俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

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第27話 変換点   ──水入らずで晩酌を ──

「あ、おはよう那賀川くん」

 

「おはよう楠木さん」

 

「部活お疲れ様。足の調子は、もう平気?」

 

「んー、まぁまぁ?模擬試合に参加しても良いってさ」

 

「そっか、良かった~!」

 

「まーたこけたら許さないってさ。厳しいねぇ」

 

「でも、本当だよ?油断しないでね」

 

「えー、楠木さんまでそれ言う?」

 

「ねぇ健人ぉー!!先輩呼んでるぅー!!」

 

「あ、おう!今行く。じゃあな楠木さん」

 

「うん、じゃあね那賀川くん」

 

 

 

 ひらひらと手を振る楠木さんに、三山たちのキツい視線が突き刺さる。

 楠木さんは何でもないように薄く笑って優雅に自分の席に着いた。

 

 席替えをして列真ん中の二番目になった楠木さんに、谷上と田中が近づいていく。

 何か励ましているようだが、楠木さんは意にも介さず笑っている。

 

 俺はそれに入っていけないまま、片岡・若狭と一緒に駄弁っていた。

 

 

 

「んでさぁ、それで深瀬彼女と別れたんだって」

 

「嘘だろ!?そんだけで!?!!?」

 

 

 

 やべ、聞いてなかった。

 

 深瀬が何で彼女と別れたかは気になるところだが、俺は別の恋愛ごとで頭がいっぱいなので、生返事をしてまた考え事の続きを始める。

 

 

 あのカラオケから1週間。

 

 土日に実施された共通テストに3年生が血眼になって採点して、殺気を飛ばしながら自習室を埋め尽くしている。

 そんな様子を尻目に、全く関係ない俺たち1年は和気藹々と暖房の効いた部屋で毎日楽しそうにしていた。

 

 迫る模試や進級なんて気にしないように、クラスにはのんびりゆったりした雰囲気が流れ、俺の心は流されるように、のんびりゆったり、暗い気持ちを行ったり来たりしていた。

 

 

 

「ほーら、席に着けー」

 

「やべ、これ次の時間な!赤坂今のうちに着替えとけよ!」

 

「ちょ、嘘だろすげぇ気になるとこ!!」

 

「……あー、後で聞かせろよ!」

 

 

 

 全く聞いてなかったけど、それだけ言って自分の席へ戻る。

 

 俺の席は久方ぶりに廊下側に戻り、一列目の一番後ろ、ドア閉め係になっていた。

 先輩らしき影と話していた那賀川、三山たち女子が駆け込んでくる。

 

 俺はこいつら全員をクソ寒い廊下に閉め出してやりたい気分でいっぱいだったが、ありがと!とすっかり爽やかに笑う那賀川にニヘラと笑いかけ、全員入るのを待ってやった。

 

 

 

「んじゃあ今日のお知らせだけど……」

 

 

 

 先生には申し訳ないが、廊下の壁に寄りかかってさっきの続きを考える。

 といってもそれは、ここ一週間何の代わり映えもなくぐるぐると同じ事を俺の頭に呟き続けているだけだった。

 

 

 楠木さんはすっかり自分の初恋に自信を持った。

 

 三山たちの視線なんかに動じないし、那賀川と距離が近くなっても前ほど上がらなくなった。

 何より、毎日が楽しそうだった。入学当初の引っ込み思案なんて嘘みたいに、堂々とクラスに鎮座していた。

 

 那賀川は段々あの空虚さはなりを潜めていった。

 

 足が治っていって部活に顔を出せるようになったのもあるだろうが、楠木さんともっと仲良くなったのが大きいと思う。

 間中、三山、その他様々な友達たちと仲良くしつつその中に楠木さんの存在が入っていった。

 その異質さは、クラスの皆がうっすらと感づくほどだった。

 

 

 そんな二人に対する俺は……何もできないままだった。

 

 何も言えていないし、行動に移せている訳でもない。

 二人の間で談笑したり、楠木さんの嬉しそうな話を電車の中で聞いたりしているだけだった。

 

 

 

「ねぇ、あの子どうしたの?」

 

 

 

 先日そう声を掛けてきたのは、楠木さんの友達の田中だった。

 眼鏡の奥の瞳を怪訝そうに揺らして、腕を組みながら俺の返答を待っていた。

 

 

 

「……俺も、よく分かんねぇ」

 

 

 

 楠木さんは谷上とトイレに行ってるらしく、田中はその隙に俺の所へ来たらしかった。

 更に眉を寄せる田中に、俺は正直に吐いた。

 

 

 

「舞い上がってんだよ。それだけ。で、相手がアレって事に気が付いてないみたいな」

 

「恋は盲目ってことね」

 

「そういうこと」

 

「あなたは何もしないの?」

 

「……ずっと考えてる」

 

「そう。……わたしたちもよ」

 

 

 

 楠木さんが帰ってきて、田中はさっさと踵を返して行ってしまった。

 その後話を聞く限り、結局田中たちも強く言えてないようだった。

 

 

 そう、恋は盲目。

 

 俺は楠木さんの初恋を大事にしようとするあまり、相手のヤバさに気づかせることができなかった。

 

 

 那賀川の行動は絶対楠木さんの思う「好き」とは違うと。

 

 もっと何か別の……異様な感情が元の行動だと。

 

 両思いなんかじゃないと。

 

 そう気づかせることが、言うことが、今俺に求められていることだった。

 

 

 それを言うべきか、言うならどう言うべきか。それをぐるぐると考えながら俺の一週間は過ぎていった。

 

 

 

「じゃあ次は、体育か!赤坂ー!着替えるの忘れてるぞ」

 

「へ?うおおマジだぁ!!?」

 

 

 

 クラスの爆笑をかっさらいながら、それでも俺の頭にはそれが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3学期になって体育はサッカーを始めていた。

 ドリブルしながらグラウンドを回ったり、パス練習をしたり。

 

 俺にとっちゃ引退して1年以上経ったといえど基礎も基礎で、全体的に良い評価を貰っていた。

 

 

 

「お前ほんと何でサッカー部入んなかったんだよー」

 

「メンドイからって何度も言ってんだろ」

 

「着替え忘れるようなヤツがサッカー部でやってけるわけねぇだろッ!!!」

 

「うるせえよ」

 

「八つ当たりすんな」

 

 

 勢いよく蹴り飛ばしてきた深瀬のボールを軽くいなしながら、向かいの若狭に返す。

 2人でパス練したあと、4人で輪になってパスの練習中だ。

 

 俺が若狭と愉快にボールを転がしているうちに、フラれたことを散々片岡にネタにされた深瀬は完全に煮えたぎっていた。

 

 

 

「つーか、マジ?ほんとに『同じ財布弟が使ってたから』ってフラれたん?」

 

「マジだよ!!!」

 

「面白すぎるだろ」

 

「んなだせぇ財布使ってんじゃねぇよ」

 

「物持ちが良いんだよおれぁよぉ!!!!」

 

「だーから八つ当たりすんじゃねぇよ」

 

 

 

 今にも泣き出しそうな深瀬は、かわいそう半分と面白い半分。

 だって、フラれた理由が面白すぎる。どんだけ訳わかんない女と付き合ったんだ。

 

 

 

「いやこんな理由だけで納得できる訳ないじゃん?ちゃんと聞いたよ?何でって」

 

「おう」

 

「んでんで」

 

「なんて来たん?」

 

「『一気に子供に見えて冷めた』だってよ……」

 

「「「ああぁ~……」」」

 

 

 

 一転して弱くなったボールは輪の真ん中で止まり、俺たちの絶妙なうめき声に囲まれた。

 

 

 

「何だよそれぇ……!」

 

「なるほど?」

 

「急に頼りがい無くなっちゃった的なね」

 

「しかもその弟二個下なだけなんだぜ!?」

 

「思ったよりお前悪くなかったわ」

 

「だろぉ!??!」

 

「っはは、まあ女運無かったって事で」

 

「そうそう」

 

「あんま気にすんなよ」

 

 

 

 打って変わって慰められ、深瀬は真面目に涙目になっていた。

 さすがにかわいそうが勝ってきた。片岡がしたり顔でまとめに入る。

 

 

 

「まー恋愛で男女かきょうだいか親子かってめっちゃ大事らしいな。兄貴が言ってた」

 

「まあ~分かるかも」

 

 

 

 そう言って若狭が俺の方を見て笑う。

 

 

 

「てめぇ何見てやがる」

 

「健全な男女の関係としてお前ほど適切なヤツはいねぇよ」

 

「うるせえよ」

 

「だってさぁ……」

 

 

 

 と、そこで先生から声が掛かった。

 今度は一回蹴り上げてからパスをしろ、らしい。

 

 これまた俺、深瀬には楽勝で、片岡・若狭も運動神経は良い方だから、さっきの雑談が続く。

 

 

 

「でもマジでさ、楠木さんとお前って全っ然そんな感じじゃないよな」

 

「それなー。ま、どっちかってぇと友達より、前那賀川が言ってたみたいに兄妹っぽいけど」

 

「それでも女子とあんなに距離近いの良いよなぁ……」

 

「ははは……」

 

 

 

 なんてブツブツ恨み節を呟く深瀬を笑いながら、俺は那賀川が言っていた『兄妹』という言葉が妙に気になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でね、そしたら那賀川くんが『字綺麗だね』って褒めてくれたの!

 

うふふ、こんなに昔書道やってて良かったって思ったことないよ」

 

「……そっか。良かったじゃん」

 

「えへへ、でしょ!」

 

 

 

 最近恒例の、電車の中で恋バナタイム。

 

 寒い中自転車を漕ぎ、駅で人々に揉まれながらようやく人気の無いホームにたどり着くと、楠木さんはぽつりぽつりと話し始める。

 

 矢ノ川駅へ向かう月山線は県内でも田舎方面に行くこともあって、利用者は比較的少ない。時間帯に寄っちゃ余裕で座れる。

 

 当然同じ学校の奴らなんか見当たらなくて、楠木さんはここまで来ると安心したように口を開く。

 

 

 

「那賀川くんってね、結構斜めった字なんだよ。なんだか意外じゃない?」

 

「そうかぁ?男の字ってそんなもんじゃね?」

 

「あ、赤坂くんの字は全く意外じゃないよ」

 

「んだとてめぇ」

 

「あはは、それでね……」

 

 

 

 楠木さん、昔書道やってたんだ。初めて知った。

 そんな話、今日してたんだ。

 

 俺の知らない楠木さんの事を、那賀川はどんどん知っていく。

 

 

 これによって起こるもやもやの正体は、もう大分前に片が付いている。

 

 妹分的な友達を取られたような、なんか寂しいような、そんな子供じみた感情であることは自覚しているし、今更どうこう言うつもりもない。

 

 

 

『ほら、赤坂くん、ちょっと寂しかったのかなーって』

 

 

 

 でも、それに気が付いて笑い飛ばしてくれた彼女が、すっかり忘れたように那賀川について話すのはさすがの俺もいじけたい気分だった。

 

 

 

「じゃあね、赤坂くん!また明日」

 

「……おう、また明日」

 

 

 

 ああ、またダメだった。

 

 これを繰り返すこと一週間。

 俺はいつも、足取り軽く歩いていく楠木さんの背を見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今度の土曜には模試がある。

 この前の冬休み明けテストで手ごたえを感じていた俺は、今回はノー勉で済ましていた模試も頑張ってみることにしていた。

 

 と言ってもそこまで真剣にはやってない。

 

 弟と夕飯を作って食べ、風呂にのんびり入り、テレビのドラマをBGMにノートを広げる。

 

 暖房の効いたリビングで弟と話したり、LINEやメッセで友達たちとどうでもいいくだらない動画を共有したりしながら問題を解いていくのが、ここ最近一番楽しい時間だった。

 

 

 

「ねぇ!灯油切れた!」

 

「次はお前の番だろ」

 

「えー、次は二回オレがやるからさぁ」

 

「嘘つけ」

 

「本当なんだけどなぁ」

 

 

 

 ぶつくさ言いながら灯油を求め極寒の玄関へ歩いていく悟を眺めながら、ペンを回す。

 

 中学の頃死ぬほど流行ったのも遥か昔。久々に歩夢のあの気色悪いペン回しが見たい。

 

 くるくるぐるぐる、簡単に手の上で弄ばれるペンを見ていると、さっきのもやもやが戻ってくる。

 

 

 ノートを覆うように伏せて、ペンを眺める。

 単調な動きで振り回されるそれを見ていると、何だか眠くなってくる。

 

 疲れてるのかな。今日はそんなに身体を動かした覚えはないのに。

 いや、そっちじゃないか……。

 

 下がってくる瞼をそのままに、俺は遠くでペンの落ちる音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やだ、これ賞味期間切れてるじゃない……」

 

 

 

 人の歩く音と、ブーンという低い音。電子レンジか。

 それから、さっき夕飯で嗅いだ匂い。シチューの匂いだ。

 

 今度はバスン、と軽い爆発みたいな音。多分ストーブだ。

 うちのストーブは古いから、ボタンを押して数分経つとこう音を立てて火が付く。

 

 調子っぱづれの鼻歌と一緒に、何かがテーブルの上に置かれる。パンの焼けたいい匂いがした。

 

 

 

「んー、いい感じねー。んじゃ……」

 

「……久々に飲むの?」

 

「おわあぁぁ!?」

 

 

 

 誰が何をしているかようやく分かってきて、俺は身体を起こした。髪を雑にまとめ、カシュっと意気揚々缶ビールを開けた母さんが目を丸くして飛び上がった。

 

 

 

「……やだー、起こしちゃった?」

 

「そりゃ起きるよ、そんな音と匂いがしたら」

 

「あら、あんたも食べる?」

 

「いい」

 

 

 

 伸びをすると、肩から何かがづり落ちる。

 あのバカ、なんでよりによって制服のブレザーを掛けるんだ。コートで良いだろ。

 

 ブレザーをソファに引っ掛け、時計を見るともう1時近い。起こしてくれりゃあいいのに。

 

 

 

「で、遅かったじゃん。どしたの」

 

「あ~、熱心な子に捕まっちゃってさぁ。国語の読解問題の解説してたら遅くなっちゃった」

 

「近いもんね、高校受験」

 

「そーいうことー」

 

 

 

 賞味期限切れのハムを乗せたチーズトーストと一緒にシチューを頬張り、母さんは顔をほころばせる。

 その後ビールをあおってるのを見ると、ああ母さん疲れてんだなと昔から思う。

 

 

 

「で、何これ数学?うえー、懐かし」

 

「教えてくれたっていいんだけど?」

 

「嫌よー。家帰ってまでそんなことしたくないっての」

 

「はっ、知ってる」

 

「いやー、ホント夕飯用意してくれる息子がいて助かるわー」

 

 

 

 シチューとビールって合うのか?

 

 なんてがっついてる母さんを見ながら、ノートを片付けた。

 家族特有の、心地いい沈黙がしばらく流れる。

 

 

 

「……あんた、今日学校はどう?なんかあった?」

 

「え?別に、いつも通り。体育でサッカーして……あ、そうそう俺着替えるの寸前まで忘れちゃっててさ、すげぇ笑われちったわ」

 

「なーにしてんの、ぼーっとしちゃって」

 

「でしょ~」

 

「で?後は?」

 

 

 

 母さんの声が少しだけ鋭くなる。

 あー、バレたかな、なんて思いながら、一応誤魔化してみる。

 

 

 

「えー、別に……授業受けてメシ食って、楠木さんと帰ってきた。いつも通り」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 

 

 ノートとワークをリュックに突っ込んで顔を上げると、沈黙。

 

 今度は若干の緊張が走る沈黙と視線に、俺は耐え切れず手を上げた。降参だ。

 

 

 

「だー!わーったよ!あったあった、ありましたー」

 

「最初から言いなさいよ」

 

「……だってさぁ……」

 

 

 

 さすがにもう俺も高校生で16なワケで。

 こーいう学校の色々を親に言うのは面倒だしハズい。

 

 とはいえもう俺じゃあ解決できそうにないし、ここはこの酒に酔ったオトナの意見でも聞いてみてもいいだろう。

 

 

 

「で~?何があったの~?」

 

 

 

 もう酔い始めてる母さんに、俺はため息をついて椅子を引いた。

 

 

 楠木さんのプライバシーに関わりそうなことはやや伏せて、俺の感情は全部伏せて、物事をかいつまんで母さんに話した。

 

 楠木さんの初恋に、進展したけどなーんか那賀川がおかしいこと、楠木さんは舞い上がっててそれに気が付いてないこと。

 

 それが色々と気になって仕方がないこと。話し終わったころには皿はすっかり空になっていた。

 

 

 

「ふ~ん、なるほどねぇ~……。う~ん……」

 

 

 

 残ったシチューをパンの耳で拭いながら、母さんは通常の0.8倍の速度でうめく。

 俺は呆れる一方、こんなにめんどくハズい話をしたんだから何を言ってくれるんだろうと固唾を飲んで待っていた。

 

 

 

「で、どう思う?」

 

「えぇ~?うーん、そうだなぁ~」

 

 

 

 最後のパンを口に放り込み、残ったビールを一気に飲み干す。

 カン、と軽い音を立てて缶が叩きつけられ、母さんが顔を上げる。

 俺も期待を込めて、その顔を見た。

 

 

 

「う~ん……。別にいんじゃない?」

 

「…………は?」

 

「ほっとけばいいんじゃない?別に」

 

「……………………は、ぁああ!?」

 

 

 

 そ、それだけ!?

 こんな長々話してどんなに楠木さんがヤベーか話したのに、『ほっとけ』!?

 マジで?

 

 

 予想もしてなかった返事に俺は頭が真っ白になり、しばらく口をパクパクさせた。

 言葉が思いつかず、「あ?」とか「え?」しか出てこない。

 

 そして、最終的に出てきたのは、

 

 

 

「母さん、楠木さん嫌いなの!?」

 

「ぶふっ」

 

 

 

なんて、見当違いな言葉だった。

 

 母さんは噴き出し、机に突っ伏した。皿が揺れるほど肩を震わして笑っている。

 こっちは余計に恥ずかしい。

 

 

 

「なんだよ!!」

 

「い、いや、だって……ふ、…あーダメだぁはっはっはっはっはっは」

 

「~~ッ!」

 

 

 

 色々を込めて机をバンっと叩く。

 それを聞いて、母さんはひいひい言いながら身体を起こした。

 

 

 

「あー、あー、悪かったってば。ごめんごめん」

 

「ふざけて答えてほしかったわけじゃねーんだけどー?」

 

「っふふ……いや、いや。ごめんって。でもふざけちゃないよ」

 

 

 

 はー、と一度深く息を吐いて、母さんは俺に向き合う。

 

 さっき笑われた手前顔を合わせる気にならなくて、俺はお茶を入れに立つ。

 母さんは俺を背に、そのまま話し始めた。

 

 

 

「要はさ、透は明里ちゃんがすごい心配なんでしょ?変な男に引っ掛かってるし、初恋は成就しなそうだし」

 

「……」

 

 

 

 肯定を込めて黙る。図星だ。

 小鍋を火に掛けながら、母さんの言葉を待つ。

 

 

 

「でもさ、初恋なんてそんなもんじゃない?……そうでしょ」

 

「………………まぁ?」

 

「いいじゃない。やばい男に恋しちゃって初恋失敗しても。人生そういうもんでしょ?

 

これはね透、明里ちゃんの大事な失敗だと思うよ。それにあんたがしてあげるのは、成功させるんじゃなくて、上手く失敗させてあげること」

 

 

 

 水がふつふつと泡立って、湧いていく。お湯に代わっていく。

 

 俺は" 成功 "にこだわり過ぎたのか。

 自分のような思いをさせたくないあまり、楠木さんの初恋が失敗しないようやりすぎてしまった。

 楠木さんが失恋するのを見て、「俺」が、またあの時みたいな思いをしたくなかった。

 

 俺の願望を、楠木さんに押し付けてしまっていた。

 

 

 

「……なら、何してあげればいい?」

 

「そうね、そのナカガワって子が一線を越えるような酷いことをするようなら守ってあげたり、いつか失恋した楠木さんを立ち直らせてあげたり……とかね」

 

「……そっか」

 

 

 

 二つ分のマグカップにお湯を注ぐ。

 ティーバッグがぼんやりと滲み赤く満たしていく。

 

 

 

「透」

 

 

 

 カップを持って振り向くと、母さんが少しは酔いが醒めた顔で微笑んでいた。

 

 

 

「頑張りな」

 

「……うん」

 

「さ、ありがと。これ飲んだらもう寝な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤坂くーん!おはよ~」

 

「おう、おはよ楠木さん」

 

 

 翌朝。

 マフラーから溢れるほど長くなった髪を揺らして、楠木さんが手を振っていた。

 きっともう、ポニーテールが出来る長さだろう。

 

 

 

「今日の天気聞いた?雨が降っちゃうらしいよ」

 

「うぇー、マジ?傘持ってきてねぇ」

 

「やっぱり。折りたたみ傘、貸してあげようか?」

 

「いーよ。那賀川に貸しとくために取っとけ」

 

「……もう」

 

 

 

 照れつつも顔をほころばせて、楠木さんは学校の方を見やる。

 後数十分後にあいつに会える期待に胸を膨らましているのが後ろからでもわかる。

 

 

 

「……楠木さん」

 

「何?」

 

「今日も頑張れよ」

 

「……、うん!」

 

 

 

 俺は楠木さんを失恋に向けて、そっと背中を押した。

 

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