくるものだろう。
──ふははは!見さらせ、我が宝石繰りを!
しかしなにも問題はない。現にルフィは私の魔法を見て満足し、私は能力の練習にもなって笑顔も見られて帰らせることもできる。一石二鳥どころか、まさに一石で三鳥も仕留められる素晴らしい関係性である。
しばらく宝石鳥を追いかけさせたり、今できる範囲でのアクロバット飛行をさせたりして楽しませた後、ルフィの頭に着陸させて本日の魔法劇は終了。ダメおしに「持って帰っていいよ」と言うと、大はしゃぎしながら「ありがとう!クリス!」と宝石鳥を抱きしめ、嬉しさを体全体で表現するように室内を走り回り始めた。ちょろいぜ。
「はぁー、おもしれぇ。……よし!お宝もゲットしたし、あとはあそぶだけだな!」
「帰らんのかいっ!」
いや帰りなさいよ。
ドヤ顔でちょろいぜとか思ってたの恥ずかしすぎるわ。
「魔法見たら帰るって……」
「おれ、帰るとは言ってねぇ。しししっ!」
なに?と首を傾げる。思い返すと、確かにこいつ、あの時「帰る」なんて一言も言ってなかったような気がするような……。
……どうやらまんまとしてやられたのは私の方だったらしい。しかもこういう頭が回ってる時のルフィは、元々の頑固さも災いしてどうやっても思考をずらすことができない。
何か言おうとして開きかけた口を閉じ、大きくため息をつく。どうやら今日ばかりは負けを認めざるを得ないようだ。それにもう目が冴えちゃって寝れそうにもない。
でも、海に行くのは嫌だからマキノさんの酒場に行こう。ルフィに何かあった時、私は泳げないから危ないし。
「ええ〜!?おれ、海がいい!イカダ作ってぼうけんした──」
「アップルパイ持って、ジュース飲みにいこうよ。私がお金出したげるから」
「──今日はマキノのとこで遊ぼう!!」
……現金なガキめ!
▽
モンキー・D・ルフィにとって、シーガルズル・H・クリスはとても不思議で、それでいて不可解な存在だった。
まず、魔法が使える人間だということ。
人間には個性があり、性格がある。肌の色や髪の色、身長体重性別年齢と、一つとして完璧に同じということはあり得ない。そんなことはなんとなくルフィもわかっているが、しかし“魔法が使える人間”となると話は変わってくる。
厳密には魔法ではなく悪魔の実を食べている能力者というだけなので、祖父のガープにでも頼み込んで海軍本部にでも連れて行ってもらえば──同じ力を持つ者はいないが──いくらでも“魔法”を使う人間には出会えるのだが。
しかしここは「最弱の海」とも称される“
故に、望めばキラキラと輝く“宝石の魔法”を見せてくれるクリスは、ルフィにとっていつだってワクワクを与えてくれる存在だ。
次に、子どもの少ない──というかクリス以外でほとんど見たこともない──フーシャ村で唯一歳の近い彼女は、他人だというのにまるで血のつながった姉のように甲斐甲斐しくルフィのお世話や遊び相手を務めてくれていたからだ。
聞けばガープから面倒を見てやってくれと頼まれたらしいが、マキノから聞いた話では、オンボロ灯台に一人で住むようになるまでの溺愛っぷりは、きっと頼まれなくても面倒を見ただろうというほどだったらしい。
正直、ルフィからしてみれば不思議でたまらなかった。なにせクリスは子どものことが特別好きというわけではなく、どちらかと言えば他の子どもを避けるような暗い性格をしている。
それは一年前の「笑わなくなった日」から特に顕著で、この間なんて商船に乗ってやってきた子に話しかけられても「仕事があるから」と言って全く取り合おうとしないくらい、子どもに対して関わり合いを持とうとしない。
なんだか自分のことだけを贔屓してくれているみたいで嬉しくもあったが、それはそれとして、なんで自分だけなんだろう?と疑問に思わないこともなかった。
「どうしてかって聞かれると私もわからないけど……ルフィのことを弟みたいに思ってるからなんじゃないかしら?」
「なんで?」
「うーん。自分よりも小さくて、ふにゃふにゃしてて──初めて触れた命に『守ってあげたい』って気持ちになったのかも」
母性って言葉はちょっと難しいかな?とマキノが笑う。
正直、言ってることはよくわからなかった。そんな覚えてもないくらい小さい頃の話をされてもピンとこないし、なにより誰かを守りたいとかそういうことはこれまでの人生で考えたこともない。この村にはルフィよりも小さなこどもなんていない、皆大人だからだ。
それに最近のクリスは灯台の修繕や畑仕事なんかにかかりきりで、遊びに行っても先ほどのように“魔法”で誤魔化されて帰らされることが多くなってきている。なので「弟のように思ってくれているならもっと遊んでくれ」というのが、幼いルフィの正直な感想だった。
そんな幼い語彙では言葉に変換できないモヤモヤとした感情を飲み干すようにオレンジジュースを一気に飲み干す。
ジュースは冷たくて、甘くて、美味しいとわかりやすいのに、どうして人とはこうもわかりづらいのだろうか?と改めて首を傾げる。
マキノは大人だから仕方ないとしても、クリスまで大人みたいに生活して、大人みたいなことを言ってくるのが、なぜだか嫌だった。
「なに、ルフィ。もしかして子供扱いされて拗ねてる?」
「すねてねぇ!おれだってもう大人なんだ!」
「まだガキじゃん」
「ガキじゃねぇ!お前こそガキだろ!!」
体と一緒に頭を揺らして考えていると、いつの間にかトイレから帰ってきていたクリスがわしゃわしゃと頭を撫でながら、揶揄うように聞いてくる。
自分のことを年下だからと小馬鹿にしたような感じに、思わず手を払い退けて怒鳴り声をあげてしまう。自分でもしまったと思うくらいに強い語気だったが、それでも彼女は涼しい顔をして「じゃあ」と言葉をつづけた。
「じゃあ、大人なルフィに問題。5足す6は?」
「え?うーん……7?」
「正解は11ね。バーカ」
「きたねえぞ!あと、こんな時だけ笑うんじゃねぇよ!!」
「だっはっは」
「笑うなぁ!!」
ルフィの中にある最も古いクリスの記憶は、彼女がまだ四歳のころで、自分がまだ二歳のころのものだ。
あの頃のクリスは笑顔も多く、年相応に走り回って、大人に甘えていて──今のように言い返すと「私の方が年上だからガキでしょ!!」とムキになって言い返してくるような子どもっぽさがあった。
しかしクリスが五歳の誕生日を迎えた夜、ガープとなにか“秘密の話し合い”をした後から、まるで別人のように彼女は変わった。
一緒に大笑いしながら遊んでいた優しい姉貴分は何処へやら。確かに村の子供の中で一番背が高かったが、それを差し引いても急に十歳も歳をとったかのように難しい言葉を使いだし、自分達から逃げるように灯台に引きこもるようになった。不安になって遊びに行ったら、なんと二階から何度も何度も飛びおりて体を砕き続けている姿を見てしまい、そのあまりに歪な光景に帰って泣いたこともある。
こんな意地悪じゃなかったのに、と、ありし日のクリスを思いだしながら、表情を一切変えずに笑う意地の悪い女に食ってかかる。笑顔を見せることは少なくなっても、その変な笑い方だけは変わってなくて、少しだけホッとしながら。
「ほら二人とも、はしゃぎすぎたらコップ倒しちゃうわよ」
「だってマキノ!こいつイジがわりぃんだ!!」
「パイ食べる?」
「うん、食べる!」
「やっぱガキだ」
「うがー!!」
実の姉弟のような、なんとも微笑ましい騒ぎ声を響かせる。
──ルフィが抱く思いの名は「憧れ」であり、成長しその背を大きく映すクリスへの「寂しさ」であることを知るのは、二人の関係を近くで見守ってきたマキノや村長だけだろう。
ルフィはもちろん、大人びているがクリスだってまだまだ子供だ。きっとルフィからそんなふうに思われているとは露ほども思っていないだろうし、それに気がついてちゃんとお姉さん風を吹かせ始めるのは……早くても九歳かその辺りだろう。
でも今はそれでいいのだと、二人のことを近くで見てきたマキノは静かに微笑む。
子供でいられる時間はとても短い。だから今くらいは余計なものを見ることも聞くこともなく、二人の世界で遊んでほしい。
「お、また喧嘩してんのか」
「クリスはルフィとだけは仲がいいなあ」
「ワハハ!今日も疲れてルフィが寝ちまうに酒を一瓶賭けるぞ!」
「怪我すんなよ〜」
騒ぎを聞きつけた宴好きの村民が集まってきた。
皆、戯れあう二人を眺め、酒を飲み交わし、好き勝手に歌ったりヤジを飛ばしたりし始める。
「おれのパンチはピストルより強いんだぞ!」
「じゃあルフィは私を砕いちゃうんだ……」
「え。いや、そういうわけじゃ……」
「砕かれるわけないだろへなちょこ」
「こんの〜!!」
「ワ〜ハッハハッ!!」
今日も今日とて、フーシャ村は平和そのものだった。
ルフィルートなんてものはない