曇天が学校中を覆う中、僕は教え子たちを連れて食堂へ向かう。三人の教え子たちとの親睦の場を設けようと下心を出したのだが、更なる修羅場が幕を開けるとはこの時の僕は知る由もなかった。
「ソレルまで一緒なのかよ。食欲が失せちまいそうだ」
「ソレル君とは仲直りしたんでしょ?先生を困らせたらダメだよ」
ナタリーはテーブル席につくなりマルクを宥める。ソレルは外の雨が気になるようだ。
「三人は学生だから無料なんだし、たくさん食べなきゃ大きくなれないぞ。先生は煮魚にしようかな」
「僕も魚にします。別に先生に合わせたつもりではないので、勘違いしないで下さい」
「じゃあオレはパスタにしようかな。大人の嗜みってのも身につけねぇといけねぇからな」
「あたしもパスタにする。先生とソレル君は魚で、あたしとマルクはパスタで決まりだね」
魚派、パスタ派に分かれいざ注文となった時、わんぱく小僧のマルクが無理難題を僕に押し付けた。
「目の前で魚なんて食べられたら臭いが気になってパスタを味わえなくなっちゃうなぁ。先生も一緒にパスタ食おうぜ?」
「先生が食べたいものに口出しするなんて価値観の押し付けだよ。午前中の授業で先生に教えてもらったじゃない。それにどうしてソレル君にも同じ提案をしないの?」
マルクとナタリーの問答を聞いていたソレルは眼鏡を拭き始めた。
「君は今まで何も考えずに食事をしてきたのか?臭いのない食材など存在しない上、僕やクルーデル先生に水以外口にするなと言ってるようなもの。そもそも四人でテーブルを囲んでいるんだから、各々の好みが一致しないことは自明の理だ。そんなこともわからないようでは卒業するのも難しいだろうね」
いがみ合うマルクとソレル。
食事の時ぐらい静かにできないのかと言いたくなってしまうが、それだと食事の場を設けた自身の行動に一貫性が無くなってしまう。
だからといって食べ物の好みで険悪な雰囲気を容認するのは教師としても看過できない。
ナタリーが心配そうに僕を見つめる。
「パスタも悪くはないんだが、ソレルが納得しないよな?」
「先生は本気なんですか?たかだか食事如きで意思を変えるなんて正気の沙汰とは思えません」
「嫌ならソレルが席を移動すればいいじゃん。これで万事解決!」
「もうどうしてこうなるの?」
「マルクの提案には先生としても容認できない。それにソレルを仲間外れにすることは虐めに等しい行為だ。それならこうしよう。『多数決』で決めるっていうのはどうだろう?」
僕の提案に三人は首をもたげた。
通常『多数決』は賛否を問うために用いられるもの。それに母数が少ないと『多数決』で得られる効果も薄い。何故『多数決』を提案したのかは僕なりの考えがあったからだ。
「先生はわかって言ってんだろ?四人じゃ『多数決』なんてできねぇぞ!」
「あたしたちは学生だから無料で食べれるけど、先生はお金を払ってるから二票分になるとかかな?」
「僕もナタリーの意見に賛成だ。それなら三対二で魚派が勝利することになる」
マルクは不満気に僕を見ている。本当にわかりやすい少年だ。顔に理不尽と書いてある。
『多数決』を字面だけで、三人に受け取ってもらえれば教師冥利に尽きるというものだ。
「三人は勘違いしているようだが、
マルクとナタリーの頭の中は容易に想像できる。
コイツは何を言ってるんだ?そんな顔をしているからだ。
「クルーデル先生は『多数決』の原理をねじ曲げて解釈してます。教師としてあるまじき言動だと思います」
「ソレルは『多数決』が必ず正しい答えに辿り着くものだと信じてはいないよな?」
「歴史から見れば『多数決』を自己の利益のために数の暴力として用いた例は存在します。悪法も法なりという言葉が如実に表していますが、『多数決』の原理を曲解すれば民主主義の根幹を揺るがすこと他なりません」
「立法府の代議士の一票が国民の生活に直結する以上、『多数決』の手続きは厳正に執り行わなければならない。ソレルが唱える『多数決』の原則はあくまでも為政者の権利を制約するという意味が含まれている。だが、一般人である我々がそのような厳正な『多数決』をする必要はないんじゃないか?」
「クルーデル先生は『多数決』には別の意味があると仰るのですか?」
「もっと柔軟に考えれば魚であってもパスタであっても、双方の主張を取り入れた解決策に導ける。それが『多数決』のもう一つの顔だ」
「魚は魚でしかなく、パスタはパスタでしかない。一流の料理人を雇った方がどんな要望にも対応してくれると思いますけどね」
「ソレルのような大貴族なら可能だが、全員が幸せになる最善の方法とは言えない。しかし、『多数決』には秘められた可能性がある。具体的な例を挙げて説明しよう。僕とソレルは消費税を十パーセント上げることに賛成しているとする。マルクとナタリーは反対の立場を示しているとする。純粋な『多数決』を行えば議論は平行線を辿り、結論は一向に出ないままになってしまう」
「一方が『妥協』しない限り結論は出せないでしょう。政治家の腕の見せ所でもあります」
「もしソレルが消費税を五パーセントまでなら譲歩できる意思があり、反対の立場であるマルクとナタリーが消費税を下げれば賛成に回ることに同意した場合、増税法案は賛成多数で可決することになる」
「それが魚とパスタ、どちらかを決める解決策になるのですか?」
「ソレルは既に答えに辿り着いていたんだ。『妥協』こそが『多数決』を穏便に済ませられる切り札となる。そのためにはテーブルに座る四人が『妥協』できる境界線を探る必要があるんだが」
「そんなものがあるとは到底思えません。クルーデル先生は僕たちを買い被り過ぎです」
「『多数決』は賛成か反対の二択しかない。誰しも考えたことはないか?もし選択肢が複数あったら、自分の本当の意思に最も近い答えがあるんじゃないかって」
「えっ?」
「パスタであれば魚や野菜が入っていても気にならない。魚さえ入っていればパスタであっても米であっても選り好みしないとか。選択肢を増やした方が『妥協』できる部分が可視化され、一人の一人の要望も反映されやすくなるんだ」
マルクとナタリーの頭がやっと追いついて来たようだ。目を見開いて妥協案をソレルに提示した。
「実を言うとオレも魚は嫌いじゃないからな。臭いぐらいならハーブで誤魔化せるぜ。ナタリーは生魚が嫌いだから火を通せば大丈夫だろ?」
「先生が言いたかった選択肢って魚介パスタだったのね。あたしは臭いとか気にしないから、後はソレル君次第だよ」
ソレルは二人の予想外の反応にたじろぐ。
「ま、まあ。パスタはディナーで頻繁に口にしていたから厭きてしまっただけだ。クルーデル先生に僕の分のパスタを食べてもらえるのなら、二人の提案に乗ることにする」
「それがソレルの『妥協』するための条件だな?それでは『多数決』を取る!本日の昼食は魚介パスタに賛成の者は右手を上げよ!」
四人は真っ直ぐ右手を上げる。
全員一致で魚介パスタに決まった。
「――はいはーい!ボクはキノコパスタが食べたーい」
僕たちはギョッとした。
突然『多数決』に参加してきたのがガレスだったからだ。
「この人見たことあるぜ!」
「え~と、名前が出てこないよ。誰だっけ?」
「ガレス・プロシアデス様だ。国王陛下の長兄にあたるお方。しかし、どうしてあなたのような最上位の王子がこのような似つかわしくない場所にいらっしゃるのですか?」
三人がガレスに夢中になっている。やはり一国の王子は特別な存在なのだろう。
「それはね、ソレル・ノベルスが授業に参加してるか確認に来たのさ。でもみんなとは打ち解けているようだし、ミグレッタも肩の荷が降りて仕事に集中できそうだ。ボクの友人であるレノがいれば心配ご無用。教え子たちはなんでもレノに相談するがいい!ワッハッハ!」
この人は暇なのか?
早くキノコパスタ食って帰ってくれ。
「あっ、ボクは呑気にキノコパスタを食べに来たんじゃなかった。レノに頼みがあったんだ。業務が片付いたら王立図書館に来てほしい。探したい本があるんだけど資料が多すぎてね、仕事が捗らないんだよ」
「王立図書館なら僕の方が詳しいですよ?クルーデル先生に同行してもよろしいですか?」
「そりゃあ頼もしい!是非ともノベルス家の本の虫とも謳われるソレル君にもお願いしたい。じゃあ二人とも頼んだよぉ!」
おい!勝手に話を進めるな!
ソレルめ、先生を謀るとはいい度胸してる。教師を何だと思ってるんだ?
ああムシャクシャする!
腹一杯食ってストレスを発散するぞ!
魚をガレスだと思って頭からかぶりついた。