風になった少女   作:ボンゴレパスタ

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風になった少女

 

 

 

11月1日。あの日付は今でも忘れられない。

 

 

 

 

人は時として、意図せず歴史の舞台の当事者となることが往々としてある。その日初めて、私は彼女の姿を目撃した。同じウマ娘であるはずの彼女が、あの時ばかりは悪魔のように思えたことを今でも覚えている。

 

 

 

 

私は当時、地方のウマ娘の養成学園の高等部でトレーニングを積んでいたウマ娘だった。シニアに突入し、G2のレースを幾つか勝利することができた私は、秋のシニアのレースとしては最も格式あるレースの1つである、あのレースに呼ばれた。元々クラシックまで大きな成績を収めることができなかった私としては、そのレースの出場は極めて名誉あることだったのは言うまでもない。

トレーナーとの打ち合わせで警戒するべきウマ娘の一人として、彼女の名前は一番に挙がっていた。トレーナー曰く「彼女にはセオリーなど通用しない。私もそこそこトレーナーという職業をやってきたが、あのようなウマ娘は生まれて初めてみた」と。

 

 

 

 

実際のところ、その時の私は少々図に乗っていた。人気はそこまで高くはないものの、初めてG1に出場し、発表された枠番も脚質との相性を鑑みれば決して悪くなかった。今の私であれば、1着は無理であったとしても入着することぐらいはできるだろうと。トレーナーは大舞台を前にして少々臆病になっているのだと、そう思っていた。今となっては大海を知らない田舎者の浅はかな思考であると言わざるを得ないが。

 

 

 

 

 

当日は前日の雨が嘘ではないかと思うほど、晴れ渡った快晴だったと記憶している。私は控室を抜けて気になっていた靴のズレを整えると、緊張で少々強張った身体を少しでもリラックスされるために深呼吸する。肺に十分な空気を取り込み、気持ちを整えた私は、舗装されたアスファルトから、勝負という洗練されたターフの上へと足を踏み出した。その瞬間に頭上を覆っていたトンネルから抜け出し、秋の乾いた風が頬を撫でつけ、頭上には燦燦と太陽が照り付けていたのは今でも忘れられない。

自身がターフに姿を現したその瞬間、歓声が沸き上がる。その心地よい歓声を受け、始まってすらいないレースが勝利したらどのように振舞おうかと、今となっては大変恥ずかしい話ではあるが捕らぬ狸の皮算用をしていた、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

レース会場が、一競技者の私から見ても他の競技者とは格段に大きい声の歓声が鳴り響いた。一体何事かと後ろを見やった私は、その身を硬直させることとなった。

……ライオンを見れば、人間がどうやっても勝ち目などないだろう。彼女の放つオーラを形容するとするならば、正にそれだった。自分たちとは明らかに、異なるステージにいる。彼女は最早自分たちのことを敵とすら認識してはいないだろう。それほどまでに彼女は圧倒的で、残酷で……そして清々しいほどまでの「自由」を感じさせる、そんなオーラを放っていた。

 

 

 

 

「こんなのって……」

 

 

 

 

勝てるわけないじゃないか。心の中からはき出そうになったその言葉を寸でのところで押しとどめる。それを口にすることは、ウマ娘にとって、そしてレースに出場するものにとってそれはレースそのものを冒涜する行為だ。決して許されることではない。しかし、その気持ちはどうやらレースに出場したほかのウマ娘も同じだったようだ。私同様、その場にいたウマ娘の顔も同じく、これ以上にないほどひきつったものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の愛バが!……」

 

 

 

 

独特のメロディを織りなす曲で彼女は目を覚ます。目指し時計として役割を全うする携帯を、その目を閉ざしながら探り当てると、器用にその設定を片手でオフにして彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。時刻は6時半。もう朝練の時間だ。彼女は取り急ぎ準備を整えると、ジャージに着替えて朝練へと向かっていった。

 

 

 

 

「サンレイ!遅いぞ!」

 

 

 

 

「すみません!」

 

 

 

 

学園に併設される練習場に着くなり、トレーナーからの激が飛ぶ。実際のところは時間より少々早いくらいの到着ではあるはずだが、気持ちとしては時間丁度に練習をするにはもっと早く来て準備を整えろ、という意が込められているのだろう。

 

 

 

 

トレーナーからの叱責を背中に受け、彼女…サンレイレーザーは急いで準備を進める。彼女は決して弱いウマ娘ではなかったのだが、今ひとつ、ここ一番の勝負所で勝ち抜くことができずにいた。どうしてなのか?と言われても、それはわからない。精神的な問題だと片付けてしまえばきっとそれまでではあるが、かくいう私はあまり精神論のような前時代的な代物にはあまり興味が湧かなかった。

 

 

 

 

「……もっと足をあげろ!カーブを曲がるときの踏み込みが遅いぞ!」

 

 

 

 

「……ハイ!」

 

 

 

 

自身が足を繰り出すたびに、遠くからトレーナーからの激が飛んでくる。彼の名前は青木堅信。トレセン学園に勤務するトレーナーとしてはかなりの古株で、そのもみあげにはいくらか白髪をのぞかせていた。そして何より特筆すべきこととして、彼の指導方法はかなりスパルタであることで有名だった。はじめは私の他にも数名のウマ娘が一緒に彼のもとでトレーニングを受けてはいたのだが、一人、また一人とその指導方針についていくことができずに辞めていった。今では私一人が彼の担当ウマ娘として、そのコーチングを受けている。確かに彼との契約を解除したいと思ったことはあったが、スカウトしてもらった手前そうしてしまっては不義理ではないか、と思う反面、大した成績を収めることができていない私が彼のもとから離れても、また担当が付くという保証はどこにもないという、ある種の臆病な心持も確かな原因として占められていた。

 

 

 

 

「つ、つかれた~」

 

 

 

 

「アンタいつも朝そんなこと言ってない?アンタのとこのトレーナー、ちょっと厳しすぎるって」

 

 

 

 

朝練が終了し疲労が蓄積した身体を少しでも労おうと机に突っ伏した私に対して、頭上からそのような返答が降り注ぐ。誰がそんなことを言ったのかはわかっている。サンレイは頭を上げることもせず机に顔を埋めたまま言葉を返した。

 

 

 

 

「グランプリ。アンタも朝練あったっていうのに全然疲れてないじゃん」

 

 

 

 

「そりゃあアタシのトレーナーは一人一人のウマ娘にあった、革新的なプログラムでやってるからよ。今の時代、気合だのなんだのって練習するのは効率悪いって。何ならアンタもうちに来れば?アタシからトレーナーに話つけてあげるよ」

 

 

 

 

「え、マジ?」

 

 

 

 

その言葉にサンレイは飛び起きるように顔を机から引きはがし、自身の友人の顔を見つめる。その様子にケタケタと笑いながら、グランプリと呼ばれたウマ娘…サンレイとは同期でトレセン学園に入学したグランプリボスは言葉を続けた。

 

 

 

 

「マジよマジ。アンタがそんなクタクタに毎日なってたら、放課後遊んだりもできないし?アンタのところのトレーナー平日休日問わず練習練習って……」

 

 

 

 

「うー-ん。まぁね……」

 

 

 

 

実際のところ、彼女の言う通りだった。幾分か前から、ウマ娘たちのトレーニング方法には大革命が起こっていて、そのトレーニング方法は個人脚質やペースに合わせて、過去のウマ娘のデータから照合し最も適したトレーニング方法を行うというものに変化していた。つまり彼のように…サンレイのトレーナーのように一人が付きっきりでその指導に付きそうことは最早前時代の遺物であるとして評されることも致し方のない事情として確かに存在していた。

 

 

 

 

 

「少し考えさせて?」

 

 

「OK!いい返事期待してるよ?」

 

 

 

その会話はちょうどクラスの担任がHRのために教室に入ってきたことによって切り上げられることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中等部、サンレイレーザー。至急理事長室へ来てください」

 

 

 

 

1日の授業がすべて終了し、その日の練習にむかおうとしたその矢先。バッグを片手に教室を出ようとしていたサンレイは突如スピーカーから聞こえたその文言に思わず立ちどまった。

 

 

 

 

 

一体全体、私がどうしたというのだろうか。授業だってやすんだことはないし、基本的に成績だって良くはないが、悪い方でもないはずだ。校則だって破ったことはないし…そんなことをグルグルと脳内で思い浮かべながら、今日の練習はかくいう理由で遅れることをトレーナーに伝えると、一応速足で理事長室へと向かっていった。

 

 

 

 

 

コンコン。

 

 

 

 

「失礼します」

 

 

 

 

 

ドアを数度叩き、室内へと足を踏み入れる。そこには一人の女性、ハットを頭に被りその手には「歓迎」という達者な文字が書かれた扇子を持ったその女性は、満面な笑みを浮かべると室内へと足を踏み入れたサンレイを出迎えた。

 

 

 

 

「君とこのように対面で話すのは初めてだな!改めて自己紹介しよう!私は本学園の理事長、秋川やよいだ!よろしく!」

 

 

 

 

「……それで、私に一体どういった御用でしょうか?」

 

 

 

 

彼女の雰囲気から察するに、恐らく注意といった類の呼び出しではないということは分かったのだが、そうだとすれば一体私に何の用だというのだろうか?恐る恐る理事長にそう尋ねると、理事長はその扇子の文字をたちどころに「依頼」という文字に早変わりさせて言葉を続けた。

 

 

 

 

「君は確か、中等部の広報部の部長だったな?そんな君に一つ頼みごとをしたくここに来てもらった!」

 

 

 

 

 

トレセン学園に入学したウマ娘たちは、それぞれの役割に応じた「部」に所属することになり、学園業務に携わることが定められている。そして私は、学園に関わる様々なことがらを取りまとめ、学園内外に伝えたり、外部からの取材依頼等を受け持ったりすることもある広報部へ所属していて、さらに私はその部の中等部の部長を今年から受け持っていた。押し付けられた仕事ではあるが、その仕事に関連する理事長直々の依頼とは一体どのようなことだろうか?

 

 

 

 

「…実はあるウマ娘のことを調べてほしいんだ」

 

 

 

 

「……あるウマ娘、ですか?」

 

 

 

 

「あぁ、実は本校成立の周年記念に、大々的に何か一つ何かしようという話が挙がってな!その中で過去に活躍したウマ娘たち…そのレジェンドとも言うべき彼女たちのことを取り上げ、それに関する資料館を立ち上げようという話になったんだ!君にはその内の一人の調査を依頼したい!」

 

 

 

 

なんという無茶な話だろうか。広報部の部長とは言え、中等部の一生徒に一体何をさせようというのか。こういうのは記者が何かがやるものではないだろうか。その依頼を丁重にお断りをするために口を開こうとしたその瞬間、「懇願」という文字に変換させた扇子を持って頭を丁寧に下げた。

 

 

 

 

 

「無茶な願いではあることは重々承知している!だが、どうしても!どうしても頼みたいんだ!今この学園にいる当事者である生徒自身がその先達のことを調べる!これこそがまた一つ取りくみとして肝要なことなのだ!どうか!お礼として私としてもできることは何でもやろう!」

 

 

 

 

「……わかりました。わかりました、やりますよ」

 

 

 

 

 

大の大人に、しかも遥かに自身よりも権威のある大人にこのように頭を下げられたとあっては、こちらとしても立つ瀬がないというものだ。サンレイの返事にパッと顔を上げた理事長は、「感謝」という文字がかかれた扇子を片手に涙目になって言葉を口にした。

 

 

 

 

「ありがとう!ありがとう!君のような生徒を持って私は幸せの極みだ!……それでは早速、君にはそのウマ娘の調査を依頼したい!」

 

 

 

 

 

「……そのウマ娘の名前ってなんですか?」

 

 

 

 

その問いに、理事長は瞬時に落ち着きを取り戻しサンレイへと向き直る。その表情には少々暗い影が落としこまれたのに、サンレイは気が付かなかった。

 

 

 

 

「……およそ20年前。トレセン学園に「最強」とも言っても過言ではないウマ娘がいた。圧倒的なスピードで先頭を走り抜け、他を追随しない走り。彼女の名前は」

 

 

 

 

 

 

 

「……サイレンススズカ。彼女の調査を依頼したい。」

 

 

 

 

 

 

「わかりました。それで……そのスズカさん?はどちらにお住まいなんですか?」

 

 

 

 

その問いに、ますます理事長の表情は暗いものとなる。そして、その言葉を躊躇うように重々しく、しかし淡々とその事実を告げた。

 

 

 

 

「もう彼女はこの世にはいない。レース中の事故が原因で……そして君にスズカ君の調査を依頼したのにはもう一つ理由がある」

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

「スズカ君は、君の母上…ラスカルスズカ君の実の姉だ」

 

 

 

 

 

ラスカルスズカ…自身の母もかつてはレースの世界に身を置いたウマ娘で、安定したレース成績を収め、G1やG2のレースで入着したこともある実力の持ち主だった。母には姉がいたという話は聞いたことがあったが、まさかサイレンススズカさんというウマ娘がその姉だったとは。とどのつまり、その調査では母の話を聞いてほしいということなのだろう。

 

 

 

 

「わかりました。母にスズカさんのことについて、聞いてみます」

 

 

 

 

「……痛く感謝する。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンレイが理事長室から出ていったあと、理事長はその身を豪華絢爛という言葉がぴったりなイスに身を預け、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

もう20年か。

 

 

 

 

時というものは残酷だ。私はもう少女ではない…年齢も30半ばに差し掛かろうとした、普通の女性だ。あの時はまだ床に足もつかないような背丈で、足をブラブラとぶらつかせながら、よくたづなに怒られたものだ。

 

 

 

 

「………サイレンススズカ君か」

 

 

 

 

彼女のことを外せないレジェンドの一人としてその名前が挙がったことも、そして彼女のいわば姪であるサンレイがその調査にあたることもいわば何かの運命であると言えるのではないだろうか。理事長は一息、室内に小さく響く溜息をつくと、短い感傷から引き揚げ現実へと再び戻っていった。

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