俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

44 / 61
第38話 ハートビート・チューンナップ  ――背を押して、息を合わせて――

 東雲付属の教育実習は3週間。

 

 本来高校の教員免許を取るには2週間でいいんだけど、中学の免許取得には3週間必要で、中高どっちも取りたい人のために3週間やっているらしい。

 

 最初の1週間は基本見学。

 自分の付いてる先生はもちろん、他教科の先生にもついて授業を見学するのも実習の一つらしかった。

 

 2週間目からは実践も入る。

 実習生の先生たちが実際に授業をし始めるってこと。

 

 

 というわけで、今週から坂口先生の現代文の授業が始まった。

 題材は夏目漱石の『こころ』。

 

 正直、中学の頃図書室で歩夢が見せてきた、でかでかと『K』と書かれた墓石に縋りつく挿絵が面白くて笑った記憶しかなった。

 

 

 先週清水先生のキンキンした声をBGMにざーっと読んだけど、古文ほどじゃないがやっぱりこの時代の文って読みづらい。

 

 それに三十三からって、途中から読ませてどうするんだろう。それにこれ遺書ってマジかよ長すぎるだろ。

 あと、間借りしてるくせにその部屋で自殺ってやべーなとも思った。

 襖に血が飛ぶほどって掃除はどうしたんだろう。やっぱ買い替えかな。

 

 

 ……なんてのんびり思っていた清水先生の授業が懐かしくなるほど、坂口先生の授業は全然違っていた。

 

 声が聞きやすいというのは清水先生に悪いので置いといて、スピードが違う。

 今まで2、3段落くらいを1時間じっくりみたいな授業だったのに、普通に4ページぐらいどんどん進んでいった。

 

 

 

「ここはどの文を指してるか分かるかな、相田君くん!」

 

「じゃ、この単語の意味教えて赤坂くん!」

 

「ここさ、どんな風に思った?井ノ上くん!」

 

 

 

 ってカンジ。

 

 気が抜けない。

 

 だけど、普段の『ほらー分かる人、手を挙げてみてー、分かんない?嘘おっしゃい』って地獄みたいな進みの授業に比べれば遥かにこっちの方が好みだった。

 

 だが、それは思ってたより少数意見だったらしい。

 

 

 

「えー無理無理、早すぎ」

 

「それな!全然ダメだった。知らない内にどんどん先行ってるし」

 

 

 

 同じように坂口先生の授業を受けた片岡と深瀬は口々にそう言った。

 井ノ上は微妙な顔をし、俺と湊は顔を見合わせる。

 

 

 

「えー、マジ?普段の清水先生の方がよっぽどじゃね?」

 

「おれも。あの地獄の沈黙より良いと思うけど」

 

「その地獄の沈黙が欲しいんだよオレ達は」

 

「寝てーんだよこっちはよ」

 

 

 

 確かに部活組はそうかもしれないけどさ。

 

 と、次いで井ノ上が口を開く。

 

 

 

「いやいや君たち、知ってるかい。誰も意見出さないまま授業終わったあとのホームルームの雰囲気を」

 

「なにそれ」

 

「この世の居心地の悪さってやつを凝縮したような時間だよ」

 

 

 

 深く頷いた俺たちに、片岡と深瀬は怪訝な目を向ける。

 

 そりゃお前らは先生が出てったら次の授業まで顔合わさないからそうだろうさ。

 だけど俺たちは嫌でも顔を合わせて話さないといけない。担任の先生だから。

 

 

 授業の約半分が生徒の沈黙で終わるくらいウケの悪い授業の後、生徒と話さないといけない清水先生の気持ちを考えてみてほしい。

 

 かつ、そんな状態の先生といつも通り話したり日誌を渡したりしないといけない俺たち5組の気持ちを考えてみてほしい。

 

 最悪なことこの上ないだろう。

 

 ちょっとの罪悪感と、それから逃れたい『なんで手挙げないんですか』『なんでお前から指名しないんだよ』という先生VS生徒の他責思考が帰りのホームルーム中ヒタヒタとクラスに満ちていくのが分かる。

 

 あんなに嫌な時間はない。

 

 

 だから、どんなに早くても『はい〇〇くん!え分かんない?はい次!』とどんどん言ってくれる方が遥かにマシだった。

 

 

 

「まぁ、早いっていうのは分かるよ。メモとか追いつかないよね」

 

「それはマジ」

 

「ほらそこ!お喋りおしまい!!」

 

「やべ」

 

 

 

 先生が揃ったのか、こっちに声が飛ぶ。

 全員飛び上がって黙ると、12組の……名前忘れた先生が口を開いた。

 

 

 

「よし!じゃあ修学旅行の説明するぞ!」

 

 

 

 学生誰もが湧くような言葉に、部屋全体が歓声に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行は11月。文化祭の1ヶ月後だ。

 沖縄へ2泊3日のよくある感じ。

 

 すっげぇやる気のあるやつはオーストラリア英語学習3泊4日旅行なるものに行くらしいが、そんな物好きはそうそうおらず、大半がこの学習室に集まっていた。

 

 基本は男女別行動なので、ここには男子しかいない。

 

 

 5〜6人のグループを組まないとで、俺は湊、井ノ上、片岡、深瀬と一緒になった。

 

 片岡は去年から誘われてたし、湊は言わずもがな。

 

 サッカー部のメンツから離れたかった深瀬と、校内新聞を作る都合で新聞部で集まらなきゃいけない若狭の需要が一致して深瀬がIN。

 

 後はなんか一緒に組むやついなくて困ってた井ノ上を引き入れて完成。

 

 簡単な説明と一緒に配られた『2日目自由行動計画表』を一緒に覗き込み、5人で眉を寄せる。

 

 

 

「えーどこ行く?」

 

「そらもう海でしょ!」

 

「でもシュノーケリングとか追加料金かかるし、自分たちで予約しないとなんだろ?めんどくね」

 

「確かに」

 

「いやオレらは泳がなくて良いんだって!見たいのは砂浜と水着の方々なんだからさ」

 

「泳いでる人、そんないねぇと思うけどな……」

 

「ま、軽く海浜公園みたいなこと行けばいっか」

 

「後は?」

 

「おれ、水族館行きたい」

 

「えぇマジ?意外」

 

 

 

 湊が不意にそう言って、俺以外の全員がこいつを見た。

 

 

 

「どーせ百合が行くとか言ってたからだろ」

 

「せいかーい」

 

 

 

 パチっと指を鳴らし、自慢げに笑う。

 

 だと思った。

 

 男女別で各所を巡る一日目と違って、二日目は他のどのグループと合わせて行動しても良い。

 つまり、女子グループと一緒でもなんも問題ないって話。

 

 

 

「百合ってあの朝風さんだろ、あのすっげぇカワイイ」

 

「そ!それに百合さ、明里ちゃんとー、芙実ちゃんとー、凛ちゃんとー、あと春海ちゃんと組んでるんだけどさ。

 

ねね、どう?百合たちの班と一緒に回んない?ルートと予約はおれに任せてくれていいからさ」

 

 

 

 百合は楠木さんと、あと谷中と田中と神崎さんと組んでる。

 

 とにかく『百合と沖縄!』を逃したくない湊は『女子と行動できる』という最大のカードを俺らに切ってきたわけだ。

 

 百合と一緒になるために、百合を餌にするとは。覚悟が違う。

 必死さが面白いような、他の女子たちに失礼なような。

 

 しかしながらやっぱり、このメンツにはクリティカルヒットだ。特に片岡。

 

 俺としても予約系を全部こいつに任せられるのは楽でいい。

 特に反論なく、百合たちと一緒に行動するとこが決まった。

 

 

 

「いやー、お前も嬉しいな!楠木さんと一緒で!」

 

「いやどーでもいいし」

 

 

 

 深瀬が恨みとニヤニヤ半分でそう言ってくる。

 

 そんな事言われても、どうせ旅行中ちょくちょく顔合わせるんだろうし、特別に組もうとは思ってなかった。

 悪くはないけど。

 

 

 

「ま、とにかく任せといて!」

 

 

 

 湊の自慢げな笑みと共に、修学旅行決めの時間は大して固まらないまま終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に戻ると、坂本先生が黒板を消して待っていた。帰りのホームルームだ。

 

 

 

「えーっと、まず連絡です!

 

1つ目に、交通マナー守ってほしいってお話です。今日地域の方から電話が……」

 

 

 

 ホームルームを任されて1週間。

 先生も慣れてきたのか、内容がまとまって分かりやすくなってきた。

 

 最初の『あっこれ忘れてた』とか『違う!これ関係なかった!』とかあった頃に懐かしさすら感じる。

 

 

 

「あー、後は……。皆、さっきは修学旅行の説明と場所決めだったんだって?」

 

 

 

 うんうん頷くクラスを見て、坂本先生は嬉しそうに笑いつつ視線を彷徨わせる。

 

 

 

「うん、良かった!あの、修学旅行って、一生の思い出になるものだからさ!ホントに楽しんできて欲しいな!本当にさ!」

 

 

 

 この言わなくても分かるようなことを謎に心込めて言って来るのは、未だに成長の兆しを感じられないけど。

 

 クラス全員がそれを受け流し、ホームルームはいつも通り終わった。

 

 

 

「じゃ、7組の方行ってるね」

 

「おう」

 

 

 

 湊はさっそく計画表を持って7組の方へ走っていった。

 

 俺は今日日直だから、日誌と戸締まり確認しないといけない。

 

 掃除当番がおざなりに床を掃く中テキトーに日誌を書き、窓の鍵を確認しにいった。

 窓際の奴ら、勝手に開けて棚代わりに使いやがる。

 

 

 

「赤坂くん、こっち半分は閉めたよ」

 

「あ、マジですか?ありがとうございまーす」

 

 

 

 と、坂口先生が箒を片付けるついでに閉めてくれたらしい。

 

 俺はもう半分の窓を確認し、カーテンをまとめた。

 吹奏楽部の女子たちが手を振ってクラスを飛び出し、それに先生は応える。

 

 1週間もすれば物珍しさは無くなるのか、坂口先生は誰にも囲まれることなく静かに机を整列させていた。

 

 

 

「なんか、先生も馴染んできましたね。センセーってカンジ」

 

「えっ、そうかなぁ?」

 

 

 

 そう言うと、坂口先生は嬉しそうに顔をほころばせる。

 

 

 

「なら嬉しいよ。授業の評判はあんまり良くないけど……」

 

「えー、俺は好きっすよ。パパッと進んでって」

 

「そ、そう!?」

 

 

 

 なんとなしに言っただけなのに、先生は嬉しかったのかガバっと背筋を伸ばした。

 

 うおぉデケェ。これでも身長は那賀川より小さいってマジかよ。

 渡した日誌が小さく見えるわ。

 

 

 

「もっと遅くって皆……特に清水先生には言われるんだけどさ、……ほら、にしても加減ってもんがあるでしょ?」

 

「あ、もしかして先生も清水先生担任だった?」

 

「そ!1年の時!……だから、その反動っていうか反抗っていうか……」

 

「っはは!すげぇ分かる!最悪っすよねあの空気!」

 

「ま、まぁだからって流石に早すぎたなーって反省してるよ。次は改善するから、期待して」

 

「はーい」

 

 

 

 こうやって話してるとすごい年齢が近いように感じる。

 6歳差だから小1と小6の差と同じなのに、全くそんな気がしなかった。

 

 でも、改めて6歳差って考えるとあのグッダグダな『楽しんで!』ってメッセージもなんか分かる気がした。

 お兄ちゃん心的な。

 

 なんて勝手に一人で納得してる内に教室は誰もいなくなって、やっと出入り口の鍵を閉められるようになった。

 

 後は職員室の鍵置き場に引っ掛けてくれば日直の仕事完了だ。先生と一緒に階段を降り、職員室へ向かう。

 

 

 

「そういえば、赤坂くんバンドの練習はどう?上手くなった?」

 

「んー、まぁまぁっすねー。手が思うように動かなくって。勉強もあるし。

 

あ、でも1番のサビ前までは行けるようになったんすよ」

 

「ええ、すごいじゃないか!

 

うんうん、いいね。ほら、やっぱり今しかできないことだからさ。楽しまなきゃ」

 

「先生そればっかりっすよねー。そんな気になります?」

 

「なっちゃうなぁ。僕は高校時代そういうのからっきしだったから」

 

「えぇマジ?すっげぇ充実してそーじゃないすか」

 

 

 

 この快活な性格と体格で?

 

 そう思ってかるーく聞いたら、先生は苦笑して壁の上を見た。

 

 職員室前の壁は去年の卒業生たちが進学した大学が飾ってある。

 風が吹き込むと、バサバサーっと鬱な七夕みたいにはためくものだった。

 

 

 

「あの頃の僕は、学校でここばっかり気にしてたよ」

 

「えっこれを?」

 

「うーん、当時の僕は、僕の『道』ってやつを守るのに必死だったからね」

 

 

 

 先生は遠い目のまま微笑んだ。

 

 ミチ?なんだ急に?と思ったけど、もしかしてアレか。

 最近やってる『こころ』のKの死因みたいなやつ。

 

 

 

「はぁ……?」

 

「ま、だから学校生活楽しんでねって話だよ。じゃ、さよなら赤坂くん!練習頑張ってね」

 

「あ、はーい、さよならー」

 

 

 

 やっぱ、イマイチ何言いてぇか分かんねぇんだよなあの人。授業は悪くないのに。

 

 と、俺は湊たちのいる2年のフロアへ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元から示し合わせてたのか、当然湊の提案に乗った百合は全員の希望をざっと聞き、予定を考えていった。

 

 琉球ガラス体験に、水族館、昼飯はハンバーガー、海岸、アイス、夕飯とお土産。

 

 結局練習の時は俺と楠木さんも混じって考え、修学旅行の計画は次々決まっていった。

 

 

 そんなことを話して少し脱線することもあったけど、バンドの練習だって順調だ。ようやく一番サビまで弾けるようになった。

 

 

 

「『Let's fly 遥か彼方へ 一人じゃ行けないところへ』……」

 

 

 

 少しゆっくりのギター、ベース、電子ピアノの音が楠木さんの歌声と一緒になる。

 やっぱり歌が入るとちゃんと俺達は曲を弾いてる感じがして、テンションもやる気も上がるものだった。

 

 次からやっとテンポを元の120に戻して練習だ。

 

 で、今日がその練習。

 

 楠木さんがお母さんと一緒にクッキーを焼いてくれたらしい。それを食べながら駄弁ってのんびり練習だ。

 

 1ヶ月と半分経ってすっかり身に染み付いた練習会に、俺は心を躍らせていた。

 

 

 

「……で、えーと、はい、確認です!ここの指示語は何を指してますか、和田くん!」

 

 

 

 BGMと化していた坂口先生の声に顔を上げる。

 

 和田が呼ばれたってことは次の次に指されるな。

 

 黒板とノートを見比べ、授業の進捗を確認する。充実した日々が過ぎていくとともに、坂口先生の授業も進んでいった。

 

 

 やっぱり授業スピードに苦戦してるようで、ゆっくり進む段落もあればこの前以上に早まったりして、俺達は波に飲まれてるみたいだった。

 ただ、黒板を勝手にガシガシ消さなくなったのは大きな成長だ。

 多少は落ち着いてメモが取れるようになった。

 

 

 よし、ここか。

 

 授業がどこまで進んだか掴めて、俺はほっとして前を向いた。しけた海を渡る航海士のような気分で、先生の声を聞く。

 

 現代文の授業は週に二回。そして今日は坂口先生の四回目の授業。

 

 つまり、先生がやる最後の授業だった。

 

 

 

「……で!やっぱりこの小説を読み解く一番の鍵はこれですね!『道』!

 

今まで何回も説明してきたけど、これは『K』の大きな理想で、全てを犠牲にしてでも通すべき物だったんだ。

 

……それが、何によって妨げられたんだっけ?相田くん!

 

……そう、『お嬢さん』への恋だ。良いよ、その調子!

 

そして、『私』は……」

 

 

 

 『K』って恋敵を打ち倒すため、『向上心の無いやつは馬鹿だ』っつって足を引っ張ろうとした。

 

 『K』にその発言はクリティカルヒット。

 恋愛にかまけてるってのは、『K』の『道』への信念が揺らいでるってのと同じだから。

 

 その内に『私』は『お嬢さん』に告って結婚の約束。

 恋路には勝っても人間的には負けた『私』は謝れないまま、『K』は自殺した。

 

 自分の『道』を外れたから。

 

 

 次は何を聞かれるかな、と思いながら聞かれそうなことをリストアップする。

 

 しかし、せっかくいつどれを聞かれても大丈夫なようにしていたのに先生は俺が思い浮かべたのと大体同じようなことを説明しきってしまった。

 

 

 時計は終了5分前。

 先生もまとめ終わったみたいたし、このまま授業は終わりそうだった。

 なんだ、緊張した甲斐ねぇの。安心して息を吐いた瞬間、

 

 

 

「赤坂くん!」

 

「っ、はい!?」

 

 

 

 呼ばれた。

 

 飛び上がった心臓と一緒に立ち上がりそうな身体を抑え込み、顔を上げる。

 

 目が合った。

 

 

 

「赤坂くんの道は何かな?」

 

「…………えっ?」

 

 

 

 全く予期してなかった質問に、教室がピシッと軋む。

 

 その数倍の緊張に襲われている俺は目を白黒させることしかできない。

 どう答えたら正解なんだコレ。

 

 とりあえず全クラスメイトの視線から逃げたくて、

 

 

 

「……卒業すること…………」

 

 

 

なんてアホみたいな言葉が漏れてった。

 

 クラスがくすくすと笑ってくれて、緊張が溶ける。

 坂口先生も「確かに!大切!」なんて言って笑う。

 

 とりあえずこれで良いらしい。全

 員がひとしきり笑ったあと、先生は口を開いた。

 

 

 

「はは、答えてくれてありがとう赤坂くん。

 

えっと、なんで急にこんな事を聞いたかというと、清水先生に最後の授業だからなんか皆に受験とかに向けて言葉を……って、これはいいや。

 

えー、っと!で!お話、なん、です、が!」

 

 

 

 気合を入れ、先生はいつになく真剣な面持ちでクラスを見渡す。

 

 しんと静まった教室に、声が響く。

 

 

 

「皆、そろそろ将来とか気にし始めてる頃だと思います。進路決まってるとか、やりたいことがあるとか、もう自分の道がある人、いるかも知れませんね。

 

……僕も当時はそれはそれは立派な理想がありました。『いい大学に進学する』って道です。

 

目標じゃなくて、道でした。

『いい大学』なんて、すっごいふわふわしてるくせに、僕はこれを外れるような人は心底バカだと思っていました」

 

 

 

 少し早く終わったクラスのざわめきが廊下に溢れてきた。しかし、壁を1つ隔てた5組は相変わらず静かに、坂口先生の言葉を聞いていた。

 

 

 

「高校生活を楽しんでいる友人を見下していました。

皆がイベントに遊びに真剣になっているのを時間の無駄だと思っていました。

僕以外皆バカだと思っていました。

だから時折、ひどいことも言いました。

 

そしたら、自分だけ浪人しました。

 

バカだったのは僕の方でした。全部無視して3年間やってきて、残ったのは後悔ばっかりでした。

 

当時はそれはもう落ち込んで、友達も失ってたし……、勉強にも身が入りませんでした。

そんな時に予備校の先生に勉強のやり直しってことで読まされたのが、今回やった『こころ』です。

 

……これは、大学入ってからも思ったことなんですが、良い文章っていうのはですね、読んだ人に全部自分ごとのように感じさせるものなんです。

 

僕の道なんて、『K』の『道』に比べれば余りにも小さくてダサいことだし、僕には全く当てはまらないところもたくさんありました。

でも、その時読んで、僕はとても感動しました。

自分のことのように思えて、月並みな言葉ですが、なんだか救われた気がしました。

 

それで僕は、国語の教員を目指すことに決めたんです」

 

 

 

 いつの間にか坂口先生の隣に来ていた清水先生がうんうんと頷いた。

 飽きたのか、ちらほら首を動かすクラスメイトが視界の端にいる。

 廊下の騒がしさと視線が伝わってきて恥ずかしくなったのか、坂口先生ははにかむ。

 

 でも俺は、先生から目を離さなかった。

 

 

 

「まあ、先生目指してるんで、現代文を学ぶ意義とか言おうと思えばいくらでも言えるんですが、ここでは一つだけ。

 

それは、皆に余裕をあげることです。

 

こんなのいつ役に立つの?って思うような余分なことを、ものを、たっぷり皆に味わってもらうためです。

あの話よく分かんねーって、友達と話したりすることです。

 

つまりは、青春てやつです。

 

何か辛いことがあったときは、そういう余裕が助けてくれます。皆の道しるべになってくれます。

 

つまり、一番言いたいのは、皆高校生活楽しんでほしいってことです!

僕が見失ってたそういうことを、皆にはめちゃくちゃ満喫してほしいんです。

先生たちはそのための協力は惜しみません!少なくとも、僕はそういう先生になりたい!

 

……というわけで、以上、皆への宣誓と激励として締めさせていただきます。皆、ありがとうございました!」

 

 

 

 ガバっと頭を下げた坂口先生に、パチパチと拍手が飛ぶ。

 

 その柔らかい拍手はねぎらいだったり、共感羞恥だったり、適当だったりした。

 俺も皆に合わせて小さな拍手を送る。

 

 でも、先生への目は離せなかった。高揚感に乗って騒ぐ心臓を恥ずかしいとは思わなかった。

 

 脈拍と共に身体中に満ちていく叫びたいような気分を必死に抑え込み、号令と共に礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま帰りのホームルームになだれ込み、先生は何でもないように連絡事項を笑顔で伝えていった。

 

 清水先生に再度挨拶を勧められても、「さっきもう全部言ったので!」と断る。

 

 クラス全体が、今日、坂口先生の最後だとは思えない軽い雰囲気だった。

 でも多分、そんな雰囲気が正解だ。

 たかが3週間、ホームルームを担当したり4回授業してくれた教育実習生との別れなんて、きっとこんなもんが正解だ。

 

 だけど、俺はどうしても『それ』じゃ済ませられなかった。

 

 

 帰りの挨拶が終われば、皆は部活に走っていく。

 数人はパラパラと坂口先生に挨拶をしていくが、長話をする奴はいなかった。

 

 

 

「よーし、行こっか透く……」

 

「ちょっと待ってて」

 

「えっ」

 

 

 

 じゃあ、俺も、それに倣おう。

 

 湊を静止して、机を直している坂口先生に近づいた。

 先生は嬉しそうに顔を上げ、俺と目を合わせた。

 

 

 

「先生」

 

「うん、なんだい」

 

「俺、」

 

 

 

 言葉がうまくまとまらない。

 

 ああ、先生もこんな気持ちだったのか。だからいっつも何言いたいのか分からなくて、俺はその笑顔で誤魔化してる姿が見てて恥ずかしくてバカにしてて。

 

 でも本当は、気持ちは十分に伝わってた。

 

 だから俺だって、気持ちだけでもいいから伝えたい。

 

 

 

「俺、頑張ります。絶対、文化祭のバンド成功させます。あと、あと修学旅行も。

 

その……だから、すっげぇ楽しんでみせます!高校生活!」

 

 

 

 入学してからずっと目指してきたそれを、もう一度。

 

 坂口先生は、俺の口下手な宣誓を真剣な眼差しで聞いてくれた。

 

 

 

「そんだけです!」

 

「そっか。頑張れ!」

 

「はい!じゃ、さよなら先生!」

 

「はい、さようなら!」

 

 

 

 先生に背を向ける。先生も手元に視線を戻す。

 俺はボケッとしてた湊の背を押して、扉に向かう。

 

 7組の方へ。楠木さんと百合の方へ。

 

 

 

「よし、いこーぜ湊!」

 

「は?ちょ、何だったんさっきの!?あ、先生さよなら!おれも頑張るね!」

 

「はい、さよならー」

 

 

 

 はやる思いに乗せて、足を踏み出す。

 

 俺はあと数年もしたら、坂口先生のことを忘れてしまうかもしれない。

 坂口先生も、俺のことなんか忘れてしまうだろう。

 

 それでも俺は忘れない。

 先生が『頑張れ』って言ってくれたのを。

 今俺の身体を走ってる万能感をくれたことを。

 

 一人の人生の背を、押してくれたことを。

 

 

 

「楠木さん!百合!練習行こうぜ!」

 

「うわなに急に」

 

「ほら、さっさといこーぜ!」

 

「なーんか透くんやる気になっちゃってさ」

 

「えー、いいことじゃない?ね、赤坂くん」

 

「だろ?ほら、練習練習!」

 

 

 

 そう大声で騒げば、3人の表情に浮かれが伝播していく。

 

 3人の背を押して駆け出せば、スポットライトのように日差しが照らす。

 

 俺たちはその道を、自転車を押して駆けていった。

 

 

 

 

 そしてあともう一つ、忘れちゃいけないこと。

 

 母さんに、『教師ってどう?』って聞くことだ。

 

 

 

 

 








高校で学んでから数年後、『こころ』を最初から全部読みました。

先生がKの自殺を、「たった一人で淋しくって仕方がなくなった」からじゃないかと書かれていて、『道』よりよっぽど納得したのを覚えています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。