ガレスと名乗る男に拉致され、馬車で移動すること三十分。外に目を向けると驚くべき光景が広がっていた。
「ようこそ!ハイデリン宮殿へ!」
ガレスは意気揚々と僕を馬車から引き摺り下ろす。
ハイデリン宮殿は王族たちが住まう神聖なる建造物。だがそれも今や昔。実物は書物に描かれていたものよりもかなり小さい。まるで小貴族の居城のようだ。
実はこれにはわけがある。
百年前に国家を統一してからというもの長らく平和な時代が続いていた。
民衆はハイデリン宮殿の美しく荘厳で奥ゆかしい姿に跪いた。建国当時から王国の象徴として臣民から尊敬と羨望の眼差しを向けられていたが、庶民の感心事が外政よりも内政に向けられていくと実生活も大きな変化を伴うようになった。
王族や貴族は封建的な特権を有していたが、税金の優遇や終身年金の支給は国家財政を圧迫し商人や平民に多くの負担がのしかかっていた。商人たちの不満は膨れ上がり、いつしか身分制度改革そのものを議会に要求するようになる。そしてその標的はハイデリン宮殿にも及び縮小と改築を余儀なくされ現在に至るわけだ。
国家の象徴でもあった神聖なる王宮は、時代を経て質素な生活感に溢れる一邸宅に成り下がったのだ。
ちなみに王族、貴族の住まいは法律に基づき土地の面積、高さが規定され増改築も商人たちの許可が必要となる。
「ガッカリさせちゃった?無理もないよね。三十年前までは今の十倍ぐらいの広さの大宮殿だったのに、今や庶民の家と見間違えちゃうくらいの家屋だもんね」
「そんなことが聞きたいんじゃない」
「そんな緊張しなくても国王や后は普段は出入りしてないからリラックス、リラックスゥ」
「お、おい!人の話を――」
ガレスは慣れた手つきで門のセキュリティを解除し道なりに案内を始めた。花壇と噴水くらいしか目ぼしい物がない。一本道を抜けると宮殿内に続く階段が現れた。
「ガレス、いい加減教えてくれ。僕を王宮に連れてきた目的は何だ?」
「ボクが王族と知ってたじろぐかと思ったけど、逆に食いついてきてくれるなんて君とはいい関係を築けそうだよ」
まだ教えてくれないか。なら王宮内で問い質すしかない。この男の目的は僕を利用すること。金か?名誉か?その答えは視野に収まりきらないほどの大きさをした扉の先にある。
僕は息を飲み目を見開いた。円卓には二人の女性が既に座ってこちらを伺っている。
「――遅い。どこで道草を食っていたんだ?また女遊びか?少しは世間の目を気にしたらどうなんだ?」
この力強い眼光、試験にいた女性だ。そしてもう一人いるな。
「お兄様、そのお連れの人はご友人?」
どこからどう見てもお嬢様だ。薄ピンクのドレスに輪郭を覆うように垂れ下がる御下げ。そして、あどけなさの抜けきらない風貌。
もしやこのお方は……。
「レディに呼ばれて遅れてきてしまうとはボクもまだまだ青い果実だ」
めんどくさ。潔く遅刻を認めろ。
「君は確か王宮教員採用試験を受けていた……すまないが名前までは聞いていなかったな」
「えっ、ああ、僕はレノ・クルーデル。帰り道でそこの変な人に拉致されて――」
「そんなこと聞いていませんわ!どうしてあなたのような平民風情が王宮に足を踏み入れているのかを聞いているんです!」
いきなり身分差別。お姫様は中々過激な思想の持ち主のようだ。
「ランシア、身分や人種で人となりを判断するのは王族としてあるまじき振る舞いだ。王族、貴族、商人、平民はみな対等かつ平等だ。平民の彼に謝りなさい」
急にほんわか王子の雰囲気が変わった。兄としての威厳が感じ取れる。だが、平民は余計だ。
「う、うぅ……ごめんなさい……」
「姫様の感情に任せて発言する危うさは教育の余地がある。それは我々親衛隊の責任だ。まぁ、それが今回親衛隊を召集した理由なんだがな」
この人がミグレッタか。受付の糸目の男が口走っていたのを思い出した。それと親衛隊って二人だけなのか?
まさかランシアと呼ばれる姫様も親衛隊の一員なのか?
「仕切り直しだ。それでは本題に入る。姫様の家庭教師の件だが――」
はぁ?姫様の家庭教師?なんだそれ?
ガレスとミグレッタの間に挟まれた僕は腕を組んで傍観者を気取る。
「ランシアの家庭教師でもある執事のポンテが健康不良で寝込んでしまったらしいね。老体に鞭打ってまで家庭教師と執事をこなしてくれていたから、無理が祟ったんだろう」
こんな過激なお姫様相手なら精神を磨り減らしてしまうのも納得だ。数多の屍を生み出したに違いない。
「まさかと思うが、レノ・クルーデルを連れてきたのは姫様専任の家庭教師としてあてがうつもりではないだろうな?」
「ヌフフ、さすが名門ディクレアート家の才女。見事な推理だ」
僕は目を丸くした。鏡があるわけじゃないが自分がどんな顔をしているのか手に取るようにわかる。今の僕はそれほど驚きを隠せないでいる。姫様の家庭教師?どうして身分違いの男がそんな重責を負わなければいけないんだ?神様のイタズラですませられるか!
「あなたが女を連れこんでくるならお帰り願うつもりでいたが、男を連れてきたならばそれなりの事情があるはずだ。しかし、それなりに見込んでいるとすれば当然、姫様の家庭教師を務めるだけの才覚があるのだろう」
「そのために呼んだのさ。彼を、教員採用面接改め親衛隊採用面接にね」
もう何がなんだか……話についていけない。
「お兄様はその殿方に愛国心と国家に対する忠誠心がおありと申されるのですね?」
「断言してもいい、彼は愛国心に溢れた好青年だ。まだ十代でありながら国家のためとはいえ教鞭に立とうなんて簡単に決断できるもんじゃない。十分過ぎるほどの理由だと思わないか?」
「年齢だけなら私たちと対して変わらないな。姫様とは五つしか離れていない。それに年齢差は大した障害にはならない」
ガレスの力説、ミグレッタの補足にも関わらず、姫様はまだ首を縦に振る様子はない。
「国民にはどう説明なさるおつもりですか?税金が使われる以上、まだ教員でもない殿方に報酬を支給し、王宮に出入りさせることは王族の権威を汚すことにも繋がりますわ」
「別の問題もある。試験の最終合否は二ヶ月先。その間、試用期間として採用でもするのなら話は別だが」
「それなら問題ない。試験内容に対しては王族の特権をフル活用させてもらう。もし合格点に足りない科目があれば神の見えざる手を使うしかない。その前にミグレッタやランシアに火の粉が飛ばないよう最大限の配慮をしなきゃね」
それは権力の濫用とか、公文書の改竄とかいうやつでは?堂々と犯罪行為を宣言するとは空恐ろしい王子だな。
「お兄様がそこまで申されるのならワタクシに試させて下さい。あなたがワタクシの家庭教師として相応しいかどうかを」
僕が受けに来た面接はこんな不本意な面接じゃない。一介の教員になるために辺境の農村から遠路はるばる足を運んだだけなのに、どうして姫様の家庭教師になるための面接にすり変わっているんだ……?
「ボクも君の培った知識を垣間見たい。どうか愛する妹の気持ちに真っ向から向き合ってやってほしい」
どんな質問が飛んでくる?心理テスト?教養?はたまた圧迫面接?
「ワタクシの苦手な分野は『歴史』」
「ぼ、僕もです!」
「ワタクシに『歴史』とはどういったものなのかご教授して下さいます?教員を志しているのなら答えられて当然ですわ」
そんな質問に答えなんてない。僕が聞きたいくらいだ。
ガレスは興味津々に僕の答えを待っているが、ミグレッタは関心がないのか書類を読み漁っている。
「やはり無駄足のようですね――」
そういえば僕を兵士にさせたがっていた頃の母さんが、教養を深めさせるために付きっきりで勉学のイロハを叩き込んでくれたんだ。その中には当然僕の苦手な『歴史』も含まれている。
どうして『歴史』なんかを学ぶ必要があるのか?
『歴史』を知ることで将来どんな役に立つのか?
僕はそんな素朴な疑問を母さんにぶつけたんだ。
母さんは顔色一つ変えずに答えた。
『歴史から学べることは成功体験。成功から学ぶことで偉人たちが歩んできた道を己の人生と重ね合わせるの。そうすれば失敗という名の轍を踏まず、恐れを抱かず正しい一歩を踏み出せるのよ』
『そしてもう一つの質問ね――』
僕は深く息を吸いゆっくりと吐き出した。姫様の目を見つめ脳裏に焼きつけるように僕は口を動かす。
「『歴史』とは『糸』です」
「い、糸……?」
姫様は可愛らしげに頭を傾げた。ミグレッタはちらっと僕の顔を見た後、書類に視線を落とす。
「『歴史』とは国家の数ほど存在する。つまり国家が歩んできた時間は一本の『糸』で例えることができるんですよ」
「それで?」
ガレスが楽しそうに食いついてきた。
「この『糸』は全て同じというわけではありません。国家の規模や国際間における立場によって長さや強靭さは変わってきます。それはまさに国家の寿命と言い換えてもいいでしょう」
「話を続けてくれ」
ミグレッタが合いの手を入れる。どうやら僕の本質に気づいたようだ。
「しかしながら『糸』は常に一本であるとは限らない。例えば国家が滅亡した時」
「国家が消滅すれば『歴史』は紡ぐことができない。それは『糸』が切れてしまった、ということだね」
「更に国家が隣国を侵略し併合した時」
「別々の『糸』が束ねられ太さ、重さ、そして厚みを増した一本の『糸』に形を変える、ということか」
ガレスとミグレッタが相槌を打つ。
「逆に国家から新しい国が分離独立すれば、姫様はどうなると思います?」
「な、なんですの!?質問してるのはワタクシですわ!!」
「『糸』は二本、三本と枝分かれし無数の新たな『歴史』を生み出していくのです。それは人生にも同じことが言えます。人が紡いた糸は周りの糸を巻き込み、ひたすらに絡み合っていきます。それこそ人々が団結する力の源。どんな力を加えても断ち切れない、力強く、かけがえのない『糸』。それを私たち人間は『絆』と呼んでいるんです」
「な……」
姫様は固まってしまった。
「お気に召さなかったでしょうか?」
「ボクは好きだ。ロマンチストぽくってね」
「私も嫌いではないが、要領を得た生徒を相手にする場合の説明としては少々回りくどい。飽きてしまうだろう」
ガレスとミグレッタの評価は手応えありといったところか。後は姫様だが……。
「ワタクシは認めませんわ!こんなくどくどと説教臭い講義なんて!断じて認めません!」
「どこがそんなにダメでしょうか?」
「全部ですわ!全部!台本を読んでいるかのような演技がかった喋り方!まるで大根役者が主役の喜劇を見せられているようですわ!それに話自体もご両親の受け売りでしょう!ワタクシは耳障りの良い説法を聞きたいわけじゃありません!」
「そ、そんな……」
姫様はお下げをブンブン回しながら部屋の中に引きこもってしまった。
「あ、あはは。レノには悪いことをしてしまったね。ランシアは産まれた頃から王宮に籠りっぱなしでね。話し相手がボクかミグレッタぐらいしかいないんだ。執事のポンテが倒れてからというもの、寂しい思いをさせてしまっていた。全て兄であるボクの責任だ。キミを連れてきたのは妹の心の支えになってほしいという個人的な思いからなんだ。ボクと妹の非礼は親衛隊隊長であるガレス・プロシアデスの顔に免じて許してほしい」
「それよりどうするんだ?姫様があんな調子ではレノ・クルーデル一人に任せられない」
「人員を増やすにも、これ以上時間と労力を費やすのは代議士たちが許さないだろうね。レノはどうだろう?やっぱり荷が重いか?」
「正直言うと自信はない。でも放っておくことは教育者として相応しくないと自白しているようなもの。僕にできることがあるのだとしたら姫様の助けになりたい。僕も姫様と同じくらいの年齢の時は孤独だったから」
「レノ……ありがとう。君も今日から親衛隊の一員だ」
「決まりだな?」
僕は決心した。
姫様の家庭教師として職務を全うすることを。
王国繁栄のために知識と経験を捧げることを。