みんなが知ってる、あの話。

1 / 1
寒夜の武蔵野

武蔵国(むさしのくに)のある村に、茂作(もさく)という老いた猟師と、巳之吉(みのきち)という少年が居た。

幼くして流行り病で親を亡くした巳之吉を、茂作は哀れに思って引き取ったのである。二人は親子以上に歳が離れていたものの、巳之吉は茂作を本当の親以上に尊び、いずれはその跡を継いで猟師になるのだと十を数えた頃から茂作の後をついてまわり、今ではちょっとした手伝いくらいはできるようになっていた。

茂作はと言えば、最初こそそのつもりで拾ったわけでは無いと疎ましく思っていたものの、あまりにもしつこく食い下がるので仕方なく連れて行くようになり、今では銃の構え方を教えてやるほどに目を掛けていた。

偏屈な猟師の心を、巳之吉はいつの間にやら溶かしていたのだ。

 

さて、ある冬の日のことであった。

いつものように狩りへと出た二人であったが、折悪く吹雪に見舞われてしまう。

前も後ろも見えず、終いには陽も沈んできてしまったので、二人は近くの小屋で夜を明かすことにした。

ガタガタと風が小屋を揺らす音と、囲炉裏のほのかな火の明かり。

吹雪の中を歩いてきた疲れもあってか、巳之吉はすっと寝入ってしまった。

 

――顔に吹き付ける冷たさ。雪の感触を知った巳之吉は目を覚ました。

すわ壁でも割れたかと辺りを見回すと、木戸が大きく開け放たれていた。

山賊か、野党の類に思い当たった巳之吉は、隣に寝ていた茂作を起こそうとして――

 

その体が、氷のように冷たくなっていることに気がついた。

 

そうして、顔を茂作の方へ向けると、その枕元に、白づくめの女がうずくまり、茂作に白い息を吹きかけているのだった。

 

女はこの世のものでは無いように美しく、同時に恐ろしく見えた。たった今、茂作を氷漬けにしたのだ。人であろうはずがない。その目は氷を思わせる淡い青色。その肌と髪は雪を思わせる白。そんな人間を今まで見たことがなかった。

女は巳之吉がこちらを見ていることに気がつくと、上体を起こして巳之吉の方へ向き直る。じりじりと躙り寄ると、その(かんばせ)をそっと撫ぜた。

 

「あの男と違ってお前は若く美しい。殺すにはちと惜しい……ゆえ、生かしてやることにした。しかし、この夜のこと、この夜に起きたことを誰にも話してはならぬぞ。いいか、誰にもだ。話せばきっと殺そうぞ。あの老人と同じように、永遠に凍らせて殺してやろうぞ」

 

鈴を転がすような、しかし冷淡な声だった。巳之吉はただ、頷く事しかできなかった。

その様子を見ると、女は満足したように笑みを浮かべ、立ち上がると戸を閉めることもなく出て行ってしまった。あとにはただ、女の行き去った後を呆然と見つめる巳之吉が残された。

 

 

 

それから幾年が経ち、巳之吉は茂作の跡を継いで猟師となった。

立派な青年となった巳之吉は、ある時、身寄りのない少女を引き取る事になる。

名をお(ゆき)と言うその少女は、雪のように白くほっそりとしていて、すれ違う旅人皆が振り向くような美しさであった。

ふと気になった巳之吉が声を掛けると、お雪は鈴を転がすような声で応えた。

「この頃流行り病で親を亡くしまして、江戸にある親類を頼ろうと思うております。女中奉公の一つや二つ、世話をしてくれると言いますから、精々生きてゆくことはできるでしょう」

巳之吉はそこからあらゆる言葉を尽くしてお雪を口説いた。どうにもこの少女を手放したくなかったのだ。

最初こそお雪も困ったような顔をしていたが、働き口のあること、住まいのあることなどを聞くと、とうとう首を縦に振り、巳之吉と共に住まう事になった。

男女が共に棲むとなれば、いずれは何やら起こるもの。

瞬く間に二人は恋仲となり、遂には夫婦(めおと)となったのだった。

 

 

 

そこから更に幾年が経った。

その冬はいつかの夜を思い出すが如き吹雪の続く日々であった。

お雪はお針子としての仕事を受けるようになり、その仕事の細やかさ、正確さから村の人々によく頼られるようになった。

その夜も囲炉裏のほのかな灯りに照らされながら針仕事をしているお雪を、巳之吉はぼうっと眺めていた。

やがて、巳之吉が口を開いた。

「お前がそうしていると、おっ父が死んだ日の夜を思い出すようだ。あの日もこんな酷い吹雪の夜でなぁ」

ガタガタと風が家を揺らす音が聞こえた。

「その夜の話、もう少し聞かせてはくれませんか」

お雪が応えると巳之吉は話しだした。

「おっ父と二人で猟に出た日のことだ。いきなり吹雪だして、たまたま近くにあった小屋で夜を明かす事になった。囲炉裏の灯りと風が小屋を揺らす音だけ響いててな、疲れもあってかいつの間にやら寝入ってしまってた。そうしたら急に、木戸が開けられてよ。すわ野盗の類かと思ってみたら、おっ父の枕元に女が居てな。おっ父はもう冷たくなってた」

お雪は黙って巳之吉の方を見ていた。

 

「いやぁ……ありゃ本当に綺麗な……綺麗な死に様だった」

 

お雪は目の前の男が何を言っているのか分からなかった。

 

「枕元に居た女が何かをしたんだろうってのは分かったんだけどな、終ぞどうしたってのはよく分からなかった。ただおっ父の体はひんやり冷たくなっててよ。ああこれは女が言った通り氷漬けにされてんだってのは分かった。その姿がただ眠ってるようにしか見えなくて、とりあえずおっ父を連れて帰ったんだよ。俺には学が無かったから、どうしたらいいか分からなくって、結局夏の盛りまでそのままにしてあったんだけどな?村の連中があんまりにも気味悪がるもんだから仕方なく埋めたのさ。おっ父はその時もあの夜から眠ったようなままだったんだ。分かるかお雪、ずっとだ。おっ父は永遠に氷漬けになったまま、死んだ時のまま永遠に在り続けるんだよ。俺は、それが堪らなく羨ましくなった」

 

巳之吉は箍が外れたが如く、次々と言葉を繰り出した。

 

「どうしたらこんな綺麗に死ねるんだろうって、冬が来る毎に獲物を使って試してみたんだ。罠にかかってまだ生きているのやら、撃ち殺したのやら、雪に埋めてみたり、氷室に放り込んでみたり。けどどれもこれも、冬が明けると溶けちまう。夏の盛りの頃にはもう腐り果てて目も当てられない。さて次はどうしようかと思案を巡らせていた時のことだよ、お雪、お前を見つけたのは」

 

お雪はまさかそこで自分の名前が出るとは思いもしなかった。

巳之吉は勢いのままにお雪の肩を掴むと、

 

 

 

「お雪、お前なんだろう?おっ父を氷漬けにして殺したのは」

 

 

 

と、言い放った。

お雪は驚愕に目を見開いた。

巳之吉はまるで酒に酔い果てたが如く、笑みを浮かべてお雪に詰め寄る。

その目には、昏い光が宿っていた。

 

「一眼見た時に気がついた。(なり)は変えちゃいるがこの女はあの時の女だって。その目も、その声もその肌も見忘れるものか。片時だって忘れたことなんかない。さあ、俺を殺してくれ。俺はお前との誓いを破った。今俺はあの夜の事を話したんだ。さあ、俺を殺してくれ。さあ、さあ、さあ。」

 

昏い光を宿し詰め寄る巳之吉に、お雪は―――

 

 

 

いつしか吹雪は止み、黎々とした空が広がっていた。

「げに恐ろしきは、妖でなく、ましてや人でなく……死に魅入られた、生あるものの……」

そう独言(ひとりごち)る白づくめの女は、宛もなく寒夜の武蔵野を歩き出す。

――その内に、自らのものではない鼓動を宿して。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。