「はぁーあ……」
10月も終わり。体育祭の暑さはどこへやら、10月とは思えない寒さだ。
こうも寒くなってくると、暖かいものが食べたくなる。
……から、何か作っといてって言ったのに、弟のやつゲームに熱中してなーんも作ってなかった。
今日は母さんも何かで遅いらしいし、俺は帰ったばかりの身体に鞭打って、いそいそと夕飯を作っていた。
最初にご飯を早炊きでセットして、冷蔵庫を見る。しばらく眺めて、今日は豚汁と賞味期限の近い納豆に決定した。
汁物は多ければ多いほど困らないから、なるべく多めに作るのが赤坂家の伝統だ。
ネギは厚くざく切りに、大根と人参は四等分してからスライサーの上で滑らせる。
しばらく手を止めて悩み、やっぱりジャガイモも入れることにした。小玉2つだけ残しとくもんじゃない。
栄養のため……というのは建前に、皮を剥くのが面倒だからそのまま切って入れる。しっかり洗っておけば大丈夫だろう。
ゴボウがあれば良かったけど、ないからしょうがない。野菜たちをぶっこんだ鍋に火をつけて、上からごま油を垂らした。
冷凍豚肉を電子レンジに入れ、お玉で野菜を炒める。ヘラ使うと洗わなきゃだし。
全体に油が回ればOK。火を止めて、解凍し終わった豚肉をちぎり取って鍋に投げていく。切るよりこっちの方が早い。
豚肉に火が通るまで炒めたら、水を入れてしばらく煮込むだけ。10、5分くらい。
それまで暇だ。
「はー……」
時刻は7時半。8時には食べられると良いんだけど。スマホで時間を確認し、画面を暗くした。
キッチンだけ電気をつけてるから、薄暗い。暖房をつけるのも面倒くさくて、暗い寒い部屋で、ことこと具材が煮えるのを眺めていた。
「……ふぅー……。…………ぁぁぁああああ゛あ゛あ゛……」
そろそろ中間テストだ。今日も今日とて、18時まで勉強して帰ってきた。
「……楠木さぁーん、どこまで終わったー?」
「え?えーっと、68ページ」
「お、いっしょー」
「あ、じゃあここ解けた?問6のさ……」
数Aの教科書を見返しながら、ワークを解いて早2時間。
そろそろ18時だ。解説を眉を寄せて読み始めた楠木さんを一瞥して窓へ視線を移すと、グラウンドにクラスの光景がダブっていた。
今日は人が少ない。大方他のクラスに行ってるんだろう。その証拠に隣の9組がめちゃくちゃうるさい。
そしてそのうるささから逃げてきた9組の女子が俺の机に座って友達と勉強していた。
別に俺の机をどう使おうとどうでも良いんだが、ちょっとノートを取りに行ったらすごい怖がられたのは地味にショックだった。
何だよ『ひいいっ』って。こんなにビビられたのは小学生の落とし物を拾ってあげた以来だ。
さっきそれを楠木さんに愚痴ったら、『髪が伸びたからじゃない?』とノートから目も離さず言われた。
窓ガラスに自分の顔を写して、自分の顔を見てみる。確かにかなり伸びた。
首回りは更に暑苦しくなって、前髪は目に掛かってる。もういつ美容院に行ったのか覚えてない。
テスト終わったら切り行かなきゃなー、とあくびと共に大きく伸びをした。
そのまま窓ガラスにもたれて、クラスを見渡す。
今日は楠木さんの隣の席で勉強中だ。窓際だから、クラス全体が一瞥できる。
始めに比べて人が減った。
俺の席周辺──クラスの真ん中には女子が4人。その奥に男女の集団が二組。あとはまばらに人がポツポツ。
那賀川たちはいない。
「むぅ……」
「っふふ」
そうじゃなきゃ楠木さんがこんな顔してない。
ハの字眉毛がくしゃっと歪んで、分からない恨みが目にちらついていた。
小2の頃、近くに住んでいたおばあちゃん家の犬がこんな顔して吠えてたっけ。
「くくく……」
「ちょっと、何?」
「いや……」
「ねぇー……」
何で笑ってるかも分かってないのに、楠木さんまで釣られて笑い出す。
疲れた頭を笑いで揺らしていると、9組の騒がしさが帰ってきた。
クラスの中心女子と友人に囲まれて、那賀川が戻ってくる。
途端慌てて身体を起こす楠木さん。ペンを握って『勉強してました!!』という体を取り繕う。
息が出来ないほど俺が笑っていると、足音が近づいてきた。
「なーに笑ってんのーあかさかー?」
「っくくく……別に?」
那賀川の友達、間中だ。という事は……。
「楠木さん。なにしてたの?」
「えっ、あ、え、A、数Aだよ!」
もちろんこいつもいる。
「へえ。……ええ?すげー進んでんじゃん!いいなぁー」
「う、うん……頑張った」
「頑張ったかー。すげーすげー」
「オレのもやってよ楠木さーん」
「ええっ!?」
「たはは、ジョーダンだよ!」
「お前なぁ……」
「そーいうお前はどうなんだよ間中」
「オレ?手もつけてねぇわ」
「おい」
「お前なぁ!」
「あはは……」
げへへ、と悪びれもせず笑う間中を引っ張って、那賀川は自分の席に戻っていく。
今度はさっきまで一緒だった女子に話しかけられ、後片づけをしながらこれまた楽しそうに談笑している。
もう俺たちには目もくれない。
楠木さんはそれをじっと見て、顔を伏せた。
顔を赤らめて嬉しそうに、だけどちょっと切なそうな目で、膝の上の拳を眺めていた。
シュシュで束ねた髪を一撫でして、ふぅーっと、緊張と喜びのため息を吐き出した。
「……よし。よし、帰ろ!赤坂くん」
「……え、……ああ。うん。帰ろうぜ」
「何かすっげぇモヤモヤするううぅぅぅぅ……!!」
お玉を持ったまま、頭を抱えてしゃがみ込む。
何で、何でだ!?勉強も、楠木さんと那賀川の関係も上手くいってるのに、何で俺はこんなモヤモヤしてるんだ!!?
最近このモヤモヤが酷い。多分体育祭あたりから、ずーっと謎のモヤモヤを抱えたままでいる。
「あ゛ー」
頭を振って立ち上がっても、モヤモヤ感は消えない。何でなんだ?
手荒に鍋をかき回し、溢れる汁で鍋肌を焼きながら考える。前々から考えてはいるんだけど。
那賀川と楠木さんは、関係性皆無だったあの頃に比べるとかなり進展したように思える。
那賀川の方からかなり話しかけてくるし、楠木さんはそれに緊張しつつも話せてるし、なにより良く笑うようになった。
全て怖いくらいに順調。このままならマジでワンチャン行けんじゃね?って。俺の作戦大成功じゃん!って。
「……」
マジで付き合ったらどうなる?
多分楠木さんはすげぇ喜ぶ。
たくさん喜んで、ようやくのポニーテールを揺らして、嬉しそうに笑って那賀川の横に立つんだ。
嬉しそうな楠木さんを見たら、多分俺も嬉しくなる。それはマジなんだけど……絶対嬉しくなるんだけど……。
お玉が滑った。汁が滅茶苦茶零れて、蒸発する音が部屋に響く。ガスの火
が青から真っ赤に変わる。
「…………」
納得行かねぇええええ!!!!
楠木さんが付き合うんじゃなくて、その付き合う相手が。思いを向けてる相手が。那賀川健人が。
気に入らない。
那賀川健人。
バスケ部期待の1年生で、背も俺よりずっと高い。
顔も良いし、性格も良い奴だし、自覚あるんだかないんだか色んな女子から好意を向けられてる。
マジのマジでハイスペック男子。俺の勝てるところがほとんどないくらい、すげーヤツ。
「……っチ」
そういうことか。ピンときた。
モヤモヤが晴れる。それと同時に、今度はムカつきが湧いてきた。
良い子?
結構頑張る?
前より話した?
楠木さんは元からそういう子なんだけど?さらに頑張れるようにしたのは俺のお陰なんだけど!?
いや一番頑張ってんのは楠木さんなんだけど、そうじゃなくて。
俺が背中を押して、色々協力してやってきたのに。
楠木さんに興味なんてなかったくせに。
那賀川みたいなちょーすげーヤツが、全部良いとこ持って行く。クソムカつく。
しかも一番おいしいとこ持っていかねぇとか、何考えてんだあいつ!
なんで、なんで見てないんだよ、あの顔を!
お前のことあんなに思ってる子がお前を見る顔を、何で見てないんだよ!!
つーか俺なんでこんなことごときにそんなムカついてんの?これも全部全部那賀川のせいだ。
あー、もう、マジムカつく!
「え、……なにやってんのお前…………」
「……」
声に振り向くと、後ろで弟が異形のものを見る目で俺を見ていた。頭を抱えていた両手をそっと下ろす。
「別に……」
「いやいやいやいや」
弟はリビングの電気をつけて、ストーブのスイッチを入れて前に座り込む。
風呂掃除で冷えた素足をストーブに向けて、まだ俺を変な目で見てくる。
「すげー貧乏ゆすりだったぜ?めっちゃキモかった」
「キモいゆーな」
「じゃあきしょい」
「変わってねーよ」
入れ忘れた粉末だしをふりかけ、俺は何でもないように振る舞った。
でも今日の弟はしつこかった。味噌を溶いてる俺の背にひっついて、冷えた手を腹に付けてくる。
「おわあっ!?つめてぇなちくしょう何しやがる」
「今日豚汁かーいいねー」
「危ねぇだろうがよ掛けるぞ、汁」
「ねぇ何うーうー悩んでんのー?どーせクスノキさんの事でしょー」
「ちげぇし」
「はぁー?弟舐めんなよ分かんだからな」
「大したことじゃねぇって……ほら、お椀出せ。茶碗も」
「あ、認めたな。認めた!」
「だーからちげぇよ!てめぇ大根だけにするぞ!」
「ええ~」
弟はテレビを付けてから食器を出しに行った。
昨日と代わり映えのしないバラエティ番組をバックに、炊き上がったご飯と豚汁、納豆をテーブルに並べる。
俺ら二人だけだから、『いただきます』も言わずそのまま食べ始める。
まだ暖房が効き届いてない部屋で暖かい豚汁を食べると格別に上手く感じる。野菜も良く煮えてるし、上手く出来た。
強いて言えばジャガイモが溶けかかってるのが残念ポイントか。
「何でジャガイモ入ってんの?」
「余ってたから」
「皮ぐらい剥けよ」
「食っちまえば一緒だろ」
「それもそっか。
いやー、透も腕を上げたよねー。最初に作った豚汁とかヤバかったのにさ」
「あれ?クソマズかったよな」
「そーそー、火通ってないし。大根分厚すぎるし」
「肉だけ山ほど入れてな」
「油しつこかったよねー」
俺が料理をしだして、約6年か。
小五になって弟がようやく小学校に上がって、母さんは仕事に復帰した。
父さんは相変わらず帰りが遅いし、母さんもなかなか早くに帰ってこられなくなり、俺が夕飯係になった。
色々作ったっけ。
煮てルー入れるだけのカレーにシチュー。
授業で習った野菜炒めにサラダ。
茹でて混ぜるだけのスパゲッティ。
豆腐があれば煮るだけの麻婆豆腐。
件の豚汁。
もちろん失敗も色々。
煮込みが足りなかったり、焦がしたり、ダマになったり。
弟と顔をしかめて食べ、帰ってきた母さんにリカバーして貰い、父さんに笑われ。
散々失敗して、どうにか料理を身につけてきた。
最初は面倒だったけど、学校の調理実習で女の子や先生に滅茶苦茶褒められて良い思いをしたもんだ。
「クスノキさん?も料理上手いんでしょ?」
「ぶふっ」
誘導が下手すぎる。どんだけ聞きたいんだよ。
「だーから、何もねぇよ」
「えぇ~またぁ~。アレ?男が出来てビミョーみたいな?」
「んぐっふぇ!」
盛大にむせた。咳き込みながら弟を見ると、
「え、当たってんの?」
また変なものを見る目で俺を見ていた。
こいつはたまに気が利くというか、変に勘が良いから嫌だ。キッチンで水を汲んで飲み干す。
「うるせぇよ」
「当たってんじゃーん!え、マジ?クスノキさん彼氏いんの?透負けてんじゃん!だっせぇ!ははは!」
「……」
別に勝負してる訳じゃないんだけど、ある意味那賀川に負けてるので何にも言えない。
「そんな睨むなよー、わーってるって。『別に、楠木さん好きじゃないけど?』ってことっしょ?わかってるってぇ」
「ついでに楠木さん付き合ってすらいねぇよ。だから付き合えるように、俺が協力してやってんの!」
「え~透がおもしれーことしてるー。じゃーなんなん?クスノキさんの好きな男がそんなに気に入らないん?」
「……まあ?」
今日の弟は滅茶苦茶冴えてる。そのまま成績も上がれば良いのに。
那賀川の顔が浮かび、またイラッときて、俺はコップを力強く叩きつけた。
「なーんかイラッと来るんだよ。しねぇ?完全俺の上位互換みたいなのいたら」
「えー?自分だけ気に入っててずっと使ってた武器が急にアプデで強化されて重課金ランカーが使い始めるみたいな?」
なんか楠木さんをモノ扱いしてるみたいで気に入らないが、実際こんな感じか。
「まあそんなカンジ?」
「へぇー」
それだけ言うと、弟はあっという間に興味を失い、目の前のご飯とバラエティに釘付けになった。
「……おい」
いつものことだけど、さすがにちょっとムカつく。
今日の俺はイライラムカムカしてばっかりだ。ツイてない。
ため息をついて、ご飯をもっと盛った。こういう日は食べて風呂入って音楽でも聴くべきだ。
「お前ももっと飯いる?」
「いるー」
「じゃあ茶碗よこせ」
腹いせに弟の飯をグッと押し固めてやった。
「あい」
「ん、あんがと」
しばらく無言で飯を食べる。
テレビでは最近結婚したとかいう新婚芸能人カップルが芸人たちと一緒に町を練り歩いていた。
つまんないカップルのコメントを、芸人がどうにか笑いに変えていく。
ワイプでスタジオの笑い顔が写り、スタッフと観客の笑い声が混じる。
でも、テロップで強調されるのは芸能人カップルの方だ。
「……まあ、『完全俺の上位互換』じゃないと思うぜ」
「は?」
CMに切り替わり、豚汁のおかわりをしにいった弟がにやっと笑って言った。
「だぁって、その男、どうせ料理なんか出来やしねーぜ」
「……楠木さん」
「ん……なあに?」
「そんな分かんねぇ?」
「うん……」
昼休み。
さっき授業で復習した数Ⅰのノートを眺め、楠木さんは弁当に手も付けず、ずっと眉をひそめてすごい顔をしていた。
分からない恨みがこもった目で二次方程式を睨んでいる。
「先生に聞いてきたら?」
「聞きづらい……」
「ばーか、その方が大変だぜ」
「えー……じゃあ赤坂くんが聞いてきて?」
「何でだよ」
「聞きづらい……」
「それさっき聞いた」
「う゛ー、分かんない……」
「ぶっ……」
「……何?」
「犬……」
「は?」
「ふふふ……」
「ちょっとー!」
ずっと笑ったままの俺を呆れたように見て、楠木さんはようやく弁当に手を付けた。
相変わらず手の込んだ弁当だ。
つくねにゆで卵、ほうれん草のごま和え。シャケふりかけのピンクで色合いもいい。
楠木さんのしわの寄った眉間もすっかりほどけて、箸を取った。
「……赤坂くん?」
「あん?」
「それ邪魔じゃない?」
「え?ああ……邪魔。クソ邪魔」
しばらくして、何を言うかと思ったら俺の前髪の話だった。
さっきから手で避けてばっかりだったのを気づいていたらしい。
「切らないの?」
「切るよ、テスト終わったら」
「うふふ、また不良っぽくなってるね」
「うるせー」
「あ、そうだ」
楠木さんは一旦箸を置き、いつの間に持つようになったのか、小さいポーチを取り出した。
「んっふふー、やっぱり邪魔でしょ?貸してあげる」
「え?」
渡されたのはヘアピンだった。黒くて細い、母さんがいつもなくしてるアレ。
「いや良いって、つーかどうやって使うんだよ、てか似合わねーし」
「そんなことないって、ほら」
楠木さんが立ち上がって、俺の後ろへ。前髪をひっつかんで後ろに流した。
暴れた方が痛そうだから、なすがまま。
「長いから留めやすいね……あ、ほら出来た…………、ぶふっ」
わくわくして覗き込んだ楠木さんは一瞬にして撃沈した。
「っ……ふ、ふふ、ひひひ……、~っ!」
机に突っ伏し、ちらっと俺を見やってはその度身体を震わせている。
「おい。……おいコラ!何笑ってんだ。どうなってんだよ!」
「……ふ、ふふ……あ、赤坂くん似合うね……ひひっ」
ポーチから震える手で鏡を取りだし、俺に突きつけた。
「ぶはっ」
「~~っっ!!」
マヌケに額を晒した仏頂面の男が鏡の中にいる。
茶髪な分黒いヘアピンが目立って、余計変な感じ。
不良というより、ギャル男ってやつ。悪い意味で昔のドラマに居そう。
「てめ……っ、ざけんな……くそ……ははは」
「に、似合ってるじゃん……。っ、ごめんやっぱりダメ……ぁはははは」
俺と楠木さんの笑いで机が揺れる。腹痛い。涙出てきた。
この俺がギャル男。古くさすぎ。ウケる。もう一回鏡を見た。ダメだ。やっぱりこの絶妙な似合わなさが癖になる。
「はぁ!……ね……ね?っふふ、邪魔じゃなくなったでしょ?」
「あ?ああうん、マジ視界最高。全てがよく見える……っひ」
楠木さんが這々の体で席に戻る。箸を取り、前を向いた瞬間また吹き出した。釣られて俺もまた吹き出す。
大口開けて、スカートを掴んで笑い転げている楠木さん。……きっと、俺にしか見れない。
悩みました。
遅れました。