一仕事を終え息つく暇もなく、僕はガレスのいる王立図書館に向かった。
王国が建国される前から現存したとされる由緒ある図書館だ。伝統と文化が織り成す立体空間が肌に心地よく、読書家からの評価もすこぶる高い。
一足先に探し物をしていたガレスは床に本を乱雑に並べ、通路を練り歩く作業を繰り返している。
ソレルは気になる本があったのか探す手を止め見開き、また本棚に戻したりと本の虫と呼ばれるだけのことはあるようだ。
今三人で調べている本のテーマは『法曹関係』だ。ガレスが名前を思い出せないと言うので、大昔に編纂された本という手掛かりを頼りに細部まで見ていく。
「クルーデル先生、そこはもう調べましたよ」
本棚から顔を出すソレルは何だか嬉しそうだ。
仕事終わりで頭が回らない僕を気遣う様子はない。
あー、早く帰りたい。
「ごめんね、まだ業務に慣れてないのに呼び出したりしちゃって。ディナーはご馳走するからさ」
「ガレスは普段から図書館に入り浸っているのか?」
ガレスは掠れたような笑い声を出しながら困った顔をしている。
どうやらミグレッタの仕事を手伝っているようだ。僕の直感だが、ガレスとは世話を焼きたがる人間なのだろう。
「ミグレッタには色々助けてもらってるからね。ランシアの相談役も引き受けてくれてるから、本当なら隊長であるボクがやらなきゃいけないんだけどあまり気乗りしないんだよ」
「気乗りしない?」
「親友であるキミになら話してもいいかな。ボクは国王である父の息子ではある。だけど妃である母の子じゃない。腹違いの息子ってやつ。しかも実の母はキミと同じ平民。ビックリしたでしょ?」
兄妹そろって身分で差別するとは、王族教育は遅れているようだ。
ガレスは自身が妾の子であることに劣等感を感じている素振りを一切見せない。それどころか自由を謳歌しているようにも僕の目には映った。
「まあそんなんだから王位継承権がボクにはない。王族の縛りもないし、人目を憚らなくてもいいから気が楽で、これはこれで楽しいんだけどね」
「姫様を将来の国王にさせるためにガレスが汚れ役を引き受けていたのか。何も知らなかったから先入観を抱いていた。正直、王族に対する偏見もあったから自分の考えが甘かったと反省してる」
「そっか。キミは一番ランシアの気持ちを理解しようとしてくれていた。それだけで兄としての責務は果たせたのかな。妹の将来の花婿に相応しい男だよ、レノは」
「な、な、何バカなこと言ってんだ!?」
明らかに冗談だとわかっていたのに動揺して声を荒げてしまった。
図書館にいたことを忘れていた。
すかさずソレルから警告されてしまう。
「ソレル・ノベルスは人脈作りのためにボクたちに接触してきた。その見返りとしてキミの授業に参加するようお願いしたんだけど、今となっては余計なお節介だったね」
「教え子に大人の汚い部分や社会の闇とかに触れさせたくない。だからこそ政治を知ってほしいし、権力の正しい使い方も熟知してもらわなければならない。教師としての重責は社会の不都合な事実を教えた上で、教え子に同じ轍を踏ませないことだと思ってる」
「酷いなぁ。ボクをそんな風に見てたなんて。大人の汚い部分の塊とかキミとミグレッタぐらいだよ、そんな風に罵るの」
「悪い見本として優秀だ。ガレスみたいな生徒を教え子にしたくないけどな」
ガレスは唇を尖らせ書物を漁り始める。
ソレルがひょっこり現れ腕の中には一冊の本がある。
「ガレス王子、探していた本見つけました。これですよね?――『大憲章』」
「ああ!これこれ!流石だよ、本の虫君!たった十五分で堀当てるなんてレノの教え子に頼んで正解だったよ」
「モグラみたいに言わないで下さい。それにまだクルーデル先生の教え子になったつもりはありません」
「おやおや?きな臭い空気だぞ?ボクはおいとまさせてもらおうかなぁ?」
「親衛隊のお二方とランシア姫の慧眼が本当に正しいのなら、クルーデル先生の真の力をこの目で確かめたいのです」
「ふむ、レノの才能を確かめたいね。どうするレノ?」
「僕は僕のやり方で教鞭に立つ。認める認めないは生徒の権利だ」
「でしたらクルーデル先生が考える『法律』とは何ですか?」
秩序と規律を重んじるソレルらしい質問だ。捻った答えが必要かと勘繰ったが、ソレルの真っ直ぐな瞳を見て余計な思考は省こうと決めた。
「『法律』は積み重なった大地――つまり『地層』だ」
ソレルは沈黙を続ける。ガレスは椅子に座り頬杖をつく。
「小さな集落やコミュニティから習慣や文化が育まれ、集団としての結束が生まれると規律や秩序を求める声が出る。これが『法律』の原初となり拘束力に差異はあるものの住民が遵守すべき規範。『自然法』と呼ばれるものだ」
「『自然法』であっても、薬品の売買などの専門性が求められる行為によって人権が侵害されることを防ぐために『免許制度』などが必要になります」
「高度な文明が発達すると君主主導の国権の行使によって、税金の徴収など国民の生活に直結する法律制定が常態化する。これは『王権神授』に基づく考え方で、王権の絶対性によって国家運営が成されることを意味する。国民の権利は制限され指導者の意思決定によって経済は大きく左右されていくんだ」
「小さなコミュニティから大きな政府へと立法権が委譲される。地域から国家へと変化していく歴史の転換点とも言えます」
「更に時が進むと国民意識や民族意識が醸成され民主的な国家体制や選挙制度の確立などを望む声が広がる。君主が妥協して新たな『法律』によって国民を懐柔していくが、行き詰まりを見せると革命によって
「国民が民主的な政治を求めたとしても政府が武力で反対派を抑え込めば、テロが頻発したり、軍部が裏切る可能性もあります。こうなってしまうと国民にとって有益になるはずだった『法律』は国家にだけ有益になる『法律』として塗り替えられてしまうことになります」
「『法律』は歴史の積み重ねによって書き換えられていく。習慣から規則へ、規則から王権へ、王権から『法律』へ。これら一連の歴史の歩みは『地層』の一部でもあるんだ。『法律』がいくつのも層を形成し連なる。頑強な『地層』の上には法治国家が誕生し、治安が安定すれば国民の生活も向上する」
「軟弱な『地層』では国家が不安定になり内外の圧力を受けるだけで動揺してしまいます。内憂外患で身動きとれないのは大変危険な状態と言えます」
ガレスが手をパンと叩く。
「『地層』の上に国家が立つのなら、地震が起きたら崩壊するんじゃない?」
「地震は革命やクーデターに例えられる。しかし恐ろしいのは『地層』の内側だけでなく、外側にもあるんだ」
「外側?異常気象でしょうか?」
「そう。革命やクーデターには予兆があるが、いつ起きるかは予測できない。異常気象ならいつ来るかは予測できる。予測できる歴史的事実と言えば?」
「そうか!『戦争』だ!」
ソレルは声を張り上げたことに恥ずかしくなったのか咳払いをする。
「『戦争』の定義に宣戦布告がある。宣戦布告をするためには相手に最後通牒を突きつけなければいけないから、軍備を整え戦争計画を立てる時間がある。革命やクーデターは準備に限界があるから防ぎにくい」
「『法律』を『地層』に、地震を革命に、異常気象を『戦争』に例えるとは恐れ入りました。地球は人類が歩んできた生き証人なのでしょう」
「ちなみに『法律』に欠陥があるとマグマが吹き出て国民の生活圏を脅かす」
「社会保障や環境問題に関する法整備が不十分だとマグマによって『地層』が破壊されるということですね」
もういいだろう。疲れた。
今日は一日喋り倒した。こんなに話したのはいつぶりだろう?
「クルーデル先生の説明には知的好奇心をそそられません」
あっ、そうですか。
「ですが興味深く見守りたいと思います」
煩わしい口ぶりだな。反抗期の優等生は扱いが難しい。やっていけるのか不安になる。
「本の虫君、帰っちゃったね。結構気に入られたんじゃない?この面倒見たがりやめ!」
どの口が言う。
「もう一個お願いしようかな。最近ミグレッタの元気がないみたいなんだ。ボクとミグレッタが恋仲にあるんじゃないかとか庶民たちが噂してるみたいだし、機嫌を損ねちゃったんじゃないかと心配なんだよ。『商人や平民は噂を主食にしてランチをする』って揶揄されるぐらい風聞を広めたがるからね」
「ガレスの方がミグレッタのこと理解してるはずだし、話を聞く時間もなさそう。僕よりも話ができる人物が他にもいるんじゃないのか?」
「ミグレッタは人に弱みを見せないし、上流階級一の頑固者だって誰もが口を揃えるぐらいだからね。ランシアに聞いても女同士の会話に水を差すなって釘を刺されてるんだよ」
王族なのに邪魔者扱いされているのか。
それはガレスの性格に問題があるのでは?
「時間ならどうにかなるかも。レノは明日休みだったよね?それなら明日の夜に王宮のテラスにでも呼び出すからあとよろしくー」
勝手なことを抜かすな!
人の休みを潰しやがって!
くそッ、バカ王子!
……
そういえばディナーを奢ってくれる話はどこいった?