最後の問題に丸を付け、俺はぐーっと背伸びをした。
冷えて動きが鈍くなった指先を揉みながら時計を見ると、もう一時近く。エアコンはとっくに止まっていて、部屋はすっかり冷え切っていた。
「はあ~……あ!」
スマホを手に取って、ベッドにダイブ。だるさと共に沈み込む身体に鞭打って、通知を見ていく。
YouTuberの通知や、要らないメールは消して、いいね通知も消去。
後はLINEだけ。
クラスのグループを覗くと、委員長が明日のアナウンスをしてくれている。
明日は始業式だけで解散、通知表返却を忘れずに、だそうだ。
クラス男子だけのグループを見ると、片岡が
『ヤバい通知表ねぇ』
『誰か持ってない?』
……って、アホか。持ってるわけ無いだろ。
皆思うことは同じなのか、
『バカじゃねぇの』
『んなわけあるか』
『食べちゃったんじゃない』
『吐け』
『生み出せ』
とボロクソに言われていた。クスクス笑いながら、他の通知を見る。
まず蓮也たちのグループから。
『見ろよ完璧』
遼太郎が、筋が全部取り除かれたつるっつるのミカンをアップしていた。だからなんだよ。
皆そう思ったのか一人も返信してなかった。無論俺もそうする。
次。個別に信久から、明日ゲーセンのお誘い。
楠木さんも一緒にどう?って、残念だけど無理だ。どうせ起きてるだろうから、お断りの文を送る。
爆速で既読がついて、知らないアニメキャラがサムズアップしたスタンプが届いた。
次、楠木さんから。
「っくく……」
『数学のワークの答え無くなっちゃった』
『明日借りてもいいかな?』
このバカ。お前まで何してんだよ。
そもそもどうやって無くすんだよワークに挟まってるだろ。
それにそんなもんいちいち報告しなくても見せるわ。
全く、バカなんだか真面目なんだか。
『はいはい』
『すぐ返せよ』
そう返信し、あとはミュートにしてある公式系の通知を消していく。
そうして中程まで遡ると、また面倒なものが出てきた。
『テスト頑張ってるか』
不在着信。父さんからだった。
やっべぇ、全く気が付かなかった。
とはいえ、これでまたメッセージ送ったりして絡まれるのもメンドイ。
でも珍しくこーいうこと送ってんだし無視すんのも……。
しばらく悩み、結局何も返さずに、画面を暗くした。
充電器を挿し、布団を被る。
目を閉じると、さっきまで書いていた英文がぐるぐる回る。
ダメだ、寝れねぇ。
明後日……じゃなくて、もう明日か。
明日には皆さんお待ちかねの冬休み明けテスト。
教科は前と同じく国語、数学、英語の3科目。
自信の程は……あんまり無い。
だからといってダメか?と聞かれるとそうでもない。
つまりは、やってみるまで分からない、いつもの心持ちだった。
国語はとりあえず、古典ばかりやっている。
文法や古文単語、漢文のルールとかを中心に。
絶対現代文の読解とかもやった方がいいんだろうけど、手元にワークもないし、前のテストを見返すだけになってる。
英語。
こっちは単語と文法中心。これさえ出来れば他の問題も出来るだろうという見立て。
なんだかんだで基礎が一番大事……というのは、母さんの受け売りだ。
最後、数学。ワークを周回中。
間違えた所を解き直し、解説を読んだりしている。
意外とバカみたいなミスしてることが多いから、答えを見直すのが大事……ということで答えをなくした楠木さんは死活問題という事だ。
何やってんだか。
まぁとにかく、順調と言えば順調。目指せ100位以内。
100位。絶対に譲れない。だって、これを逃したら──。
「…………」
いや、だめだ。考えないようにしよう。
なんてったってあと1日あるんだから。
冷えた掌をまぶたに乗せ、頭の英単語を無理矢理追い出した。
「赤坂くん、これありがとう」
「あー、丸付け終わった?」
「うん、おかげでね」
「ったく、とっとと見つけろよな」
「あ……あはは」
昼休み。
数学のワークを手渡しながら、楠木さんはいつも通りハの字で笑う。
朝一に電車の中で渡してからだから、大分急いで返してくれたらしい。
「で、学食行くんでしょ?早く行こーぜ」
「ああ待って、谷中ちゃん達にお菓子渡してくるから……」
「へいへい」
何のお返しか、ラッピングしたお菓子を抱えて忙しく楠木さんは走って行ってしまう。女の子の付き合いも大変だな。
それをぼけーっと眺めながら、リュックに必要な教科書類を詰めていく。
明日に備え、今日は学校で勉強していく。
俺は元からそのつもりで弁当持ってきたけど、楠木さんは学食予定らしい。
「あーかさか」
「あん?」
今日の弁当の中身に思いを馳せていたところ、後ろから声が掛かった。
振り返って、俺は失礼なことに一瞬だけ顔が引きつった。
「あーれ、お前いつものは?」
「そりゃお前もだろ?楠木さんは?」
「谷中んとこ。おめーは?」
バスケ部のでかいカバンを掛けた那賀川がひらひら手を振りながら近寄ってきた。
間中やらその他バスケ部の仲間たちは珍しいことに一人もいない。
「皆部活行ったよ。オレ、今日は休みだからさ」
制服の裾をピラッとめくり、テーピングでぐるぐる巻きにされた足を見せてくる。
なるほど、ピンときた。
「あー……やったな?」
「やった。マージ最悪」
話を聞くと、やっぱり昨日の練習中に捻挫したらしい。
懐かしい、俺も中学生の時2回やった。
足が痛い以外は大抵動けるから、他の怪我よりよっぽどもどかしくて仕方ない。
「珍しいこともあるもんだな」
「全くだよ、あー、クソ」
お互い机に寄りかかり、未だにうるさいクラスを眺める。
喧噪に飲まれて、隣の那賀川の声さえ聞きづらい。
「父さんが迎えに来るからさ、昼飯でも食って待ってろだって。バスで帰るっつたのにさ」
「お前普段何で来てんだっけ」
「全チャ」
「あーね?つーか、お母さんが迎えに来るんじゃないんだ」
「あー、うん。オレんち母さんいないからさ」
「えっ?」
予想もしていなかった言葉に、横を見る。
那賀川は俺が勢いよくこっちを向いたことの方に驚いていた。
「うおお……なんだよ、あ。そういや言ってなかったっけ」
「いや、そうじゃなくて…………なんか悪ぃ」
「やーもう、いいって。そんな珍しくもないだろ?今時さ」
気まずさをどうにかしようと天井を仰ぐ。しかし冷静に考えてみれば、俺だって似たようなカンジなのを思い出した。
「あー……まぁ確かに俺だって父さん単身赴任でいねぇわ」
「えマジ?でもさほら、そんなもんじゃん?やっぱりさ」
「それもそうか」
秘密の交換をして、気まずさを帳消しにする。高校生ってそんなもんだ。
でも『今時』って付け加えたってことは、多分そっちの方なんだろうな。
その証拠に、那賀川の表情はやや強ばっていた。なんとなく沈んだ空気を吹き飛ばすように、那賀川は大きく笑って言った。
「ま、つーわけでさ。一緒に食おうぜ、飯。学食行くんだろ?」
「あ、赤坂く……と、那賀川くん!?」
うわー、面倒白くなってきた。と、俺はどこか他人事のように笑った。
「あ、今日ラーメン食べれないんだ。マジかー……楠木さんは何にすんの?」
「わ、わ、私?は、から揚げ定食のつもり」
「じゃあオレもそれでいっか」
「……俺席取ってくる」
「あ、ほんと?助かるわ」
覚悟を決め、固い表情で那賀川と残った楠木さんを尻目に、俺は人で混み合う学食内をかき分けて席を探した。
3人っていまいちな人数で席を取りにくい。
そして恐らくこの先巻き起こるであろう騒動を見越し、俺はかなり奥まった所の丸テーブルを陣取った。
二人の方を見ると、食券を買った二人が仲良くカウンターに並んでいた。
那賀川のやつ、急に何だってんだ。
手持ち無沙汰に数Ⅰの教科書を見返しながら、考えを巡らす。
悪いことじゃない。何せ1ヶ月後には告白が控えてる。あっちから来てくれるってんならそりゃもう願ったり叶ったり……なんだけど。
「何か気味悪ぃよなぁ……」
「お、マッジメー。勉強熱心だな」
「うおおぉビビったぁ」
いつの間にトレイを持った二人組が後ろに来ていた。
ニッコニコな那賀川と反対に、楠木さんは俺の側に来て何かホッとした様な顔をしていた。
教科書を仕舞って、俺も弁当を出す。
冬休み明け、久々の弁当といっても、格別に力入れてるとかは特にない。
ふりかけご飯にほうれん草炒め、冷凍ブロッコリー、卵焼き、いくつかの冷凍おかず。いつも通りの俺の弁当だ。
「お前……つーか二人とも、いつも自分で作ってるんだっけ?」
「んあ?そうだけど?」
早速卵焼きを一切れ頬張った俺に、那賀川がから揚げをつまみながら聞いてきた。
お弁当の話になって、楠木さんもちょっと嬉しそうに顔を上げる。
「いや純粋にすげーなって。朝忙しいじゃん、何かコツとかあんの?」
「別に……出来合いの詰めてるだけだぜ?」
「私も。前の日とか、お休みの日に作っておくの」
「俺は冷食だけどな」
「へぇー、なるほどね」
「なんだよ、お前も作る気湧いたの?」
「まあ、そんなとこ?」
「わぁ、いいと思うな。お弁当作るの楽しいよ。そういえば、普段はどうしてるの?」
このバカ!と思わずキッと見てしまい、楠木さんが頭に疑問符を浮かべる。
俺らの焦りも気にせず、那賀川はのんびりとから揚げを味わってから口を開いた。
「父さんからお金貰うのと、作ってもらうのが半々。うち母さんいないからさ」
「えっ」
表情が曇った楠木さんににへらと笑いかけ、気にしないで、とまた言う那賀川。
いやお前が言い出したんじゃん、というツッコミは口が裂けても言わない。
「じゃあ、妹さんと3人暮らしなの?」
「……妹は、母さんの方に……。
ってあーあーそんな顔しないで!こんなん話さない方が良かったね!ごめん!この通り!」
随分切り込むな楠木さん……そして気が付くのが遅ぇよ、那賀川。てか、妹いたんだ。
予想していたものより大分方向性が違う騒動を見ながら、俺はのりたまご飯をかっこんだ。
那賀川に拝み倒された楠木さんも謝り返し、眉を下げて笑った。
「那賀川くんも大変なんだね」
「言うほどじゃないって。こういってもエンマンリコン?ってやつでさ。
いつでも会いに来ていいし行って良いって言われてるし。ちょくちょく会いに行ってるし」
「そっか……」
「ま、親に振り回されるのも大変ってこったな」
「そういうこと」
「そういうことだね」
俺がなんかいいカンジに締めて、しばらく沈黙が訪れる。気まずいとかそんなんじゃ無く、なんとなく奇妙な絆?が芽生えたように感じた。
親の愚痴を言ってスッキリするやつの、ちょっと規模大きいバージョン。
薄い繋がりだけど、なんとなく居心地がいいような、そんな感じ。
「あー、ていうかさ、見た?正月特番のドラマ」
「あ、うわ、何だっけそれ」
「医療ドラマの?私も見た!」
「それか!!オレも見た!結構面白かったよな」
「いやそれな、特にさ…………」
ドラマの話で盛り上がってしまい、結構出るのが遅くなった。もう13時半だ。
すっかりガラガラになった学食を急いで出て、俺たちはなんとなく本棟へ歩いて行った。
「二人はこれから勉強?」
「うん、そのつもりだよ。……那賀川くんも、どう?」
「あー、どうしよっかな」
「親父さんの連絡は?」
「まだ来ない……し、オレも一緒に行くわ」
「んじゃ決まり。図書館でいいよな」
というわけで、本棟3階から繋がってる図書館へ。
大半の教室は閉じてるし、学習室は受験真っ盛りの3年生でいっぱい。
俺も2年後ああなると考えると寒気がしてくるが、今はそれより明日のテストだ。
「……あ」
ふと、楠木さんが立ち止まる。振り向くと、半笑いで
「ノート忘れてきちゃった……」
だそう。またか。
「忘れてばっかりじゃん」
「うう~だよね、気をつける……。取ってくるから、先に行ってて!」
せっかくのチャンスだというのに楠木さんはまたも離脱し、俺は嬉しいことにコイツと本日2回目の二人きりになった。
「なにやってんだか、あのバカ……」
「相変わらず仲良いね、お前らさ」
「まあ悪くはねぇな」
「またまた~」
「お前だって最近楠木さんと良く話してんだろ。お前こそどーなんだよ~」
仕方ないので、俺の方から探りと売り込みをかけてやる。感謝しろよな。
さーて2ヶ月ぐらい経ったが、今はどう思うよ那賀川?
「んー……」
那賀川は薄く、ちょっと遠い目をしながら曖昧に微笑む。
表はニヤニヤしつつ、心の中では固唾を呑んで見守る俺をちらりと見て、吹き出した。
「内緒」
「は?」
「お前に悪いから内緒ってことで」
「はぁあ?」
丁度良く、那賀川のポケットが震える。
「あ、父さんそろそろ来るって。オレもう行くわ」
「は?え、ちょ?おい!」
「やー、オレ今日ちょっと沈んでたんだけどさ、お前らと話したら何か楽になったわ!ありがとな!楠木さんにもそう言っといて。
んじゃ、勉強頑張れよー。また明日な!」
「はぁ!?…………はぁ、うん。また明日」
俺に全く口を挟ませず、言いたいことだけ行って那賀川は足早に去って行った。
俺は廊下に取り残されたまま、さっきの言葉に頭を支配されていた。
17時を知らせるチャイムが鳴る。
周りを見渡すと、同じようにノートを広げている生徒以外はほとんどいなくなっていた。
司書の先生が『早く出てってねー』という雰囲気を醸し出しながら戸締まりを確認しだす。
向かいに視線を戻すと、同じように目線を戻した楠木さんと目が合った。
「帰ろっか」
「おう」
もう一巡し始めた数学のワークを畳む。
ちょっとだけ進捗が悪い。これも全部那賀川のせいだ。訳分かんねぇ。おかげでいまいち集中出来なかった。
今日はなんだかんだで、アイツの都合のいいように振り回されただけのように感じる。
沈んでた云々はどうでもいい。俺だってそういう日あるし。
問題はさっきの発言だ。なんだ『お前に悪い』って。
いいように捉えるなら、アイツは未だに俺が楠木さんを好きだと思っていて、俺に悪いから自分も好きだと言えなかった、とか。
いやそれしかなくね?
でも、なーんか引っかかる。
そもそも俺と楠木さんの中を兄妹に例えたのは那賀川の方だ。
それに、帰るときのあの表情。
何というか、どっか遠い目っていうか。陰りのある表情というか……。
あの顔がずーっと気になっていた。
「……赤坂くん?」
「あ、あぁ、何?」
ふと楠木さんに声を掛けられて、ようやく意識が現実に戻った。
道の薄暗さも、肌を刺す寒さにも今さら気が付く。
キャルキャル二つ分の車輪を鳴らしながら、落ち葉のまばらな道を歩いていた。
「えっと、黙ったままだったから。どうかした?」
「いや……。別に、テストが気になっただけ。なんでもねぇよ」
「そっか。そうだよね。明日大丈夫かな……」
「大丈夫だろ、多分」
「そんなお気楽な」
「もうここまで来たら気楽に行くしかねぇだろ」
「それもそっか。那賀川くんにも、頑張れって言われたし……」
マフラーに顔を埋め、楠木さんは未だ自信なさげに笑う。
寒風に髪をなびかせて、頬を赤くして、俺の隣を歩く。
その赤さはきっと寒さだけじゃない。
冬の寒空は、女を綺麗に見せる……なんて、昔母さん言ってたっけ。
多分さっきのことを話したら、この子は何も手がつかなくなる。
せっかく勉強も恋愛も決意したばっかりなのに、この横顔を曇らせるのは超惜しい。
俺は那賀川への疑問全部を、ぐっと胸に押し込んだ。
翌日。
半分眠い頭を冷たい水と熱い紅茶で無理矢理動かし、俺は朝の支度をした。
まだまだ眠いくせに、それでも頭の一領域には古文単語や数学の公式やら文法やらがわらわらとひしめき合っていて、寝ぼけているのにどこか冴えているというなんともちぐはぐな感じで弁当を詰めた。
「あれ、透今日早いじゃない」
「テストあるから。早く行く」
「へぇー、頑張りなさいよ」
「うん」
母さんが眠そうな顔で降りてきて、そしてまた上に登っていった。
今塾講師としては一番忙しいときで、最近ずっとこんな感じだ。
多分今日もギリギリまで寝てから出勤するんだろう。
前、楠木さんに母さんは塾講師って話をしたら、『教えて貰えて良いね』なんて言われたが、そんなことは無い。
仕事場で散々やった後だから、家に帰ってまで勉強見たくないというのが母さんの言い分だ。
まぁ復職する前は教えてもらうこともあったけど。
親に振り回される……なんて言っても、俺のはそんな大したことじゃ無い。
昔はお父さんとなんかあったらしい楠木さん。
離婚してバラバラだけどそれなりに関係はある那賀川。多分聞いてないだけで、クラスにもそんな人は沢山いる。
「……っし、行くか」
だから、別に、俺は引っ越し云々で父さんを苦手に思ってなんかない。
うざがらみが昔から嫌いなだけで、謝られるとか、そっちの方が余計にイヤだった。
『テストやってくる』
そんなん思ってることはぜってぇ言ってやんないけど。その代わりに短い文だけ送って、俺は家を出た。
「行ってきます!」