俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

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第28.5話 明るく透ける未来  to A & K

 静まりかえった家にエアコンの音だけがのさばる。

 

 父さんは珍しく残業で、俺以外には誰もいない。夕飯を食べる気にもならなくて、疲れた身体をベッドに横たえていた。

 

 

 

「…………なーんて、身勝手にも程があるよな……」

 

 

 

 薄暗いデスクライトの光に透かされて、赤い袋の中身ががさがさ動く。

 

 綺麗にコーティングされたクッキーたちや、しっとり焼き上げられたパウンドケーキが俺の手の上で弄ばれた。

 もらったときはあんなに綺麗だったのに、帰りの自転車の振動のせいかラッピングはすっかりくたびれている。

 

 これをくれた人の気持ちが全部、俺の手の上でぐしゃぐしゃにされていた。

 

 

 

「……っくく」

 

 

 

 それを持ったまま、腕を目の上に載せる。頼りない光さえ無くなって、目の前は完全な闇になった。

 

 

 

「ははは」

 

 

 

 布団に叩きつけた衝撃で甘い香りが俺の鼻をくすぐる。

 今年も女の子からお菓子を沢山もらってきたのに、これが一番良い匂いがするように思えた。

 

 

 

「……はは…………」

 

 

 

 何やってたんだろう、俺。最低のクソ野郎だ。

 本当何やってんだ、何やってたんだろうな、俺は。

 

 楠木さんの思いを利用して踏みにじった。

 また瞳と同じ目に合わせてしまった。

 普通じゃなかった。

 ちょっと考えれば最低だって分かる事に気がつけなかった。

 

 

 だって、だってあの二人が本当に優しいから。

 急に距離を詰めても、辛気臭い顔で一緒にいても、受け止めてくれるから。

 

 それがいつかのリビングを思い出させて、あの時が帰ってきたみたいで。

 そうして溺れてしまうのがあまりに心地良くて、罪悪感で一杯になって自分が気持ち悪くて、だからまた縋って。

 

 俺はあいつらへ、わがままに甘えていった。

 

 

 甘さから顔を背けるように、デスクの方を見る。

 

 3年間伏せられた写真立ての黒いフレームは埃を被っている。俺の覚悟の象徴。

 バスケから逃げられない重し。もう戻れない過去。

 

 そうして背けていた現実に引き戻してくれたのは、大智だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ健人ぉ」

 

「……何?」

 

「そろそろ止めねぇ?」

 

 

 

  凍った夜空を裂くようなブレーキ音と共に、大智は突然そう言った。

 少し遅れて振り向くと、きっと口を引き絞り、街頭に照らされて立っていた。

 

 

 2月も気が付けば中旬。

 

 結局、1月の親善試合には出られなかった。

 それでも俺は" 精神的支柱 "を手に入れたことで調子を取り戻し、すっかり『いつも通り』の部活が出来るようになっていた。

 先生や部員たちの心配げな視線も薄れて、入学当初並に順風満帆な日々を送っていた。

 

 そんな中、その日は珍しく野球部と帰りの時間がかち合って、久々に大智と二人で帰路についていた。

 

 

 

「何のこと?」

 

 

 

 裸になった木が作る影に隠れて、聞き返す。

 

 

 

「最近クラスでも噂になってんだろ、お前と楠木さんのこと……」

 

「あー、あれ?別に付き合ってねぇよ。お前が喜びそうな話題じゃなくて悪いけどさ」

 

「そうじゃなくてよぉ」

 

「じゃあなんだよ。別に俺が誰と仲良くしてもいいでしょ」

 

「だからぁ、それ自体のことだって」

 

「は、何それ」

 

 

 

 俺を射抜く視線を置いて漕ぎだすと、大智は乗るのも忘れて追いかけてくる。

 

 

 

「いやだって様子がおかしいだろお前!なんか異様に距離が近いって皆言ってるぞ!」

 

「そうかなぁ」

 

「だからそう言ってんじゃん!んでオレはよぉ、お前がまた前みたいなことをやらかしてんじゃねかじゃって思うわけよ!」

 

「ふーん……」

 

 

 

 スピードを速める。人気の少ない住宅街に、大智が駆ける音が反響する。

 

 

 

「だからさぁ、それやめねって話!

 

なんかヤなことあったんだろ!?んで瞳ちゃんときみたいに楠木さんと仲良くしてんだろ?」

 

「……だから?」

 

「やめろってんだよ!かわいそうだろ!?ありゃないって!瞳ちゃん泣かしたの忘れたのかよ!」

 

「……そう」

 

 

 坂に差し掛かって、重いペダルに全体重を掛ける。

 ギアを一番軽くして漕いでいくと、自転車はどんどんスピードを増していく。

 

 それなのに、背後の声は全く遠ざかっていかない。切れた息を白く吐き出しながら、野球部の健脚を生かして走り寄ってくる。

 

 

 

「お前、瞳ちゃんにも、謝ってないだろ!?中学で散々言われたくせに、まだ懲りてねぇのか、このバカ!!」

 

「……」

 

「クソ、この、お前女の子にばっか頼りやがって……!羨ましいなクソ、ふざけんな、なのにお前は、こんなことしやがって!!」

 

 

 

 坂を上りきろうとしたところで、後ろがぐんと重くなった。

 急にスピードを失ってバランスが崩れる。倒れかけたのを寸でで避けると、大智と目が合った。

 

 

 

「…………っあ˝あぁぁうるせぇな!!!じゃあどうしろって言うんだよッ!!!」

 

 

 

 その真っ直ぐな目を見た瞬間イラつきが脳を満たして、叫びになって出ていった。

 それでも消えず、身体中を駆け巡っていたイラつきを込めて自転車を蹴飛ばす。

 

 それを、大智はいとも簡単に受け止めた。

 

 

 

「オレがいるだろ!」

 

 

 

 音が止まった。

 

 さっきまで耳元で鳴っていた血の音はなりをひそめて、後は俺と大智の切れた息だけが耳を打った。

 

 

 

「……っあー、つーか、オレだけじゃなくて!

 

真輔に、優志に、誠に、亮先輩に、あとほらーお前の部活仲間とかクラスメイトとか……色々!」

 

 

 

 カッコついたのが嫌だったのか、沈黙が恥ずかしかったのか、大智は指を立てて懐かしい名前を挙げていく。

 ぼーっとそれを眺める俺を見て、言葉を探して口元をもごつかせた。

 

 

 車が一台迷惑そうに俺らの隣を通り過ぎて、ようやく固まったのか声を上げた。

 

 

 

「えーと、だから!なんだ?つまりオレが言いてぇのはさ、お前もっとオレらにそういう悩み的なヤツを話してくれて良くねって話!よ!」

 

「……」

 

 

 

 散々もったいぶって、もたついた言葉が胸を突いた。

 

 悩みを友達に話して聞いてもらう。なぜかこの数年頭からすっかり抜け落ちていた考えだった。

 中学までは普通にできていたのに、どうして忘れていたんだろう。

 

 

 

「そーやって変に抱え込んでるから女の子に寄っちまうんだろ?聞いてやるって、そーいう色々!昔みてぇにさ」

 

「昔みたいに……」

 

「いやまあ、オレから聞かなかったし、話しにくいとか、色々あるたあ思うけどよー。

 

自分から話さない癖に『うるせぇ』ってキレてんじゃねぇよ。中学から何にも話さなくなったろ、お前」

 

 

 

 だって、どうやって話したらいいか分からなかった。

 

 俺の夢と、家族のいざこざが絡んだことを真っ直ぐに伝えるのが恥ずかしかった。

 自分でさえどうすればいいのか分からない、こんな重たい現実を友達に被せるのが恐ろしかった。

 

 このどうにもならなさを、家族の酷さを、俺の恨みを気持ち悪さを、いったいどうやって他者に押し付ければいい?

 

 

 そう、だからきっと、(かぞく)を求めた。

 この閉塞感から救い出してくれる、心を許せる人が欲しかった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 無言の俺に、大智は笑っていた。

 いつか5月の日差しに照らされていた笑顔が、寒空の下立っていた。

 

 

 

「お前を心配してるやつって、結構いるんだぜ?」

 

 

 

 あの時、皆を信用して不安も不満も全部ぶちまけてしまえば、何か変わっていただろうか。

 恵と喧嘩別れなんてしなかっただろうか。

 瞳の思いを利用して、傷つけることもなかっただろうか。

 

 

 

「……今更、聞いてくれんの?」

 

 

 

 いや、違う。『あの時』じゃなくて、『今』。

 今更でもいい、今話せば、この状況を少しは変えられるんじゃないか。

 

 

 

「当たり前だろ」

 

 

 

 ああそうか。

 

 だって、昔も、今も話を聞いてくれる人は俺の周りにたくさんいるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……たかが友達1人に話したところで、俺の家族が壊れた現実は変わらない。

 だけど、それは俺に勇気をくれた。

 

 恵と仲直りする勇気。家族と向き合う勇気。自分を直視する勇気。楠木さんを手放す勇気。

 

 

 俺の望むままに優しさをくれるあの子を、俺は自由にしてあげなきゃならない。

 

 俺は、あの子が思っているような『好き』を持ってない。

 あの子が望むようなキスも、ハグもしてやれない。

 

 だって俺は、俺を満たしてくれる家族が欲しいだけだから。

 

 

 

『まぁ何より優先すべきはよ、やっぱ楠木さんじゃね?スパッと関係断ち切って、ちゃんと謝れよ』

 

 

 

 俺と大智の意見はまず、そこで一致した。この歪な関係を終わらせるには、俺が楠木さんをフるのが一番良いんだろう。

 

 

 それを思い出しながら隣を見ると、すっかりあがらなくなった楠木さんが笑う。

 両思いだと信じて疑わない微笑みが心苦しい。何をどう説明して謝っても、この子を泣かせることになるだろう。

 

 

 いつどうやってその気持ちを断ろうと悩んでいたら、タイミング良く楠木さんから連絡が来た。

 テスト明けにバレンタインのお菓子を渡したい……なんて分かりやすいお誘い。

 

 フるのにぴったりな機会だった。

 

 

 

「楠木さんとは付き合わないよ」

 

「……は?」

 

 

 

 俺を呼び出し、きっとそれを言いに来たんだろう赤坂が、ぽかんと口を開ける。

 

 その視線から逃げないよう、背中を壁に押しつけて見つめ返す。

 

 

 

「というか、元々そのつもりだったよ。俺じゃ応えてあげられないし」

 

「……どういう」

 

「テスト明けに告白してくれるんでしょ?昨日楠木さんから連絡来たよ。バレンタインのお菓子も渡してくれるって。あはは、優しいよねぇ」

 

 

 

 呆然に怒りを滲ませた赤坂の視線が痛くて、煽る様な口調が出る。それでも動じずに、赤坂は言葉を続ける。

 

 

 

「……で、なんでフる予定なわけ?あーんな思わせぶりにしといてさ」

 

「さっき言ったじゃん。楠木さんの気持ちに応えてあげられないから。

 

俺は『そういう』意味で、楠木さんに抱きつきたいわけじゃないってこと。

 

気づいてただろ?」

 

「お前……!!」

 

 

 

 煽った通りに胸ぐらを掴まれる。赤坂は歯を食いしばって俺を睨む。

 

 それでも、それ以上のことはしてこなかった。俺としては好きなだけ殴ってくれた方が嬉しかった。

 

 

 

「俺にも色々あって、そうして欲しかったんだよ。……酷いだろ?

 

分かってる。分かってるよ。だから付き合わない。これで終わりにする」

 

 

 

 口に出すと自分の覚悟がするすると決まっていった。

 

 もう相手の好意を利用して女の子に縋ったりしない。

 現実から目を背けたりしない。

 

 俺は友達と一緒に前を向いて、自分の未来に向き合う。それがどんなに辛い道でも、俺が傷つけた二人に誓って、絶対に。

 

 

 赤坂は舌打ちをして、手を離した。

 その苦々しげな、でも確かに俺の何かを感じ取ってくれた顔と見つめ合って、胸が潰れそうな程感情がわき上がった。

 

 こいつの友達に酷いことをした罪悪感。

 そのくせ、勝手な考えだけど許されたような、俺の全部を受け入れてくれたような、安堵感。

 

 

 

「謝るよ。ちゃんと。その後は頼む」

 

「こっちは元からそのつもりだっての」

 

「なら良かった」

 

 

 

 タイミング良く予鈴が鳴った。第2棟に響き渡るチャイムを聞きながら、吐きそうな感情を伝えるようにしばらく見つめ合っていた。

 

 

 

「……じゃ、戻ろうか。そろそろ朝のHRだし」

 

 

 

 そんなの、勝手に伝えられても困るか。

 

 チャイムが消えて、俺はごまかすように階段に足を掛けた。

 恥ずかしくなって向けた背を逃がしてくれず、赤坂が声を掛けてくる。

 

 

 

「なあ」

 

「何?」

 

 

 

 赤坂は恨みも好奇心も無く、真っ直ぐに俺を見て言った。

 

 

 

「お前と妹に何があったのか聞いても良い?」

 

「……」

 

 

 

 せり上がった感情が喉を詰まらせる。

 

 それは、受け止めてくれるって事でいいのか。

 俺の辛さも汚さも気持ち悪さも、楠木さんにした酷いことも。

 

 お前は、それを聞いてくれるのか。

 

 

 

「……お前らがこれからも友達してくれるなら」

 

 

 

 色んな思いがない交ぜになったものを飲み込むと、自然と口元は微笑んだ。

 

 もし許してくれるなら、お前らに全部話したい。そう出来るような、友達になっても良いだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 そうして俺は、楠木さんをフった。

 

 

 ついに謝れたという安堵と達成感で一杯になっていたけど、通学路を走っていくうちにどんどん後悔がにじみ出ていった。

 

 

 もっと謝ればよかった。

 

 思いを利用してごめん。気持ちに応えてあげられなくてごめん。恵の代わりにしてごめん。瞳と同じ目に合わせてごめん。

 

 

 あれで十分だと思っていた言葉が全部足りないように思えて、俺の頭を満たしていく。

 あんな言葉足らずでも、友達になろうと言ってくれた楠木さんの笑顔と一緒に。

 

 

 楠木さんだけじゃなくて、赤坂にも謝り足りない。友達を傷つけて、面倒な目に合わせて、挙句最後のフォローまで丸投げにした。

 

 

 お前らに俺の過去を知ってほしくて、そんな相手になってほしいという思いが先を行き過ぎてしまった。

 本当はもっと言うべきことがこんなにあったのに。

 

 

 明日、もう一回二人に謝ろう。後悔と決意が身体を起こす。

 

 俺は変わって見せる。

 今度は俺の力でもう一度頑張るから、利用したりしないから、だからどうか、明日から現実に立ち向かう勇気をください。

 

 

 楠木さんに貰ったお菓子を一つ手に取った。

 

 ホワイトチョコレートでコーティングし、ピンクのチョコペンでデコレーションされた丸いクッキーは俺の手のひらに小さく乗った。

 

 きっと時間をかけて作ってくれたんだろうそれを口に運ぶと、甘い感触が崩れていった。

 やっぱり、お菓子作りも上手なんだな、楠木さん。このお礼も明日言わなきゃだ。

 

 

 伏せられた写真立てに近づく。

 

 恵、お前もこのくらい料理が上手くなってるか?

 母さんや邦彦さんと一緒に作ったりしてるのか?

 お前は今、何してるんだ?

 

 それを教えてもらえるように、お前とまた仲良くなれるように、俺はまた頑張るよ。

 

 口に残る甘さを飲み下して、俺は写真立てを手に取った。

 

 

 

「……」

 

 

 

 小4の時、ミニバスで優勝した時の写真。

 家族全員が応援に来てくれて、まだ父さんと母さんは仲が良くて、恵と一緒に撮った写真。

 恵は隣の兄貴とそっくりな笑顔で写っている。

 

 お気に入りのポニーテールに、ニッと白い歯を見せて、少し釣り目のそれを細めて、眉をくっと上げた屈託のない笑顔。

 

 

 瞳とも、楠木さんとも似ていない笑顔がそこには写っていた。

 

 

 

「……は」

 

 

 

 幾度となく見てきた写真のはずだった。

 伏せていても脳裏に浮かぶほど、俺にとって大切な写真のはずだった。

 

 それなのに、この3年間俺の頭にあった恵とは似ても似つかなくて、呆然と写真を眺めた。

 

 

 似てない。二人とそっくりに見えていた恵の笑顔が俺を見つめ返す。

 

 

 恵は本が好きだった。漫画や図鑑が好きだった。

 瞳も本が好きだった。図鑑も好きだった。だけど、漫画は苦手で小説が好きだった。

 楠木さんは本があんまり好きじゃない。絵本や写真集が好き。

 

 恵は料理が好きだった。でも、得意じゃなかった。よく手を切ったし失敗も多かった。

 瞳は料理が苦手だった。調理実習でさえ洗い物係になるほどに。

 楠木さんは料理が好きだ。それに得意で、今日だって……。

 

 

 何もかもが同じに思えていた3人がバラバラになっていく。

 恵を求めていただけのはずの二人が、恵から遠ざかっていく。

 

 俺は恵みたいな存在が欲しくて、それに重なる二人を求めた。そっくりな二人だと思っていた。

 二人を気に入ったのは、近くにいてほしかったのは、恵に似てたから。

 

 そう思っていた。

 

 

 似てない。3人とも皆違う。

 じゃあ、俺は何で、瞳と楠木さんを……。

 

 

 

「……まさか」

 

 

 

 瞳の明るい笑い声が好きだった。

 

 物知りなところも、頭がいいところも好きだった。むくれた顔が好きだった。

 図書館で、公園で、他愛もない話をするのが好きだった。

 

 

 ……楠木さんの困り眉が覗く笑顔が好きだ。

 

 すぐにキャパオーバーしちゃうところも、表情にすぐ出てしまうところも好きだ。

 見かけによらず、たくさん喋るところが好きだ。

 そんな君の反応を見ながら話すのが、好きだ。

 

 

 好きだ。

 好きだ。

 好きだった。

 恵に似ても似つかないところが好きだった。

 一緒にいる時間が大好きだった。

 

 

 俺は恵に似てる人を求めて、二人に近づいたんじゃない。俺は好きになった人に、恵のように、近くにいてほしかった。

 好きな人に、恵を失った穴を埋めてほしかった。些細な違いが大きくのしかかる。

 

 

 ああそうか、そうだったのか。

 

 俺は、ちゃんと二人が好きだった。

 瞳にファーストキスをあげたのも、楠木さんを抱きしめようとしたのも、きっとそういうこと。

 

恵を求めて酷いことをしたのは変わらないけど、でも、それでも、好きだった。

 

 俺が勝手に、好きな人に恵の幻影を見ていただけで。

 

 

 

「……ははは」

 

 

 

 思わず笑い声が漏れる。自嘲ではなく、本当に自分の行動が可笑しかった。

 

 散々傷つけて、フラれて、フッておいて、今更好きだったと気づくなんて。

 俺はなんて馬鹿なんだろう!

 

 

 

「っははは!」

 

 

 

 今更。今更だ。

 俺が何かに気づくのはいつだって遅い。

 

 でも構わない。俺はこの今更の現状と、向き合うって決めたんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っはよ健人ォ!」

 

「痛って!……朝から元気だな大智」

 

 

 

 翌日。

 朝練を終え、心地良い疲れと共に階段を上っていると、いつもの衝撃が背を襲った。

 真輔たちと一緒に4階へ向かう。

 

 

 

「聞けよ大智!こいつ朝から調子アガリまくりでさぁ!やべーシュートだったよな!な、健人?」

 

「そうそう!マジスーパープレイ!な!」

 

「あー……まぁな?」

 

「はぁ?んだよそれ!ちょー見てぇ!」

 

「ありゃ動画モンだったよなぁ」

 

「そこは撮っとけよぉ~」

 

「っははは!!別にあんなもんまたやってやるって」

 

「おっ!言うねぇ」

 

「流石オレらのエース!」

 

「まぁね~」

 

 

 

 足音高く階段を上がれば、朝日が俺たちを射抜く。一段と騒がしい1年生のフロアが出迎える。

 

 

 

「ちょーしいいじゃんか、なぁ健人」

 

 

 

 真輔たちと別れると、大智がそうささやく。

 

 

 

「ま、色々とな」

 

 

「へぇー」

 

 

 

 視線を合わせれば、全部が伝わる。大智は満足そうに笑い、肩を叩いて自分の席に向かっていった。

 

 

 

「おはよぉ健人!」

 

「あ、おはよう明美」

 

 

 

 また背を叩かれて振り向くと、今度は明美たちだった。わさっと囲まれ、口々に話しかけられる。

 

 

 

「ね、昨日渡したお菓子どうだった?」

 

「あたしのも!」

 

「わたしのは?」

 

「あんたただのチロルでしょ」

 

「そーじゃん。ね、あたしのは?」

 

「ははは!みんな美味かったよ。マジありがとね」

 

 

 

 誰がどのお菓子だったかを、顔を見ながら思い返す。

 

 お腹いっぱいで一口しか食べてないが、そう返すと皆満足そうに笑って去っていった。1か月後のお返しを考えながら席に着く。

 

 

 と、落ち着く間もなく、またも声が掛かった。

 

 

 

「うぃーっす」

 

 

 

 バシ、と本日3度目の衝撃と共に、今度は意外な声が耳を打った。

 

 

 

「「おはよー那賀川くーん」」

「……え」

 

 

 

 振り向けば見慣れた茶髪の釣り目と、黒髪のたれ目。

 にやついた口元で、二人は声を揃えて言った。

 

 

 

「あ、ああ、おはよ……」

 

「えー?『え』って、なぁに?酷いなぁ」

 

「なー?」

 

 

 

 首をすくめて笑うと、綺麗にまとめられた毛束が楽しそうに踊った。頭頂部の白いサテン生地が日で薄く光る。

 

 ポニーテールを見せつけるように、楠木さんはニヤニヤとクマが残る顔で笑った。

 それに同調する赤坂の顔もちょっと疲れが見えた。

 

 

 

「あー……二人ともどうした?大分疲れてるっぽいけど」

 

「ああ、昨日中学の奴らと一緒にゲーセンで遊んでさぁ」

 

「すっごい遅くなっちゃったよねー。帰ったの9時だっけ?」

 

「そうそう。しかも帰ってからも通話してさぁ?お蔭で寝不足なんだよねー」

 

「……そ、そりゃすげぇな……」

 

 

 

 明るさと勢いに押されて、固まってしまう。その様子を馬鹿にするように、二人は更に笑みを強めた。

 

 

 

「っしょ~?久々にすっげぇ楽しかったよなぁ楠木さん?」

 

「ね~、大騒ぎ―ってかんじでさ」

 

「そうか、良かったじゃん……?」

 

「くくく」

 

「ふふふ」

 

 

 

 ちょうど先生が入ってきて、皆が席に戻り始めた。

 ニヤァ、と目を細め、二人も手を振って戻っていく。明美たちの鋭い視線も気にしない楠木さんと目が合った。

 

 

 

「……」

 

 

 

 嬉しさとも楽しさとも違う何かを滲ませたその目が、揺れるポニーテールに隠れた。

 唖然とする俺をしり目に、朝のホームルームは滞りなく始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1限目の数Aで早速テストを返され阿鼻叫喚の中、2限目の体育。

 こっちは採点が間に合わなかったらしく、普通に外で授業だった。

 

 外は寒いものの、日が出ていてじんわり温かい。春が近づいていることを――1年生の終わりが近いことを感じさせた。

 

 

 とっとと試合をさせてくれればいいのに、先生は相変わらずドリブル練習とパス練習を長々とやらせた。

 いつも通りペアを組んで練習しろ、と言われいつも通り大智を探そうと振り向いた時、また背を叩かれた。

 

 

 

「那賀川ぁ~」

 

「……赤坂」

 

「組もうぜ、たまには他の人とやれってさ」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 

 周りを見ると、皆確かにいつもと違うペアを組んでいた。

 

 曖昧に返事すると、赤坂は機嫌良さそうにリフティングしながらどんどん先に行ってしまった。

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

 

 

 自分で誘ってきた癖に、赤坂は黙ったままだ。

 

 グラウンドがワイワイ騒がしいのに、俺らだけ静かで浮いている。それでも、赤坂は薄い笑みを浮かべて黙っていた。

 

 

 

「……なぁ」

 

「んー?」

 

 

 

 沈黙に耐え切れなくて声を掛けたが、上手く言葉が浮かばない。

 

 

 今日なんでそんなに明るい?昨日はあの後どうだった、大丈夫だったのか?楠木さんは?

 

 そういう色々が一緒くたになって、言葉がまとまらない。

 

 

 

「……興を削がれた……ってカンジ?」

 

「!?」

 

 

 

 蹴ったボールが当てずっぽうな方へ飛んでいった。赤坂はニヤニヤしながら外れたボールを拾い、蹴り渡してくる。

 

 

 

「どーせうだうだ謝りなおすつもりだったんだろ?お前。シンミョーな顔してさぁ」

 

「…………まぁ」

 

 

 

 言い当てられた驚きでボールに集中できず、蹴り返したそれはひょろひょろと転がっていった。

 " シンミョー "とは正反対な顔をして、赤坂はボールを受け止める。

 

 

 

「あ、言っとくけどこれオレの提案じゃないから。あと楠木さんでもない。

 

いやーにしてもさぁ、女子ってマジ性格悪くね?笑っちゃったわ。

 

 

『謝ると許された気になるから謝らせない』とか、良く思いつくよなぁマジで。っくく。最高だったぜ、お前の今朝の顔!」

 

「……」

 

 

 

 赤坂が蹴り飛ばしたボールが強く俺の足を打つ。

 そのニヤニヤを見て、俺は段々何をされているのかわかってきた。

 

 

「いやぁ悪いけどさぁ?昨日ゲーセンで遊んだ時皆しつこく聞いてくるもんだから、オレらお前と楠木さんの事ぜーんぶ話しちった。

他校で噂になったらごめんなぁ。

 

んでそしたらさぁ、楠木さんのオトモダチたちがいたくお怒りになって?『明里には復讐する権利があるんだから!』とか言い出しちゃってさぁ」

 

 

 

 後は分かるよな?というように、赤坂が肩をすくめた。それを見て、俺は力なく笑った。

 

 

 なんて簡単でよくできた復讐だろう!

 

 確かに、謝って『俺が』すっきりして区切りを付けようとしていた。

 

 それで終わりにさせない、ずっと苦しめ、というところだろう。その上、俺の噂を言いふらすオマケつき。

 

 

 

「ははは、確かに性格悪いなぁ!」

 

「だろ~?オレらは流石にひでぇって言ったんだけど女子たち乗り気でさぁ」

 

「そりゃあ、楽しそうでいいな」

 

「へぇ、思ってるより平気そうじゃん」

 

「うーん、噂自体は中学から広まってるし、今更な?それに、」

 

「?」

 

「……逆にスッキリしたよ」

 

 

 

 お前らはずっとずっと優しかったから、復讐してくれて安心した。

 それくらい恨んでいると、俺はそうされて当然のことをしたんだと思えた。

 

 だから多少やり返されたことで、罪悪感が薄らいだ。

 

 

 そう笑うと、途端、赤坂の大きく振りかぶった足がボールを蹴り、剛速球が俺の腹を直撃した。

 

 

 

「うえ」

 

「……これでオレもスッキリしたわ」

 

 

 

 一瞬だけ鋭い目が俺を貫く。と思えば、やれやれと頭を振った。

 

 

 

「こーんなバカみてぇな作戦珍しく楠木さんが乗り気でさぁ。何でって聞いたら、『その方が那賀川くんも吹っ切れるんじゃないかな』ってさ。

 

あーもう、マジで言う通りなんだけど。スッキリしてんじゃねぇよバーカ」

 

「……楠木さんが」

 

 さっきの視線が脳裏をよぎった。

 

 あの目は、そういうことなのか。あんなことされて、それでも君は俺の事を思ってくれるのか。

 

 

 胸を締め付けるような痛みが、口元に笑みを浮かべさせた。

 

 

 

「なんでお前なんかにここまで出来んのかねー、マジわかんねー」

 

「…………楠木さんって俺に優しいからなぁ……」

 

「あ˝?」

 

「冗談」

 

 

 またすっ飛んできた球を今度は受け止めて、しっかり赤坂に返す。

 

 先生から集合の号令がかかって、赤坂はボールを蹴り上げ受け止めた。大げさにため息をついて、ワザとらしく鼻で笑って言う。

 

 

 

「じゃ、これで終わりってことで」

 

 

 

 駆けだして片岡たちの元へ行ってしまう赤坂が眩しく見えて、目を細めた。

 

 

 

「で、お前は?」

 

「は?」

 

 

 試合を2回終え、全員が団子になって本棟へ戻る中、俺は赤坂を引き留めた。

 

 振り返ったその顔は『終わりって言ったろ』と不満に満ちていたけど、それでも皆から外れて俺に歩幅を合わせてくれる。

 

 

 

「何だよ」

 

「お前はなんでその『バカみてぇな作戦』に乗ったわけ?」

 

 

 

 赤坂は薄く目を見開いて、そして目をそらした。しばらく沈黙が続き、これは答えてくれないか、と俺が追い抜かしたときだった。

 

 

 

「オレ、あんまり好きじゃねーんだよ」

 

「俺の事が?」

 

「ちげーよバカ」

 

 

 

 へぇ、違うんだ。

 それを少し嬉しく思いながら立ち止まって振り向くと、赤坂はその横をスタスタと追い抜いて行った。

 

 

 

「……友達に謝られるの」

 

「……!」

 

 

 

 俺が立ち止まっているうちに階段を上っていった赤坂が、踊り場で俺を見下ろした。

 

 逆光で表情が見えなかったが、それはきっと俺の想像通りの顔をしているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活はメンバーに復帰して練習も上々。大智たちやクラスの子たちとも今まで通り仲がいい。

 

 そして恵に送ったメッセージはいまだに既読が付かないし、母さんの返信が付くのは相変わらず遅いし、長い。

 父さんだって何も変わらない。俺の家族はバラバラのまま。

 

 

 だけど、俺の生活は少しだけ変わっていった。

 

 

 一つ目。母さんに邦彦さんの連絡先を教えてもらった。

 

 早速連絡を入れると、少し経って返信が来た。文章からも緊張が伝わってくるけど、それと同じくらい俺への思いやりがあった。

 

 この人はやっぱりいい人だ。母さんも恵も安心して任せられる。だから、俺だって少しずつ受け入れていきたい。

 

 邦彦さんからの『出来たら春休み遊びに来ないか』という返答に、俺はすぐYESと返事を出した。

 

 次に会ったら、色んな事を話そう。俺の好きな事、邦彦さんの好きな事。母さんと恵の事。それから、俺の夢の事。

 

 邦彦さんを通じてでもいいから、俺はこれからもバスケを頑張っていくと、恵に知ってほしい。

 

 

 俺は家族が一緒になるためだけにプロを目指してたわけじゃない。

 

 俺はバスケが好きだ。

 小さいころからボールを追いかけるのが好きだったし、コートで活躍する選手たちは誰よりカッコよく見えた。

 

 俺もいつかああなりたい。大舞台で活躍したい。

 そんな憧れをいつの間にか見失って、俺はこんなに迷ってしまった。

 

 

 恵が失望した俺は、バラバラになる家族を引き留めるためにバスケをする俺じゃない。ただの夢のために残酷な決断をした俺だ。

 

 だから俺は、お前を傷つけた責任を取る。自分の夢に責任を持って必ずプロの選手になって見せる。それが恵への償いだ。

 

 許してくれなくていい。だけど、その償いだけは見届けてほしい。

 

 あの時の家族はもう二度と戻らないだろう。俺が二人の仲を取り持つのを諦めて、母さんと恵を捨てたその罰だ。

 

 俺はその罰を受け入れよう。いつか立つ夢の大舞台で。

 

 

 そして二つ目。友達が増えた。

 

 一人は素直じゃないし、口も悪い。

 顔を合わせる度煽るようなことを言ってくる。

 

 それでも、いつ話しかけても面倒くさそうに笑って応えてくれるようになった。

 

 もう一人は……嬉しいことに、相変わらずだった。

 目が合えば嬉しそうに笑って、たくさん話しかけてくれて、良く喋った。

 

 だけど、その目から一種の熱が無くなったことを知っていた。

 何もかもいつも通りに見えて、すっかり向けられる思いは変わったのだと、否が応でも教えられた。

 それが彼女なりの許しと復讐だということも分かっていた。

 

 それが寂しくないと言ったら嘘になる。

 寂しいというよりは、辛い。

 

 すれ違ってしまった思いは日に日に大きくなっていった。そんなもの、今更渡すことはできない。

 

 でも、今じゃないなら。

 いつかこの思いを君に渡してもいい日が来るだろうか。

 

 君への償いを止めることはない。だから、このまま俺と友達でいてほしい。

 

 

 もう一度、君に俺を好きになってもらえるように。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、最後。

 

 

 貴重な部活休みの日に、俺は近所の公園へ向かう。住宅街の中まばらな街路樹に囲まれてぽつんと広がる空間は、あまりにも懐かしい。

 

 

 そして、昔よりも古びたベンチに座って待つ人も。

 

 

 

「……久しぶり、瞳」

 

 

 

 今更でも構わない。だって、『今』行動を起こせば未来は変わるはずだから。

 







赤坂と那賀川は色々対照的なキャラです。

弟と妹、家族仲、友人関係、部活への熱、恋路などなど。
そこを意識してまた読み返してくれたりしたら嬉しいです。
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