2話目です。
卵焼き。
卵を溶き、味付けをして、くるくる丸めながら焼くだけ。単純そうに見えて、だからこそ難しい。
「今何時?」
「7時20」
弟の返答を聞いて、俺は残りの卵液を全て流し込んだ。
下が固まって、上が半熟になった辺りでもうひっくり返す。破けても気にしない。
とりあえず一般的な卵焼きのイメージ通りの形になることだけを考える。
「よし」
焼き上がったそれを、広げておいたラップの上に乗せる。
ここからが時短テク。
キャンディの包み紙みたいにラップで卵焼きを包んでちょっと整形。あとは電子レンジで一、二分加熱するだけだ。
その間にご飯を詰めてお好きなふりかけを選ぶ。
今日はすき焼き味で行こう。どうせふりかけなんて毎日弁当のある俺しか使わないから、目一杯振りかける。
それから飲み物。
沸かしておいたお湯を水筒の大体四分の一辺りまで入れる。それにお茶のティーバッグを放り込んで放置。
と、ちょうどそこでピーッと軽快な音が鳴った。
「うぉぁッッつ!」
熱々のラップ包み卵を半ば放り投げるようにまな板に置いて、少し冷めるのを待つ。
次は今日入れる冷凍食品を選び。
とりあえずあと一つしかないハンバーグは内定済み。
しばらく冷凍庫をガサガサ漁って、魚フライ、ミニグラタン、ベーコン巻き、そして袋入りのほうれん草を取り出した。
出来合いのものは電子レンジへ、ほうれん草は刻んだソーセージと一緒に炒める。
ここでさっき卵を焼いていたものと同じフライパンを使うのがポイントだ。洗い物が減る。
ソーセージの脂と冷凍ほうれん草の水分が出るので油は敷かない。塩コショウをして、全体的に火が通れば完成だ。
暖め終わったおかず達とほうれん草炒めを手際よく詰めていく。
その頃には卵焼きも冷めてるから、ラップを開いて切り分ける。
半熟部分がレンジのお陰でしっかり固まり、焦げ目のないキレイな卵焼きに成っている。
端の方をちょっとつまむと、優しい甘さが口いっぱいに広がった。はい完璧。思わず口元が緩む。
「おい、卵焼き余ったけど食う?」
「もらうー」
余った卵焼きは弟に押し付けて、弁当は完成。
放っておいた水筒に水と氷を入れてティーバッグを救出。飲み物も完成。
「よし」
氷をカラコロ言わせながらリュックを背負う。
玄関でチラッと姿見を見ると、すっかり視界良好になった目付きが悪いだけの普通の少年が自分を見ていた。ソイツは笑ってサムズアップをしてくれる。
「んじゃあもう行くわ」
「あーい」
「鍵閉めろよ」
「んー」
弟の気だるげな声を背に、俺は軽快な音と共に家を出た。
入学して早一週間。
通学にも授業にも慣れ、俺はすっかり東雲付属一年になっていた。
治りつつある顔面の怪我のように、少しずつクラスとも先生にも馴染めてきてる……、はずだ。
見事に失敗した高校デビューからここ一週間、『大人しく』『高校生らしく』過ごしていた。
髪型も戻した。お礼は欠かさず、なるべく笑って、スカしたような口調は止め。
その努力の甲斐あって、俺への噂は『郊外の中学から来た不良』から、『先輩か先生に熨されて反省した元不良』か『高校で不良は止めるつもりだったがつい昔の血が騒いだ元不良』に変わった。
いい進歩だ。
多少はクラスメイトに話しかけて貰えるようになって、談笑と言えるものも何度か出来た。
「はぁーあ……」
勉強はついて行けている。宿題も基本ナシ。部活は考えてない。というよりもう入りたくない。
つまりは暇。
なのに遊ぶような人がいないから、学校からまっすぐ帰って弟と動画かテレビかゲームくらいしかしていない。
SNSは中学生の友達たちが高校生活を謳歌しているから見なくなった。
あいつらは許さん。せっかくの土日誰も連絡寄越さないと思えば、皆新しい高校の友達と遊びに行っていた。
「はぁ……」
「……あの、……どうしたの?」
「あー、いや。疲れただけ」
楠木さんが箸を置いて訊いてくる。
返事をすれば、短い前髪の下でハの字眉毛がそっと弓形に戻った。
結局楠木さんとは毎日昼休みを一緒に過ごしている。
つまり、楠木さんも話す人がいないってこと。
弁当の中身を自慢したり、授業や先生たちの話をしたり、まあ様々な雑談をぽつぽつしながらランチを楽しんでいる。
なんだか微妙な高校生活もそれなりに楽しめているのはこの時間あってこそと言ってもいいかもしれない。
あとかなり意外なことに、楠木さんはよく喋った。若干話し方がたどたどしいけど、ちょっと話を振ればノリよく返してくれる。
「今日は初めての体育だったもんね」
「あれマジたっるいよなぁ、体力測定」
「赤坂くんは得意だからいいじゃない……」
「はっ、まあね」
ふりかけご飯を頬張りながら、目の前のクラスメイトを眺めつつ話す。
この子こんな顔だったんだ。と、一週間で何度思ったか分からない言葉が浮んだ。
楠木さんは、実はとんでもない美人!なんてことはなく、どこにでもいそうな普通の女子だ。
町を歩けば似たような人に10人はすれ違えるだろう。
見ているだけで暑苦しかった髪と眼鏡がなくなっただけでこんなに印象が変わるのかと感心しているというのが正しい。
けどまあ、もったいない。
せっかく前髪を短くしたのに顔を隠す癖が直ってないのか、基本ずーっとうつむきがちだ。
見た目だけ変わって中身が変わってないのが問題ってカンジ?
まあそれでちょっとスカすとどうなるかは、楠木さんの目の前に立派な例がいるので何とも言えない。
そこでハッと思いついた。
もしや、案外楠木さんも高校デビューを考えてたんだったりして……。
そんなことをぐだぐだ思いながらじっと見つめていると、奥二重の垂れ目が泳ぐ。ちょっと面白い。
「なにか……?」
せっかくだから聞いてみることにした。
「ああ、何で楠木さんイメチェンしたのかなーって」
「えっ!?……えっ……あ、えーっと、」
「もしかしてさ、高校デビュー?」
目が泳ぐを通り越して反復横跳びし始める。反応的にそうらしい。
「へぇー?」
「いや、その……」
悲しい同士の慌てふためきように笑いを堪えていると、近くの女子たちの話し声が耳に入った。
「てか昨日のカラオケの湯坂!以外だったよねぇ~、めっちゃ歌下手」
「それなー!顔はいいのに」
「いや顔に歌関係ないっしょ」
「えーだって数少ないイケメンがあれよ?なんかヤじゃん」
「アミはイケメンに高望みしすぎなんよ」
「ええ~」
「つーかさぁ、クラスほぼいたから全然歌えなかったし、今日行かん?」
「えー、お金なーい」
「まだ四月始まったばっかじゃん」
「使いすぎじゃね?」
「えー、だってさあ……」
思わず固まった。
湯坂イケメンの癖に音痴なのか、とか金がないんならそのテーブルの上のお菓子はなんだ、とか様々な突っ込み所が浮かんできたけど、問題はそこじゃない。
「……昨日のカラオケ?」
今日は週明けで月曜。昨日は日曜。楠木さんと顔を見合わせる。
「行った?」
表情で察してはいるが聞いてみる。
楠木さんは当然首を振った。久方ぶりの沈黙が俺たちを包み込む。
また眉がハの字になった目と目が合った。
「あー……」
「あはは……」
ため息が重なる。
恐らくクラスラインとかで計画が出来上がってたんだろう。
もちろん俺は招待されていない。
俺の噂もそこで形成されているに違いない。
まあ、それはいい。後で入れて貰えればいいだけの話だし。一番腹が立つのは、
「カラオケかぁ」
カラオケに行ったことだ。
俺はカラオケが好きだ。
90点代連発と言うほど上手くはないけど、下手でもないと自負してる。
何より大声で歌えるのが楽しい。テスト終わりに隙あらば皆でカラオケに行っていたのも懐かしい。
「3月から行ってねぇや」
「カラオケ、好きなの?」
「嫌いな人いないっしょ。楠木さんは?」
「私、あんまり行ったことない……」
「えぇ!?」
楠木さんの返答に、箸を落としかける程驚いた。
カラオケにあんまり行ったことがない?金なし中学生の遊び場なんてそこいらしかないのに?
「マジで?」
「うん、二回だけ」
「ええ~?だって楠木さん麗と仲良かったじゃん」
麗、ってのは元吹奏楽部部長のこと。
歌も上手くカラオケ好き、基本90点越えで一回100点出したことがあるらしい。
中学時代、楠木さんは大半麗と一緒に行動していたから、それはもう行きまくっているものだと思ってた。
「だって、なかなか予定が合わないし、麗ちゃんは一人で行くことが多かったから……」
「あぁー」
麗はヒトカラ派だったのか。道理で行ってる回数が多いわけだ。
「茜ちゃんと美香ちゃんはカラオケより買い物!って感じだったし」
「へぇー」
大体麗と一緒になってた吹部グループを思い浮かべる。
茜ってやつはほぼ知らないけど、美香は2年の時同じクラスだった。ライブ抽選に一喜一憂してたのが印象に残ってる。
「でも嫌いじゃないよ、楽しかったし」
「ふーん、じゃあ今日行く?」
「えっっ!?」
今度は楠木さんが驚く番だった。
思いの外大きい声出るんだね、楠木さん。
「いや、俺もしばらく行ってないし。帰り道にあるし」
「え、いや、行ってみたいみたいとは思ってたけど……」
「予定は?」
「特にないけど、でも……」
「よし、じゃあ決まり。放課後ね」
「ええ~!?」
困惑半分、驚き半分の叫びにつられて思わず声を出して笑った。
いや楠木さん、「行く?」って聞いたとき一瞬目の輝きが変わったのを俺は見逃さなかったぞ。
嫌そうな顔をしたらすぐに「冗談」とでも言って誤魔化すつもりだったけど、本人も行く気があるなら文句なし。
何より、こちとら1週間も登下校が一人なんだ。多少は引きずって行っても許されるだろう。そして俺の歌を聞け。
「さーて何歌おっかな」
「わ、私あんまり曲知らないよ?赤坂くんが知ってるようなの、多分歌えないし……」
「大体そんなもんだろ」
流行りしか歌わない遼太郎と蓮也、アニソンばかりの信久、全然歌わない歩夢、ドラマの主題歌の多い俺、ってカンジだった中学時代を思い出す。
カラオケの選曲なんて仲いい友達と言ってもばらけるもんだ。
「じゃ、楠木さんが何歌うか楽しみにしてっから」
「……あんまり期待しないでよ?」
「あ、俺のは期待していいから」
「ちょっと~!」
また現れたハの字を笑いながら、昼休みは過ぎていった。
「つーかさぁ!楠木さん場所知ってるー?」
「知らなーい!」
放課後、自転車を飛ばしながら叫びあう。
東雲高校から神月駅周辺まで自転車で15分程度。基本坂を下っていくから行きより早く着く。
その代わり登校は結構大変だけど。
「じゃあ着いてきて!」
「分かったぁ」
ヘロヘロになりながら付いてくる楠木さんと、叫びあいながら帰る俺を、名前も知らないクラスメイトがびっくりした顔で見てくる。
これで不良イメージが多少は改善してくれないかなーと思いつつ、俺はスピードを落とした。
「早いよぉ~」
「えー、これでも遅めなんだけど」
「元サッカー部の遅いは信用ならないよ」
「分かったって」
まあ楠木さん文化部だからなあ、と信号待ちで息を整えている彼女を眺める。
麗の愚痴じゃ『吹奏楽部は運動部だから!』って聞いてたんだけど。
「吹部は走り込みがあるんじゃなかった?」
「対して走んないもん……」
「えー、『吹部は運動部』っしょ?」
「そりゃ……そうだけど」
「だろ?あ、ほら青、行こうぜ」
「はーい……」
長い橋を渡れば、ビルや店が増えてくる。
神月駅はそこそこ大きい駅だから、その周辺もそこそこ栄えてる。駅から200mほど離れた所にお目当てのカラオケ店はあった。
「時間どーする?」
「ど、どうだろう?」
「そんなに遅く居られないカンジ?」
「いや、もう親に連絡はしてあるから…」
「じゃあ3時間で」
なんて、ついいつもの癖で3本指を立てたけど2人で3時間回すのは難しくないか?とちょっと後悔。店員さんからコップとマイクを受け取った。
月曜日だからか嬉しいことに空いてる。その上、案内された部屋はパーティ用の大部屋だった。
「おっ、すっげぇ!広!」
「わっ、すごい……」
「こりゃあたりだぜ、楠木さん!」
30人は入れるだろう広さに長椅子がずらーっと並び、なんとスクリーンとステージ付き。
入ったことの無かった部屋に心を躍らせながら、俺は意気揚々とマイクを手に取った。先に音量を調節しておくのが俺の信条だ。
楠木さんは物珍しそうにあたりを見渡しながら、俺が脱ぎ捨てたブレザーをハンガーに掛けてくれていた。
それにお礼を言って、二人で飲み物を取りに行く。
「えっ、混ぜていいの…」
「えっ、普通混ぜないの?」
オレンジジュースにカルピスを混ぜたモノをまじまじと見つめながら、楠木さんはおずおず同じようにドリンクを混ぜた。
一口飲んでぱっと顔を輝かせたあたり、気に入ったらしい。
「前からやっておけばよかった…!」
「んな大袈裟な」
楠木さん、結構顔に出るタイプなんだな。
笑いをかみ殺しながら、俺はリモコンを手に取る。
「採点入れていい?」
「あ、うん」
「OK、どっちから歌う?」
「どっちでも…」
「じゃあ、俺から!」
マイクをひっつかみ、何なら気合を入れてステージに立つ。
1曲目は俺の十八番、『バッドセンチメンタル』。5年位前のドラマ主題歌だ。あのドラマ好きだったなぁ。
「っしゃああ、行くぞおおおぉぉぉ!」
俺の叫びに楠木さんがビクッと肩を震わせる。心の中で謝りつつ、大きく息を吸った。
「『生きろ 生きろ 強く 暗闇に閉ざされようが 進め」」
しょっぱなからこぶしを効かせてシャウト!はい最高!目を丸くして呆然としている楠木さんにアイキャッチを飛ばし、マイクを握る手に力を込めた。
ドラムの刻みに身体を揺らし、シラフではとても言えない歌詞にぐっと感情をこめて歌い上げる。
「『生きて生きて 強く 暗闇に閉ざされようとも 進んでくMy Way』」
エコーをガンガンに効かせた絶叫が部屋に響き渡る。
そう、これでこそカラオケだ。
周りの目を気にせずにクソイテぇ奴になりきってノリノリで声を出す。
最高だ。生きてるぜってカンジ。目の前の女子のことも忘れ、俺は最後まで声を張って歌い上げた。
「っあ~!最高!!」
ぱちぱち、と控えめな拍手が聞こえた所で、おれはやっと楠木さんの事を思い出した。
「赤坂くん、すごかった!すっごいノリノリだった!」
「だろぉー?」
画面に88点、と表示される。まずまずってカンジ。次は目指せ90点!だ。
でもそれより、ノリよく盛り上がって楽しく歌うのが一番。
「はい、次楠木さん」
「なんか歌いにくいなあ……」
ちょっと自信なさげに、だけどステージに上がる楠木さん。
さては結構ノリノリだな?しっとりしたバラードっぽいイントロが流れ始める。
ニヤニヤしながら見つめる俺をちょこっと睨みつけて、楠木さんはゆっくり息を吸った。
「『こんにちは 昨日のわたし』」
「……へぇ」
思わず声を漏らした。驚いた。上手い。
「『後悔後に立たずとは言うけれど そんなものしたくないもの』」
月並みだけど「透き通るような声」ってのがふさわしい歌声。
そして何より、音程が完璧。低音がちょっと苦しそうだけど、細かい音程の繰り返しや高い音もしっかり出きっている。
「『さあ 息を吸って 一言』」
それに高音の伸びがすごい良い。
聞きづらい金切り声でも、苦しそうなかすれ声でもない。聞いてて心地いい感じ。
最後までダレず安定したまま、楠木さんは最後まで歌い切った。
「何楠木さん、超上手いじゃん」
「あ、ありがとう…」
すごすご戻ってきた楠木さんが顔を覆う中、得点がスクリーンに投影された。
「ええっ、93点?」
「わ、やった」
「すっげぇ!やるじゃん楠木さん!」
「まあ、その、ちょっとは、自信あったから……」
コップで顔を隠してもそもそ喋る楠木さん。
こんないい点数出したのにそんな反応をされたら、こっちももっといい点数を出したくなってしまう。
「よし、俺だって90点台出してやるから見てろよ!」
「えあっ、そんな……」
「ほら、楠木さんも次入れろって!」
困ったようにリモコンを受け取るけど、なんだかんだで次の曲を探し始める楠木さん。
この次は何を歌おうか?そう考えながら俺は2曲目を歌いだした。
2時間後。
流石に疲れた俺たちはドリンクをおかわりして一休みしていた。
80点台後半で伸び悩む俺に対し、落ち着いたバラード曲で90点台を連発する楠木さん。
泣きの一回で入れた2度目の『バッドセンチメンタル』でようやく91点を出し、一旦休憩になった。
「あー、喉いてぇ」
「気合入りすぎだよ」
「だって楽しくなきゃ意味ねーじゃん」
「それは……そうだけど」
「いいじゃん、なんだかんだで90超えたし。やっぱカラオケっていいわ」
「………………ほんとに、楽しい?」
「え?」
なんだか神妙な顔つきになって、楠木さんはコップを置いた。
空いた手でスカートのプリーツをいじりながらぽつぽつ話し始める。
「初日に、声掛けてから毎日お昼一緒にしてるけど…赤坂くん嫌じゃないのかなって、思ってて……。中学全然話したことなかったし……。
話したら結構盛り上がったけど、でも楽しいの私だけだったら、どうしよっかなって……。そんなことを、ちょっと……」
「ふーん?別にそんなことないけど」
他に相手がいないというのもあるけど、やっぱり楽しいと思ってなければ1週間も一緒に昼休みを過ごすわけがない。
こんな話題出さないほど(出したくなかっただけ)面白い話題も尽きず、お互いに楽しめているつもりだった。
「そ、そう?」
「いやまあ、普通に嫌だったら、次から一緒に食べてないし。つーかさ、なんで俺誘ったの?マジで接点なかったのに」
「え、だって、知らない女の子話しかけづらいし、男の子はもっとだし、ならまだちょっとは知ってる赤坂くんの方が声掛けやすくて……。
……それに」
「…それに?」
顔をそらして、ぼそっと楠木さんは言った。
「……不良に間違われててかわいそうだったから」
「…………は」
そらした顔の、口元がちょっと笑っている。
「転んだだけだったのに……ふふ」
「……おい、ちょっと、楠木さん?」
見てたのか。
段々頬が熱くなってく俺に気づかないまま、楠木さんは笑いを押し殺しながら言う。
「入学式は普通だったのに、顔すごいケガしてるし……あっはは……!」
ついに堪えきれなくなったのか、楠木さんはお腹を抱えて笑い出す。
言われてばかりじゃ居られず、俺も負けじと言い返す。
「うるせぇ、なんだよ楠木さんこそ、前髪失敗してるくせに!」
「だ、だって美容院さんに頼んだらすっごい短く切られちゃって……ふふっ、」
笑いの波に飲まれた楠木さんには全てが面白いらしく、自分の失敗談まで笑いながら話し始めた。
「ばっさり切ってくださいって頼んだら、どんどん短くされちゃって…止めて下さいって言えなくってこんな……っふ…短すぎ……」
笑い続ける楠木さんに釣られて、俺もなんだかおかしくなってくる。
「それ言ったら楠木さん、俺だって色々髪型考えてたのに、不良に間違われてんだぜ?
そもそも俺自毛なのに、っはは……」
──母さんからの遺伝か、俺は生まれた時から茶髪だった。高校に自毛証明の為小さい頃の写真まで持って行ったくらいだ。
「え、うそ、自毛なの?……生まれながらの不良……」
「ひっでぇ!」
楠木さんが目を丸くして笑ってくれて、今まで胸を占めていた何かがじわじわ溶けていくように思えた。
息も絶え絶えになってようやく笑いが収まった時には、楠木さんはすっかりスッキリした顔をしていた。
きっと楠木さんの目に映る俺も同じ顔をしてることだろう。
「そうだよな……」
ぼそ、とやや枯れた声でつぶやく。
「こういう、帰りにカラオケによってくだんないことで笑うのが高校生活だよな……」
背もたれにぐったり寄りかかってまぶしいライトを瞼越しに見つめる。
「俺さ、こういうことがやりたかったんだよ。日常こそ楽しい『青春』てやつがさ」
「……私も。
もっと明るくなって、今度こそ沢山友達を作って、放課後遊びに行ったり、体育祭とか文化祭とか、行事を目いっぱい楽しんで……。
色々話せる、お喋りな子になれればなって」
独り言のような俺の言葉に、楠木さんは返してくれる。
ああやっぱり。楠木さんも同じこと考えてたんだ。
楠木さんの言う一言一言が全て自分のセリフのように思える。
「でも私失敗しちゃった。
前髪こんなで、恥ずかしくて、自己紹介も小さい声になっちゃって、誰にも声を掛けられなくて……。
もうそんなことできないや」
「え、なんで?」
浸るように聞いていたのに、聞き捨てならずガバッと体を起こす。
楠木さんは急に起き上がった俺を目を見開いて見ている。
「これから友達もできるかもしれないし、別に二人だけでもできるだろ、そういうこと」
「あ……」
「それに俺も暇だし?こういうのくらいだったら普通に付き合うし」
「そう、なの?」
「そーだよ!」
残っていたコーラとジンジャーエールのミックスジュースを一気に飲み干す。
高校生の酒はソフトドリンクだ。炭酸で喉を焼けばちょっとこっぱずかしいことでも何だって言える。
「大体さぁ!こんな昼休み一緒にいてそれなりに話してるのにさ!毎回先に帰ってんじゃねぇよ!一緒に帰るくらい嫌じゃねえわ!」
「そう、なんだ…」
「いいか?二人でも青春ぐらいやれるっての!俺だって青春してぇし!そのために高校デビューしようと思ってたし?」
そこまで叫んで、俺はバッと右手を突き出した。土日を挟んで考えていたことをはっきりと口に出す。
「協力しようぜ、楠木さん。俺と一緒に最高の高校生活ってやつ送ってみようぜ、一緒に!」
楠木さんは呆然と俺が差し出した右手を見ている。
それでもその目の輝きをさせる思いは、俺には分かる。そうだろ楠木さん。
──目が合った。
キラキラ光る瞳が一度閉じられて、楠木さんは微笑む。
差し出された女の子らしい柔らかくて小さい手と固く握手を交した。
「赤坂くんってさ」
「ん?」
手を握ったまま、楠木さんは言う。
「ちょっと遠回りだよね」
「はあ?」
「だって、『友達になろう』ってことでしょ?」
「……」
『酒』の効果が切れてきて、思わず顔をそらす。
それを見た楠木さんは声を上げて笑って、もう一度俺の手を握りなおした。
「改めてよろしくね、赤坂くん」
「……ああ!よろしく、楠木さん」
空のグラスで乾杯。プラスチックの軽い音は俺たちの戦いを宣言するゴングだ。
「で、青春て何するの?」
「んー、まあ今日は、ここで歌いまくること!」
「えへへ、了解!」
俺たちの青春は、きっとここから始まるんだ。
かなり長くなってしまいました。
これからは短めの短編で書いていきます。
今後ともよろしくお願いします。