ポケットモンスター虹 ~Raphel Quartet~ 作:裏腹
灰色に覆われる、空。突き刺すように降り注ぐ白雪と、水晶のような氷。
何も知らなければ綺麗だろう。美しい、と観測者は言うだろう。
ここが人の住めない星だなんて、気付かなければ。あらゆる生命が死に絶え、呼吸の止まった世界だなんて、わからなければ。
ただ一つ残った命――無を司る灰の竜が、凍り付いた大地で蠢き、宙空に向かって咆哮を上げた。
「……ッ」
ずきり、と瞳の奥が痛んで、たまらず目を閉じた。
水晶が見せる未来は、丸く柔らかな形状に反して、今日も今日とて辛く、厳しく、恐ろしい。
ショッキングな映像に意識をやられかけ、眉間に手をやる占い師。今に始まったことではないというのに、と独り言を漏らし、俯いた。
苦しげな主を思い遣り、ゲンガーは宿っていた水晶から現れ出た。
霧状の姿から本来の姿形を取り戻し、そっと占い師――サーシスに寄り添う。
「すまぬな……、心配ない。ありがとう」
荒い呼吸を整え、流れた冷や汗を拭いながら、への字に口を曲げたゲンガーを撫でた。
幼少の折、力を習得したその時から、長らく見せられ続けているラフエルの未来。その景色。
灰色のドラゴンが無尽蔵の冷気を以て全てを無に帰し、文明が、森羅万象が凍り付いていく。
有り体に表現するならば、それは世界の滅亡だった。
何かが変われば――――そんなことを漠然と思いながら未来を占い続けて、一五年が経つ。観測結果は今日も変わらず。
「孤独なものだな――、残ったのも我だけときた」
この未来を知っているのは、自分だけ。伝える相手も居はしない。まして相談だって。
サーシスの家系も、このラフエルの地、及び英雄ラフエルと無関係ではない。
代々、彼ら英雄の民に仕え、この世界の吉凶を占ってきた。のだが――。
『ラフエルを去るというのは、どういうことですか、父上』
『お前も、あの光景を見ただろう。終わりの時だ。英雄の加護は消え失せ、形骸化した伝説だけが残った。それだけのことよ』
『では、これまで彼らに受けた恩も、一族の誇りさえも忘れ、この地を捨てるということですか』
『サーシスよ、我ら“プリンシヴァル家”は
『非力であることは、逃げることの理由にはなりません』
『サーシス、愛しき私の一人娘よ。どうかわかってくれ。我らは、築き上げた我らの栄華を、そして紡いだ未来を、失いたくはない』
『……――――良いでしょう』
一族は現当主の彼女を除き、皆その滅亡の未来から逃げるように、ラフエルを立ち去った。
ただ『未来は変えられないのだ』とだけ、言い残して。
視た以上の責任、先見したが故の義務――彼女は自らの意志で、一族とは異なる道を選んだ。
それが、苦難を伴うものと、知りながらも。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
わかっている。自分で残るという決断をした。何も後悔はない。
「お待たせ致しました、そらのはしらパフェ・メガレックウザエディションでございます。ごゆっくりどうぞ」
けれども疲れることはあるし、それでたまっていく鬱憤を解消することは許してくれ、と毎度のように思う。
ラジエスシティ、港沿いのカフェ。ストレスが溜まってしまった時は、いつも此処で巨大パフェを頬張るのが、サーシスの密かなルーティンとなっている。
仏頂面というのか、愛想の無い表情で黙々と食べ進める姿は、人目からではとても楽しそうには見えないが、本人にしてみれば、これ以上ないリフレッシュで。
「……ふむ」
生クリームとアイスクリームを一緒に味わったり、フルーツとプリンを同時に口の中で転がしてみたり。
大きくとも飽きの来ない味に、思わず夢中になってしまう。内心で何度おいしい、と唱えたかわからない。
「もぐ、もぐ」
「サーシスさん」
「もぐもぐ……」
「あの、サーシスさん」
「もぐ、もぐ、もぐ……」
「サーシスさん!」
口の周りにホイップの欠片。このような姿、彼女のプライベートを知らない者が見れば、さぞ珍しがることだろう。
「なんだ。今、取り込み中――――!」
少なくとも、
「サーシス、さん……?」
ラジエスシティのジムリーダー、ステラは、そうであった。
「奇遇ですね、私もここをよく利用するんです」
「……誰も聞いておらん。というか、勝手に相席するな」
「まあまあ、そうおっしゃらずに! せっかくこうして休日にお会いできたんですし」
ふう、と、ため息まじりにスプーンを咥えながら、窓の向こうを横目で見やる。
一人の休日がよかったのだがな……とまでは、この屈託のない笑みを前にして、言葉にはできなかった。
ステラはしぶい顔で応対するサーシスをよそに、パンケーキを食す。
「ん、おいひぃ~……っ」続けざまに見える幸福度高めの表情に、自分も、もしかしてこんな間抜けな顔をしてパフェを食べているのか――なんて、コーヒーを嗜んで考えるサーシス。
「ふう……お買い物は、されましたか?」
「無論だ。そのために来た」
「雑貨屋の“チェリムセレクト”は品揃え豊富で、おすすめです」
「部屋で焚く香を買った」
「む……最近できたアクセサリショップ“フワール・デ・アンシー”は、手ごろなものから高級指向まで売っていて、多くのユーザのニーズに応えています」
「新しいピアスと指輪とブレスレットを購入した」
「さすがです。では、お花屋さんの“フラージェス・フランジェ”は」
「飾るものを注文済みだ。明後日に来るよう配送手続きをした」
「……しっかり女性らしいことをしている……」
「どういう意味だ!」
口元に手をやり、大真面目な面持ちで思考していたあたり、素で驚いていたのだろう。
「ごめんなさい、サーシスさんのこと、あまり知らなかったものだから」
両手を合わせた謝罪のジェスチャーと、ばつの悪そうな苦笑。ただただ調子が合わないだけだから、立てかけた腹を起こすのも馬鹿らしくなった。
「……呑気なものだな」
「?」
嗚呼、本当に呑気だ。自嘲も込めた呆れ顔。
明日、明後日ではないにしろ、遅かれ早かれ起こる出来事を何一つ知らないでいる。
誰も彼もが、銘々に、ただの日常をなんとなく生きている。当然、目の前で小首を傾げる修道女だって。
私も、そちら側ならばな――そんな可能性の話に、密かに花を咲かせて。そうして吹き飛ばす。
「――例えば。そう遠くない未来に世界が滅ぶとして、お前は何ができる?」
柄にもなく、文脈の繋がらない会話をして。じ、とその碧眼を見つめてみたりなんかして。
何をしているのだろう。気でも触れたか。大馬鹿だな。
「……戯言だ。何でもない、忘れろ」
早急に自戒して、言葉を引っ込めた。
「この後、お時間はありますか?」
それがもう遅いと気付いたのは、あまりにへたくそな、目の逸らし方をした瞬間のこと。
にらめっこから逃げなかったステラは、パンケーキをぺろりと平らげると、残りの紅茶を飲み干して、おもむろに伝票を手に取った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「どこへ行く?」「いいから、いいから」そんなやり取りを挟んでサーシスが連れられたのは、ラジエス大神殿。
荘厳な佇まいにおずおずとしながら足を踏み入れれば、柔らかな明かりに照らされた広大な空間が迎え入れてくれる。ステンドグラスで彩られた廊下を通り抜け、着いた先は大広間。
レシラムとゼクロム、そしてラフエルの像が鎮座し、二人を無音と共に見つめている。
「……なんだ、これは?」
「何、って、ラジエス大神殿ですよ?」
「ではない。我を此処に連れてきた意図を答えよと言っている」
「『未来に世界が滅ぶとして、何をするか』――問いに対する私の答えが、これです」
「『ただ祈る』――と?」
「はい」
サーシスは呆気に取られた。あんな寝言じみた問いかけを大真面目に捉えて答える、というのもそうだが、何よりも、
「神頼み、か」
「ええ。私の本分でもあって……英雄神ラフエルは、お嫌いですか?」
「
拍子抜け、だった。特段、何かをできるとも思っていなかった。
ただ、勝手に期待をしていただけで、そんな自分にも嫌気が差して。
「もしそれが本当だったとして――きっと、その時が来るまでは、何もできないです。私たちはみんなみんな、ちっぽけですから」
「無力故、何もしない、か」
「この世に、無力な者は存在しません。少なくとも、信ずる力は誰しもに宿るものですから」
「世迷言だ」
「いいえ。私はいつでも、
世迷言、戯言、譫言……横顔から向いた面持ちは確かに柔和なのだが、不思議と、否定の言葉を跳ね退ける強さを見て取れた。真面目に馬鹿を言っている、と表すのが、最も正しいのか。
「避けられるかもわからない大局にまで、思い巡らせなくともいい。ただ、一緒になって『明日はいいことありますように』なんて思ってみるだけでも、世界は違うものになるかもしれません」
「平和な奴だな……」
「よく言われます。でもきっと、ほんとは平和がいいんです。笑っているのが、一番なのです。あなただって」
「おい、触るな! や、やめろ!」
「あら、とても素敵な笑顔ですのに」
両頬に人差し指を当てられ、口角を吊り上げられる。ステラもステラで、柄にもない悪戯をして、少女のようにくすくすと笑っていて。
「先を気にするのも、いいけれど……現在を疎かにするほど見つめてしまうと、疲れてしまうわ」
「もっと楽にしろ、と言いたいのか」
「ええ、その通りです。だって未来が変えられないだなんて、誰も言ってませんもの」
サーシスは、は、と短く息を吐いた。
これまでの占いが、偶然すべて当たってきただけで――この先も当たるだなんて証明は、誰にもできない。囚われの使命に追われるばかりで、そんな簡単なことも失念していた。
そうだ、思い出した。私はなんでもない、小さきものだ。
「それに、私たちはちっぽけだけれど、孤独じゃない。いつでも誰かと繋がって、何かを為している。ラフエルが沢山の人やポケモンと、この地を創り出したように」
が――――それでいい。それがいい。
一人じゃない。馬鹿馬鹿しくなるほどにおめでたい聖女の笑顔が、そう言っている。
頭蓋の中でずっとかかっていた靄が、晴れた気がした。
背負ってばかりじゃ重すぎる。抱えすぎると転んじゃう。分かち合う仲間は、周りを見ればちゃんといて――。
「……フン。わかりきった事を。我が斯様な道理に、気付かんとでも思うたか」
「ふふ、だから悩んでいたのではないのですか?」
「馬鹿者が、悩んでおらぬわ。一言も言っておらん」
「あらあら。では、そういうことにしておきましょうか」
「まったく忌々しい奴め! バトルの申し出ならば受けて立つぞ!」
「はいはい、まずはお祈りしましょうね。神殿内ではどうかお静かに」
「子供扱いするでないわ!」
この地は、一色だけではないから。自分だけのものではないから。
様々な人の色が乗った、みんなの世界だから。
虹の大地は、諦めるほど沈んではいない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
灰色に覆われる、空。突き刺すように降り注ぐ白雪と、水晶のような氷。
凍てついた大地の上で佇む凶獣に、立ち向かう影あり。
其の者、虹の光携え、止まりし時の中、唯一人、鬨の声上げる。
理想と真実を司りし二体の聖獣従え、世を蝕む虚無、焼き払わん――。