第七十五話を投稿します。
アルビオン大陸の北の玄関口、港湾都市ダータルネスに向かう諸国艦隊の内、トリステイン艦隊の旗艦『コンスタンティン』号の王家専用貴賓室。その内装は古トリステイン様式を基本に贅を凝らした意匠が施され、女王の座乗艦として相応しい荘厳さに仕上げられていた。つい先ほど、諸国艦隊全てに到達した衝撃波も長身異形の亜人の念動力によって軽減され、室内の各所を飾る国宝級の調度品にも被害はない。だが、室内に居る人々にとっては正にそれどころではなかった。衝撃波の到達後に突如、出現した一人と一体にその視線は引き寄せられていた。最も大きな衝撃を受けていたのは、女王の背後に控えるトリステイン王国宰相にしてロマリア宗教庁司教枢機卿たるマザリーニ・ド・リュクサンブールであった。
(な、何故だ、ヴィック。何故、おまえが長身異形の亜人を、セルを従えているのだ? まるで、『使い魔』ではないか)
教皇ヴィットーリオ・セレヴァレが従えている『虚無の使い魔』は、ロマリア宗教庁の助祭枢機卿であり、宗教庁の暗部『教皇の手』を束ねる『月目』の少年ジュリオ・チェーザレである。数刻前に教皇と助祭枢機卿に直接対面した特務官からの報告にもあった通りだ。だが、目の前に瞬間移動によって現れたヴィットーリオの背後に少年聖職者の姿はない。
(ヴィックよ、おまえは、まさか、『力』の為に……その為に自らの使い魔を手にかけたというのか)
ルイズからの報告によって、教皇が『世界征服』を目論んでいる事を知った時も表情を変えなかったマザリーニに深い悲嘆の感情が浮かぶ。かつて、我が子とまで慈しんだ聡明な少年の変貌に耐えられないかのように。
「……先触れも無く、高貴なる女性の居室への突然の訪問。ご無礼をお許しください、マリアンヌ陛下」
当のヴィットーリオは、至尊の教皇冠を被った頭を深々と下げ、本来であれば格下にあたる暫定女王に謝罪した。
「め、滅相もございませんわ、教皇聖下!」
当惑しつつも、大陸の最高位権威者の謝罪を受け入れるマリアンヌ。
『……ちょっと、セル。あんた、聖下に何を吹き込んだのよ?』
室内の簡易玉座に座すマリアンヌとその背後に控えるマザリーニ。大降臨祭における顛末を報告する為に貴賓室に赴いたルイズとセルは下座におり、その間にヴィットーリオともう一体のセルが出現した格好になっていた。自身の背後に控える使い魔に念話を送るルイズ。セルも間髪入れずに答える。
『私が教皇に伝えたのは、この世界には『セル』という名の長身異形の亜人が四体存在し、内二体が虚無の使い魔となっている事だけだ』
亜人の使い魔はいけしゃあしゃあとのたまった。
『事前の打ち合わせ通りに、な』
教皇との謁見を前にルイズらは長身異形の亜人の情報について全てを一度に相手側へは伝えず、ヴィットーリオらの反応を確認してから、『セル相互抑止』を含む全容を伝達する案を考えていたのだった。
『じゃあ、なんで聖下が『セル』を従えているのよ! しかも、あの『セル』、アルブレヒト閣下についてたセルとも違うヤツじゃない!』
『ほう、一目で見抜くとは。さすがはルイズ、我が主よ』
ルイズは、ヴィットーリオが従えている『セル』がすでに虚無の使い魔となっており、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世に従っていた『セル』とは別個体である事を本能的に察知していた。亜人の使い魔の賛辞は本心からであったが、ご主人様は念話で激高した。
『しれっと言ってんじゃないわよ! 聖下がジュリオ枢機卿を殺害してしまったって事でしょう!』
『大きな問題かね?』
『うっ!そ、それは……』
セルからの質問の返答に窮するルイズ。事前の打ち合わせの段階でも、セルの真の力を知ってしまった教皇の暴走は懸念されていた。その時点では、ルイズとしても教皇が使い魔を手にかけるような事態になれば、そのように誘導してしまった自分自身への罪悪感と嫌悪感に苛まれる事を危惧していたが。
(……正直、自分でもここまで、『何も感じない』とは思わなかったわよ)
念話ではなく、自身の心の内で独り言ちるルイズ。
(私、自分で思っていた以上に、セルを傷付けられた事、許せなかったみたい)
殺人を教唆する罪悪感や嫌悪感よりも、自らの最も大切な存在を損なった者たちへの憤怒と憎悪が勝っていた事を諦観と共に僅かな誇らしささえルイズは感じていた。だが、長身異形の亜人は。
(ルイズが受けた衝撃は思ったよりも小さい、か。我が主の心は私が想定していたよりも強靭であったな、フフフ)
究極の人造人間たるセルは、自身の欲の為だけに動いている。必要と判断すれば、どのような嘘であろうと口にし、いかなる空約束も厭わず、あらゆる倫理に縛られる事はない。
「……ルイズ殿とその使い魔によって、私の夢想、妄想は打ち破られました。本当に、私は何も理解していなかったのです」
少女と亜人が念話と内心で葛藤と推測を繰り広げる間、教皇は自らの不明を恥じ、悔恨の言葉を口にした。
「全てを失った私は、自らの使い魔をも手にかけ、さらには自刃を果たすつもりでした。その時、エルフの攻撃が聖オーガスティン修道院を襲ったのです。修道院と共に消滅するはずだった私を、ここにいる長身異形の亜人が救いました」
背後に控える亜人を振り返るヴィットーリオ。もう一体の亜人の使い魔からは如何なる表情も読み取れなかった。
「長身異形の亜人『セル』から、『セル相互抑止』について聞かされた私は、遅まきながら決断しました」
出現から初めて、マザリーニに視線を向けたヴィットーリオは異様な輝きを放つ双眸のままに言葉を発した。
「私、ヴィットーリオ・セレヴァレは教皇位より退位いたします。今の私に、いや、そもそもこの私などにその資格はなかったのです。そう、マザリーニ猊下こそ、至尊の教皇冠を受けるに相応しい」
「ヴィットーリオ聖下!」
それまで教皇の言葉を聞くに任せていたマリアンヌがその言を遮る。
「暫定女王などという不確か極まりない地位に座する一人の女が諫言申し上げます」
そして、毅然とした表情で告げた。
「教皇位とは、そこまで重さを持たぬ軽い存在ではないはずです。聖下がいかなる艱難辛苦の果てに『世界征服』を望まれるようになられたか、私如きには察する事さえ出来ません。ですが、教皇たる聖下の存在に多くの人々が心救われ、あらゆる希望を託してきたはずです。その全てを捨て去るなど、例え始祖『ブリミル』が許しても、この私、マリアンヌ・ド・トリステインが決して許しません!」
戦乙女の咆哮すらも彷彿とさせるマリアンヌの怒号にマザリーニは落涙を堪えた。
(マザリーニ! この見た目以上の老い耄れめ! 自分が何者か思い出せ!)
自分が混乱してどうする。宰相として王家を支える。それ以外の事などすべて些事に過ぎない。マザリーニは自らを叱咤した。
(陛下……)
ルイズもまた、自身が仕える女王の獅子吼に酔いしれていた。そして、長身異形の亜人も。
(さすがはアンリエッタの母。トリステイン王家に連なる女は強い。故にこそ『スペア』としての価値がある)
暫定女王の言葉を受けた教皇聖エイジス三十二世は、異様な双眸の輝きを僅かに抑えると言った。
「……返す言葉もございません」
「トリステイン王国暫定女王マリアンヌ・ド・トリステインが、ロマリア宗教庁教皇聖エイジス三十二世聖下にお尋ねいたします」
落ち着いた声色に戻ったマリアンヌがヴィットーリオに訊ねた。
「聖下の今の『目的』は、『世界征服』ですか?」
「……」
ドンドンドンッ!!
暫定女王の問いに教皇が口を開きかけた、その時、貴賓室のドアが激しいノックと共に開け放たれる。トリステイン近衛騎士が転がり込む様に入室し、大音量で告げた。
「ご、ご報告申し上げます! 艦隊殿軍のゲルマニア艦隊が、え、エルフ艦隊との戦端を開いたとの事であります!」
大陸最強を標榜するゲルマニア帝国の最精鋭艦隊、皇帝艦隊『カイゼル・フロッテ』の旗艦『ヒルデ・ブランド』号の第一主砲塔から発射された『結晶砲弾』は、ネフテス災厄撃滅艦隊第二支艦隊に着弾。深紅の爆光球が数十隻の艦艇を瞬時に蒸発させた。
「観測小隊より、弾着観測報告です。敵艦隊左舷艦艇の六割強の消滅を確認、残りは大破以上の損傷を確認……」
『ヒルデ・ブランド』号の艦橋指揮席にて、結晶砲弾着弾による敵艦隊の観測報告に耳を傾ける皇帝アルブレヒト三世。その背後には、例の如く長身異形の亜人が控えていた。
「ふん、上々だな。たった一発の砲弾で、耳長どものフネを百隻近く沈めるとはな」
「敵艦隊中央を狙えば、ほぼ殲滅出来たはずだが?」
亜人の問いに振り返らずに答えるアルブレヒト。
「貴様の言だぞ。この艦隊戦は我がカイゼル・フロッテの初陣に相応しいとな。その記念すべき初戦を怪物由来の砲弾一発で終わらすなど無粋の極みよ」
自身の外套を翻した皇帝が威厳を込めた声色で号令を発する。
「カイゼル・フロッテ全艦に伝達! 単縦陣にて敵艦隊左舷に突撃せよ! 各艦、左舷戦列砲群に『徹甲弾』を装填!」
「カイゼル・フロッテ全艦に伝達! 単縦陣にて敵艦隊左舷に突撃せよ! 各艦、左舷戦列砲群に『徹甲弾』を装填!」
皇帝の勅命を麾下の艦隊司令が復唱する。ハルケギニア各国における艦砲は、前装式のカノン砲が一般的であったが、カイゼル・フロッテに所属する艦艇には後装式ライフル砲が搭載されており、砲弾に至っては原始的ではあるが『徹甲弾』を装填可能としていた。中世レベルの工業力では開発・製造は非常に困難であるはずだが、これも長身異形の亜人によるブレイクスルーであった。だが、セルは武装については技術供与を行ったが、戦術については、これをあえてアルブレヒトには与えなかった。その為、皇帝艦隊カイゼル・フロッテは、革新的な武装を擁していながら、戦列艦による単縦陣を基本戦術としていた。
「閣下! 観測小隊より報告です! 『本艦左正面に敵旗艦発見せり!』」
「今日、最初で最大の獲物というわけだな!」
観測小隊が発見したのは、災厄撃滅艦隊第二支艦隊の支旗艦『へカート』号であった。結晶砲弾の爆光球からは距離があった為、蒸発や大破は免れたものの船体各所に損傷を受け、戦闘機動はおろか、まとも航行すら覚束ない有様であった。直掩の艦艇との連携すら取れない死に体の『へカート』号に皇帝艦隊十三隻による単縦陣が迫る。
「全艦! 我が『ヒルデ・ブランド』に続け!」
最大戦速の『ヒルデ・ブランド』号が左舷戦列砲群の射程に『へカート』号を捉える。
「撃てぃ! 撃ち尽くすまで撃て! 傲岸不遜な耳長どもに我らの力を思い知らせるのだ!!」
この時ばかりは皇帝アルブレヒト三世も、背後に控える長身異形の亜人の真意や『虚無の使い魔』として亜人を従える各国首脳の思惑といった雑念を振り払い、過去幾度も煮え湯を飲まされたエルフ族への報復の歓喜に酔いしれていた。『ヒルデ・ブランド』号及び直掩艦から放たれた『徹甲砲弾』百十六発の内、八十八発が『へカート』号に着弾。災厄撃滅艦隊第二支艦隊の支旗艦は文字通り、木っ端微塵となった。さらにカイゼル・フロッテは敵艦隊をこれまた縦に強行突破し、近接する敵艦艇に砲弾を叩きつけ続けた。
(結晶砲弾無しでも、個々の艦艇の性能と火砲の威力で耳長どもを凌駕せしめる……我が父祖らが数百年かけても叶わなかった悲願をこうも容易く果たせるとはな。長身異形の亜人、『セル』、その存在はあまりに脅威ではあるが、有用でもある。ヤツも我らを利用している。ならば出来得る限り、余も利用するまでよ)
今更ではあるが、長身異形の亜人の扱いを誤れば世界が滅びる。アルブレヒトは全身が総毛立つのを感じた。
結晶砲弾に加え、艦隊単縦陣による強行突破砲撃戦の結果、皇帝艦隊カイゼル・フロッテは僅か十三隻で、十倍以上の戦力を誇る第二支艦隊に壊滅的打撃を与えた。それでも総数百六十隻に及ぶ第二支艦隊の残存艦は三十隻を超えていた。特に結晶砲弾着弾点から最も遠い艦隊右舷の艦艇は損傷も少なく、『へカート』号轟沈後に直ちに指揮系統を整え、カイゼル・フロッテの単縦陣最後尾の艦艇に砲撃を加えてきたのだ。
「観測小隊より報告! 敵残存艦艇より、艦隊殿艦に砲撃!」
「耳長どもの最期の足掻きか。ふん、この化け物が居る限り無駄なことよ」
そう言って、戦端が開かれてから初めて背後の亜人に振り向いた皇帝の目に、巨大な銀色の鏡が飛び込んできた。
それは、『サモン・サーヴァント』の召喚ゲートであった。
キンッ
次の瞬間、澄んだ音と共に長身異形の亜人とゲートは、消えた。
第七十五話を投稿いたしました。
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