風になった少女   作:ボンゴレパスタ

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妹の話:ラスカルスズカ

 

 

 

 

 

「サイレンススズカ。○○年5月1日生まれ。○○年に日本トレーニングセンター学園に入学。○○年11月1日、秋の天皇賞のレース中の事故にて死亡。学則に基づき同校を死亡除籍という扱いになる。」

 

 

端的に表すと、彼女の人生はこんなところだ。学園を出る前に事務室から資料を取り寄せてもらったが、そこに記載されていた彼女の経歴はそのように記載されていた。

 

 

実際のところは、彼女の人生をより緻密に書こうとすればある程度詳しく書くことはできる。彼女は生涯でG3を一勝、G2を3勝、そしてG1を1勝している。その輝かしい経歴やレースのこと、そしてその当時の取材の記事を見ればある程度のことは付け加えることができるが、それでもそれだけでは十分な内容とは言えないだろう。第一それでいいのであれば初めから自分に調べてほしいとは話が来ないはずだ。

 

 

東京から新幹線に揺られて2時間。そして電車に乗り継ぎ30分。自身の実家は地方のとある一角にあった。降り立った駅の周辺の町は一応その体をなしていたが、バスで10分も揺られればその光景は一変して田畑ばかりとなった。

 

 

8月に入り、うだるような暑さはますます自身の肌を鋭く突き刺していく。蝉の大合唱がその暑さと伴う発汗に聴覚的に促し、サンレイは恨めしそうに頭上で高く聳える太陽を睨みつけた。

 

 

やがて視線の先に、一軒の平屋が見えてきた。築50年以上は経っているだろう、その日本家屋に向けられる伝統的な手法で建築された荘厳な造りと、そして目を凝らせば経年に伴う汚れやシミがところどころに確認することができた。

 

 

 

…少しも変わっていない。

 

 

祖父母がなくなり、母がそのあとを継いだというこの家。私は産まれた時からトレセン学園に行くまでのその間、ここで過ごしてきた。サンレイはガラス戸の前にたつと一声かける。するとその戸の向こうから「どうぞ」という声が返ってきた。

 

 

玄関に入ると、そこには一人のウマ娘が立っていた。カーキのシャツにジーパンといういで立ちで、既に40歳もあと数年に迫っているというのに非常に若々しく見受けられる彼女は、自身の母、ラスカルスズカだった。

 

 

玄関に入ったサンレイは、母に応接間に通されると盆の上に置かれた氷が結露した麦茶をまるで貪るように飲み干した。麦茶を飲んで一息ついたところで、サンレイは徐に口を開いた。

 

 

「久しぶりだね、母さん。元気だった?」

 

 

「えぇ、最近は暑くて参るけど、何とかやってるわ。野菜がすぐに干上がりそうで、手入れが大変だけどね」

 

 

サンレイは母の返答を耳に留めながら、如何にして本題に切り込もうかと思案していた。すると母はつかつかとこちらに歩み寄ってくると、彼女の目の前に座り込み徐に口を開いた。

 

 

「……それで?ただ母親の顔を見に帰ってきたわけじゃないんでしょ?どうしたのよ一体?」

 

 

やはり母は私がなにかしら用があった上でわざわざ実家へと戻ってきたことに気づいていた。別に両親との仲が悪いとか、そういった類の事情は特段存在しない。ただトレセン学園で寮生活を送っている以上、長期休みの際に数日帰るといったケースでもなければ実家には早々帰らないというのが常だった。

 

 

こうなってしまえば、もう長々と会話の機会を伺うよりもさっさと本題に入ってしまった方がいいだろう。どうして母がスズカさんのことを伝えてくれなかったのか、それは分からない。でもきっと何か理由があったいうことなのか。様々な疑念が脳内をよぎるが、それは今から聞くことに全て直結するはずだ。サンレイは正面を見据えると、徐に話題を切り出した。

 

 

「実は…実は理事長に頼まれて過去にレースで活躍したウマ娘のことを調べて、資料館を作ることになるらしいんだけど、私はサイレンススズカさん…私の叔母さんのことを調べてほしいって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の間に、長い沈黙が流れる。

実際のところで言えば、その時間はおよそ数十秒といったところだっただろう。しかし当時者であるサンレイにとってはその時間はおよそ何時間のようにも錯覚した。

 

 

……こんな母の顔は初めてみた。

 

 

その沈黙は、長く閉ざした記憶という扉をこじ開けるという覚悟に要した時間だった。母はすくっと立ち上がると、まるで遠くの何かを見つめるかのような、心は既に乖離し何処か別のところへと旅に出てしまったかのような、そんな表情を浮かべながら口を開いた。

 

 

 

「……もうあれから20年ね。姉さんのこと、今迄伝えてあげられなくてごめんさない。それもこれも、全部私のせいね」

 

 

そんなことはない、とサンレイは首を横に振る。彼女の精一杯の寄り添いに頬をわずかに緩めた母は、縁側に広がるのどかな景色に視線を移し、言葉を続けた。

 

 

姉さんは私の2歳上で、私が産まれた時はいつも赤ん坊だった私の手を握ってベビーベッドの横に毛布を敷いて寝ていたと母さん……サンレイにとってのおばあちゃんから聞いていたわ。おじいちゃんも元々トレセン学園に勤務していたトレーナーで、二人も将来有望なウマ娘が産まれたと喜んでいたわ。私たちウマ娘は、「走る」ことが生きることの最も大きな意義だと言っても過言じゃない…おばあちゃんもその想いを娘たちに託すことができるって大喜びだった。

 

 

姉さんはよく私のことを気にかけてくれていて、姉妹の仲も良かった。よく私が嫌いなものが食事に出た時なんかは、おばあちゃんの目を盗んでこっそり私の分を食べてくれたり、お化けが怖くて眠れなくなった時には一緒にベッドで寝たり夜中にトイレに付いて行ってくれたりもしたわ。本当に頼れる姉さんだった。

 

 

姉さんは小さいときから走ることが大好きで、よく家の周りの原っぱを一人で、時には私と二人で駆けっこしていた。姉さんはその時から、とても速くて…2歳上ということもあったと思うけど、決してそれだけじゃない。姉さんのウマ娘としての資質が、既に備わっていたんでしょうね。いつも私より前を走って、その走りは見た人に圧倒的な強さと、そして希望を与えるような、そんな走りだった…小学校の時の運動会でも、姉さんが負けたところなんて見たことがなかった。いつも1位の旗を持って家族で写真を撮ったもの。あ…そうだ。

 

 

そう言って母は奥の部屋へと引っ込んだかと思うと、なにやら1冊の分厚い冊子を持って戻ってきた。彼女はそれを開き、何枚かページを捲るとサンレイの前にそれを置いた。それは家族の、そして姉であるサイレンススズカの命の軌跡そのものを記録した、1冊のアルバムだった。

 

 

……これが。

 

 

栗毛の長髪に、スラっとした顔つき。そしてどこか憂い気なその表情。その日サンレイは初めてスズカの顔を拝見した。まじまじとその写真を見つめるサンレイをよそに、母は言葉を続けた。

 

 

 

 

 

 

綺麗でしょう?姉さん、小さいときからモテてね、色んな男の人からプロポーズもされたんだけど、そういうことにてんで無頓着でね。

私が「一人くらい付き合ってみたら?」って聞いたら、キョトンとした顔して

「私には走ることくらいしかないから」って。今思い出しても、天然っていうかなんて言うか……すごく変わった人だった。

 

 

 

確かに彼女は美人だ。ウマ娘という種族は総体的に美人な人が多いことで知られてはいるが、写真を見る限り彼女はその中で頭一つ抜きんでていたようだ。これでは男の子にも引っ張りだこだったんだろうな、などと考えていると、母は言葉を続けた。

 

中学に上がるころに姉さんはトレセン学園に入学して家から離れてしまって、2年後に私があとを追うように入学したけど、そもそも寮が違うし、学年も離れているからそこまで交流があったわけではなかったわ。でも校内ですれ違った時なんかはお互いに少し会話をしたり、近況を報告しあったりしていたわ。姉さんのレースがあったときには会場まで足を運んで応援に行ったり、逆もまた然りで、私のレースがあるときには会場に来てくれたりした時もあった。

 

 

 

私が入学した時には、既に姉さんは学園中で噂されるようなウマ娘でね。「大逃げ」で周囲を圧倒して走るその姿は憧れと羨望の的だった。私も入学した時はあのサイレンススズカの妹だってすごく注目されたけど、なにしろ私は姉さんに比べても全然でね…プレッシャーと戦うのは大変だったわ。

 

 

 

 

 

 

 

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母も決して実力のないウマ娘だったわけではない。

G2はもちろん、G1で入着を取ったこともあるほどの実力の持ち主だ。重賞を勝ち切ることができずオープン戦でその競技者としてのキャリアを終える者や、そもそもトレーナーの目に掛からずにデビューさえできずに卒業する者も学園内で多くいる中で、それらの人たちと比べれば母は十二分に活躍した、速いウマ娘であると言うことができるだろう。しかし、その彼女がとても叶わないと断言するほどの実力。やはり理事長が「レジェンド」の一人としてその名前を挙げたことは、確かな裏打ちがあったということだろう。

 

 

 

姉妹で実力にかくも差があったという事実が、どれほど母の身にプレッシャーとしてその身に重くのしかかっていたかは想像に難くない。かつて姉妹で活躍したウマ娘として、ビワハヤヒデとナリタブライアンが挙げられる。ビワハヤヒデはナリタタイシンやウイニングチケットと共にクラシック路線を盛り上げ、その頭文字を冠してBNWとしてその世代で注目されていた。彼女自身もクラシック三冠の最後のレース、菊花賞。そして宝塚記念と春の天皇賞とG1を三勝するという、文句のつけようがない、輝かしい成績を収めていた彼女だったが、それでも彼女には問題があった。つまり彼女には妹・「ナリタブライアン」がいたことだ。

 

 

 

ナリタブライアン。その名前を聞いたことのないウマ娘などいないだろう。「シャドーロールの怪物」として、ウマ娘として最高の名誉であるクラシック三冠、皐月賞、日本ダービーそして菊花賞を勝利で収め、またその3勝に併せて朝日杯Fステークス、有馬記念の勝利とG1を5勝するという、正に「伝説」としてその地位を確固たるものとした。そんな怪物の姉として彼女のプレッシャーは尋常ではなかっただろう。後年ビワハヤヒデ自身も自身のエッセイにて現役時代には常に妹とのことが頭の中にあったと発言していた。つまりそれほどの成績を収めているビワハヤヒデほどのウマ娘であっても、その影に苦しめられるということだ。

 

 

 

一般的にウマ娘というものには、それぞれの脚質に沿った走り方でレースを展開する。前方の集団に位置し、その僅かなタイミングに乗じて一気に先頭へと躍り出る先行策。同様の手順ではあるが、後方の集団に位置して勝利を伺う差し策。競技者の最後方で足をため込み、一気にギアを上げる追込策。これらの脚質はウマ娘のパワーやスタミナを勘案すると、非常に合理的なレース戦術であるとして評価されていた。

 

 

 

しかしそのレース戦術にはもう一つ種類が存在する。レース展開など度外視し、ハナから自身の最高スピードで先頭に躍り出て、周囲の追随を許すことなくゴールに1着で到達する逃げ策。かつて短距離ではそのスタミナをそこまで勘案する必要がなかったため、多くの逃げ策を採用し、勝利するウマ娘も多く存在していた。サクラバクシンオーがその良い例として挙げることができるだろう。しかし中距離以上となれば、その話は大きく変わってくる。先頭で後方から追い抜かれないように注意を払いながら走るとなれば、当然スタミナは他の脚質のウマ娘よりも多く消費することになる。非常に鮮烈な、見る者に強烈なインパクトを与えるその走りは、言うならば「理想論」に留まるものとなる。しかしスズカはそれでターフの上を駆け抜けた。自身が望み、自身の自由のままに先頭を走りぬけたのだ。

 

 

 

母の言葉に、そしてその重みにサンレイが口をつぐんでいると、彼女はその様子を見かねて徐に口を開いた。

 

 

 

でもね。私は姉さんに劣等感を持っていたわけじゃなかったし、姉さんを疎ましいと思ったことは一度だってなかった。それだけは言えるの…姉さんはどんな時でも、頼りになる姉さんだった。帰省の時には二人揃って家に帰ったし、夏合宿の時には二人でお祭りにいったわ。向日葵があしらわれた浴衣を着ててね……とても似合っていたわ。一緒に花火を見ながら、りんご飴を食べてね……私の頬についた飴を姉さんがハンカチでふき取ってくれたわ。

 

 

 

在りし日のことを、過ぎ去ってしまった過去を思い浮かべて彼女はその瞳にうっすらと涙を浮かべたまま言葉を紡ぐ。その言葉の一言一言に、彼女に対する妹としての並々ならぬ愛情がにじんでいた。サンレイはその母の表情をじっと見つめると、その表情はやがて悲痛なものへ変化した。

 

 

 

あの日のことは、今でも覚えている。私もレースがあって見に行くことはできなかったけど、出発する前に姉さんとお互いに勝とうねって、そう言ったの…それなのに。次に姉さんと再会したのは、病院だった。私は姉さんの前で、泣き崩れることしかできなかった。もっと話がしたかった。もっと一緒に時間を過ごしていればよかった。そう思っても全部遅いけど、そう心の中では後悔の雨が降りしきっていたわ。

 

 

 

……向き合うことが大切だって。本当は分かっていた。それでも、失ったことから目を逸らして、周囲の人たちの視線が姉さんを追い続けている。そのことに耐えられなくて、私はレースから身を引いて、極力姉さんの妹だってことは隠して生きてきた。この傷は一生治らない。きっとそうだって、そう思ってた。でも姉さんはそんなこと望んでないってことかしらね。アナタから姉さんの名前が出た時に、そう感じたの。これはずっと逃げ続けてきたことに対する答えだって、もうその傷と、向き合わなければならないって。

 

 

 

母も一人のウマ娘だ。その悲しみとしっかりと向き合うことが必要だと頭の中ではわかっていても、その重荷は聊か彼女には、いや多くの人々もきっとそうだろうが重すぎたということか。無意識の内にそれを遠ざけ、目を背けて娘である私にも伝えることができなかった。

 

 

 

母はそうつぶやくと、まっすぐと顔を上げ、サンレイに視線を向けた。その瞳には迷いや悲しみではない、新たな色が宿っていた。

 

 

 

「私からもお願い。姉さんのこと、私ももっと知りたい。サンレイ、あなたの手で調べてほしい」

 

 

 

既に事は、広報部の部長として押し付けられた仕事ではなく、一人の想いを背負ったものと化していた。その責任が、サンレイの肩に重くのしかかった。彼女はその重みを心で感じ受けながら、徐に口を開いた。

 

 

 

「わかった。やるよ、母さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘が、サンレイが帰ったあと。母は静かに縁側の外の景色に目を送っていた。20年という月日が経っても、ここは何も変わらない。私と、そして姉さんが過ごしたあの時の家のままだ。姉さんも今頃両親と仲良く積もる話でもしているのだろうか。そんなことを胸に思い浮かべながら、彼女は縁側に揃えて置かれていたサンダルに足を通すと、外へと足を踏み出した。

 

 

 

田舎の日落ちは早い。まだ18時半だというのに、辺りはすっかりと暗くなってしまっていた。すっかりとあたりが見えなくなった周囲を静かに見渡すと、母はゆっくりと家の中へと戻ろうとした。

 

 

 

……あれは

 

 

 

その時だった。暗闇でぼんやりと光る、一つの円形の光。その光はフラフラと、しかし確実にこちらへと近づいてくると母のかざした手のひらにそっと足をおろした。

 

 

 

 

群れでいるわけでもなく、たった一匹で母の手にとまるその蛍は、しばらく名残惜しむかのようにその場にとどまると、その羽を広げてその闇夜に存在を強く主張しながら飛び立ち、やがてその姿は見えなくなった。

 

 

 

「………ッ」

 

 

 

 

 

すっかり枯れてしまったと考えていた涙が、瞳からあふれ出てくる。そのむせび泣くような彼女の感情の発露は、真夏の空に人知れず、静かに溶け込んでいった

 

 

 

 

 

 

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