例年より速めに梅雨が明けると、季節はすっかり夏。湿気は熱気と手を組んで、更に環境を地獄に変えていった。
あまりの暑さにセミも絶叫する外に反して、ガンガンに冷房が効いた部屋の中俺らのテストは返されていった。
点数に一喜一憂する暇もなく、今度は初めての模試。信じられないほどクソムズかった。
あと2年後には受験でこんな問題を解かなきゃいけないとか考えたくもない。
そして、模試の結果がいつ返るのか分からない爆弾を抱えた気分のまま、次々に発表される夏休みの宿題範囲とプリント集。
気がつけば夏休みの一歩手前、1学期最終日になっていた。
「じゃあ、返していくぞー。はい相田ー」
「はいぃっ」
クソ暑い体育館の中で終業式と夏の大会への壮行会を終わらせ、クラスに帰ってくれば先生から夏休み前のプレゼント。
期末テストの順位と1学期の成績が乗った通知表だそうだ。俺は胃がひっくり返りそうな思いで相田が通知表を受け取るのを眺めていた。
「赤坂ー」
「はい」
バクバクいう心臓に合わせて脚を動かし、教壇の前まで来た。全員のヒリつくような視線を感じる。
チラッと先生の顔を伺うと目が合った。思わずヒュッと息が詰まる。先生は俺の通知表を一瞥して、微笑みながら渡してくれた。
「頑張ったな」
「……は」
軽く会釈して受け取り、食い入るように数字を追った。
「……はは」
期末テストの順位は、教科ごとに差はあれど確かに上昇していた。
ⅡクラスとⅢクラスの合計281人中162位だったのが、134位まで上がってる。半分から上まで来た。
特に目を見張るのはクラス順位。41人中21位から、12位。あとちょっとでトップ10入りだった。
1学期の成績は、だいたい3と4の集合体。
体育の5は当然として、今回も高得点を出せた世界史も5。
ちょっと点数に自信が無かった数学二つも3に収まっている。でも国語まで3になったのは惜しい。
締めて平均3.7。思ったよりは悪くない。むしろ良い。中3の平均は3.5か4だったから上がった方だ。
「なんだよ……」
良い。良いじゃんか。
点数の上昇は微妙だったけど、今回の平均点は全体的に低かったらしい。
順位は確実に上がってる。半分から上に食い込めた。ここまで母さんに自慢げに持って行けそうな通知表は小学校以来だ。
一度閉じて椅子にもたれかかる。眠気とは違うふわふわ感。高揚感が身体を満たしていた。
前の相田の睨みさえ心地良い。
「相田はどーよ?」
「んんー、悪くなかったよ?赤坂くんも?」
「悪くねぇなぁ?」
「へえ~……」
俺の通知表に穴が開くほど見つめる相田をこっそりせせら笑っていると、隣の片岡が戻ってきた。
「ヤバいヤバいヤバい」
口調とは裏腹にニヤニヤしながら通知表を叩きつける。
俺には分かる。これはヤバいけどヤバくないヤツだ。帰れば怒られ呆れられる結果だけどそこまで下じゃない。
「片岡くん、悪かったの?」
「あー、もーホントサイアク~。やべーわー」
「だぁい丈夫だよ!まだ1学期なんだからさっ!」
によによ笑いながら、これまた片岡の通知表を透かし見ようと目を凝らす相田。
この顔からすると下を見つけて心底安心したらしい。調子の良い奴だ。
「岸辺ー……は、休みか。楠木ー」
「……はい」
ふと気になる名前が呼ばれて、顔を上げた。片岡の向こうを楠木さんがパタパタと駆けていく。
端から見てもガッチガチに緊張している。ただでさえ固くなってるのに、先生に何か言われてピキッと表情が固まった。
その場で開いて確認する楠木さん。じっと見ていると、顔を隠す通知表の上で八の字がゆっくり弓形に戻っていくのが見えた。
そこで、通知表を閉じた楠木さんと目が合った。
『ど う よ』
口パクでそう聞くと、楠木さんはパッと顔をほころばせて、ピースを作った。
『や っ た!』
跳ねるような足取りで帰って行く楠木さんを見ると、俺まで胸が高鳴った。
夏休みも日頃の行いに注意して、宿題もやって、勉強もして、たまには羽目もはずして、でも行いには注意して、うんたらかんたら。
さっき体育館で聞いたような話をまた聞かされて、ワックスを掛けるだので机を全部教室から出して、ようやく俺たちは解放された。
散々うずうずを引き延ばされた分、夏休みの期待が爆発した放課後の廊下はとんでもない熱気と騒がしさだった。
俺たちも見事にその熱気に飲まれていった。
「っああ!やっと終わった!」
「うふふ、やったー!」
ぎゅうぎゅう押しつぶされながら階段を降りていく。周りの声を聞いても、話題は夏休みと成績で持ちきりだった。
「はー終わった、終わった!」
「ふふ、こんなに晴れやかに夏休み迎えられるのは久しぶり!」
「後で通知表見せ合いな」
「今回は自信あるからね!」
「さーてなーに奢って貰うかねー?」
「ちょっとー!」
生徒玄関を出た瞬間に肌を焼く熱気と湿気がまとわりつく。真上で太陽が燦々と照ってクソ暑い。
だけど、今はそれすら夏を楽しむスパイスだ。セミの断末魔と運動部の歓声をBGMに自転車を押していった。
「アイス食べたいねー」
「へー、今日の奢りそれ?」
「だから私の負けって決まったわけじゃないから!」
「せーっかく楠木さんに奢って貰えんならコンビニの高ぇのがいーなぁー」
「奢るのは赤坂くんの方ですー」
「300円くらいのヤツがいいなぁ」
「それなら私だってそれにしちゃうから」
赤信号で止まった途端、さっきまで気にならなかった汗の存在感が急に増した。
制服って通気性考えてないんじゃ無いかと思う。
半袖だろうがシャツを第二ボタンまで開けようがネクタイ外そうが、変わってる感じがしない。
横の楠木さんは優雅に手でパタパタ扇いでいる。顔は暑さにヘタれて全く優雅じゃ無いけど。
それにしても、良くベストなんて着てられるもんだ。
夏はサマーベストを男女着て良いことになってるけど、大半の男子は暑すぎて着る気が起きないためか買う方が少数派。
なのに女子は揃って毛糸のサマーベストなんかを毎日着ている。
後ろでキャアキャア喋ってる女子軍団みたいにシャツ一枚の奴らもいないわけじゃないけど。
理由は分かる。女子は寒さにうるさい。この前男子皆で下げまくったエアコンに女子は震え上がってたし。
あとは……、まあ、後ろの奴らの肩あたりをじっと見てれば容易に想像がつく。
「……赤坂くん?青だよ?」
「やべ」
神月駅は想像通り、学生の集団でごった返していた。
どこもかしこも半袖の白シャツ集団ばかりで、どの店も真っ白だった。
駅周辺で色々するのは諦め、俺たちは大人しく帰ることにした。
矢ノ川駅近くのコンビニかスーパーでアイスでも買おうってカンジで。
「涼……しくねぇ~」
「えぇ~?十分だよー」
電車はすぐ席を取れるくらい空いてるのに全く涼しくなかった。
超メントールの効いた汗ふきシートで拭いてようやく暑くなくなるレベルだ。
タオルハンカチでちまちま拭いてる楠木さんに一枚あげると、
「っ……ぃいい!?」
「ぶはっ」
首を拭いた瞬間悶絶していた。
「えっ、あっ、え、何これ!?」
「っははは!引っかかった!!」
「寒い!」
「だろー?っはは、ぜってー苦手だと思った!っははは……」
「酷い!」
「ほらうるさいよ楠木さん、電車ん中だぜ」
「誰のせいだと……」
「っくく……」
パッケージの『極寒』は伊達じゃない。
寒い通り越して俺でもちょっとヒリヒリするくらいだ。
それでも『貰ったから』とひいひい言いながら手を拭いてるのが楠木さんらしい。
「よくこんなの使えるね……」
「俺にゃぁちょうどいーんだよ」
「あれ使わないの?あの……パシャパシャするやつ?」
「シーブリーズ?あー、苦手なんだよアレ」
パシャパシャするやつは別にシーブリーズに限らないんだけどな。
苦手というか、暑くなってきた辺りで運動部連中がこれ見よがしにシーブリーズを使い始め、体育後の匂いで鼻がひん曲がりそうだったから使いたくなくなった、てのが正しい。
色んなフレーバーと汗の臭いが混ざり合った無駄にベタつく臭さ。
そりゃ俺だって高校生っぽくかっこよくパシャパシャしたかったさ。
でもアレを部外者として嗅ぐと、そんな気は引いてく汗並に素早く消え去っていった。
「さーて、楠木さん?通知表見ーして」
「赤坂くんもね」
電車の揺れで震える通知表が二つ。足下の反射で数字がぼんやり透けて見える。
「行くぞ……せーの」
ぱさ。281中152。41中15。
「……っっしゃああ!」
「んうぅぅぅ……!」
勝った。俺が勝った。勝った!
「はい楠木さん奢り~」
「う~……はーい……」
一度がっくし肩を落とした楠木さんは、ふっと息を吐いてからもう一度通知表に向き直った。
「でも、私も上がったよね?」
「……。うん、上がってる。すげえ。え?すげえじゃん」
改めて全体を眺めてみる。
上がり様で言えば、楠木さんの方がすごかった。
前回の中間、全体順位が189位だったのが今回152位。クラスでは30位から15位。折れ線グラフにしたら良い角度になりそうだ。
成績も悪くない。4の数なら俺よりも多い。
特に俺がダメだった数Ⅰと国語が4なのは素直に悔しい。平均3.7。ほんとにこのままだと抜かされるかもしれない。
「うわ~、こわ~」
「ふふ、今度は私が勝つからね」
「はぁ?望むところだわ負けねぇから」
「私も負けないよー」
こんなに勉強のモチベが高い夏休みは初めてだ。
視界の先、遊具たちが日に照らされてギラギラ輝いている。
滑り台もブランコもシーソーも、一緒になって太陽に焼かれていた。
後でアレに触るのが怖いような楽しみなような。
シャク、とアイスを囓るとひんやりした甘さが気持ちいい。
夏らしい青いアイスキャンディ。つまりはガリガリ君。
さすがに財布に500円しか入ってないのを見て、高いアイスはねだれない。
コンビニで定価のガリガリ君を買うという、ちょっと贅沢な奢りで手を打った。
やや上から同じようにアイスを囓る音が聞こえる。
鳥居越しに日陰の向こうを眺めながら、俺たちは寂れた神社の階段に座ってアイスを味わっていた。
「夏休みは……宿題間に合うように終わらせてー、色々遊ぶだろー?遼太郎たちにめちゃめちゃ誘われてるし。
まずお祭り、ゲームに、ゲーセンにー、カラオケー、遊園地、映画。海……は、さすがに無理か。金ねぇし」
「赤坂くんは予定盛りだくさんだねー」
「楠木さんは?夏祭りは一緒に行くっしょ?」
「うん。麗ちゃんからも誘われてるし。というか、また太田くんと美香ちゃんの進展を見るのが目的だけど……。
あとは……そうだね、家族で遊びに行くかな?あと、ゲーセンは……また堂本くんに誘われてたね」
「そんなんもあったな」
「あとは未定かなー。フリーだよ。また麗ちゃんたちが誘ってくれたら行く感じ」
「へぇー。結構暇してんね」
「あんまりに暇だったら赤坂くん誘ってあげるね」
「ええー、楠木さんやさしーい。じゃ、次会うんは祭りの日か」
「かつ、三者面談の日ね」
「うげぇー」
8月5日と6日には神月駅周辺で夏祭りが開催される。
5日の夜には花火大会もあって、俺らが行こうとしているのは5日の方。
この最高のシチュエーションで歩夢と美香がどう進むかが見物だ。
と、その前に高校初めての三者面談だ。
楠木さんが15:30。俺が16:00。
せっかくだから親に送ってもらって一緒に行こうということになったのだった。
「うふふ、楽しみだなー、お祭り!去年は行かなかったから」
「え、受験勉強で?真面目~。俺は普通に皆で行ったわ」
「だから落ちちゃうんだよー?」
「勉強してたのに落ちたヤツにいわれたくねーしー?」
セミの合唱と笑い声が溶け合って木々の間に消えていく。涼やかな風が拭いて、ざわざわ木々が揺れる。
アイスを食べながら談笑する穏やかな時間は、明日からの夏休みへの期待をさらに膨らませた。
ガリガリ君に塩を少々振って食べるとおいしいですよ。
ついでに夕日を眺めたりすると最高です。