王宮の外では太陽が沈もうとしていた。夕暮れが空を染め、冷たい風が窓から吹き込む。
はためくカーテンの間からの夕陽が眩い。
将軍の顔が夕陽に照らし出され、瞳にはレノ・クルーデルの輪郭をはっきりと捉えている。
メガラ共和国建国の裏に隠された真意を、将軍は落ち着いた口調で語り始める。
ミグレッタ、ガレス、姫様は将軍の言葉一つ一つ噛み締めるように耳を傾けた。
「メガラ共和国建国は建前で、その裏に真実が隠されていると主は考えているかな?」
「将軍の独立宣言の意図、オーバーグレーツ行政の動きの鈍さ、そして独立賛成署名名簿の不自然な取り扱い。様々な疑問が湧いてくるのですが、僕自身確信に至るにはまだ情報が足りないような気がするんです」
「しかし、仮説はある。残るは立証のみ。主の顔にはそう書いておる」
将軍は嬉しそうだ。僕に謎を解かれる喜びを感じている。こんな状況なのにまだ豪胆な振る舞いができるなんて、僕は疲労と重圧で意識が飛んでいきそうなくらい神経をすり減らしているというのに。
「まず独立宣言の内容なのですが、『ミオン及びオーバーグレーツ全域を含む領土をプロシアデス王国からの分離独立し、サレミオのサレミオによるサレミオのための国家、即ち――メガラ共和国を建国するものである』とする文言。王国の現状を鑑みて、非現実な内容であると考えるのが多くの知識人の見解ではないでしょうか?」
ミグレッタと目が合った。僕と同じ疑問を持っていたようだ。姫様は……。
「フハハハ、ランシア姫がついてこれておるまい。主の推理が必要ぞ」
「
「待ちなさい。レノの説明には納得できません。マフラヴィおじ様は独立宣言までして、政府や議会を混乱させているのです。新たな国家を作る気がなかったと仰るのなら何をなさろうとしていたのでしょう?」
「焦らないで下さい、姫様。僕の解説はまだ途中です。ミオナウルの独立宣言を行った後オーバーグレーツ内では特に目立った動きがありませんでした。抗議デモは起きず、戒厳令が出なかったとなると将軍の交友関係の広さが起因しているのではないでしょうか?」
「御名答」
ガレスがミグレッタの背後に回り込み、迷彩柄のファイルを開いた。
「ああっ!?この名はオーバーグレーツ州知事じゃないか!なんてことなんだ……」
ガレスを頭を抱え驚愕している。知ってたくせに。
「
ミグレッタがガレスを手で払う動きをする。
「己の身を顧みず、ミオナウルに加担するとはな。州知事やその協力者が国家反逆罪に値することは否めない」
「そして致命的なのが、この迷彩柄のファイル。これもまた不可解なのです。どうしてこんな命よりも大事なものが敵であるはずの親衛隊の手に渡ったのでしょうか?」
「我々の同志が金に釣られて売り飛ばしたのであろう。なんとも情けない話だ」
ガレスの態度がふてぶてしい。この二人やはり……。
「申し訳ありませんが、そうはいきません。このファイルには氏名、国籍、身分、年齢が記載されています。政治家から実業家など多くの名士の名が見て取れます。世間に公表されれば立場が危うくなる可能性を秘めているというのにです」
ミグレッタの顔色が青ざめる。姫様が怯えだした。
「レノ、私の思い込みであると願いたい。だが、もし思い込みではないのなら、姫様の隣に座っているあの男は……」
「二人共、やめて下さい!お兄様はミオナウルとなんの関係もありませんわ!」
「思い出して下さい。僕が初めて将軍に会った後、このファイルを手渡されました。その時、ミグレッタが咳払いをしたのです」
「それは中身を閲覧すれば著名なメガラ人の名を見たレノがショックを受け、交渉役を辞退すると危惧したからでしょう?」
「僕もその時、ミグレッタが僕の心情に配慮してくれたものだと自分に言い聞かせました。しかし、実際は違ったのです」
「そうなのですか?ミグレッタ?」
「
「僕は告発しなければなりません。ガレスはミオナウルと内応していたと。そして稚拙な独立宣言の文言を起草したのもガレス、あなただ」
「そんな……お兄様が?嘘です……ワタクシは信じません!」
ガレスが拍手した。爽やかな笑顔を見せつける。
「名探偵レノ、降伏するよ、鮮やかな推理だ。稚拙な独立宣言って馬鹿にされたのは流石に傷ついたけどね」
「我とガレス様が内通したから何だというのかな?主が明かすべきは別にある」
「将軍の隠れた真意を明らかにするためにはもう一度、このファイルを隅々まで閲覧する必要があります」
ミグレッタが舐め回すようにファイルの中身を凝視する。
「国籍に共通点はない。身分も平民と商人が目につくぐらいか。これといった特徴はないな」
「氏名、国籍、身分はバラバラ。だけど一箇所だけ共通する項目があるんです。それは――年齢」
「年齢?ざっと見てはみたが、五十代から六十代が占めているようだ。二十代以下は一割にも達しないかもしれない」
「五十代から六十代が占める。つまり将軍と同世代。若い人の名が少ないことを考えると自ずと答えが出せるのです」
「つまりどういうことなのですか、レノ?」
「将軍は憂いていたのです。若い人たちが政治に関心を持たなくなっていることを」
将軍は腕を組み外を見る。
「世間を賑わせてまで若造たちに政へ参加させようなどと愚かなことをしたものだ。主らはそう申したいのであろう?」
「いいえ、気持ちは理解できます。やり方は到底擁護できませんが」
「どう侮辱されようが構わん。我も退役した後、代議士になり国を動かそうと志した時代もあった。ところが蓋を開けて見れば愕然とした事実のみ。議会は世襲議員が跋扈し、年も我とさして変わらぬ老人たちばかりではないか。これでは若造たちが政にそっぽを向き、一票を掃き溜めに捨ててしまう」
「民は自分の利益になる人を選挙で投票します。もちろん耳障りの良い公約ばかり掲げ、票をかき集めることに躍起になる候補者もいます。民主主義国家である以上、個人的感情で票数が左右されてしまうのは致し方ない部分もあります。政治に関心が薄れると全体の利益より個人の利益を優先する社会になりやすい。将軍の仰っしゃる通り、若い人が立候補しなければ代議士の年齢層は必然的に高くなります。代議士の年齢層が高くなると若い人の生活実態が見えにくくなり、二・三十代の意見が反映されにくいという短所が生まれます」
「代議士が老人ばかりでは若造たちが興ざめしてしまうのも合点はいく。だからといって政治に疎くなってしまっては社会が独り善がりな人間ばかりになってしまうだろう。人の不幸や痛みに共感できない国に成り果てる。個人の利益というものは個人の努力によって積み重ねていくもの。国にしがみついてばかりでは、国家全体が自立不能な人間で埋め尽くされしまうのだ」
「政治への関心は大人たちの責任です。大人たちが子供たちを正しい方向に導いていかなければなりません。教師や政治家などの身分によらず、平等に教育を受けさせられる環境づくりが求められます。しかしそれは子供だけでなく大人であっても同様です」
「大人も教育せよと?」
「僕たちが政治を知る努力を怠れば子供たちに政治に参加することの重要性を説くことはできません。頭ごなしに投票へ行けと言われても選挙制度や律法手続きに無理解では、投票所に足を運んだだけで投票したという口実を与えるに過ぎないことになります」
「白紙も一票ではある。意思表示をしたかと問われれば賛否はあるだろうが、投票所に顔を出した人間と同義と評されれば、我なら腸が煮えくり返ってしまうであろう」
「平和な時代が続くほど政治への関心が薄まりやすくなります。しかし、だからといって独立戦争を撒き餌にして若い人の気を引こうだなんて、断じて許されることではありません。将軍の願いのために将来の担い手である若い人たち、罪のない子供たちが命を奪われるなど、あってはならないのです。ガレス、あなたにも責任の一端はある。二人には猛省して頂きたい」
ガレスはばつが悪いと言わんばかりに頭を掻いた。姫様は兄が関与したと知って生気を失っている。
「最後に論じてもらいたい。主にとって平和とはどういったものなのかを」
「論ずるまでもありません。平和とは何人も明日に不安を抱えず眠りにつくこと。いつ、如何なる時でも安心して眠れる場所こそが平和の証だと、僕は思います」
「全く同感だ」
まだ何かやり残したことはあるだろうか?
将軍の表情には一点の曇りはない。晴れ晴れとした今まで見たことない穏やかな顔つき。
僕は僅かに将軍の口元が動いたのを見逃さなかった。
「将軍、今からでも遅くはありません。投降して下さい」
「この期に及んで命乞いをするつもりはない。民族や宗派を分断せしめた罪は死をもって償わなければなるまい」
「馬鹿な真似はよせ。自決を図るような仕草をすれば手足を切り落とすぞ」
ミグレッタが柄に手をかける。
「死んで逃げたら国のために戦ったメガラ人の想いは、サレミオの願いはどうなるんですか?僕は諦めません。政府に軍備縮小、そして賠償責任を果たしてもらいます、絶対に。だから将軍、あなたは見届ける義務がある。この国が正しい方に向くまで」
「主の父クレスも負けず嫌いなら比ではなかった。部下の揉め事を仲裁するのかと間に入ったと思えば、最後には鬨を上げてしまうぐらい負けず嫌いな性格だったからな」
「将軍にはまだやらなければならないことがあるんです。だから死ぬなんて言わないで下さい」
将軍に僕の言葉はもう届いていない。覚悟を固めた将軍は一人一人に声をかけていった。
「ディクレアート嬢、末永くランシア姫の友人としてお傍で支えてもらいたい」
「言われずとも、そのつもりだ」
「ガレス様、どうか陛下にご自愛下さるようお伝え申して頂きたい」
「ボクは父に愛想を尽かされていたから、クメリオを本当の父のように慕っていたんだ」
「ランシア姫、貴方様の家庭教師を信じ、頼り、手を取り合いプロシアデス王国をどんな障壁にも動じない国にして頂きたい。老いぼれの戯言ですが、頭の片隅でも置いといてもらえれば地獄への餞になりましょうぞ」
「マフラヴィおじ様……」
将軍は僕に横顔を向ける。目を瞑り小さな声で語りかけた。
「気高く、たくましく、強く生きよ。さすれば主は――ミオンの光たれ」
将軍の口の中で石を噛み砕くような音がした。
途端に将軍は苦しみ血を吐き出す。
「ぐふっ……」
崩れるように倒れ、目が虚ろになる。
「口の中に毒物を忍ばせていたのか!?」
「マフラヴィおじ様……どうしてこのようなことを……」
「ミグレッタ、医者を呼んできてくれ!早く!」
ガレスに指示されたミグレッタは急いで医者を呼びに行く。将軍は微かな意識の中、声を震わせる。
「我が死ねば……ミオナウルは……武装解除するよう指示してある……」
「クメリオ、もう喋るな」
「やっと皆の元へと……行ける……」
「レノ、どうにかならないのですか?」
もう助からない。恐らく将軍が飲んだのは劇薬。捕まることを想定して、カプセル型の毒物を歯の間に忍ばせていたんだ。
「主よ……」
将軍の手が僕の顔に触れる。優しい手だ。温かさが肌を通して伝わってくる。
「ミオン神は……信ずる民を導く……楽園へと……主よ……先導者よ……どうか……どうか……信ずる者たちを……救い給え……」
将軍はガレスの腕の中で息絶えた。