星に願いを
ガレスの提案で親衛隊の食事会が催されることになった。
夜空に星が瞬き、月の明かりに照らされた王宮は一際その存在感を解き放つ。
姫様とは家庭教師として従事している時以外では初めての対面だ。椅子に座って話を聞いている時とは違い、髪を腰まで下ろし、琥珀色のドレスを身に纏い王族の中でも異彩を放っている。それでも子供っぽさが拭いきれないところが、姫様らしいとも言える。
使用人が料理を運びこんでくるなり僕の顔を見て会釈した。
執事のポンテさんも体調が回復し初めて顔を合わせた。白髪だらけのおじいちゃんだ。タキシードを身に纏っているが、長年王族の教育係を務めていただけのことはある。皺の数一本一本が常に緊張していて糸のように整然と並んでいたからだ。
「レノ・クルーデル様、お初にお目にかかります。執事のファラン・ポンテと申します。この度は姫様の家庭教師を引き受けて頂きありがたく存じます」
「いえいえそんな。僕なんてポンテさんみたいに信頼されているとは胸を張って言えません。それにいつ首を切られるかわかりませんし……」
「おや?クルーデル様は聞き及んでおりませんか?
「ちょっ、ちょっと待ってください!ポンテさんは言葉は悪いですが、僕のスペアということでしょうか?」
「ええそうでございます。そのように受け取ってもらった方が私としても身が軽くなるような思いでございます」
ポンテ一族は代々王族専任の家庭教師として仕えている。いわば家庭教師界の重鎮。それなのにちょっと扱いが酷いような気もする。年を召しているから仕方ないのかもしれない。
「やあ親愛なるボクの友人。執事のポンテ卿との挨拶はすんだ?いかんとも表現しがたい貫禄だろう?ボクや父もポンテ卿の教育指導を受けていたんだ。だからこそ今のボクがある。キミもボクみたいな立派な人間になりたまえ、エッヘン!」
教育失敗じゃないか?
「そうだそうだ、テラスでキミを待っている淑女がいる。このワインを片手に心の声を囁きあってみないか?」
グラス寄越せよ。ワインだけ渡されてうろうろしてたら変な目で見られるだろ。
せっかく普段着ない衣装を取り揃えてきたのに、変な奴が来たと思われたくない。
「キミの言葉なら淑女の心を解きほぐせる。頼んだよ、レノ」
血のように赤いワインだけ持たされた僕はテラスに向かう。廊下には数人の警備職員がいるだけで、人通りは少ない。
テラスに繋がる通路は食事会の部屋から一直線だ。月明かりに照らされた白い椅子とテーブルがキラキラと宝石のように光っている。
一人の女性がグラスだけを持ってため息をついた。
「ミグレッタ?グラスだけ持って何してるんだ?」
「レノか。君こそワインだけ持ってうろうろしていると酔っぱらいと思われて王宮から追い出されるぞ」
「いや、僕はガレスに押し付けられてテラスへ向かうように指示されたんだ」
「そうか、あの男の仕業か。相変わらず考えていることが読めないお人だ」
僕はミグレッタのグラスにワインを注いだ。
「貴族はドレスとか着ないのか。てっきりきらびやかな衣装で、パーティーには必ず顔を出して社交ダンスでも踊ってるイメージだったけど」
「興味がないだけだ。他の貴族たちがどういった趣味をしているのかなどにも興味はない。私の正装は軍服だ。これが最も落ち着く」
「姫様とは仲がいいって聞いたんだけど、頻繁に会う時間なんてあるのか?姫様やミグレッタの立場だと会うのも難しんじゃないか?」
「
「そっか。僕にはまだまだミグレッタには遠く及ばない。姫様の信頼を勝ち取るのはいつになるのやら」
「レノが姫様の家庭教師をする以前は王宮での生活に対する不満が大半だったのだが、今や君に会うのを楽しみにしている節すら感じる。表情も見違えるように明るくなった」
「ミグレッタには本音を吐き出すのか。僕ももっと姫様のことを知らないといけない。道のりは長いけど、少しは希望は持てたかな」
ミグレッタはワインを口にすると夜空を見上げた。
「私にも姫様と同じ歳のくらいには教育係がついていた。代々ディクレアート家に仕えてきた弁の立つ者たちが、私に英才教育を施そうとあらゆる手を尽くした。しかし、皆の目は次第に熱意を失っていったんだ」
「何があったんだ?」
「当時、教育係だった未亡人が『あなたに教えることはない。課題を与えても平然とこなすだけでなく、誤字すらしないとはもはや人間の成せる技ではない。あなたの教育係になることは誇りや名誉を捨てることに等しい』と言い放った。私はショックで一ヶ月は誰とも口を聞かなかったな」
「勉強や運動ができることはいいことだ。でも大人から見たら子供らしさの欠片もないミグレッタに恐怖を抱いていた。どうして子供らしく振る舞わないのかと。そんなの頭の固い大人たちが自分勝手に抱き続けてきた子供の理想像なんだけどな」
「私はディクレアート家の人間としての誇りがある。真面目に生きて何が悪い?子供らしくなくて何が悪い?どうして大人たちは私に失敗を求める?成功を約束された人間が排除される社会なら私は何のために生きているんだ?そんなことばかり考えていた」
「貴族には貴族にしかわからないプレッシャーがある。ミグレッタのような模範的な貴族がいることを面白くないと感じる人もいるんだろう。妬み嫉みは『正しさ』をねじ曲げる。いつの時代もいるんだよ。ミグレッタのような人間を認められないひねくれたわからず屋が」
「レノ、私にも教えてくれないか?姫様にしているように、『正しさ』とは一体何なのかを」
「えっ?」
「ずっと悩んでいたんだ。自分のやってきたことは本当に正しかったのか?教育係の言うことを素直に聞いていれば、もっと違った未来があったのでは?そんな風に考えてしまうんだ」
ミグレッタの瞳が光を帯び波を打つ。潤んだ瞳が彼女の苦悩を物語っているようだ。
僕にミグレッタの心を癒せるか?綺麗事を並べるだけなら平凡な教育者で終わってしまうだろう。もっと別の目線で僕らしくミグレッタの苦悩と向き合う。
苦しみを打ち明けてくれたんだ。ミグレッタは助けを求めている。救えるのは僕しかいない。
「『正しさ』とは『鏡』だ」
「『鏡』……?」
「『鏡』は誰にでもありどんなものも映し出す魔法の一品。しかし、『正しさ』は人によって違うもの。それは『鏡』の中に映るものが同一ではないことを意味する」
「普通の『鏡』ではないということか?」
「そう。例えば地球の裏側に住む人々にも『鏡』はある。この『鏡』をボクやミグレッタが見るとどんな風に映るだろうか?」
「『正しさ』の価値観が同じであれば自分の姿が映るはずだ」
「同じであればね。でも現実はそう上手くはいかない。もし『正しさ』の価値観が違えば『鏡』に映る表情が悲喜交々だったり、姿が別人であったり、もしくは異形の怪物かもしれない」
「表情が変化するのは何故だ?」
「木材を使って商品を作りたいとする。木材でできている商品は枚挙に暇がない。そうなると大量の木材を消費することになる。その木材は地球の裏側から輸入しているとすれば、木材を売る側からすれば莫大な利益が出せ原生林の伐採が進んでいくことになるんだ」
「売る側にとって森林伐採は生活の糧としてかかせない。しかし、環境破壊を助長していることは否めない。本音と建前が表情に表れているのだな。ならば姿が別人になるのは何故だ?」
「戦乱から逃れた特定の民族を保護したいとする。しかし、地球の裏側ではその民族が反政府運動を先導している。こうなると保護する側が人権に配慮したことで、反政府運動に加担しているのではないかと批判されることになる」
「なるほど。一見迷える子羊の姿をしているが、中身が狼の可能性も否定できないというわけか」
「まだ説明してないことあったっけ?」
「私をからかっているのか?怪物の説明をしてないだろ?」
「良く覚えていた、ミグレッタ。『正しさ』が行き過ぎてしまい怪物になってしまう場合だ。例えばテロ攻撃を受けて特定の民族や『宗教』に憎悪感情を抱いていたとする。政府は対話によって解決を図りながら、国民の憎悪感情を押さえ込むためあらゆる手段を講じる。ところが世論は徹底抗戦の構えを崩さず武力には武力を用いることを政府に強要してしまう。結局国民国家が一線を越えてしまうと『正しさ』は暴力性を孕んでしまい怪物へと姿を変えてしまうんだ」
「一線を越える。つまり『戦争』へと発展してしまうということだな。正しい心を持った怪物か、まるで私のようだな」
「僕はそうは思わないよ」
「……理由を聞いてもいいか?」
「『鏡』には人間の見えない部分を映し出してしまうことがあるんだ。何かわかる?」
「姿、表情、状態の他に別の部分が映る?幽霊でも映し出してしまうとでも?いや、それは非科学的な物の見方だろうな」
「ミグレッタは真面目だなぁ。『鏡』があくまで『正しさ』しか映し出さないのなら、他人の『鏡』には
「自分の姿が映らない『鏡』?」
「目の前で大きな怪我をしている人がいたとする。自分は医者で治せる人が他にいない場合、当然治療して治してあげたいと思うはずだ」
「良心と良識があれば誰もが思うだろうな」
「だけどもし怪我をしている人が大量殺人を犯している人だったら?」
「それは……葛藤するだろうな。医者の責務と遺族の想いを『天秤』にかけてしまうかもしれない」
「医者としての責務を果たそうという『正しさ』は間違っていない。そして苦しみもがく犯人を懲らしめてやりたいと思う『正しさ』も間違いだとは断言できない。二つの『鏡』を鏡合わせにしても『鏡』には際限のない『闇』しか映らない。何故なら『正しさ』は一人一人が持っているものであり、生い立ちや人生経験によって修正されていくものだから」
「つまり私の持つ『正しさ』は両親の教育方針と育った環境の賜物というわけだな」
「でも『鏡』って『光』がなきゃ『闇』しか映らないよな。『正しさ』の正体って、こうフワッとしてぼんやりとした朧気な存在だと思うんだ」
「なんだ急に畏まって。レノにも悩み事があるのか?」
「要は『正しさ』とは自身の価値観と世界基準の価値観のズレを知るための尺度。難しく考える必要はないんじゃないかな?『正しさ』の答えを求めるなんて、真っ暗なトンネルを手探りで進んでいって『光』を手繰り寄せるようなもんだし、でももしその『光』を掴めたらミグレッタの中にある本当の自分を再発見できるのかもしれないけどね」
ミグレッタはワインを飲み干す。僕が継ぎ足そうとしたら、やんわりと断られてしまった。
「肩の荷が下りたような晴れ晴れとした気分だ。レノに話を聞いてもらって正解だった」
「そ、そうかなぁ。あんまり参考にならなかったかもしれないけど、僕で良ければいつでも相談に乗るよ。僕が教師になれたのもミグレッタのお陰だから」
「ランシアが羨ましい。レノみたいな家庭教師が私の傍にいてくれたら、世界の見方が全く違っていたかもしれないのにな」
それはまるで子供が星に願うような瞳でミグレッタは夜空を眺めていた。