第七十一話を投稿いたします。
第七章の始まりとなります。
第七十一話
ネフテス総軍『災厄撃滅艦隊』第三支艦隊旗艦『ヘカート』号の主砲から発射された『第三世代型精霊石多弾頭砲弾』、通称『メジート砲』が、浮遊大陸におけるブリミル教最古の聖地聖オーガスティン修道院を跡形もなく消し飛ばした瞬間から遡る事、三日―
アルビオン大陸から東方に数百リーグ離れた場所に位置する、ネフテス水軍の根拠地ガリポリス軍港。海軍と空軍の分化が曖昧なハルケギニア各国の軍隊とは異なり、ネフテス軍は海上軍務を担当する水軍と航空軍務を担当する空軍とに明確に分けられている。往々にして指揮系統の全く異なる軍組織は対立するものだが、世界を管理する崇高な種族たるエルフであってもそれは変わらない。
「いや、正に壮観、ですな」
特に近年はネフテス水軍の上層部から末端に到るまで過激な思想が浸透したこともあり、水軍と空軍の対立は決定的と言っても過言ではなかった。
「此度の遠征に動員されるフネは水空合わせて一千を超えますからな」
軍港の中枢たる司令本部の閲兵展望台に水軍と空軍の重鎮が顔を揃えるなど、あり得ないはずだった。
「伝説の彼方から這い出てきた『災厄』を文字通りに『撃滅』せしめる為にはこれでも不足ではありませんかな」
まして、水軍と空軍に所属する艦艇の実に八割強がガリポリス軍港に集結するなど前代未聞の出来事である。
「なんの。その為の『第三世代型精霊石兵器』ではありませんか?」
目の前で意見を交わす水軍と空軍の首脳陣を睥睨する様に最上段の席に陣取っていた壮年のエルフが、立ち上がりつつ言った。
「必要なモノは全て揃えた。後は、断固たる意志を以って実行に移すだけだ」
そのエルフの名は、エスマーイル。エルフの氏族共同体ネフテスを構成する部族の一つ、ダダ・ラーイン部族の族長であり、老評議会カウンシルを束ねる上席評議員に名を連ね、さらには対蛮族強硬派の集団『鉄血団結党』の党首を務める男である。
「皆が総司令からの御命令を心待ちにしております」
「うむ」
そして、エスマーイルはネフテス最高指導者たる統領テューリュークから直々に『災厄撃滅艦隊』の総司令職を拝命していた。本来、カウンシルの上席評議員は軍部の指揮権からは距離を保つ事を求められるが、全世界規模の危機『災厄』の復活が危ぶまれる状況下においてはやむを得ない特例としてエスマーイルの人事案は評議会の賛成多数で可決された。
「災厄撃滅艦隊総司令エスマーイルである。今日この場に集った全ての者たちに告げる……君たちは、英雄である。六千年前、この世界を襲った『大災厄』に挑み、多くの犠牲を払いつつも、これを撃退した伝説の『大同盟』に勝るとも劣らない英雄である。そんな英雄達に多くを語る必要を私は感じない」
一呼吸置いたエスマーイルが右腕を差し出し、凛とした声で命じた。
「現時刻を以って蛮族域侵攻作戦『アルアンダルス』を発動する。諸君らの奮戦に期待する」
ガリポリス軍港司令本部閲兵展望台より数百メイル、コルドバ水軍後方支援基地――
一千を超える鯨竜船と竜曵船がハルケギニアと呼ばれる蛮族域へと出撃していく様子をガリポリス軍港のニ十分の一以下の規模しかない支援基地の司令部から見送るエルフがいた。
「私には……止められなかった」
そのエルフの名は、ビダーシャル。エルフの氏族共同体ネフテスを構成する部族の一つチャダルル部族の族長であり、老評議会カウンシルを束ねる上席評議員に名を連ね、さらには蛮族対策委員会の長を務めていた男である。さらに、ほんの一ヶ月前までは災厄撃滅艦隊副司令の職をも拝命していた。それ以外にもカウンシルの実力者たる彼には多くの肩書きがあったが、イスケンデルン空軍基地でしでかした不祥事の責任を取る為に災滅艦隊副司令を含む全ての役職を自ら辞したのだった。
「司令、何か仰いましたか?」
「いや……当基地の支援体制に問題はないかな?」
「はっ、問題ありません! 即応体制は万全であります!」
基地司令の独り言に反応した幕僚に当たり障りの無い返しをするビダーシャル。今の彼の肩書きは、『災厄撃滅艦隊本営艦隊旗下第四後方兵站旅団司令』でありコルドバ基地の司令も兼務していた。氏族共同体の総力を挙げての戦いを前に能力も人望もある人材を遊ばせるわけにはいかない、という老評議会の判断であった。
(今の私に出来るのは、この戦争の行く末を見守る事だけか。だが、ルクシャナ、アリィー、お前達の無事を祈る事は許されるはずだ)
「頼むぞ、ラーイド」
基地司令の二度目の独り言は、忙しく軍務にあたる幕僚の耳には届かなかった。
災厄撃滅艦隊出撃から三日後、アルビオン大陸の北方ダータルネス市街―
街は大降臨祭の一般祭祀に沸き立っていた。ダータルネスのさらに北に位置する聖地では、お偉方がお堅い限りの祭祀に勤しんでいるだろうが、大多数の市民や低位の貴族達は街で開催される派手なパレードや敷居の低い晩餐会、舞踏会に夢中であった。
そんな街の片隅でとある一団が休憩を取っていた。色とりどりの仮装に身を包んだ少年少女達、その付き添いと思しき二人の女性、そして見上げるような亜人仮装を纏った従者らしき者。普段の街並みで見かければ、違和感しか感じない集団も大降臨祭真っ只中にあってみれば誰一人気にも留めていなかった。
「ま、まもなくやってくるって、どういう事なんだい? さっきの地鳴りと関係あるってのかい?」
「無関係では、ない」
二人の女性の片割れ、土くれのフーケが自身に背を向けた亜人仮装の従者たる長身異形の亜人セルに問いかけるが、亜人の返事ははっきりとしない。
「あー!? ホビーがあたしのバノックとった!」
「むぐむぐ、シェリーのこしてたじゃないか」
「のこしてない!」
「はいはい、私のをあげるから喧嘩しないで」
子供達の諍いに笑顔で仲裁に入る、もう一人の女性。ハーフエルフにして虚無の担い手たるティファニアである。自らが仕える主であり、愛すべき妹でもあるテファに視線を走らせるフーケ。
(いい加減この亜人野郎を出し抜く方法を考えないと……)
自分を主だと嘯く長身異形の亜人に視線を戻したフーケは目を剥いた。
「なっ!?」
不格好なトロール鬼の仮装に身を包む亜人の前方に巨大な鏡のようなゲートが出現していたのだ。
キンッ
次の瞬間、澄んだ音と共に亜人とゲートは、消えた。
(い、今のは『サモン・サーヴァント』のゲート? じゃ、じゃあ、あの亜人野郎がどこかの誰かさんに召喚されたってことか)
「あれ? 姉さん、セルはどこ?」
子供達の仲裁を終えたテファが首をかしげながら近づいてくる。子供達は先ほど特設市場で山盛りに買い求めた降臨祭限定の焼き菓子に夢中だった。
(ど、どうする?)
フーケの脳裏を数多の可能性が閃いては消えていく。長身異形の亜人セルは、このハルケギニア大陸に四体存在している。各々を不倶戴天の仇と見なしており、自分以外の三体を吸収し『真のセル』に進化する事を究極の目的しているという。その手段として大陸四王家に発現する『虚無の担い手』の使い魔となる為に自分やテファに付きまとっているのだ。
(あの野郎が召喚されたなら、四王家の虚無の担い手の誰かって事になるが)
『虚無の担い手』は各王家に一時代一人ずつしか発現しないという。
(トリステインは、あのルイズっていう小娘だがすでに別の亜人野郎を使い魔にしてる。ガリアは新しい女王が担い手でしかも亜人野郎も傍についてるって話だから違うだろう)
そして、アルビオンの担い手はフーケの目の前に居るティファニアである。
(単純に考えれば、残るロマリアの担い手が召喚したって事だろうな)
自分達に憑いていた亜人が図らずも目的の一つである『虚無の使い魔』となったであろう事を悟ったフーケは安堵を感じた。
(まさか、勝手に居なくなるなんてね。案ずるより産むが易しってかい)
「姉さん?」
「ああ、今、説明するよ。えらい込み入った話でね」
フーケはティファニアにセルと出会ってからの出来事を掻い摘んで話した。
「……という訳であいつはあたしの使い魔なんかじゃあなかったのさ。大方、テファの『虚無』を手に入れる為にあたし達にごますってたんだろうよ」
「セルが姉さんの使い魔じゃないっていうのは薄々判っていたわ」
フーケの説明を聞き終えたテファが難しい顔で答えた。
「はっ、さすがテファだね。亜人野郎の芝居なんて最初っからお見通しだったんだね」
「……でも、セルはどうしてこんな回りくどい方法を選んだのかしら?」
「回りくどい?」
「だって姉さんも知っているでしょ? セルの力は」
「そりゃあ、まあ、ね」
「セルにその気があるなら、姉さんや子供達を人質にして私に使い魔召喚を強制すればいい。多分だけど、私の『虚無』もセルには通用しないと思うの。わざわざ時間をかけて私達と仲良くなる必要なんてないわ」
ゾッ
テファの言葉を聞いたフーケの全身が総毛立つ。
(確かにそうだ。あいつが居なくなって、よかったよかったなんて考えている場合じゃない。あいつの目論見はまるで読めていないし、その上、今の状況は……)
フーケことマチルダ・オブ・サウスゴータは、『土くれのフーケ』の名で各国で指名手配を受けている盗人である。テファことティファニア・テューダーは今は無きアルビオン王国王弟モード大公の遺児であり、ハーフエルフにして『虚無の担い手』である。二人ともに大都市を大手を振って歩ける身分ではない。長身異形の亜人が姿を消したとなれば、彼女達は自分の身を自分で守らなければならない。
「子供達も一緒だし、それにあのエルフの二人も」
「ここにいるわよ」
テファの言葉に応えるような声に一斉に振り返るフーケとテファ。その視線の先には、これまた派手な仮装に身を包んだ三人の人物が立っていた。
「あんたら……」
「やっぱり、こっちの本体の亜人が居なくなっていたのね」
身構えるフーケを尻目にさっぱりとした口調で話すルクシャナ。アルビオン貴族の子女に好まれている妖精の仮装をしているが、れっきとしたエルフ族であり、ネフテスの文化探求院に所属する民俗学者でもある。
「これで僕たちの安全も確認できたね」
ルクシャナの隣でイーヴァルディの仮装を居心地悪そうに身に着けているのがアリィー。ルクシャナの婚約者であり、ネフテス最高意思決定機関老評議会直属の騎士『ファーリス』の称号を持つエルフの戦士である。
「ルクシャナ様、アリィー殿、お気が済みましたなら、私と共に直ちにネフテスへお戻りを。さもなくば御命に関わりますぞ」
二人の後方に控えていたコボルト鬼の仮装を纏ったエルフの名はラーイド。ネフテスの実力者にしてルクシャナの叔父であるビダーシャルの裏の腹心である。
「ラ、ラーイド老、それは一体どういう」
「……それは構いません。ただし、彼女たちも一緒にお願いします」
「ルクシャナ! 何を考えてるんだ?」
「蛮族どもを連れ帰ると? 目的が見えませぬな……むっ!?」
その時、ラーイドがフードを捲っていたティファニアの容姿を目にした瞬間、彼自身も思いもよらぬ名前が口を突いて出た。
「シャ、シャジャル様!?」
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